第35話 平穏な夏など夢のまた夢

それから約1週間。特にこれといった出来事も無く、ただただテスト勉強に勤しんだ。俺自身抜かりはないが油断はできない。テスト前日、俺は家で最後の追い込みをしていた。


ただ追い込みと言っても、今まで勉強した分の復習だ。基本的にはスラスラと解ける。


テストは全部で5日間の計11科目。科目は多いがどれも普段の勉強でカバーできる範囲だ。


すると、横に置いていた携帯が光った。誰かから電話だろうか。


覗いてみると、『明穂さん』とあった。明穂さんとはちょくちょくメッセージのやり取りをしていたが、電話はほとんどない。何か大事なことかもしれない、と携帯を取る。


「もしもし、お久しぶりです」


「あ、颯人久しぶり!元気にしてた?」


「メッセージのやり取りしてるでしょう」


「メッセージだけじゃ元気かどうかわかんないじゃん!」


相変わらずテンションの高い人だ。ちなみに明穂さんは海外で仕事をしている。滅多にこっちへ帰ってくることはない。


「それで、何か用ですか?」


「可愛い甥っ子に電話するのに理由がいる?」


「それにしてもいきなりすぎでしょ……」


「いいじゃんいいじゃん。最近はどう?学校にも馴染めてきた?」


「まぁ、それなりには」


「あ、じゃあ好きな子も出来た?」


「……切りますよ」


「えー!いいじゃん!高校生なんだから恋の1つぐらいしとくべきだよ?」


「余計なお世話ですよ。用がないんなら今テスト勉強中なんで切りますよ」


「もう、相変わらずマイペースなんだから。あ、そうそう、私、こっちでしばらく仕事することになったのよ」


「へぇ、そうなんですか」


「うん。そうそう。ま、それだけ!じゃあ勉強頑張ってね〜」


そう言うと電話が切られた。マイペースなのはどっちだよほんと。


「はぁ、勉強するか」


何か大事なことを聞き忘れたように気がするが、まぁいいだろう。俺はもう一度問題集へと意識を向け直した。




◇◇◇




「んーっ、やっと終わったー!」


大野が座ったまま体を伸ばして、歓喜の声を上げる。たった今、5日間に及ぶテストが終わったのだ。


え?早すぎるって?バカやろう。問題解いてるとことか誰得だよ。てかそんなに苦戦もしなかったし。


とにかくやり終えたのは事実で、それほど梃摺らなかったにしても疲れはあった。首や肩を回し、ふっと力を抜く。


「颯人、どうだった?」


中間テストの時と同じく、平川が訪ねてくる。こいつ俺に聞いてくるくせに、毎回自分の方が成績上なんだよな。


何だか腹立たしいが、「まぁボチボチだ」と答える。


「そっちこそどうなんだ」


逆に尋ね返すと平川は少し考えるような素振りを見せてから答えた。


「まぁ、ボチボチかな」


だろうな。こいつの場合良くも悪くも自信があるとは言わないのだ。逆に自信がないとも言わないが。ほんと、嫌味みたいだよね。


終わりのホームルームが終わり、それぞれ解散となる。


今日から部活動も再開のようで、何人か同じ部活の人達と教室を出ていく。


俺は部活に所属していないので、荷物を持ってさっさと立ち上がって教室を後にしようとした時、


「相田君!」


後ろから声をかけられた。振り向くまでもなく新川だ。


「どうした?」


「今から遥とお疲れ様しようってなったんだけど、来れる?」


「あ、あぁ。大丈夫だ」


少し不安そうに上目遣いをされると断れるものも断れない。というかグッときました。


今日俺は女の涙と上目遣いには勝てないんだということを初めて知ったのだった。多分あんま役に立たんけど。




◇◇◇




「それじゃあ、長きにわたる闘いお疲れ様!かんぱーい!」


大野の大袈裟すぎる乾杯で始まったお疲れ様会。実際のところ、大野以外は割と余裕があったのだ。


ちなみに今日は橘は参加しているが、高梨は生徒会の仕事らしい。部活が今日から再開のところが多いにも関わらず、橘が休みだというのはどういうなのだろうと思ったが、橘曰く、


