第三章 大永三年 正月

第11話 元服前夜

 前年の元服及び家督相続の相談から約一年が経った。先日、酒井将監が祖父の元へ父の隠居と私の家督相続を直談判に来たそうだ。祖父も父も如何にもということで承諾した。家臣達はいよいよ父の元では仕える事が出来なくなったということであったが、祖父も父もかねてから近々家督を私に相続するつもりであったので、すぐさま

 承諾したそうだ。父は恐らく後世の者から良く言われることは無いのであろう。祖父も父も覚悟のうえで父は失格者の烙印を押されるのだ。私は父の汚名すすぐためにも懸命に働く必要があるであろうと思っている。


 この一年私はいろいろと自問自答を繰り返してきた。明確な答えは出せないでままでいる。もとより自分の内面なので、その心持次第で決心も固くもなり、柔らかくもなるものだ。ただ言えるのは後ろ向きなものでは決してなかった。三河を明確な意思の元統一するということも目指すつもりだし、松平の家名を広げる決意は既についている。将軍になるという祖先からの秘願は、自分ではどうなるものでも無かろうが、時節が整えばいずれという事であろう。と思っていた。


 ただ、最後の一点が自分ではどうしようもなく中々解決が見いだせていなかった。というのは、抗いようのない血筋と言うものである。松平氏としてはそもそもは賀茂氏という氏族の流れなのだそうだ。京にある、賀茂社の分社を各地に祀る際に賀茂氏族が下向し祭祀を司ったことから、各地に賀茂氏の末裔も分散されていったそうだ。松平郷に分祀された賀茂社を祀る賀茂氏なので地名から松平を名乗るようになったそうである。どれだけ勇猛になろうとも、勢力を拡大しようとも、自分に連なる血脈を変えることは出来ない。さて賀茂氏の子孫が将軍となるのに相応しいかどうかという所の悩みであるが、どう考えても相応しくないように思える。松平氏を”まつへいし”と平仮名読みして、”末平氏”で平氏の末裔だと揶揄するものもいるそうだ。尚更、将軍には程遠いと思われる。

 

 そもそも征夷大将軍というものはその能力に相応しい者が成るべきであって、本来は血脈などは関係の無いはずである。なのに、いつのまにか源氏につらなる者が相応しいという世の風潮になっているのである。馬鹿々々しいとも思えてきた。

 

 そんな事を考えている時、元服の時に腰にする刀が出来上がったという知らせが入った。数年前に刀鍛冶の彦四郎に注文していた刀が打ちあがったという事だ。時間が大分経っているので、すっかり失念していた。もう、彦四郎は来ているという。すぐさま、彦四郎に会う事にした。忘れていたが、自分のための刀である。何かしら嬉しく思えてくるものだ。彦四郎に会う事よりも、刀の方に興味がある。


 前回、彦四郎と対面したときは父も同席していたが、父は所用があるようなので、竹千代が直接面会することになった。


 既に彦四郎は客間で待っていた。竹千代が元服し同時に家督を継ぐことは既に内外に知られるところであったので、最近の竹千代は出来る限り立場にふさわしい言動や振舞いをすることに心掛けている。彦四郎は当然ながら下座に座っており、襖を開けると同時に礼をし、竹千代が着座するのを待っていた。

 

 「久しぶりだな、彦四郎よ」


 どう声をかけようか迷ったが、あまり尊大にはならないように気を付けたつもりであった。

 

 「ご無沙汰しております。竹千代様。」

 

 挨拶をした彦四郎は続けて、

 

 「遅くなり申し訳ございません、ようやく竹千代様の刀が打ち上がりました。」


 と仕事が終わった報告し、恭しく刀を袋から取り出して竹千代の前に差し出した。

 

 「そうか、ようやく仕上がったか。」


 ようやく自分に相応しい刀を手にする時が来た。今まで実感がなく、気持ちの問題でなんとか家督相続に相応しい対応をすることしていたが、腰にするものが出来、具体的に現実を感じる事が出来た。目に見えた形で大人に成れたという実感もあるし、周りの目もまた変わるであろう。


 鞘から抜き出し、刀身を眺めてみる。


 相変わらず、冷やりとするくらい切れ味がしそうな見栄えである。波紋は皆焼ひたつらであり、刃だけでなく全体に見事な入り乱れた波が見える。まるで水墨画のように刀全体が美術品のような姿をしている。


「見事じゃ、今までみた刀の中で一番素晴らしいと思える。」


目釘を外して茎も確認した。村正と銘を切っているのが確認が出来た。


「銘を切っているところを見ると、ようやく満足できるものが出来たと見える。」


「恐縮にございます。あとこちらで御座いますが。」


 と白鞘の刀を六振り出してきた。


「その刀を打ちあげる前に打った刀で御座います。数打ちとするには勿体ない出来でありますがゆえに、御家臣に御下付する物としてお持ち頂ければと存じます。」


「おお、有り難い。家臣達に渡すべき刀は数多くあっても足らない事はないだろうしな。」


 竹千代は彦四郎の気遣いが有り難かった。


「各地で修行しましたゆえ、様々な作風を試しておりまして。竹千代様に差し上げた刀は相州で修行しました折に得た技法で御座います。」


 ふと、竹千代が抱えている難題が頭をよぎった、東国に修行に出ていたとあれば東国の武士の事も詳しいと思った。


「ちと、訪ねるが東国の方にも修行に出たとあらば其の方の武士たちにも詳しかろう。何かこの三河の国に由縁があるような武士は居ったかね。」


 あまり直接的に質問するわけでは無かったが、あまり脈絡のない質問になってしまった。彦四郎が訝しんだかも知れないが、真意はくみ取ることは出来ないだろうと思った。


 彦四郎は唐突な竹千代の質問に少し眉を顰めて、首をかしげながら考え込んでいた。その後、膝を打って話し始めた。


「吾妻鏡をご存知でしょうか。数多の名が登場しますが、この三河に縁がありそうな人と言えば三河守頼氏と申す者が居りましたな。」


「その頼氏と申すものは新田氏でありまして、上州世良田と言う在地から世良田頼氏と名乗っていたそうです。」


 吾妻鑑は知っていた。そういえば三河守を名乗る武士も見受けられたが、関東に伝わる姓が多くてあまり記憶には無かった。世良田とは聞いた事が無い姓氏である。新田氏を支流を名乗る氏族も聞いた事がない。新田氏は途絶えているのだろうか、もしそうであればこれは都合が良いと頭をよぎった。


「吾妻鑑は儂も読んだが、よく覚えていたな。」


「三河の松平様の刀の注文を受けていましたので、この三河のところだけ覚えていたのだけです。」


 本当によく覚えていたなと思った。何にせよこれは良い話を聞けたと思った。世良田氏の係累が絶えているとあれば、松平につなげる事が出来るかも知れないと思った。あまり褒められた事では無いのかもしれない。が、些事な事とも思えた。そもそも将軍になるのに源氏という血脈が必要というよくわからない風潮があるが、結局それにこだわっている自分もそのよく分からない風潮に流されているだけである。自分は自分であるだけだ。血脈がなんだろうがかまわないという気分になってきた。


「それで、その世良田氏とはお会いしたりできたのかね。」


「いえ、相州では世良田と言うかたは居られませんでしたな。上州の在地なのでなかなかその機会は無かったでしょうな。」


「そうか。」


 世良田氏が現在もいるかどうかはもう関係が無かった。


 良き世の田とは、いかにも平和な世を創出できそうな姓のような気もしてきた。


 元服より後は世良田と名乗ろうと心に決めた。


 

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