先輩とボクと何もない部屋 あと冷蔵庫

らんたんるーじゅ

冷蔵庫さんとアタシと落ち着く部屋 あと新人くん

「殺風景。それは風景を殺すことで入手出来るレアアイテム。そして絶え間なく風景を殺し続けない限り、このレアアイテムは効果を発揮しない。すなわちアタシは現代に誇る凄腕の殺し屋と言えるんじゃないかな!」

「何もない自室をそんな風に称する人は初めて見ましたよ・・・」

 えへん、と慎ましい胸を後に反らした先輩に対し、ボクは冷たい視線を投げ掛けた。


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 とある大型案件のコンペ終了後。

 無事落札が決まったとの号を受けて夜の飲み屋街へと繰り出した我がプロジェクトチーム一向の祝賀会は荒れに荒れた。


 ――締め切り間際はオフィスで朝日を迎えることの方が多い有様だったのだから、今日くらいは破目を外しても良いのかもしれないし、ボクも最後まで付き合うことにしよう。


 一次、二次、三次。

 そんな殊勝な心持ちで祝賀会と向き合った新人のボクの心を折るかの如く。

 遂には未だ人類が到達しえない多次元空間まで旅した僕らは、そのうち誰が何のために飲んでいるのかすら分からなくなるという至極当然の結末を迎え、深夜27時を回ったところで会そのものが霧散した。


 とは言え、飲み会が終わってもそこに参加していた人間が消滅することは勿論ないワケで。

 酔ったメンバーをタクシーに詰め込み、各々の住所を運転手に伝えるという、いかにも新人っぽい仕事をしたボクは、未だ右肩にもたれ掛かり半眠状態の先輩の処遇に悩んでいた。


 ――翌日の仕事に響きますので

 と普段はクライアントとの席ですら一次会のみで済ますような仕事人間の先輩が、こんな風に酔い潰れるところは今まで見たことがなかった。それはすなわち先輩を送る場所が分からないということであり。


「彼女なのになあ……」


 そう。ボクの3つ上で、本案件で大車輪の活躍を見せたプロジェクトリーダーの先輩は、ボクの彼女だった。

 いったいなにが先輩の琴線に触れたのか。全くもって分からない。

 分からないが、数か月前の深夜を回った二人きりのオフィスで、先輩がボクに対して、そういう関係になりましょうと告げたのは、間違いない事実で、そしてそれにボクも応じたのも間違いない真実であった。