「テスト後は体も心も緩みきってるから、ちゃんと1日休んで明日からまた再開するんです」


とのこと。確かに橘がしている弓道において、気の緩みがどれだけ致命的かなんて素人の俺でもわかる。そういった配慮ができることが、部の強さの秘訣なんだろう。


かくいう俺も疲れはあったようで、いつもよりメロンソーダを飲むスピードが早い気がする。


「ま、今回は赤点無いかな〜」


余裕綽々といった表情で、目の前の飲み物に口をつける。本当に大丈夫なのだろうか。フラグじゃ無いことを祈るばかりだ。


「そう言って遥ちゃん、いつも赤点取ってるよね」


「ちょ、るりちゃん!それは無し!」


「遥は毎回威勢だけいいんだよねー」


「だけって言うな、だけって!」


「まぁ遥だからね」


「だな」


「2人まで……」


これに関しては大野が悪いな、うん。


「まぁまぁ、とにかくテストは終わったんだし、後は結果を待つだけだよ」


「テストなんて返ってこなきゃいいのにぃ……」


「それじゃ意味ねぇだろ……」


「でもそれが終わったら夏休みだよ?」


それを聞いた大野は、再び表情を輝かせた。


「そうだよ夏だよ!海に祭りに花火だよ!」


海、祭り、花火。どれも人が多いことに定評があるものだ。正直苦手である。


「みんな夏休みの予定はあったりするの?」


「私は部活かなぁ。基本午前中だけだけどね」


「あたしはバイトでガンガン稼ぐつもり!って言っても流石に毎日は入れないから暇な日は多いかな」


「俺は毎年家族でイギリスに旅行へ行ってるから今年も同じかな」


流石金持ち。旅行の規模が違う。


「へぇ、イギリスかぁ。あたし海外行ったことないんだよね」


「景色や建造物が綺麗だね。まぁヨーロッパは盗難とかが多くて気をつけなきゃ行けないけどね」


なにそれ怖い。


「相田君は夏休み何してるの?」


「まぁ、バイトでも始めようかな」


そう言うと、あたりの時が止まったかのような静寂に包まれた。


「すまない颯人。聞き間違いかもしれないからもう一度言ってくれないか?」


すると平川が信じられないといった表情で聞き返してくる。


「だからバイトだっつうの」


「颯人がバイトなんて……。信じられないな」


「どういう意味だこのやろう」


「確かに意外かも。相田君って働いたら負けみたいなこと思ってそうだし」


「遥ちゃん、それは酷いんじゃ……」


橘よ。味方はお前だけだ。だから口元がヒクヒクしているのは見なかったことにしてやる。


「どこでバイトするの?」


「それはまだ決めてない」


「それでは、うちでバイトしませんか?」


「え?」


突然オーナーの山科さんが顔を覗かせてきた。


「実は、オープン直後に働いてくれていたバイトの子達は、みんな短期で雇った子ばかりでして。客足も落ち着きだしたのでそろそろバイトの募集でもしようか、ということになっていたんですよ」


「そうなんですか……。抜け駆けみたいで気が引けますけど、その申し出ありがたく受けさせていただきます」


「いやいや、こちらこそ助かります。帰りに連絡先をお渡しするので明日改めてご連絡ください。あ、ちなみに履歴書や面接も不要なので」


なんともVIP待遇だ。そんなに信頼されても正直困る。


「よかったね相田君!」


「じゃあ夏休みここに来たら相田君にサービスしてもらえるのかぁ」


「大野は来んな」


ひどーい!と騒ぐ大野を横目に、俺は内心ホッとしていた。バイトの面接は形だけだとは聞くが、苦手なものは苦手なのだ。編入試験の時も面接でテンパった記憶しかない。


「でも相田君、接客とかできるの?」


新川のその何気ない一言で俺は気付いてしまった。面接などよりもハードな『接客』という試練に。


「で、でででできるししし!」


「ちょ、テンパり過ぎだよ?!」


「はっはっは。まぁまぁ、接客というのは経験あるのみです。嫌でも慣れますよ」


ちくしょう、やっぱり無かったことにして逃げたい。


「書類だけ一応今から持ってきますから、もし手が空きそうでしたら今のうちに書いて出しちゃって下さい」


俺の逃げ道は無くなった。腹を括るしかないようだ。


その後すぐに山科さんは必要な書類を持ってきてくれた。書類に目を通すと、あることに気付いた。


「あの、保護者からのサインってすぐに必要ですか?」


「んー、未成年ですからね、出来れば早めに欲しいところですけど、まだ出勤日も決まってないし貰える時で大丈夫ですよ」


「そうですか……」


明穂さんに貰う必要があるが、どこにいるのかが正直わからない。


そして、その話を聞いていた新川達は不思議そうな表情をしていた。


「颯人のお父さんとお母さんって忙しいのかい?」


平川が何気なく聞いてくる。大野は恐らく前の会話で察しているのだろう、少し複雑な表情をしていた。俺としては何も気にしていないので、あっけらかんとして答えた。


「ん?あー、うち親いないんだよ。だから親代わりの人がいるんだけど……。そういえばこっちに転勤になったって言ってたな。どこに住んでるか聞いてファックスで送るか」


ふと先週の明穂さんとの会話を思い出す。相変わらずマイペースだな、という印象が強過ぎて会話の内容が頭から抜け落ちていた。自己完結して辺りを見回すと、皆複雑な表情をしていた。すると平川が口を開いた。


