七章 もう一つの形

『アスカ町 ALINAS』

 異端能力者集団が決戦の地に選んだのは、ありふれたモールの駐車場だった。

 敵地に向かうのは覚悟がいることだったが、躊躇していられない。

 通報の影響で交通にも影響が出たのか、正面の通りには交通規制が敷かれていた。

 一切の車も歩行者も寄り付かない空間に、気圧されそうになる。

 なんかこの景色、どこかで見たような覚えが……。

 僅かばかりの違和感を覚えたが、今はそんなことを気にしている場合ではない。

 いや、行こう。奴らを止めるんだ。

 立体駐車場を一階から捜索していく。

 逢河の言う通りなら、能力者はどこかにいるはずだ。

「……はぁ、どこにいるんだよ。そもそも誰もいないし……」

 三階まで来たが、それらしき人物は見当たらなかった。

 ボヤいていても仕方ない。引き続き上階も探してみることにする。

「――っ! なんだ?」

 異常があったのは、足を弾いたときだった。

 数多く駐車されたうちの一台が、前触れもなくセキュリティーアラームを鳴らしたのだ。

 辺りに人影はなく、自発的に作動したように見える。

「どういうことだ?」

 怪訝に思って注意深く観察していると、さらなる変化が訪れた。

 その車のエンジンがかかったのだ。

 は? なんでだよ?