 ……当時二徹していたボクの妄想でなければ。


 でも。その後、一緒にお昼食べたりしたし?仕事場だけど。

 夜食とかも一緒に食べたし?近場のコンビニで買い出したおにぎりをPCの前で、だけど。

 デートは……そもそも互いに立ち替わりで休日出勤してるから、出来なくても何もおかしくは無い。まあ、互いに社会人だしね?大人の付き合いってヤツだ。うん。


 先輩の自宅は知らないけど。それはきっと些細なことで。

 身体の相性を確かめたことも、求められたこともないけど。それはきっと先輩がプラトニックな関係を望んでるからで。


「…………………。」


 ――アタシの家、ここから歩いていけるから。仙波くんはタクシー呼ばなくても良いよ。


 いつの間に起きたのだろうか。思い当たる節全てがボクの妄想側へと判定を下し、グルグルと悪循環へと渦巻くボクの思考を破ったのは先輩の声だった。


 その先輩の声はいつもより少しだけ甘ったるく。

 けれど先ほどまで右肩に寄り掛かっていたとは思えないくらい、しっかりとした足取りでボクの元から離れていくその背中は、普段通りの頼り甲斐のある先輩で。


 ……結局先輩の自宅は分からず仕舞いだったな。けれども駅の反対側方面なのか。

 などとぼんやりと考えていると、ふと先輩がこちらを向いた。



「そうだ。仙波君も来る?アタシの家。なーんにもないけど」



「…………。え?来て良いんですか?」

「うん?そりゃ来て良いよ?だって付き合ってるんだし?」


 ――付き合ってる。


 先輩の言葉を脳内で反芻させる。全てが氷解していく感覚。

 それになんと応じたのかすら曖昧で、けれどもその問いかけに快諾の意を示したのは間違いなく。


 十分後。


 生活感の欠片も無い部屋を前にえへん、と胸を張る先輩がそこには居た。


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「凄い……。本当に何もない……」

 改めて先輩の部屋を見回す。



 TVが無い。

「どうせ見たい番組なんてないし。どうしても見たい場合もスマホで代替出来るから」


 机が無い。

「デスクは仕事場にあるからね。何か作業やるなら職場で十分だよ」


 ゴミ箱が無い。

「でも隅にゴミ袋は置いてるよ。どうせゴミはアタシしか出さないんだから、袋自体をゴミ箱にして、縛って捨てるだけにした方が合理的でしょ?」


 洗濯機が無い。

「コインランドリーで十分!どうせ夜しかここには居ないんだから洗濯機回すと近所迷惑になっちゃうし。通勤前に預けて、帰社の時に取りに行けばタイムロスもほぼ0だよ」


 ベッドが無い。

「でも床暖房はあるから裸で寝ても寒くないよ。どう?」

「どう?……って」


 ……………………。


 いやまさか!?そういう意味!?嘘でしょ!?ボクの初めては床の上!?


「っ!さすがにそれはっ!?」

「あー床だと厳しい?ならブルーシートくらいはあるよ?」

「ブルーシートの存在が喜ばれるのって花見の時か、そうでなければ避難場所ですよね!?この部屋の住み心地が屋外レベルってことになりますが!?」

「むぅ。家主を前になんとも酷い言い草だなぁ」


 そう言って頬を膨らませる先輩。

 普段なら絶対見せないその表情は、今日の先輩が多量のアルコールを摂取してたということを思い返させてくれる。

 なるほどこれは少し口が軽くなった先輩なりの冗句なのかもしれない。そう自分を納得させる。

 まさかフローリングの上じゃないとダメとかそんな特殊性癖じゃないよね?……だよね?


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「それにしても本当にモノが……生活感が無いですね……」

 先輩が特殊性癖保持者である可能性を考えていると少し怖くなってきたボクは、話題を転換するために部屋内を見回す。けれど取り立てて言及できるようなものは一切無く。結局、さっきと似たような言葉を繰り返すことになってしまった。


「……もしかして引いてる?」

「少しだけ。あ、いや、その。先輩が自他ともに認める仕事人間ってのは知ってたんですけど……。まさかこれ程までとは思わなくって」

「うわーやっぱり!?……だから呼びたくなかったの!」

「……と言いますと?」


「だって!こんなヘンテコな自宅見せられて!絶対、仙波君に嫌われちゃう!ってそう思って……」

 言葉尻はすぼみ、手のひらで顔を抑えうずくまる先輩。

 細い指の隙間から漏れる顔はアルコールのせいとは思えないほど赤く。


「あの……もしかして。これまで一緒のお昼がオフィスの食堂限定だったのは?」

「仕事中に外でご飯食べたことないもん」


「残業時の夜食がいつもコンビニ弁当だったのは?」

「外食なんてしないもん。したとしても男の子と入るレストランとか分かんないし」


「デートに誘ってくれなかったのは?」

「それはキミが誘わないからでしょ!?私だって待ってたのに!」

 怒られてしまった。ごめんなさい。


「そりゃね?私から誘ってみようかなって、思うことはあったよ?けどそんな経験ないし!どこに行けば良いのか分かんないし!でも場所は仙波君お任せで、なんて言ったらこれまで頑張って作ってた『いつでも頼れる先輩像』が崩れちゃうし……」


 弁明の言葉を重ねるごとに顔を覆う手すらも赤く染まり縮こまっていく先輩。


 なるほど。もしかして……。


「先輩って案外ポンコツだったりします?」

「うるさいなあ!」


 プライベートが読めない人。それが先輩に対する初対面からの変わらない印象。

 けれどもそれは、本当に一切のプライベートが無かったからで。

 そもそも自宅にすら招待してくれなかったのはこれが原因だったのか、と小さくなる先輩を見下ろしながら、1人妙な納得感に包まれていた。


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「あ、冷蔵庫はあるんですね……」

 入室時よりは幾分か気分が落ち着き始めたボクは、新たな話題として部屋隅にある冷蔵庫を取り上げた。

 それにしても彼女の自宅初訪問で話題にするのが、何の変哲もない白物家電とは……。ボクの話題提供力が低いのか、それとも先輩の部屋の話題提供力が低いのか。多分どっちもだと思う。


