第9話 (1)



 強さを追い求めた。

 生き残る術としてではなく、人を殺す、そのためだけに。

 戦士とはそういうものだ。

 模擬戦や演舞が優れていても、実戦で役に立たねば死ぬだけだ。

 強さこそ、生きる意味だった。

 強さを誇った。

 いまでもそれに後悔はない。

 その果てには、虚無があった。

 それを悟ったとき、ただ、笑った。

 幾多の血を生んできた両手には、大切なものなどなにも持っておらず、守るべき人もなく、一人きり。

 己を笑った。


 デットは自分の血が沸き立っていると自覚していた。その感覚を失っていつしか長く時が経っていた。

 対面を終えた国王は、長椅子から立ち上がり、部屋を出るまで自然な歩き方で肉体のあらゆる部分を解きほぐし伸ばし、戦いの場へ赴く前の準備をしている。素人や半人前の戦士などは、彼がただ歩いているようにしか見えないだろう。

 男は戦士。“迅風”のレイグラント。

 傭兵として生きてきた結果がフォルッツェリオ国王という冠に過ぎない。いまの彼は国王という立場を気にもかけていない。

 デットはレイグラントから少し遅れて対面していた部屋を出ると、廊下で控えていたビルトランの部下から、預けていた己の剣を受け取った。素直に渡してくれたところをみると、ビルトランとレイグラントからそれなりに信用はされているらしい。

「闘技場まで、少々馬車で移動いたします」

「わかった。エルは連れていく。ミーサッハどのはここに残る」

「承知しました」

 ビルトランの部下である男はまだ若いが、心身ともに鍛えられているのがわかる。控えめな態度でデットたちに相対しながらも、主君や上官の命は絶対とでもいうように案内役としてデットを闘技場へ誘導しようとしている。男は二人を促し、政務府を出たところに待機していた馬車に共に乗り込んだ。

 馬車の中、隣に座ったエルは強張った顔つきでデットを見上げてくる。くしゃりとその頭を撫でた。

 レイグラントが乗った馬車は先を走っている。王城は民たちの生活から隔絶するように林と城郭に囲まれた広大な土地の中にある。その敷地内に闘技場も建てられたらしい。徒歩ですぐに行けるような距離ではない。

 堀を渡る橋には近衛の兵が駐屯する門が両脇にあり、話は通っているようで検問を受けることなく馬車は軽快に橋を渡った。その向こうには人工の森林が広がり、複雑な曲がり方をしながら本宮を守っている内城壁らしき高塀を遠く眺める位置を保って馬車は走る。

 しばらくすると、内城壁とは別の背の高い石造りの壁が見えてきた。

 円形状の闘技場。

 四方八方から観客が戦う者たちを見下ろし、勝敗決するまで歓声を上げてきた場所。

 本物の戦場を知らない者の娯楽の地。

 馬車から下りて、いくつかの壁と扉をくぐった先に、円形土場が広がっていた。

 周囲は高い煉瓦の壁に囲まれ、階段状の観客席がその外側全方向に作られていた。この観客席が満杯になった状態なら、観客の熱気と戦士たちの闘気でこの闘技場は異様な興奮に包まれていただろう。

 何人もの戦士が同時に戦闘を行っても大丈夫なくらいに広い闘技土場の中央に、レイグラントが抜き身の長剣を手に待っていた。

「エル、そこにいろ」

 土場の壁際にエルを残し、ビルトランの部下に託す。この手合わせの結果がどうなろうと、彼らがエルに害をなそうとはしないだろう。それについてはデットが彼らを信頼した。

 デットは自分の剣を鞘に収めたまま手に持ち、レイグラントの立つ円形の闘技場中央へ向かった。

 体の各所はここへ来る過程で慣らした。筋力の張りも申し分ない。

 本当に、久しぶりだった。

 戦いの場へ赴くまで気持ちが高揚するのは。

 剣を置いていたのは、戦地に行かなかっただけのこと。

 何年も剣を振るう気持ちになれなかった。

 いまは。

「そなたがここにいる意味を、見せてもらおうか」

 レイグラントは好戦的に笑みを見せて言う。

「本気を出せば双方無事では済まんだろうから、ある程度加減をするのはご容赦いただこう」

 デットも昂る血の勢いのまま笑んだ。現役の傭兵の中で最強を謳われる男であり一国の王に対し不遜にものを言う。

 遊びではない実戦的な手合わせになるのはわかっていた。怪我も承知の上だ。

 さて、“迅風”の実力は、いかに?

