舞いし者の覚書

第3話

　灯（あか）りも持たずに入った清恒（きよつね）は、慣（な）れた足取りでどんどん奥（おく）へ進む。

　一方、舞人（まいひと）はというと、洞（ほら）の力のためか足取りが覚束無（おぼつかな）いようで、あっちへフラフラこっちへフラフラ、完全（かんぜん）に千鳥足だ。

　よろけて石に躓（つまづ）き、たたらを踏（ふ）んだが倒（たお）れてしまった。

「これは……思った以上（いじょう）に拒（こば）まれているようですね……」

　舞人（まいひと）は頭を押（お）さえながら辺（あた）りを見回す。

　やがて下り坂の先にある出口へと姿（すがた）を消した。

　出口の先は月明かりに照（て）らされているのだろうか、夜だというのにやけに明るく感じられた。

　風の運ぶ、つんとした匂（にお）いが舞人（まいひと）の鼻を刺激（しげき）した。

「……潮（しお）の香（か）？」

　舞人（まいひと）も出口へ向かう。

　清恒（きよつね）に見つからないように、気配は常（つね）に消していた。

　暗い闇（やみ）の中から少し身を乗り出したとき。舞人（まいひと）の首元に冷（つめ）たい何かがひたと突（つ）きつけられた。

「！」

「気付（きづ）かれまいでも思っちょったんか？」

　低（ひく）い声が舞人（まいひと）の頭上から刺（さ）さるように降（ふ）ってきた。

　舞人（まいひと）は、内心冷（ひ）や汗（あせ）を流したが、いつもとかわらぬ表情（ひょうじょう）で声の主に返事した。

「……お久（ひさ）しぶりです、清恒（きよつね）殿（どの）」

「？　……もしかして、舞人（まいひと）殿（どの）か」

「はい」

「……なんか、昔会ったときから全く年取ってない気がするんだが」

「きっと気のせいです」

　清恒（きよつね）は、草刈（くさか）り鎌（がま）で肩（かた）をとんとんと叩（たた）きながら、

「なんで俺（おれ）の後をつけて来たん？」

　方言にはまだ慣（な）れていないのだろう、少し抵抗（ていこう）のある口調で問う。

「興味（きょうみ）といいますか。しかし、気配を絶（た）っていたのによくお気づきになられましたね」

「だからじゃ。生き物なのに気配を完全（かんぜん）に絶（た）つっちゃロクでもねぇ。お前、何者だ？ ホントに人間か？」

「……さりげなく失礼（しつれい）な言い方も変（か）わらないですね。私（わたし）は変（か）わり者とは言われますがれっきとした人間ですよ」

　舞人（まいひと）は素直（すなお）に正直に話した。

　昔、知り合った玄信（げんしん）に久々（ひさびさ）に会いに来てみると、清恒（きよつね）は寝（ね）てばかりで寝太郎（ねたろう）と呼（よ）ばれていること。

　村が旱魃（かんばつ）に襲（おそ）われていたのを知ったこと。

　雨乞（あまご）いの舞（まい）をしたものの失敗（しっぱい）してしまったこと。

　そして、その原因（げんいん）が魃（ヒデリガミ）という日照（ひで）りの神であること。

「魃（ヒデリガミ）は、通常（つうじょう）なら土地から土地へ渡（わた）る神なのですが、何が原因（げんいん）かこの村に留（とど）まっています。その原因（げんいん）を探（さが）しにきたのですが、あなたの行動が気になってしまってついてきてしまいました」