「うん。それだけは欠かせないから」

「……欠かせない?」

 これだけ色々なモノが欠けた部屋の中で?という言葉はすんでのところで飲み込んで。けれどもボクの怪訝な表情を感じ取ったのだろうか、先輩はニッと口角を上げて言葉を紡ぐ。



「それはね。魔法の冷蔵庫なの」



「…………は?」


 謎に得意気な先輩の説明に部屋隅に置いてある冷蔵庫を改めて確認してみる。

 ボクの腰ほどの高さで2ドアタイプ。1人暮らし用としても少し小さいかと思われるそれは、どう取り繕ってもただの時代遅れ家電にしか見えなかった。


「あの先輩?実は近所の家電量販店に行けば、数万円でこれよりも二回りは大きくって、電気代も安くなる代物が沢山あってですね?」

「いやいや仙波君。これは替えの利かない代物なのだよ」

 ボクの言葉を遮り、ふふんと鼻を鳴らす先輩。それは普段のオフィスで見る先輩より幾分か幼い仕草。……もしかしなくとも先輩ってアルコールが入るとこんな感じになっちゃうのか。だから普段は控えてるのか。

 ……うん。正解かもしれない。



「この冷蔵庫は私の食べたいモノをなんでも出してくれる素敵な家電でね?例えば夜中にふとラーメンが食べたいなあって思う時あるでしょ?そんな時に『ラーメンが食べたいなあ』って呟くと……なんと!この冷蔵庫の中から出来たてほやほやのラーメンが出てくるの!冷蔵庫なのに!暖かいラーメンがね?凄いでしょ!」

「いやあの情報量」



 ……え?もしかして先輩相当酔ってる?

 突然電波ユンユン人間と化した先輩の頬はやはり真っ赤で。

 ……うん。これ確実に酔ってるな。


「もちろんかき氷みたいな冷たいものも出てくるし、コース料理も出てくるし!でも全部食べないと次の食事は望んでも出てこなくってね?前に『満漢全席食べたーい』って願ったときは三日三晩ずっと中華を食べ続ける羽目になっちゃって。お残しは許さない給食のおばちゃんタイプの冷蔵庫さんなのかなーって!」

「冷蔵庫に人格付与するのは斬新ですね……」


 ダメだ。一体どこからが冗談でどこからが真実なのか。いやどこを切り取っても真実の部分はなさそうだけど。

 未だ冷蔵庫さんの凄さを熱弁する先輩の目は先ほどより少し座っていて。


 だけどいつも頼り甲斐があって格好良い先輩のこんな子供っぽい姿を知っているのは、ボクだけだと思うと少しだけ優越感に浸ったりもして。

 ……耳に入ってくるのは理想の冷蔵庫という名の十世紀先の未来ガジェット予想文なのが唯一残念な部分だけれど。


 ボクの冷ややかな視線を感じ取ったのだろうか。先ほどまで得意げに冷蔵庫の凄さを語っていた先輩はまた膨れっ面になる。

「……むぅ。もしかして信じてない?」

「いやまあ。信じる方が難しいと言いますか」

「ほうほう。ならたとえば……『お水が飲みたい!』と念じて冷蔵庫を開けるとー」

 そう言って芝居がかった様子で冷蔵庫を開ける先輩。そしてそのままゴソゴソと冷蔵庫から何かを取り出す。

「ほらこのように天然水が!」

 先輩が満面の笑みでボクに見せたのは、天然水と見たまんまの商品説明文が印字された1本のペットボトルだった。


「いやそれ絶対に最初から入ってましたよね!?」

「へー。そういうこと言っちゃうんだ。ならこのお水は仙波くんにはあげません!私が全部飲んじゃう!」

 満面の笑みを再び膨れっ面へと変えた先輩は、その表情のままゴクゴクと良い飲みっぷりでペットボトルの中身を消化していく。豪快なラッパ飲みのはずなのに、合わせて動く喉と潤いを持った唇がやけに艶めかしく。

 そしてそれを半分ほど消化した辺りで、先輩は再度ボクに尋ねる。


 ――要るかい?


