搾ってみよう

 


「気にしてません。私だって思いっきりぶっちゃったし……」


「それこそ気にしてないから! あの十倍くらい殴ってもいいから!」


「そんなに殴りませんよ~」


 クスクスとした笑い声が耳に転がってくる。そんな彼女の様子に恐縮を強くするばかりだ。


「うぅ、しかし……」


 頭を上げて仰ごうとするが、いつの間にか彼女の顔は同じ高さにあった。


「それじゃあ……えいっ」


「っ!」


 ペシッと土に汚れた額を指で弾かれた。虫に刺された痛み程も無い。


「これでおあいこって事にしましょう? 今度こそこの話は終わりです」


 ウジウジ悩む俺より、遥かに清々しい笑顔で言われてしまった。つくづく完敗だ。


 ・

 ・

 ・


 それから牛舎に入る。木組みの建物で風通しの良い造りになっているらしく、昼間でも陽射しが入り過ぎず涼しい。その中に規則正しく並ぶ牛達は全部で十七頭。床には砂が敷き詰めてあった。

 ミルシェは金属製のバケツを片手に一頭の牛、ハナに歩み寄る。


「じゃあコレからおっぱいの搾り方を教えますね。ムネヒトさんはしたことありますか?」


「イメージトレーニングなら」


「へ?」


「い、いや……なんでも無い」


 あぶねぇ……


「こうやって下に搾乳用のバケツを置いてですね……ハナ~今日もお願いね~。そして上の指からこう……」


 モーゥと長い返事をしたハナの乳房に手をかけ力を込めると、まるで水鉄砲のようにミルクが吹き出た。


「おお!」


 予想以上の勢いに目を丸くする。


「ハナはウチのエースなんですよ。一番良くミルクを出してくれるんです」


 話ながら手際よくミルクを搾っていく。バケツの底はあっという間に白に覆われ見えなくなっていた。


「へぇ~……荷物も運んだり何でも出来るんだ……」


「はい! 私達の自慢の家族ですから!」


 後から続くハナの太い鳴き声は、どことなく誇らしげに聞こえた。それからミルシェはいくつか乳搾りのコツを指南してくれる。

 しばらくリズミカルに搾乳をこなした後、体を引いて俺にスペースを譲る。


「さ、次はムネヒトさんですよ!」


「お、おう。なんか緊張する……痛かったらゴメンな」


 おそるおそるハナの乳首に手を伸ばす。教えてられた通りに指を順々に優しく握っていくと、俺は唐突に理解した。

 閉じていた瞼が開いたかのように感じる。不思議と何処をどうしたら良いとか、ハナの快適な位置やタイミングや力加減までもが全て分かる。その得られた知識をそのまま手に込めると、ミルシェに勝るとも劣らない勢いで白い液体が吹き出た。


「わっ!」


「すごいですムネヒトさん! 本当に初めてですか!?」


 自分自身に驚き、ミルシェも驚愕の声を上げた。


「間違いなく初めてだけど、こんなに出るもんなのか……」


「初心者でこんなに上手く出来る人なんて見た事無いです! ハナも凄く気持ちよさそうですし」


 見るとハナが目を細め口をモッチモッチ動かしてる。気持ちいい? 全然分からん。ともかく嫌がっている様子はなく、面白い位にミルクが溜まっていく。


「ふふっ、ムネヒトさんは乳搾りの天才なんですね」


 これは多分スキルか何かのお陰だろう。天才なんて言われたらムズ痒い。


「ははは、大袈裟だって……ん?」


 ハナ 8%


 ふと、ハナのステータスに新しい項目が追加された。8%? なんだこれ。俺のスキルなんだから多分おっぱいに関係することなんだろうけど……あ、9%になった。

 手を休めることなく乳搾りを続けているとじわじわ数字が増加していく。

 なるほど。これはどのくらいの量のミルクを搾ったかってことになるのだろう。そうなると、あと十倍のミルクが採れるということか。凄いなハナ。


「どうしました?」


「ああ、いやなんでも――!?」


 ミルシェ 6%


 ミルシェの搾乳数字(仮)も上昇してる!? えっ嘘、なんで!?


「ムネヒトさん?」


「な、なんでもない、なんでもないよ……」


 なんでもあった。

 い、いかん集中力が乱れる。まさか……出るの? というか出てたの?


 ・

 ・

 ・


『本当にムネヒトさんは上手ですねぇ』


『俺も自分に驚いてるよ。隠れた才能ってヤツかな?』


『……ねぇ、ムネヒトさん』


『ん?』


『次はハナじゃなくて……私のを――』


 ・

 ・

 ・


「ムネヒトさん! 鼻血、鼻血が出てます!」


「えっ!? うわ!」


 タラリと生ぬるい液体を慌てて手で、間違ってもバケツに入らないように体を引いてから拭う。

 コレじゃ完全に変態じゃないか! 仕事中になに考えてんだ!