「わざわざ気配を消してまで？」

「癖（くせ）、になってしまいまして」

　変（へん）な癖（くせ）やのう……と、清恒（きよつね）は呆（あき）れた。

「ところで……清恒（きよつね）殿（どの）こそ、なぜこのようなところで船を造（つく）られていたんです？」

　舞人（まいひと）は、清恒（きよつね）の背後（はいご）にある大きな船を見上げる。

「……ずいぶん傷（いた）んでいるようですが、何をするつもりでしょうか？」

「船っちゅうたら海を渡（わた）るに決まっとろうが！」

　清恒（きよつね）は鼻息を荒（あら）くして声高々と言う。子供（こども）が自慢（じまん）するのと似（に）ていた。

　しかし、その興奮（こうふん）とは逆のことを、舞人は考えてしまっていた。

　船出するということは、村を出るということで――。

「つまり、村を捨（す）てて出るおつもりですか？」

　言った次の瞬間（しゅんかん）、舞人（まいひと）は胸（むな）ぐらを掴（つか）まれていた。しまった、と後悔（こうかい）したが、遅（おそ）かった。

「お前……言っていいことと悪いことがあるぞ」

　低（ひく）い声音で睨（にら）む清恒（きよつね）。

「申し訳（わけ）ありません。言葉が過（す）ぎましたね」

「俺（おれ）が村を捨（す）てて行くなんて、万が一にもねぇよ」

　清恒（きよつね）は、舞人（まいひと）を突（つ）き放した。

「大内様が自害（じがい）され、姉や義兄（あに）も死んで、俺（おれ）や父上が陶（すえ）の軍（ぐん）に追われてこの村に隠（かく）れたとき、村のみんなは俺（おれ）らを匿（かくま）ってくれた。そんなことすりゃ、自分たちが殺（ころ）されるかもしんねえのにだ！

　それだけじゃねえ。

　村に来たばっかの頃（ころ）、飯（めし）に困（こま）ってたときも、見ず知らずのおばさんが握（にぎ）り飯（めし）を作って持ってきてくれた。今は俺（おれ）のことを寝太郎（ねたろう）って言ってるが、この村は俺（おれ）や父上にとって大切な家族だ！」

　叫（さけ）ぶように一気に言い終わってから、清恒（きよつね）は我（われ）に返り、顔を隠（かく）すようにそっぽを向いた。その耳は赤くなっている。

「だ、だから助けたいと思うんは当たり前だ……じゃろ」

「村のみんなが家族……なるほど……。

　しかしそれでは、この船は一体……？」

「これで佐渡（さど）へ行くんじゃ」

「佐渡（さど）……？」

「舞人（まいひと）殿（どの）、村のために雨乞（あまご）いしてくれたんは本当に感謝（かんしゃ）する。じゃが、それでもダメやったんなら、もうこれしか方法（ほうほう）はないと思うんじゃ」

　舞人（まいひと）は思案（しあん）顔を見せる。

「もしかして金山ですか？」

「察（さっ）しがええな」

「でもあそこの土は――」

　言いかけた言葉を、清恒（きよつね）は手と言葉で遮（さえぎ）った。

「ああわかってる。一握（ひとにぎ）りの土でも持ち出しは御法度（ごはっと）じゃ。やけんど、俺（おれ）に考えがある」

　清恒（きよつね）は甲板（かんぱん）へと舞人（まいひと）を招（まね）き、船室の奥（おく）にある倉庫（そうこ）の扉（とびら）を開く。

　そこには、大量（たいりょう）の草鞋（わらじ）が山と積（つ）んであった。

「こいつを使って金（きん）を厚狭（あさ）に持ち帰るんじゃ」

「この草鞋（わらじ）……全て一人で編（あ）んだのですか？」

「まあな」

「そう、ですか」

　舞人（まいひと）は草鞋（わらじ）の山をみる。

　一足一足は組にしてあるものの、材料（ざいりょう）が草やら蔓（つる）やらまばらになっている。

　清恒（きよつね）がよっぽど不器用（ぶきよう）なのか、中には左右で大きさが違（ちが）うものまであった。

　舞人（まいひと）が、じっと草鞋（わらじ）を見ていたので、清恒（きよつね）はばつが悪そうに頭をかいた。

「あー……ちょい作り慣（な）れとらんからなー……」

「あ、いえ……そうではなく。お父上に相談すればよかったのではと――」

「俺（おれ）は――玄信（げんしん）の息子だ。玄信（げんしん）じゃない！」

　再（ふたた）び声を荒（あら）げた清恒（きよつね）に、舞人（まいひと）はびっくりする。

「父上は一度、大事なもんを失（うしな）ったんだ。また、せっかく築（きず）き上げたものは俺（おれ）が使っていいもんじゃねえ！　これは俺（おれ）が考えた、俺（おれ）がやるべきことなんだ。父上は頼（たよ）らねえ！」