 俺の疑問に答えてくれる人などいない。

 乗用車はエンジンをふかし、俺に向かって急発進した。

「――くっ!」

 距離を利用してなんとかかわす。

 それは壁にめり込み、うめき声のような音を出しながら静かになった。

 危なかった。避けるのが少しでも遅れていたら……。

「さすがWPOは危機管理能力が高いな」

「……?」

 車の陰から、長身の男が姿を見せる。

グレーのパーカーと黒いチノパンは、無機質な印象を帯びていた。

「この騒動を起こしたのはお前か?」

「そうだ。面白いと思わないか? 俺の手一つで、全国がパニック状態だ。これなら、ここで暴れてもおそらく邪魔は入らないだろう」

「一人で全部やったって言うのか?」

 男は空中で手を細かく動かした。それが何かを操作している動作なのだとすぐにわかる。

「速度、範囲、影響力。全てにおいて完璧なハッキング能力。それが俺の能力だ」

 フィクション映画に留まらず、こういう光景を何度か目にしたことがある。空中表示されたコンソールを操作したのだ。

 周囲に聳え立つビル群が一様に光を失う。

 それは俺たちのいる立体駐車場も同じだった。ALINAS本館もおそらくそうだろう。

「この辺一帯を停電にさせた。まあ、これくらい造作ないがな」

「それになんの意味がある?」

「きっかけだよ。『あいつら』を呼ぶためのきっかけだ」

「あいつら……?」

 男は詳しくは答えない。

「なんならアメリカ空軍の核プログラムを弄って、日本の主要都市を爆撃してやってもいいんだが……。俺たちの目標は破壊じゃない。もっと大きなものを目指している」

「全国の異端能力者を扇動する。そうだろ?」

「まあ……さすがにそれくらいわかるか」

 前に戦った『影使い』の能力者から、こいつらが何を企んでいるのかは聞き出している。

 そうでなくとも、異端能力者が考えるようなことなんて大体そんなもんだ。

「そんなことさせない。お前の企みは俺が阻止する」

「止めてみろ、お前にそれができるならな……」

 周囲の車が一斉に動き出す。男が両手でコンソールを操作したのだ。

「今日ここに、俺は革命を起こす」


   2


「ここで間違いない。早く能力者を見つけないと」

「たしかにね。奴らが何をしでかすか、わかったもんじゃないし」

 逢河の能力によって次元移動を繰り返し、立体駐車場の屋上に到着する。

 逢河と結香の二人組は、遅れながらも異端能力者の所在が報告された場所にやって来た。

「叶真は先に向かうって言ってたんだよね?」

「うん。多分近くにいると思うんだけど。とりあえず連絡でも取ってみようか」

 街じゅうのサイレンが耳に届いてくる。のんびりしている暇はなかった。

「待って」

 スマホに手が伸びる逢河の勢いは、結香の一声によって奪われる。

 いや、原因は決してそれだけではなかった。妙な音が響いてくるのだ。

「何か聞こえない? なんだろう……口笛?」

「口笛……?」

 結香の視線に沿って、屋上と本館を繋ぐ唯一の出入り口に目が向けられる。

 その口笛は徐々に大きくなり、ドアの向こうから、ポケットに手を入れた青年が現れる。彼は愉快そうに口笛を吹きながら、殺意の籠った瞳を向ける。

「待ってたぜ、WPO。せいぜい楽しませてくれよ」

 どうやらこの異端能力者を下すしかないと、逢河は悟った。


   3


 正面から車が突っ込んでくる。

「――っ!」

 それを避けると今度は横から。

「――っ!!」

 何台あるか数え切れない。

「多すぎるっ!」

 さらには四方向から集中砲火を受けそうになり、飛びのくついでに天井に張り付いた。

 四台の車は同士討ちし、一斉に悲鳴を上げる。

 ハッカーが操る車たちが、獲物が降りてくるのを待つハンターのように地面で渦を巻く。

「へぇ、重力を操る能力か。面白いな」

 余裕の表情を見せながら、コンソールを弄ろうとする。今度は何をする気だ。

「そうはさせない!」

 重力の弾を奴に放つ。

「クソッ、小賢しいな」

「……っ!」

 体勢を崩したところを今度は飛びかかる。

 そうさ。コンソールを弄れなきゃ、こいつは何もできないんだ。

 ハッカーに覆い被さり、腕を地面に押し付ける。

 それでも男は顔色一つ変えなかった。

「やるな。だがもう少し周囲を見た方がいいぞ」

 耳元で激しい駆動音がする。

 また、車だ。

「おっと、危ないな」

 それは俺たちのすぐ真横で静止する。

「さすがに俺まで轢かれるのはマズイからな。退けよ」

 パーカーしか着てないくせに、身なりを整えて立ち上がる。

「一度俺の支配下に置かれたものは、継続的なハッキングの必要はなくなる」

 困惑の俺をないがしろに、ハッカーは大仰に手を広げる。

「ある意味じゃ、今のそいつらは意思を持ってるんだよ。お前を殺すために働き、俺には一切のケガを負わせないようにな」

 つまり完全な駒と化したと言いたいわけか。

 一度は攻撃の手を緩めた車は、再び俺に向かってくる。

 危なげなく避けると、それはまた壁にぶつかり悲鳴を上げた。

 無機物に情を感じるなんておかしな話だが、一瞬だけその車を憐れんでしまう。

「フッ……そろそろかな?」

 ハッカーは窓の方まで歩み寄り、外の様子を確認した。

 そろそろ? それはさっき言った『あいつら』を呼ぶきっかけに繋がるものなのか。

 遠くから、バラバラと一定のリズムが聞こえてくる。

 プロペラの音。

 予想できそうでできなかった答えが外にはあった。

「来たぜ。お待ちかねのゲストが」

 俺の近くの窓からでも見える。

 ヘリコプターが三機、ALINASを中心に上空で円を描いていた。

「テレビ局の取材ヘリを待っていたのか?」

「ああ。ここまでは計画通りだな」

 この辺一帯を停電にさせたのはこれが目的だったのか。たしかに極端に停電になっているエリアがあれば、一連の騒動を突き止めようとしてテレビ局が動いてもおかしくはない。

「……なんだよ、面白いものまで飛んでるな」

 ハッカーは突然何かを見つけ、恍惚とした笑みを浮かべた。

 車が数台突っ込んでくる。それを自発的に避けたつもりが、俺はいつの間にか、壁際まで後退させられていた。

 コンソールを操作しながら、こちらに振り向く。

「お前との遊び、中々だったよ。ただ、もう終わらせようか」

「どうするつもりだ?」

 次の行動が予想できない。動悸がする。まさか、とうとう核を発射したのか。

 ヘリコプターのプロペラの音とは比べ物にならない何かが、立体駐車場に近づいてくる。

 なんだ? 何をする気だ? いや、コンソールで何をしたんだ?

