後編

 一次会の新人歓迎会は、先輩社員ひとりひとりへの挨拶まわりで瞬く間に過ぎていった。一次会がお開きとなった後、カラオケ好きの部長は若手社員を集めて猪のごとくカラオケ店へと突き進んでいく。


 僕を含めた新人は強制的連行。松山を除いた同期は、僕を心配して、「嫌なら歌わなくていいから」「三宅君にマイク渡ったら、俺が代わりに歌うよ」などと声をかけてくれる。優しい同期達だ、と僕は泣きそうになる。


 カラオケ大会はほとんど部長の独壇場で、昼間の僕の憂鬱は取り越し苦労だった。


 ようやく部長がマイクを離したのはトイレに立った時で、ここぞとばかりに松山が動いた。

 一昨年大ヒットした男性四人組バンドのラブソングが流れたかと思うと、松山は僕にマイクを持たせて前に押しやった。

 他の同期が動こうとしたが、何も知らない先輩社員が、酔っているのか、「三宅ー!」と怒号のような声をあげたり手拍子をして盛り上げようとしている様子を見て、止めるに止められずにいるようだ。更に、二本目のマイクは同期たちとは反対側の椅子に座る松山と打越の間にあるために、どうすることもできなかった。


 松山が、声に出さずに「歌えよ」と念を押してくる。先輩社員からの熱視線もあり、引くに引けず、僕はどうにでもなれ、とマイクに声をぶち当てた。


 僕の奏でる旋律は、伴奏の中で微かに聞こえるメロディーラインをくぐり抜け、のらりくらりと蛇行するように部屋中に轟く。低音がしばらく続いたと思えば、今度は極端に高音のまま宙をさまよう。

 メロディーラインに合わせるように歌おうとすればするほど、僕の旋律ははるか上空にそれていってしまう。まるで別の曲のように聞こえてきて、歌っていてよく分からなくなってきた。


 先輩社員の声援は一瞬のうちに止み、きょとんとした顔がずらりと並んだ。松山は笑いを堪えようと必死になっている。その横で、難しそうな顔をしている打越と目が合い、恥ずかしくて即座に視線を外した。


 曲はサビに差し掛かっている。狂いに狂った僕の歌も——歌というより騒音だろうか——、徐々に盛り上がろうとしていた。


 その時だった。目の端に、マイクを持とうとする松山が見えた。もうすぐ僕の出番は終わる。ほっと胸を撫で下ろす。この歌が終わったら、僕はさっさとおいとましよう。先輩たちも、きっと会社では僕の今日の歌のことはさっぱり忘れてくれるはずだ。そう信じたい。


 しかし、松山が持とうとしたマイクは、その手をすり抜けて別の人物が手にしていた。

 呆気にとられている松山をよそに、その人物は僕に向かって「そのまま歌ってて」とマイクを通して言った。相変わらずきょとんとしたままの先輩社員や、見るに耐えないと頭を抱えたまま行方を見守る同期たちの視線の先、マイクを構える打越の姿があった。

 僕の横に立つと、サビに入る寸前深く呼吸をしてマイクに声を当てた。


 刹那、柔らかな歌声が響いた。音痴な僕の歌に割り込むような強引さはなくて、まるで窓から入り込んでくる涼やかなそよ風のように、僕の声の隙間を丁寧に縫って正しいメロディーに誘っている。

 歌っていて、心地よい。初めて感じた感覚だ。どうやら、打越は僕の歌声に対してハモっているようだ。

 僕は何度か打越と視線を合わせ、最後まで夢見心地のまま歌いきった。盛大な拍手が沸き起こると、「打越さんさすが!」という声が飛びかう。


 役目を終えた僕は、空いていた席に体を沈めて水を飲んだ。その直後、隣に打越が座ってくる。甘い香水の匂いが鼻をかすめて、僕の心音は大きく高鳴った。


「三宅君、お疲れ様」


「あ、あの。助けていただいてありがとうございます」


 すると、打越は首をかしげてしまった。


「僕の歌を拾い上げてフォローするなんて、打越さんは歌が上手いんですね」


「実は、私小さい頃は近所のカラオケ大会で優勝しまくってて、神童って呼ばれてたこともあってね」


「神童? だから、音痴な僕の歌をあそこまで……」


「音痴? 三宅君が?」


「はい」


「三宅君は音痴じゃないよ。むしろ、どうやって歌ってるのってびっくりした」


「びっくり?」


「三宅君、ずっと副旋律歌ってたでしょ?」


 フクセンリツ?


 僕の頭の上に「?」が点灯する。


「分かりやすくいうと、ハモリのパートってこと。私はただ主旋律を歌ってただけ」


「僕、ずっとハモリのパートを歌ってたんですか?」


「気づかなかったの? メロディーに流されずに副旋律を歌い切るなんて、三宅君は凄いよ」


 打越に褒められたのもあるが、僕は心の荷が下りた気がした。

 何だ、音痴じゃなくて主旋律を歌っていなかったのか。ということは、カラオケに行ったら誰かに主旋律を歌ってもらって、僕は副旋律を歌えばいい。


 ほっとしたのもつかの間、香水の匂いが強くなったかと思うと、打越の顔が間近にあって思わずのけぞった。


「三宅君のハモリ、すっごく気持ちよかったからさ、今度カラオケ行こうよ。ふたりで」


 途端に、コップを落とす音がして目をやると、あんぐりと口を開けたままフリーズする松山の情けない顔があった。


(了)

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僕の旋律は狂ってる? 空草 うつを @u-hachi-e2

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