　その気迫（きはく）に、舞人（まいひと）は若（わか）かりし玄信（げんしん）の姿（すがた）が重なって目に映（うつ）る。

　舞人（まいひと）は考えた。

　魃（ヒデリガミ）の怒（いか）りを鎮（しず）めれば雨も降（ふ）りこの場は収（おさ）まる。

　だが、そのあとのことは？

　確（たし）かに清恒（きよつね）の考えるように、水をひいて、灌漑（かんがい）をしなければまた同じことの繰（くり）り返しだ。

　舞人（まいひと）は、村のことを思う清恒（きよつね）の優（やさ）しい表情（ひょうじょう）を見てにこりとする。

「その言葉を聞いて、私（わたし）も何かお手伝（てつだ）いしたくなりました。よろしいですか？」

「そりゃありがたいが、しかし――」

「ご安心ください。佐渡（さど）へ行く事も清恒（きよつね）殿（どの）のお気持ちも、他言無用（たごんむよう）にしますゆえ」

「あ、いや……助かる」

　照（て）れる清恒（きよつね）をよそに、舞人（まいひと）は船をまじまじと眺（なが）める。柱も帆（ほ）もなく、櫂（かい）が船の全長に合わせて等間隔（とうかんかく）にいくつも取り付（つ）けてあった。

「この船は手漕（てこ）ぎですね。かなり丈夫（じょうぶ）な造（つく）りですが、これではいくら人を雇（やと）っても佐渡（さど）までの航海（こうかい）は難（むずか）しいですよ」

「じゃけんど、船いうたらこの辺（へん）じゃこんくらいしか――」

　舞人（まいひと）は、おもむろに木箱から巨大（きょだい）な布（ぬの）を出した。丈夫（じょうぶ）な厚手の布（ぬの）は、辺（あた）りを埋（う）め尽（つ）くしてもまだ余（あま）りあった。

「な、なんじゃこれ？」

「帆船（はんせん）に使われる帆（ほ）です」

「はん……せん？」

「ああ、まだこの国には伝（つた）わっていないんでしたっけ。

　帆船（はんせん）とは風を受けて進む船のことですよ。この帆（ほ）を使えば帆船（はんせん）になります。ちなみにこれは一本の帆柱（ほばしら）に横帆（よこほ）が二枚、乗組員二名で操縦できる全装帆船（はんせん）です」

「そんな大っきな帆（ほ）、どこにつけるん？」

「それは、帆柱（ほばしら）に――」

　二人は、船を見上げた。

　清恒（きよつね）が修理した手漕（てこ）ぎ船には帆柱（ほばしら）がなかった。

「……帆柱（ほばしら）、ないけんど……？」

「……一晩（ひとばん）お時間いただいてもよろしいですか？」

「あ、ああ。頼（たの）む」

　すると、舞人（まいひと）は背中（せなか）の木箱を下ろして、爪（つめ）でコツンと蓋（ふた）を叩（たた）いた。

　それは、箱の形をしたなにかの生き物なのだろうか。

　蓋（ふた）はひとりでに開き、二尺（しゃく）もあろう大きな扇（おうぎ）が出てきた。

「どうやってしまっちょったんじゃ、そんなでかいモン!?」

「申し訳（わけ）ありませんが、これは内緒（ないしょ）なんです。それより、この帆船（はんせん）、乗組員が最低（さいてい）二人は必要（ひつよう）になります。詳（くわ）しい操作（そうさ）方法（ほうほう）はこれをよく読んでください」

　言って、舞人（まいひと）は『取扱説明書（とりあつかいせつめいしょ）』と書かれた巻物（まきもの）を渡（わた）す。

　それは、丁寧（ていねい）に『猿（さる）でもできる』と付（つ）け足されていた。