楽園の骸 -decadense-

遊月奈喩多

第1話 蛇の誘いは甘く―有栖―

「別れよっか」


 恋人になって何度目かのデートの後、彼女は静かな声でそう言った。いろんな思い出を作った、いろんなことをした、恋人らしいことだって、もっと深い関係を結ぶことだって、たくさんした。だけど、私たちの関係はその一言で断ち切られてしまう。

「なんで?」

「わたしじゃたぶん有栖ありすのこと幸せにできないよ。有栖、幸せになりたいんでしょ? なら、こんな誰でもいいようなのじゃなくて、もっと違う人選びな?」

 知ってる、彼女が優しく微笑むときは、内心面倒臭がっているときだ。どうして、私は全部望む通りにしてきたのに、彼女の好きなようにしてきたはずなのに。


 私が幸せになるのは、あなたとじゃなきゃ駄目だったのに。


 詰め寄った私に、彼女は面倒臭いのを隠すことなく深い溜息をついて、一言、吐き捨てた。

「ていうか考えてみて? 女同士で恋人とか普通じゃないから。顔がよかったからなんとなく寝てみようかな、って思っただけで、将来がどうとかないからさ。正直重いんだよね、そういうの」

「なに、それ……」

「あとあんまり引き留めないでね、彼氏が待ってるから」


 これ見よがしに携帯の着信画面を私の前にかざして、彼女は立ち去っていった。ふたりでお揃いにしようと思って買ったピアスが、震える手から落ちて、膝から力が抜けて。

 夕方から曇り始めていた空は、ポタポタと雫を落とし始める。私は泣くことすらできず、ただ呆然と、彼女が去っていった方角を見つめているしかできなかった。いっそのこと、今まで我慢してたこととか全部ぶちまけてしまえたらよかった――後悔ならいくらでもできるけど、もう彼女の背中は見えない。携帯でメッセージを送ってみても、昨日まではすぐについていた既読がいつまでもつかない。


 もう、本当に終わったんだ。


 淡々と事実として受け止めざるを得なくなった別れは、少しずつ重さを増していくようで。このまま雨に溶けて消えてしまえたらいいのに、って思いながら道を歩く。

 好きな人と幸せになりたいと思うのは、そんなに変なことだったの? 面倒がられてしまうようなことだったの? わからなくなる、あれだけ何度も愛してるだとか囁いていた言葉も、全部嘘だったの……?

 怖かった、もしそう尋ねたら「そうだよ」と嘲笑うが返ってきそうで、それがとても怖くて……、雨の中でただ立ち尽くしていることしかできなくて。


「あの……っ、」

 だから、私に声をかけてきたその女の子の頼りなさげな眼差しに妙な親近感を抱いたのは、仕方ないことだったんだと思う。

「どうしたの?」

 その子に尋ねた私は、どんな目をしていたのだろう。そんなの、誰にもわかるわけなかった。

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