 ついに均衡が破られる。大砲でも撃ち込まれたのかと思うほどの衝撃と音を撒き散らしながら、立体駐車場の壁に大きな穴が穿たれた。

 しかもそれをやったのは一機のセスナ。すぐに何が起きたのか理解した。上空を飛ぶセスナをハッキングして、ここに突っ込ませたのだ。

「む、無茶苦茶すぎるだろ!」

 セスナはなおも滑りながら強引に侵攻を続けてくる。

 立体駐車場がそれに耐えきれるわけもなく、三階はたちまち蹂躙されていった。

「く、クソッ!」

 このままじゃ俺のいるところに届いてしまう。

 あんなのもろに食らったら一巻の終わりだ。

 セスナは摩擦によって速度を落としていくが、できるだけ離れなくてはならない。

 ここで死ぬわけにはいかないんだ。

「――っ!」

 最後にダメ押しで前に飛び込んで、前転で受け身を取った。

 砂埃を気管に入れてしまったのか、呼吸をするのがきつい気がする。

 安心して後ろを振り返ると、そこには両翼を傾かせた大きなセスナが鎮座していた。

 乗組員はパラシュートで脱出したのか見当たらない。

「た、助かった……」

 手をついて立ち上がる。

「どうかな?」

「――え?」

 ハッカーに視線を戻したとき、眼前にはまた鉄の塊が迫っていた。

 俺はそれに――もろに轢かれた。


   4


 逢河と結香は、愉悦にまみれる異端能力者と一進一退の攻防を繰り広げていた。

 逢河は次元の裂け目を引き起こす能力を持っているが、能力者の交戦となれば、周囲への被害は否が応でも出てしまう。

 だが不幸中の幸いか、戦いの場となった屋上は広かった。

「ねぇ! 今の音聞いた?」

「もしかしたら異端能力者の仲間が他にいるのかもしれない。こうしちゃいられない。一般人にも危険が及ぶ可能性がある。連携をとって行動して、すぐに無力化させないと!」

「連携か……。それならわたしたちの力を見せてやろうよ、美咲」

「うん」

 先刻、能力者が一撃を放ったおかげで、屋上一帯は大きな砂煙にまみれていた。

 それがようやく晴れていき、砂のカーテンの向こうに、首を傾げた能力者の姿を捉える。

「……チッ、避けるだけかよ? 仲間を三人捕まえたっつーくらいだから、ちっとは期待してたんだがなぁ」

 純粋にこの空間を楽しみたいという気持ち。

 それは確実に殺意へと昇華していた。

 能力者の頭が少し持ち上がる。

 それが合図となったのか、逢河たちの周囲は瞬く間に光で満ちていった。

 本来そこにはないものを強引に作り出したかのように、足元が煌いていく。

 これはもしかして……錬金術?