「熱に当てられましたか~? 確かに今日は暑いですもんねぇ」


「ご、ごめん……ありがと」


 そういって彼女はハンカチを取り出し、俺の鼻に当てる。それを受け取り空いている側の手で鼻頭を摘む。我ながらなんてダサいんだ……。


「少し横になったほうがいいですよ~風通しのいい場所に行きましょう?」


「大丈夫だって、このくらい直ぐに止まるから」


「駄目です! 万が一病気だったらどうするんですか!」


 彼女はやや強引に俺の腕を引っ張り、牛舎の裏へ招く。そして一度ミルク入りバケツを裏口へ置き、新しい布を持ってきた。


「これを首に巻いて下さいね~」


「何から何まで……助かるよ」


 それは固く絞った湿ったタオルだった。それを俺にと渡してくれる。言われたように首の下に巻くと、火照っていた体が心地よく冷やされていく。


「さ、どうぞどうぞ~」


「えっ?」


 ミルシェは日影に腰を下ろし、ぺちぺちと自分の太ももを叩く。

 酷い勘違いでも妄想でもないなら、これはつまり膝枕のお誘いである。


「いやいやいや! 本当に大丈夫だから! そこまでして貰うのは悪いって!」


 巨乳&膝枕シチュエーションは俺の憧れのプレイだ。だがこれはプレイじゃない。ミルシェは俺をおもんぱかってくれているだけなのだから、邪な脳ミソを抱える我が頭部を乗せるなど失礼すぎる。そもそも鼻血は自業自得なのだから申し訳なさが天井知らず。


「いいからいいから~」


「ちょっ!? タンマタンマ!」


 ぐいっと、またしても強引に腕を引かれた。さっきも思ったがかなり腕力がある。

 為す術なく俺の頭蓋は彼女の太ももに鎮座した。

 ミルシェの格好は白シャツに分厚い紺生地の胸当てに、肩からサスペンダーで吊ったパンツ。つまりオーバーオールという作業着だ。しかも丈の短いショートパンツだから、彼女の太ももが首筋あたりにちょうど当たる。


「ちょうど良い休憩時間になりましたねぇ」


「ああ、そうだね……」


 気の無い返事を許して欲しい。本当に熱に当てられそうだ。

 頭上には標高1010ミリメートルを誇るマウント・ミルシェが聳える。まあ正解には1010とアンダーバストを円周率πで除算し、その二つの差が標高というのだろうかと、どうでも良いことを考えてしまう。

 彼女の表情も見えない。とはいえ俺の顔も見られなくて良かった。なんだこの展開。今日出会ったばかりの女の子に膝枕して貰うとか、運を消費しすぎなのでは?


「痒いところはありませんか~?」


「そんな言葉が異世界ここにもあるの?」


 ややオーバーにリアクションしなければとても平常心じゃ居られなかった。余りの気恥ずかしさに視線だけを外に向けるが、上から迫る暴力的なまでの女性らしさは意識せざるを得ない。


「こうしてると、おか……母を思い出します」


 ふと、そんな言葉が耳に届いた。


「具合が悪くなった時や絵本を読んでくれる時、よく膝枕をしてくれたんです」


「それは……なるほど。今の俺みたいだ」


「ふふっ。それに私よりずっと、牛達みんなの事を分かっていました。ハナ達もきっと母の事が大好きだったでしょう」


「優しいお母さんなんだな」


 はい、と返事が山彦みたいに返ってきた。ミルシェのお母さんは今どこに? とは訊けなかった。彼女の話が全て過去形だったからだ。離れ離れになってしまったのか、もしかしたら……と考えてしまう。

 俺の勝手な思い込みで、ミルシェと母の思い出に無闇に踏み込むことは出来なかった。かといって先入観も持ちたくない。同情などするべきじゃないし、憐れむなどもっての他だ。

 ただ彼女が思い出を話してくれるなら、耳を傾けよう。きっと素敵な話に間違いないのだから。

 それはともかく。


「頭を撫でられるのは、少し恥ずかしいんだ……」


「あ!? ご、ごめんなさい!」


 ミルシェの手が慌てた様子で引っ込む。いつの間にかという風に、彼女の手は俺の頭を優しく行ったり来たりしていた。六つも年下の娘にそうされると激しく困る。何が困るかって、恥ずかしくはあったが少しも嫌じゃ無いことがだ。

 危なかった……異世界で新たな趣向に目覚めるところだった。


「は、鼻血も止まったし余り休んでるとバンズさんに怒られちゃうから、そろそろ仕事しようか!」


「は、はい! そうできゃっ……!」


 起き上がろうとして下からマウント・ミルシェに衝突し、再び一悶着あったことは余りに情けない話なので割愛させて頂く。

 膝枕されるにも技術が必要なんだな……。


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