お嬢様と漁師

 翌朝。ケイト達が早朝の漁港にやって来てからおよそ3時間後。


「お疲れさまですお嬢様」

「ええ……」


 競りの様子を見て回ろうとしていたケイトだが、漁協長の中年男性によって自慢話を長々とされたため、かなり消耗している様子でため息を吐いた。


「あー、すんません。見ての通りもう撤収中なんすよ」


 やっと解放されたときには、市場ではすでに競りも何もかも終わっていて、ケイトへそう説明してくれた職員の後ろでは床掃除が行われていた。


「どうされますかお嬢様」

「そうね……。漁港の視察だけでもしておきましょうか」

「承知しました」


 職員が去った後、ケイトは踵を返してシャッター脇の人用出入口から外に出た。


 ケイトは昨日着用したワンピースではなく、作業着に胴長を穿いているため、メイド服の2人の存在が大分浮いていた


「あんた達が本土から来たっていう会社の社長なのかい?」


 そのため、ケイト達を探していた老年に差し掛かった男性が、簡単に見付けて話しかけてきた。


「はい。『マリーン・フーズ』のケイト・バーンズ・ハーベストです」

「おお、こりゃまたどうもご丁寧に」

「いえいえ。……それで、どうなさいました?」

「――ここじゃ憚られる話なんだ、俺の船の前まできてくれ」


 男性がちらっと市場とその2階にある漁協の出入口を見てから、声を抑えてそう言うと、防波堤の1番端の船を指して先行してい歩いていく。


「どう? 彼」

「これは勘ですが、恐らく裏はないかと」

「じゃあ、ご一緒させてもらいましょう」


 一応少し警戒をしながら男性の後を着いていくと、彼はどっこらしょとビールケースをひっくり返した椅子に座って漁網の手入れを始めた。


「漁協長から冷蔵システムの事はもちろん聞かされたろ?」

「ええ、それはもう」


 20回ほど言及があったその名前を聞いて、ケイトは眉間に少しシワを寄せている。


「そいつのせいでな、いろいろ問題が起きてるんだよ」

「魚を買い叩かれていたりするんですね」

「……1番はその通りだ。あんたすげえな」


 何も聞く前から1発で答えたケイトの慧眼けいがんに、漁師の男性はパチパチと瞬きをした。


「まあ、漁協を通さなくても買ってくれるとこはあるんだが、鮮度がどうあがいても敵わないから結局大して買値が変わらないっていうな」

「なるほど」

「でだ。漁協側はその分のコストだっつって、高い値段で余所の島やら本土に売って大もうけ、こっちにはなんの見返りもない。文句を言うと競りにも魚を出せなくなるし、漁具も買えなくなる。やってられないってもんよ」


 言うこと聞かないと飯が食えないから、文句もそう言えなくてな、と続けた男性は、


「ま、社長さんに言っても仕方ないことだけどよ。愚痴として聞いてくれ」


 諦めたような冷めた苦笑いを浮かべ、網に空いた穴を同じ素材の糸で塞いでいく。


「ところで社長さん、どっかで俺、あんたと会ったことあるっけな」

「ああ、恐らく母の事ですね。マリアナという名前に聞き覚えは?」

「――あっ! 西にある灯台の灯台守のマリーンさんとこのか!」

「そうです」

「ほー、道理でよく似てると思った。君の母ちゃんのおかげで大漁になったことがあってな。最近どうだ元気して――」


 記憶が繋がって、にこやかな表情で懐かしそうに言った男性だったが、近況を聞こうとするとケイトが目を伏せ気味になり、不幸があった事を察して神妙な顔で口ごもる。


「……いやあ、申し訳ない」

「もう10年も前の事ですし、謝られる必要はないですよ」


 それに自分で気が付いたケイトは、一転、穏やかに微笑んで漁師を安心させる。


 では私はこれで、とケイトが言うと、せっかく来たんだから、観光もしっかりしていってくれ、と言って男性は手を小さく振って見送った。


 ケイトが他の漁師に話を聞いて回っている様子を、漁協の建物屋上から何者かが双眼鏡で観察していた。


 ややあって。滞在先のホテルのスイートルーム。


「アイリス。ちょっと調べて貰いたい事があるのだけれど」

「漁協の件ですね」


 ソファーに深く腰掛けて1つ息を吐く、部屋着姿のケイトにそう言われ、お茶を用意していたアイリスはその意図を読んで返す。


 どの漁師に訊いても、初老の男性漁師と似たような事が返ってきて、漁協のあこぎさに渋い顔をしていた。


「ええ。できるかしら?」

「以前からの知り合いの情報屋がいますので、可能です」

「じゃあお願い。予算は500万あれば足りるかしら」

「恐らく」


 ケイトは小切手に自分の名前と金額を書き込んで、アイリスに手渡した。


「足りないなら追加で出すわ」

「はい。では、行って参ります」


 アイリスは敬礼してそう答えるとメイド服から、この地域では珍しくもない地味な半袖シャツとショートパンツに着替え、拳銃をウェストポーチにしまって出発した。


「イライザ」

「はいー」

「こっち」

「はいー」

「……いい?」

「はい」


 扉が閉まった事を確認すると、イライザへ隣に来るよう指さしたケイトは、座った彼女へ上目遣いでそう言うと、イライザはニッコリ笑いながら両腕を広げて待ち構える。


 ケイトはイライザの膝の上に向かい合う形で座ると、彼女に抱きついてその大きな背中に手を回した。


「……」


 胸元に額を付けて甘えるケイトの細い身体を、穏やかに微笑みながら無言でイライザは抱き寄せた。

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