 逢河はこういう能力に覚えがあった。

「結香、逃げて!」

「ええ? 逃げるって、どうやって!?」

 明らかに人体に悪影響を及ぼしそうな輝き方だ。

 光はさらに大きくなっていく。

「……もう! 仕方ないなっ!」

 逢河は咄嗟にワームホールを引き起こし、結香ともども異空間を移動した。

 結香が横で、顔面から着地する。

「痛でっ!」

「大丈夫結香?」

「うん、まあ……平気」

 それを受けて周囲を見渡すと、背筋の凍る光景が広がっていた。

 直前まで逢河たちが立っていたところに、幾数もの光の柱が連なっていたのだ。

 能力で移動をしていなかったら、無事では済まなかったと一目でわかる。

「間違いない。彼、錬金術の能力者だよ」

「錬金術?」

 こちらの出方を窺っているのか、それともやはり楽しんでいるのか。

 離れたところで佇む青年の能力を、逢河はそう断定した。

「言い換えるならアルケミスト。厄介な能力者に当たっちゃったな」

 実は逢河は、今までにも似たような能力者とは何人か戦ってきた。

 だがこうもたやすく能力を扱えるとなると、苦戦を強いられることは避けられない。

 しかも結香の有する能力は移動性能が低いこともあり、満足に戦いには望めなかった。

 私がなんとかするしかない。逢河はそう意気込んだ。

「結香はここにいて! 私が一瞬で勝負をつけるから!」

「待ってよ、美咲!」

 逢河は構わずに異空間を移動した。

 能力者の背後に周り、そのまま首を絞めて拘束する。

「……なんだっ? うぐっ!」

 抵抗の余地を与えない。

 その速度は狼狽える能力者を見れば明らかだ。

 逢河はこのまま首をへし折ることも可能だった。

 それほどまでに有利な状況だ。

「大人しく負けを認めて。あなたの過去を尋問するつもりはないけど、自分が何をしているかわかってるよね」

「誰が投降するんだよ……。記憶を消され、その上この力まで失うんだ。……そんなん認めるわけねーだろ……!」

 完全に場を支配しているのはこちらだ。

 それなのに能力者は抵抗をやめない。

 逢河はそれを上書きするようにさらに押さえ込む。

「だけどそれが、あなたのためになる。私だって、命までは奪いたくないの」

「だからなんだよ……? オメーらの言いなりにはならねぇ」

「……え?」

 能力者は鈍い動きながらも、右手のひらを逢河の前に突き出した。

 それが先の地面と似たように光りだす。

「……っ!」

 逢河は慌てて能力者を突き飛ばした。

 その直後、彼の手元から光の衝撃波が放たれる。

 驚愕して光の道筋を目で追ってしまう。

 すると、駐車された一台の乗用車の窓に、くり抜いたような穴が開いていた。

 人が余裕で通れるサイズに青ざめてしまう。

「危ないでしょ……。本気で私たちを殺す気なの?」

 何年もWPOとして活動してきた逢河。

 死の危機に瀕した回数は数え切れないほどだが、さすがに慣れるわけもなかった。

「当たり前だろ。そのためにこんなことしてんだからな」

 その言葉を象徴するかのように、能力者は殴り下ろすように手を地面に押し当てた。

「……?」

 それが次なる能力発動のトリガーになる。

 能力者の周囲に異様な黒いカゲが現れた。

 黒々としたカゲは伸びて足のような形を作り、さらに上半身まで形成する。

 そうして出来上がったのは人間の姿。

 しかもそれは逢河の身長をゆうに超えていた。

「これは……?」

 能力者を守護するように立ち並ぶ三体の黒い物体。 

 逢河は、この『マガイモノ』を何と呼ぶのか知っていた。

 錬金術師の生み出した作り物の人間――ホムンクルスだ。

 ホムンクルスは機械染みたぎこちない動きで黒々とした拳を高く上げ、それを力任せに断罪の如く振り下ろす。

「……くっ!」

 逢河は間一髪のところでそれをかわし、後退して三体との距離をとった。

「また手間になるものを……。――で、それだけなの?」

「テメェ! ナメてんのか!!」

 逢河が幼稚な煽り方をすると、能力者にとってはいい気分ではなかったようだ。