 半分になった天然水を笑顔で差し出す先輩。そのペットボトル口先は紅色で染まっている部分があって。

 これを受け取るということは。これを飲むということは。つまりは先輩と間接キスってことではないだろうか?いや付き合ってるんだから、それくらいは当然なのかもしれないけど。でもボクと先輩って実はキスすらしたことないし。でもそんなことを気にしてるのはボクだけかもしれないし。


「……………っ!」

 全てを心に決めて、意を決して受け取ろうとしたその瞬間。


「あ、コップが無いと飲めないよね。持ってくる」

 そう言ってヒョイとボクの手をかわすと、ペットボトル片手にそのままスタスタと台所の方へ行ってしまった。


 っ!?もしかしてボク、今、遊ばれた!?

 

「だってさ。私だけが恥ずかしいを思いをするのって卑怯じゃない?」

 全てを見透かしたかのような声が台所方面からこちらへ届く。

「それはそっちが勝手に恥ずかしい思いをしただけじゃっ!?」

「だったら恋人から飲みかけ渡されただけで赤面してるキミだって同じでしょ?おあいこおあいこ」


 しばらくしてボクの前へと帰ってきた先輩の右手には先ほどの宣言通りにグラスが一つ。

「……コップはあるんですね?」

「そりゃ水を飲むためにね?」

「さっきラッパ飲みしてたくせに……。というかさっきチラッと見えたんですけど、もしかして先輩って料理するタイプですか?」

 グラスを持ってくる先輩の後ろに見えたのは、キッチンに所狭しと並ぶ調理器具。鍋やフライパンや包丁や、料理をしないボクには名前すらが分からない器具やら。

 調理器具とラベルの付くもの一式全てが取り揃えられ、そしてどれも使ってないくらいピカピカに磨かれていたように思える。


「いやしないよ?」


 ……本当に使ってなかった。まあそんな予感はしてたけど。ゴミ袋の中にコンビニ弁当の空き箱がそのまま入ってるような生活をしてる人が、料理なんてする訳がないのだ。

「じゃあキッチンにあったあの無用の長物たちは……?」

「んーっと。……鑑賞用?」

「またそれは高尚な趣味ですね……」

「まあね!」

「いや褒めてないですって!?」


「んっと。まあそんなことより。これせっかく持って来たんだから」

 はい、と水を差し出した先輩は、今度は受け取ろうとしたボクの右手を避けるなんて意地悪なことはせず。


「……先輩が天丼が嫌いで助かりました」

 喉を潤いさせながらしみじみと呟く。

「天丼?確かに作るのは難しそうとは思うけど?」

「……そう言えば先輩の得意料理って?」

「うーん。…………生卵?」

「生卵っ!?」

 卵かけご飯ですらなく!?もしかして先輩にとっては、殻を割ることすら料理と言う認識なのか!?


「……恋人の手料理を食べるという夢が叶わぬものだと分かったのが、今日一番の収穫かもしれないですね」

 まあ料理が出来なくても素敵な先輩が素敵なことは変わらないのだが。

「むぅぅぅぅ。だってだって。食べたい物は全部冷蔵庫さんが出してくれてたんだもん!そりゃ料理なんて面倒な事やらなくなるでしょ。誰だってそうなるもん!」

「ダメ人間製造機じゃないですか。冷蔵庫さん」


 先輩はいつだって素敵だ。

 酔った時に子供っぽくなることと、虚言癖が出てくるのと、料理が出来ないことを白物家電のせいにすることを除けば。


 ……ポンコツなところも可愛げがあるってことにした方が良いかもしれないな?


