04 生命のやり取り


 灰色の雲が頭上一面に広がっている。

 お日様は顔を見せず、朝からご機嫌斜めの空模様だ。


 こんな日は、裏山の中腹あたりにある佑の山小屋を過ぎた所から八合目あたりまで広がる竜森へは、なるべく踏み入らないと決めている。なぜなら、稀に強力な肉食の大型竜が出没する上に、あまりに暗すぎるからだ。


 鬱蒼と繁った木々によってただでさえ薄暗いのに、曇りの日や雨の降る日はまるで真っ暗闇になってしまうのだ。常人の目では可視範囲が1mも無い程である。


 そんな状況で肉食竜に出くわしてしまったら、命が幾つあっても足りない。灯りなど点けようものなら、それこそあっという間に竜の餌食となってしまうだろうからそれも出来ない。小型のハーゲル程度ならば対処も出来るが、大型竜とやり合うには随分恐ろしい状況が揃っていた。


 しかし今日は竜森の入口付近に辿り着いた時、タスクは引き返さなかった。

 こんな日に限って全く食料が無いのだ。というのも、昨晩酔っ払って管を巻いているうちに備蓄を全て平らげてしまったからだった。


「あれ、無い」


「無い!肉と野菜が、無い!!くそっ、泥棒め!また盗まれたか!」


 朝、起き抜けに絶叫するタスクである。

 しかし実はこれが初めてではない。定期的にこんな事を繰り返していたのだった。


 そういった理由で、少し奥まで踏み込んで食料調達の為の狩りをすることに決めた。王都まで行って買い出しという手もあるが、タスクは酒以外の食料は自給自足で生きると決めているので、それをしない。


 また、山小屋周辺での狩りではなく敢えて危険な竜森に踏み込むのは、竜森のほうが多種類の竜が生息しており個体数も多く、それによって栄養豊富な環境であるがゆえ獲物がそれぞれ一等上質に育っているからだった。


 竜森に踏み入って以降、なるべく拓けたところや太い獣道などを選んで進んでいく。いつでも先制攻撃に移れるよう、タスクは気を張って辺りを見回し警戒しながら歩いた。

 時折、空から飛竜の鳴き声が聞こえてくる。あの鳴き声は飛竜の一種であるトリカラだろう。彼らの縄張りもどこかにあるのだろうな。いま上空を飛んでいる個体は斥候の役目か何かだろうか。


 そんな事を考えていると、目の前の影が僅かに蠢いた。


 タスクは足を止めた。

 少し離れた場所から、常人離れした視力を持つ自慢の三白眼で凝視する。

 そこに居たのは、


「やった!タンスキーだ!」


 ずんぐりむっくりとしたその体はハーゲルよりも丸く太く、力強い。爪は短めだが鋭く、木に張り付いた1m程のカメレオンを串刺しにしてむしゃりくしゃりと齧り付いている。口から覗かせている牙もハーゲルと比れば短いが、一回り太くて立派である。この個体の身長は凡そ1.4m程だ。


 タンスキーは個体数が他の竜種と比較して非常に少ないので、滅多に市場には出回らない。また、その肉はとても脂のノリが良く柔らかで絶品と評される為、その希少さも相まって食料品としては超高級な逸品である。数ある部位の中でも特に舌は非常に美味で、長く太く質量もある。小型でも一体狩ることが出来れば、舌を売りに出すだけで二、三ヶ月は余裕で遊んで暮らせる収入になる。


「少し小さいが、ツイてるぜ。まさかタンスキーと遭遇するとはな。早速頂く!」


 狙いを定めて近付くタスクだ。

 しかし、タンスキーのその奥にも、まだ蠢く影があった。


(おいおい、嘘だろ)


 その影はタンスキーの1.5倍程も大きい。体格こそタンスキーに瓜二つだが、その2mを越す体躯は比べ物にならない程に巨大だ。タンスキーの進化形である、デラタンスキーだった。


(なんて大きさだ。あれはまずい。酒を呑んでいない上にこんな暗がりでは)