 すかさず追い打ちを仕掛けてくる。

 空が低いうなり声を上げ、神が下したような一本の落雷が、逢河に降り注ぐ。

「かかったね」

 逢河はそれを利用する。

 宙にワームホールを引き起こし、ホムンクルスの上に開通させた。

 これこそが、長年培ってきた経験でなせる業だと言えるだろう。

 黒のそれは、この世のものとは思えない叫び声を撒き散らして崩れていった。

 残りは二体……。

「あなたの攻撃を利用させてもらった。そろそろ諦めてほしいんだけど。今ならまだ、情状酌量の余地は残ってるかもしれないよ」

「まだ始まったばかりなのに、何を言ってやがる?」

 説得して穏便に済ませようとしても、大抵の異端能力者はそれを良しとしない。

 やはり下す以外に道はない。改めて逢河は覚悟を決めた。

 途端に能力者は次の行動を起こす。

「フン」

 彼を中心に、地面に大きな魔法陣が浮かび上がる。

 顔は青白い光で照らされていた。

 何をする気……?

 行動が予想できず、心に焦りが生じてしまう。

「……食らってみるか?」

 次の瞬間、能力者が一歩踏み込んだかと思うと、今度はそれがトリガーになった。

 彼の足を起点に、地面が一気に引き裂かれる。

 その一本の亀裂は逢河の足元まで行き渡る。

 って、え? え!? これはマズイ……!

「ええぇぇぇぇっ!」

 反応が間に合わなかった逢河は、素っ頓狂な叫びとともに、切れ目を落ちていった。

 今のはちょっと、しくじったかな……!

 反省をほどほどに行い、能力を使って屋上に舞い戻る。

「危ないなぁ。私の能力は、ワームホール移動後に、移動前の運動エネルギーをすべてリセットすることができるわけだけど……それができなかったら、ミンチになっていたかもね」

 笑い飛ばす逢河だが、焦りは募るばかりだった。

 落ち着いて行動しないと……。時間を掛けている場合じゃない。

 そんな逢河の気持ちを、能力者の傍に残っていたホムンクルスが駆り立てる。

 それは逢河の無事に気付くと、白い無機質な瞳で射抜いた。

「しぶてぇな……。ま、だからこそヤリがいがあるんだけどな」

 さすがの能力者も、僅かに疲労していた。

 だけどもそれは逢河も同じで、血の流れが悪くなっているのを感じる。

「いい加減、無駄な抵抗はやめたらどうなの。大人しく投降してよ」

「まだ威勢が残ってるか……。俺はオメーらが命乞いする姿が見てぇんだよ」

 『空』・『土』と来れば次は何か。

 答えは灼熱に滾る『炎』だった。

 能力者の手から放たれるそれは、振り切った火炎放射の如く、扇状に広がっていく。

 同じようにワームホールで利用しようかと思ったとき、炎から逢河を庇うように、どこからともなく人影が割って入った。

「美咲、大丈夫!?」

 それは逢河を守ろうとする仲間の後ろ姿だった。

「結香こそ大丈夫なの?」

「……ははは、平気へいき。これくらいなら、体温を弄ればどうってことないからさ」

 たしかに結香の能力は自身にも及ぼすことができる。

 逢河もそれを知ってはいたが、千度は超えているだろう炎を両手で受け止める光景は何とも痛ましく見えてしまう。

「よし……!」

 炎の放出が止むと、結香は額に滲んでいた汗を拭った。

 炎を受けた部分は多少焼き切れていたようにも見える。

 だが辛そうな表情をしていないあたり、やせ我慢などではないみたいだ。

「ごめん、フォローが遅れちゃって。さっさと倒して、叶真と合流しよう。客も避難させないとね」

「うん、そうだね」

 結香の真剣な瞳に見とれてしまう。

 ――もう何年も一緒にいるのに。人っていうのは知らないうちに成長しているんだな。


   5


『こちらチャンネル15の早河良子です。私は現在、大停電が起きたとされる、アスカ町ALINASの近辺にやって参りました。ご覧の通り、周囲のビルは光を失っており、通りには一切の車が走っておりません。数分前には、立体駐車場にセスナが墜落した模様です。屋上には人影が確認できるようですが……一体ここで何が起きようとしているのでしょうか』