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「それでね。それでね。ふとしたときに『彼氏が欲しいなあ』って呟いちゃって。本当は全然興味が無くって、けどずっと1人って寂しいかなってちょっと。ほんのちょっとだけ思ってね?」

 頬も手も真っ赤に染めて、目は座り、万能冷蔵庫さんが出してくれた料理百選という謎コンテンツをエンドレスで語っていた先輩。そのマシンガントークの気色が少しだけ変わったのは、もう深夜と言うよりは夜明け前と言う方が正しい時刻だった。


「…………?」

「そしたら冷蔵庫から『ガコン』って音がして!」

「……え?」

「怖いよね?怖いよね?いやいやもしかして調理済みの肉片が入ってたり!?なんて思いつつ、恐る恐る覗くとね?」

「…………」

「なんと!そこには1冊のファッション誌が!」

「……えっと?」


 いよいよ本格的に先輩の話が掴めなくなってきた。冗句にしても笑い所すら分からない。けれどもそろそろ休みましょうか?とボクが口を挟もうとする前に先輩は更に言葉を重ねる。


「今どきのコーデの流行とか髪型とか。そんな情報が載ってるヤツでね。冷蔵庫さんも意地が悪いよねぇ。つまり彼氏が欲しいなら、自分の手で掴み取れってことでしょ?やっぱりお節介焼きな給食のおばちゃんタイプだよ!」

「いやだから冷蔵庫のタイプってそういうのじゃ無いと思うんですけど・・・。というか先輩って普段からオシャレだし、それ読んでも参考にならなかったんじゃ?」


 新入社員として初めて先輩のチームに配属された時。ひと際美人で目立つ存在が先輩だった。

 流行には鋭くとも、クライアントの前以外では自身の服装に無頓着な人も多いこの業界で、毎日服もコーデも整えて出勤してくる先輩はそれだけで華があり、男女問わず多くの社員のあこがれの的だった。


「え?ああ。仙波君と会う少し前くらいかな?頑張り始めたのって。けど一昔の前のアタシって本当に仕事人間というか……。髪はボサボサで化粧なんて軽く撫でるだけ、お風呂だって2日に1回、なんて女を捨ててるとしか思われない奴でね?」

「それはちょっと想像が付かないですね……」


 仕事人間なのは今もでしょ。という言葉は飲み込みつつ。

 けれども女を捨てていたという言葉は、本人の口から聞いても信じ難く。しかもそれを脱却しようとした切っ掛けが『彼氏が欲しいから』なんて俗っぽい欲求なのも信じ難く。

 一番信じ難いのは冷蔵庫から雑誌が出てくることだが、これは今の先輩の姿を見るに、間違えて買ってきた雑誌を酔った勢いで冷蔵庫に入れた可能性が濃厚そうだ。

 だから気になった点は一つだけ。


「その……結局。先輩に彼氏は出来たんですか?」

「うん?それがキミだよ?」

「え!?」

「うん?なんで驚くの?……え?私とキミって付き合ってるんじゃ?あれ?実はそれは私の勘違い!?嘘!?」

「いやいやいや。そうじゃなくって!」


 アルコールの過剰摂取のせいで情緒も幾分か不安定になってるのだろうか?

 途端に泣きそうな顔になる先輩の言葉を慌てて遮る。


「その!それはつまりボクが先輩の初めての彼氏ってことでしょうか!?そこに驚いてしまって!」

「……そうだよ?というかキミ以外に彼氏なんて居ないよ。アタシって彼氏を複数人作れるような女じゃないし」


 そんな馬鹿な、と思いつつ。


「だったら……。その、どうしてボクだったんですか?」


 それは付き合い始めた時からずっと気になってたことだった。

 誰からも憧れていた先輩が、新人のボクを初めての相手に選んだ理由。

 思い当たる節が一切無く、だから今まで怖くて聞けなかったそれ。


「えっと。その。ピアス……褒めてくれたから」


「……ピアス?」

「そう。今日も付けてるこれ」

 そう言うと先輩は右耳をボクに近づける。右耳で光るのは紅い輝石が彩られたピアスだった。


「服装も髪型も化粧も改善して、けどやっぱり彼氏は出来なくって。どうすれば良いんだろうって思った時に冷蔵庫の中にこれがあったの」

「あ、それも冷蔵庫産なんですね……」

 そこのディテールは不変なのか。酔ってるのにやけに頑固というか。


「ピアスなんて勿論開けたことなくって。でも勇気出して付けていった時に真っ先に仙波くんが褒めてくれて。すっごく嬉しかった」

「それは……どうも」

「あ、ピアスだけじゃなくってね。えっとリップとか、靴とか!そういうのも全部気づいてくれて。褒めてくれて。」

「……なるほど」


 少し装いを褒めただけ。

 それが切っ掛けとはなんとも肩透かしではないか。けれどもまあ、そんなものかもしれない。

 そんな些細なことでも先輩にとってはとても大事なことだったのだ。ならば意図的じゃなくとも先輩が望むことをしたという事実については、少しだけ誇っても良いのかな、なんて思ったり。