 二体ともタスクに気付いていない。デラタンスキーは獲物である動物か何かに夢中で喰らいついている。この二体は親子であろうか。デラタンスキーが獲物を引きずって奥へと進むと、タンスキーもくっつくように移動する。


(こりゃ珍しいな…しかし、なるほど。よし、子供を釣るか)


 タスクはおもむろに隣の茂みの中へ右腕を突っこんだ。

 それをゆっくりと引き抜くと、隠れていた大きなカメレオンの首元に深々と人差し指と中指が突き立てられていた。


 突如として襲い来た断末魔に抵抗できないカメレオンは、小さくグェ、と声を漏らして痙攣し、絶命した。


 次に左手で小石を拾い、背を向けているタンスキーに投げ付ける。

 お尻に小石がコツンと当たり、驚いたタンスキーがゆっくり振り返った。

 そして、その視線の先にカメレオンを放ってやった。


 どこからか湧いて出た獲物を見付けたタンスキーは、のしのしと歩いて行ってしまうデラタンスキーのことなどすっかり忘れたかのように獲物にしがみついた。随分と腹が減っていたのか、カメレオンを取り上げて頭から勢いよくガブリと噛み付いた。


 さて、ここからがタスクの真骨頂である。

 目にも留まらぬ早業であった。


 ある程度デラタンスキーとの距離が稼げたと見るや、全身をバネのようにして弾けるように茂みから飛び出し、タンスキーに襲いかかった。

 腕をぐんとしならせてタンスキーの喉元に貫手突を突き立てると、横薙ぎにして声帯を潰した。声を出されると厄介だ。デラタンスキーに気付かれてはいけない。その場でグッと重心を下げて踏ん張り、返す左手で心臓辺りに貫手突をぶち込む。前腕までずっぽりとめり込む滅茶苦茶な破壊力の貫手突は、タスクが会得した体術の中でも得意とする技のひとつである。


 生命維持に必要不可欠な臓器をひとつ、握り潰す。

 タンスキーは全身を強ばらせ、喉と口から泡を吹いて目を剥き、抵抗する間もなく果てた。身を潜めるようにじっと待ってそれを確認したタスクは、踵を返して再度弾けるように駆け出す。タンスキーは暴力的な握力によって短い尻尾をぎゅうと握られ、強引に引き摺られる格好だ。


 この日のタスクの狩りは、ほんの一瞬の内に幕引きとなったのだった。






「いやあ、まさかタンスキーがいるなんてな!ラッキーにも程があるぜ!やっぱり、俺の普段の行いがいいからだなぁ」


「普段の行いが運と全く関係ないっていうのはよく分かったよ」


 タスクの伝書鳩によって呼ばれた翔が、注文分のお酒を持って山小屋に来ていた。インベントリから何本も色取り取りの一升瓶が出て来る。


「デラタンスキーまで一緒にいたのは正直ビビったが」


「うっそ!激レアじゃん!それはどうしたの」


「呑んでなかったからな。あれは流石に危ないと思って逃げたよ」


 生と死が常に隣合う裏山での狩猟生活は、引き際が肝心だとタスクは知っていた。タスクは酒に酔えば酔うほど飛躍的に強くなる体術を最も得意とする。いわゆる酔拳だ。その戦闘力たるやデラタンスキー程度なら軽く捻り潰せる程だと自負しているが、酔って竜森に入るのは晴天の日だけと決めていた。


「それであれはどうするの?全部、売り払うの」


 庭先で血抜きの為に吊るされたタンスキーを指差して翔が言う。


「バカ言うな。あんな尻尾の先から舌の先までぜーんぶおいちいもの、誰かにくれてやる訳ないだろ。全て自分で食べるのさ。鱗は売るがな」


「贅沢だねぇ。お金にして幾ら分になるんだろう…」


「気にしちゃいけない。俺の場合、金だけあっても腹は膨れん。さあ、新鮮なうちに解体してしまおう。お前も食べるだろ?」


「ええっ、いいの!」


「勿論さ。さあ、手伝ってくれ」



 日も昏れる頃、その身が震えて滾るような旨さに、歓喜感動の絶叫がふたり分、裏山に響き渡った。

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