 全国をパニック状態に巻き込んだ、異端能力者の起こした事件は、どこのテレビ局でも持ちきりだった。

 それは都会の中心地にある交差点でも同じで、至る所に設置された大型ビジョンには、各局の生中継の映像が流されていた。

 それを見上げる老若男女様々な通行人。その殆どは他人事のようにニュースを傍観していたが、中には興味深くそれを眺めている者もいた。

 背丈が同じくらいの成人男女三人組。

 カップルのようにベタベタの二人組。

 さらには、生気のない瞳を向ける青年など。

 彼らはこの事件の成り行きを、静かに見守っていた。

『あっ、みなさん、ご覧ください! 今変化があったようです! ALINASの立体駐車場から一台の車が出てきました――』


   *


 体中が痛覚になってしまったのか、俺は満足に手足を動かすことができなかった。

 ……えっと、何が、あったんだっけ?

 気を失う直前のことが思い出せない。

 何か、鉄の塊に轢かれたような……。

「起きろ。これからが大事なんだ」

 高いところから男の声が聞こえてくる。

 どうやら俺は地面に寝転んでいたようだ。

 たしか……こいつはハッキングの能力者で、俺は駐車場で戦っていたはず。

 しかしながら今の俺が寝ているのは、外の通りのど真ん中だ。

「見ろよ、この光景が全国に中継されてるんだ。面白いと思わないか?」

「それを俺に見せるために……わざわざ外に連れ出したのか?」

 傍らに車が一台留めてある。俺が気を失っている間に、それに乗せて運んだのだろう。

「ここでお前を殺すんだよ。『異端能力者である俺がWPOのお前を下す光景』を全国に流す。そうすれば、各地から能力者が俺の元に集まってくるはずだ」

「ふざけた計画だな。そのためにこの騒動を起こし、テレビ局まで動かしたのか……」

「綿密だと言ってほしいな。俺は先に捕まっていった奴とは違う」

「それだけの知恵を持ってるなら、どうしてこんな間違ったことをしちまったんだろうな、お前は……」

「減らず口は聞きたくないな」

 ハッカーが再びコンソールを弄る。

 元々はこいつの力だって、間違いさえ起こさなければ、人のためになったはずだ。WPOは『守る』ための組織だ。なのにこいつは、そこで身に付けた力を『私利私欲』のために使う道を選んでしまった。

 仲間を集めるため……か。字面はいいけれど、やっていることが非道であることに変わりはない。なんか……かわいそうだな。道を踏み外しさえしなければ、異端能力者集団の他の面々とも、仲間として仲良くなれたのかもしれないのに……。