「すまない、今のは無神経だった」


そう言って頭を下げてくる。こういうのは正直苦手だからあまり気にしないでほしい。と言ってもこいつは納得しないだろう。俺は呆れたように笑った。


「ふっ、そんなもん俺は全く気にしてない。寧ろ親代わりの人が色々工面してくれたおかげで一人暮らしまでできてるからな。それに、親のことは殆ど覚えてないし、寂しいなんて一欠片も思わない。だからお前らも気にすんな」


そんなことで謝るならさっき俺がバイトするって言った時の反応に対してもう一度謝罪しやがれ。という文句は飲み込んだ。


平川はそれを聞いて「わかった」と答えると、いつもの笑みに戻った。新川達も少し寂しそうな表情をしたが、すぐに納得してくれたようだ。


優しいやつらだな。単純にそう思った。


俺はそんな優しさを持てるのだろうか。ふとそんなことが頭をよぎった。




◇◇◇




「それじゃあこちらが電話番号になります。無くさないでくださいね。明日、お待ちしてます』


電話番号が書かれた小さな紙を渡され、財布の中にしまう。それから礼を言って店を後にした。


時刻は午後7時。日が落ちるのが遅くなったとはいえ、もう辺りは殆ど日の入り状態だ。外灯に照らされた路地を5人で邪魔にならないように端の方に寄って歩く。


暑さも厳しくなってくる季節だが、日の入り間近ということもあって、風には若干の冷たさを感じる。


ワイワイと夏の予定に思いを馳せながら歩いていると駅に到着した。俺と橘はここから徒歩で帰るので、新川達の見送りだ。


正直前回のこともあり、橘と2人きりというのは少々気まずい気もするが、気にしたら負けだ。


「明日終わったら夏休みかぁ。なんか実感ないなぁ」


「そうだね。まぁ俺も旅行以外は暇だし遊ぶ時間はあるよ」


「ま、あとは課題だな」


「うわ、相田君そんな現実突きつけてこないでよ……」


そんな会話を交わしていると、もうすぐ電車が到着する時間となったので、解散することとなった。


「みんな、あたしのこと忘れないでね……!」


「明日また会うだろうが」


「てへ、バレた?相田君、るりちゃんのことちゃんと送ってあげてね!」


「あぁ、わかってるよ」


「それじゃあまた明日!」


「あぁ」


平川と大野が改札へと向かうが、何故か新川は少し俯き加減にこちらへと歩み寄ってきた。


「えっと、相田君」


若干の上目遣いで声をかけてくる新川を見て、心臓が跳ねたような感覚がした。斜め後ろにいたはずの橘は変な気を利かせてか、少し離れたところで携帯を弄っていた。


「お、おう?」


新川の緊張したような声音が俺にも伝わり、少し上擦った声になってしまった。


新川は、ふうっと息を吐いて口を開いた。


「あ、あの、今度私の地元でね、大きなお祭りが—」




「あっれ〜?颯人じゃん!」




新川の言葉はどこからか聞こえてきた声によってかき消されてしまった。俺と新川だけでなく、携帯を弄っていた橘や、俺たちの様子を見守っていた平川と大野も、その声の方へと意識を向けた。


そこには、明らかに高級な外車の運転席から降りてくる女性。スラッとした体型に、長い黒髪を靡かせながら歩くその姿は、まるでレッドカーペットを歩くハリウッド女優のようだ。その姿に周りの通行人も目を奪われている。


その人は付けていたサングラスを外し、屈託のない笑みを浮かべた。


「やっほ〜颯人。あ、もしかしてデート中だった?」


そんな格好とは裏腹に、緊張感のない声が響き渡った。


俺は、はぁっと一息付いてその人の顔を見る。相変わらず、こちらを見透かしたような笑みを浮かべた彼女は、俺の元まで来ると頭をわしゃわしゃと乱暴に撫でた。


「ほらほら〜、おかえり、は?」


腰に手をやり首を傾げる様子は、見事に様になっていた。俺はもう一度溜息を吐き、彼女に向き直った。


「何でここにいるんですか、明穂さん」


「何でって、言ったじゃん。私こっちに帰ってきたって」


明穂さんの言う『こっち』とは、日本のことだ。明穂さんは世界的に有名なジュエリーブランド『Angel roots』の創設者であり、現社長なのだ。それ故、いつも仕事で海外を飛び回っている。


「帰ってきたって、日本にって事でしょう?ここにいる理由にはならないですよ」


「え?だって私、当分の間颯人の部屋住むし」


「は?」


さも当たり前かのように告げられた言葉に、一瞬何を言われたかわからなかった。


いや、確かに俺の住んでいるアパートは明穂さんがお金を払ってくれている。寧ろ俺の方が住まわせてもらってる側だ。しかしあまりにも急すぎる。


それに彼女程の人物であれば当分の間ホテルで暮らすなり余裕の筈。なのに何故俺の家なのだろうか。


しかし彼女はそんな事お構いなしといった様子でニコニコしている。


「じゃ、これからよろしくね。颯人」


この夏は色々と忙しくなりそうだ。

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