 なによりそのお陰で先輩と付き合うことが出来たんだ。

 この最高の結果を前に過程の格好付かなさを嘆くのは少し贅沢が過ぎると言うもので。


「それでもうこの人しか居ないなって。恋愛本片手に何度もシミュレーションして。告白して。2日後にOK貰って。もう!あの時はすーっごくヤキモキしたんだよ?」

「……その説はどうも」

 まさか先輩に告白されるはずがない、そんな思考に陥った根性なしのボクが現実を直視するために掛かった時間が2日間だったのだ。というかなんならOKしてからも本当に先輩と付き合ってるのか半信半疑だったわけで。むしろあの時に2日で済んだことを褒めて欲しいくらいである。


「それでようやく彼氏が出来て。本当に嬉しくってね――

「ふわぁ…………」

 先輩の自宅だとか、選ばれた理由だとか。付き合い始めから積もっていた数多の疑問が一気に解決したからだろうか。一気に身体から力が抜けたボクは先輩と喋っている最中と言うのに大きなあくびが出てしまった。

 けれどもそれを見た先輩はそれを咎めることはなく。

「んー?仙波くんもしかしておねむ?そんじゃ、ブルーシート持ってくるね!」

「そんな掛け布団を持ってくるノリで……

 別に要らないですよ、と続けようとするも不思議と口が回らない。


 そうこうする間に自分の身体より遥かに大きいブルーシートをズルズルと引きずって来る先輩。

「ほらほら!寝るならこの上でね!私も一緒に寝るから!」

 どうしてそんなにブルーシートに拘るのだろうと疑問に思いつつ。けれどもわざわざ持って来た先輩の厚意を無下にするにも行かず、急激に来た眠気に抗いながらシートの上へとのそのそと移動する。


 そのボクの様子を満足げな表情で眺めていた先輩は、ブラウスのボタンを上から順番に外し始めた。


「…………どっ!?」

 どうして脱いでるんですか!?と叫ぶつもりが、あまりに急な展開に思考が言葉に変換されず。ただ舌がもつれる。


 そうこうしている間に1枚、また1枚と先輩は肌を露わにしていって。


 けれどもそんな先輩の姿を確認しようと視線を先輩の方へと向けることすら難しくなってきたボクは、横たわりながら先輩が着ていたであろうブラウスを、スカートを、タイツを、ブラを、ショーツを、山となっていくかつて先輩の衣服の塊を見ることしかできず。


「仙波くんが付き合いましょうって言ってくれて。ようやく彼氏が出来て。本当に嬉しくってね」

 先輩の声は遥か遠くから聴こえ、ひんやりとした感触が両頬に伝わる。

 それが先輩の手だと気付いた時には、ボクの眼前には先輩の顔があって。


 裸の先輩が目の前に居るのに。居るはずなのに。

 どうしてこうも今のボクは視界が霞むのか。

 そして遂には先輩の表情すら判然としなくなり。


 笑顔……なんだよな?


「ようやく彼氏が出来て。本当に嬉しくって『お祝いにケーキでも食べたいなあ!』って冷蔵庫さんに頼んだの」


 ――ガコン


 唐突に不思議な音が鳴った。それは部屋の隅から聞こえてきたように思えた。

 けれどこの部屋には自発的に音が鳴るような代物なんて一つもないはずだ。だってここはTVすらない部屋で。


 部屋隅にあるのは冷蔵庫だけなのだから。


「でも不思議なことに冷蔵庫さんはケーキを出してくれなくってね?その時に代わりに出してくれたのが……」

 ひんやりとした感触が不意に消える。それは先輩の手がボクの顔を離したということで。僕から遠ざかるペタペタという音がやけに響く。


 そしてガタリという扉を開けるような音。

 家具すらないこの部屋で扉が付いてるものは、とある白物家電だけ。


「ああ、今日のはシンプルだ」


 その底冷えしたような呟きがやけに大きく聴こえる。


 そしてまたペタペタという音。それがボクに近づいてくる。

 

 何も見えない。けれど誰かがボクを見下ろしているような感覚がある。

 その人影の一点が銀色に光っているような気がする。

 先輩のピアスだろうか?