 デットは質素な鞘から流れるような動きで剣を抜き、鞘の底が鋭角的になっている部分を土場の地面に突き立てた。これが真の戦場なら、武器としてなんでも利用する。このような模擬戦でも。両手で柄を握りながら、この鞘を拾って両手に剣と鞘を持って振るう場面を脳内で想定する。

 デットの剣にはとくに意匠も装飾もないが、柄の根元に大きめの紅玉が嵌め込まれている。剣を抜いてから、午後の下りてきている陽の光でそれが紅く反射し煌めいているが、それよりもその剣には特出した異常が起こっていた。

 剣の刃全体が、ゆらり、蠢いて見える。

 陽炎だった。剣から放たれる熱気で、周囲の空気が揺らいでいた。

 デットは少し剣の刃に瞳を向け、片腕の側で一振り、柄を起点に素早く回転させた。その振りで揺らめいていた陽炎は止み、普通の剣のように大人しくなった。

「見事な剣だ。どこぞ名工の作か」

 変わらぬ姿勢で待つレイグラントが訊ねる。デットは苦笑しながら答えた。

「俺の気を自然と感じ取れるように作った。自分のためだけの剣だな。模擬戦には向かないが、あんたを前にして生半な剣じゃ太刀打ちできそうにないと思ってね。悪いけど、これでいかせてもらう」

 重みも、長さも、柄の握りも、自分のためだけに合わせてある。これ以上の相性の剣はない。

「魔法力は極力抑えるつもりだが、元々魔法力を増幅させる剣だ、勝手に魔法が発動してもそっちで防いでくれ」

 “迅風”ならばデットの炎くらいは吹き消すことが可能だろう。

「かまわん。そのような誂えの剣なら、自分も持ちたいものだ」

「これであんたが勝ったなら、作ってやるよ」

 ニヤリと笑いながらデットが言えば、レイグラントは多少目を見張り、それを見たデットは愉快に笑う。

「そなたが鍛えたものか」

「各地を放浪しているうち、何年か前に刀工に弟子入りしてな。短剣と対で作った。火炎魔法を駆使しながら高温度を維持して鍛え上げないとできないものだ。一年以上修行しても到達できない高みの領域だ。同じものは二つとできない。風魔法と感応させたいなら、増幅玉を提供してくれ」

 会話しながらも眼の色は二人とも殺気染みている。エルが怯えてやしないかと頭の片隅では思っていたが、気遣う気持ちは闘気でとうに追いやられていた。

 喋りながら、先ほどから初太刀の機会を共にうかがっていた。

 双方攻めあぐねているというより、ひと太刀合わせれば止まることなく相手に剣を振るい続けることになる、その呼吸を計っていた。

 相手の力量を、自分の実力を、狙うは体か、剣を打ち絡ませるか、ふた太刀目の速度は、狙い目は、角度は、目線、感覚、音、空気の流れ、振動、揺らぎ……

 より細かく、繊細に、研ぎ澄ませて探っていく。

 瞬きの時間すら長い。

 いつしか会話も途切れ、この空間が二人きりのものになり、殺気とも闘気ともいえる意思が二人の周囲に満たされていく。

 二人の身長はほぼ同じ。体格はレイグラントが勝るが、その分瞬発力はデットが高いはずだ。

 ああやはり魔法力を抑えるのは無理か。

 感覚を研ぎながらデットは口元を笑み歪ませる。

 エル、吹き飛ばされるなよ。

 ビルトランの部下よエルを頼むと願いながら、デットは下段の位置に構えていた剣を両手で振り上げるように手を動かしながら走る速度でレイグラントに向かった。あちらも両腿を大きく使いながら低い腰つきで向かってきていた。

 下段からデットが、中段からそれを押し返すようにレイグラントが、互いの剣を渾身の力でぶつけ合った。

 二人の闘気と魔法力も物理的な力以上にぶつかり合い、衝撃波が二人の衣服や髪を激しく襲い、ひと呼吸早くデットの太刀筋が返しがけにレイグラントの首元を狙う。身を逸らせたレイグラントが太刀を避けながら回した剣先でデットの腕を狙った。どちらの動きも速く、一流の戦士でなければ目が追いつかない速度。デットは素早く剣を引いてレイグラントの剣を受け止め足を踏み留まらせて力技で押し返したあと、流れでその場を飛び退いた。デットの足があった場所に間髪入れずレイグラントの足が踏み込まれていた。

 互いにそのまま少し離れ、息をつく間もなく再び剣を合わせたとき、初太刀以上の魔法力と闘気が合わさった波動が二人の剣戟から立ち上った。



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