 ボクが何の気なしに褒めたことが、付き合う切っ掛けとなったあのピアス。


「………………………」


 ――でも全部食べないと次の食事は望んでも出てこなくってね?

 ――『彼氏が欲しいなあ』って呟いちゃって

 ――というかキミ以外に彼氏なんて居ないよ。

 ――『お祝いにケーキでも食べたいなあ!』



 …………だから先輩はボクを食べようとしている?



 待て待て。そんな馬鹿な話があるか。


 だけどそう言えば。


 何もない部屋のはずなのにボクは今ブルーシートの上に居る。


 え?いやいや?まさかね?


 だってブルーシートくらいどこの家にも……一人暮らしの家にあるかは微妙だけど。

 むしろ何か用途が無い限り、絶対に揃えないものだけど。


 でも用途ってほら?先輩と裸で寝る為でしょ?

 実際にほら?先輩は今、裸になって……。


 ……服じゃなくって直接肌に付いた返り血なら、洗い流すのも簡単だから?


 待て待て。そんなはずは。


 というか!今までの話は全部先輩の冗句のはずで!


 ああ。そう言えば。先輩の部屋でピカピカに光ってたものがあったっけ?


 ――もしかして先輩って料理するタイプですか?

 ――いやしないよ?




 銀色がボクに突き刺さる。





 🍴🍴🍴🍴🍴🍴🍴🍴🍴🍴🍴🍴🍴🍴🍴🍴


「んー?お昼出勤とは感心しないっすよ。渚ちゃん。」

「ちょっと昨日はごたごたあってね。色々と整えてたらこんな時間になっちゃったの」

「ごたごたって言うか、どんちゃんっすよね?知ってるっすよ。祝賀会って名目で昨日めっちゃ遅くまで暴れてたの。」

「暴れてたって……。でも否定は出来ないか。みんな死ぬほど呑むんだもん。最後まで付き合ったの後悔しちゃった」

「んで昼出勤っと。ま、他の連中も似たようなもんっすけど。例の渚ちゃんオキニの新人くんもまだ来てないっす」

「……ふーん」

「なんか反応薄いっすね?」

「いやいやそんなことないよ?けど彼も昨日最後まで居たから。今頃おうちで寝てるんじゃないかな?」

「死んでたりしないっすかね?」

「……どうして?」

「最近の若手って根性無い奴多いしー?翌日仕事なのにこんな時間まで飲むような業界に居られるか!もう二度と会社に行かねえぞ!って蒸発する感じっすよー」

「……ああ、なるほど。そういうこともあるんだ」

「いやいや冗談っすけど。マジなトーンで返されるとこっちが困るっすよ」


 🍴🍴🍴🍴🍴🍴🍴🍴🍴🍴🍴🍴🍴🍴🍴🍴


「うわっ……。なんすかその手作り弁当?肉しか入ってない……。それならカップ麺食った方がまだ栄養価あるんじゃないっすか?」

「別にアタシは乾燥した麺をお湯で戻す作業に楽しみは覚えないから。というか実はこのお肉まだまだ冷蔵庫の中にあってね?これから一週間くらいはずっとこの肉だけお弁当かも」

「うわあ……。もしかしてクライアントからのサンプルってヤツっすか?居るんすよねえ。量を考えずにサンプル贈って来る連中。別に上等なもん食わせて貰えたからって良いもん作れるって単純な話じゃないっすよ」

「あはは確かにそうかも?まあ、悪い人ではなかったから……。けど……そうだね」



 ――このお肉を無事に食べ終えたら次は軽めの……うん。シーフードサラダが食べたい……かなあ?



 🍴🍴🍴🍴🍴🍴🍴🍴🍴🍴🍴🍴🍴🍴🍴🍴


『ガコン』

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