 ただそんな甘い考えは、あくまで可能性の話だった。

 ALINASに隣接していた工事現場にあったクレーン車が動き出す。

 そこに吊られていた巨大な鉄骨は、俺の上まで来て静止した。

「くそ……まだだ。まだ終わるわけにはいかねぇ……!」

 全身に鞭を打って立ち上がる。今の俺を奮い立たせるのは確固たる意志だけだった。

 ハッカーの意外そうな顔が見える。

「もういいだろう? WPOがここまで戦えたとは想定外だったが、その体で何ができる? 全身ボロボロ、息は絶え絶え、本当は立っているだけでやっとなんだろ?」

「関係ない。俺は、お前と違って、背負っているものが違うんだ!」

 体が悲鳴を上げているのがわかる。だが心なしか、まだ戦えそうな気がした。

 そうだ。今ならはっきりとわかる。

 初めALINASに来たときに覚えた違和感の正体。それが何を示すのか。

 ――『駅近くの大通り一体の、地盤の劣化が確認されました。検査協会の報告によりますと、液状化の危険性もあるとのことで――』

 この方法なら……残り少ない体力でも、なんとかあいつを無力化できるはず。

 これ以上好きにはさせない。

「……っ!」

 最後の力をバネにして、最後の能力発動を実現する。

 だが重圧が弱いのか、ハッカーは余裕の笑みを零した。

「フン、結局口だけだな。いい加減諦めろよ。お前は俺の計画の礎になるんだ」

 まだだ、もっと行けるはずだ。

 俺の気持ちに呼応するかのように、大地は少しずつ震えだす。

「な、なにっ?」

 地面に亀裂が入り、ハッカーの周囲がグラグラと揺れていく。

 やはりニュースで見た光景だから間違いない。

 これこそが俺の切り札だった。

「過重力……! そのまま一気に押し潰されろ!」

 その大きな絶叫を最後に、辺りは砂煙に包まれていった。

 ハッカーは中に飲み込まれていく。

「クソッ!」

 地面に大きな穴が空く。

 神が大匙で地面を抉り取ったかのようなクレーターが、そこにはできる――。

「これくらいでいい気になるなよ! まだ手は残ってるんだよ!」

ハッカーもついに切り札を切った。

「華やかに死ね」

 クレーンから鉄骨が離され、それは重力に従って落下を始める。

「……え?」

 我ながらだらしない声とともに空を仰ぐ。

 そこには一本の鉄くずが迫っていた。

「ウソだろ……」

 次の瞬間、俺の周囲は黒い影で覆われて――。

「さすがにそれは……」

 体は鉄骨に力尽くで潰されて――。

「あ――」

 花火のような鮮血がまき散らされた。


 そうして俺は死んだ。

 鉄骨に押し潰されて死んだ。

 血をまき散らして死んだ。

 ミンチになって死んだ。

 ……はず、だ。


   6


 能力者は逢河たちの能力を把握したのか、こちらの出方を窺っていた。

「なんか黒い奴が一緒にいるけど、あれは何なの?」

「異端能力者が錬金術で生み出した人造人間だと思う。ホムンクルスくらい、聞いたことがあるでしょ?」

「わかんないよ。女子がそんなことを知っている方がどうかと思うけど」

 戦闘中だというのに、二人はマイペースだった。

 それは『仲間がいるから』という安心感にある。

「それで、どうやって倒すの? これって二対三ってことだよね」

「『わたしたちの力を見せてやろう』っていう勢いはどうしたの」

「いやぁ、ここまでとは正直思わなくて……」

 責任感のない発言に、逢河は成長の二文字を撤回したくなってしまう。

「まったくもう……いつも通りでいいよ。ようはあなたが対象者に触れることさえできれば、一気に相手を無力化できるんだから」

 言っていて逢河は思った。そもそも最初からそうすればよかったな。

「オッケー。じゃ、能力者本人はわたしに任せておいて! 美咲は、あの黒い奴をお願い」

「うん、そうしよう。援護するよ。――行くよ!」

 逢河と結香は二手に分かれ、それぞれが別々の行動をとった。

「お? 次はどんな手で来る気だ?」

 相変わらず愉悦にまみれる能力者は、先ほどと同じように右手を突き出した。

 結香に向かって、もう一度炎を浴びせていく。

 ただ今となっては、結香にとってはただのヒーターみたいなものだろう。

「そんなの全然効かないんだけどねっ!」

 実際に結香は能力を施した手で炎を防ぎながら、能力者に突進を仕掛けていた。

 一方の逢河もすぐさま行動に移し、もう一度能力者の背後に回る。

 前と後ろから同時に攻める――。

 至ってシンプルな方法が、逢河たちの作戦だった。

 しかしながらそこは、伊達に異端能力者やってないということか。

 能力者はその考えは見越していたらしく、背後に守りを固めていた。

 目の前に二体のホムンクルスが立ち塞がる。

「鬱陶しいな、もう……!」

 こうなったら『あの力』を使うしかないな……。

 本当は体力を消耗するから、逢河は『この力』を使うのはできるだけ避けていた。

 だがもはや、そんな甘いことを言っている場合ではない。

 逢河は能力の一片である、ブラックホールを引き起こすように意識を集中させた。

 神経を研ぎ澄まし、ホムンクルスと自身との間に位置するように黒い渦を発生させる。

 主に移動の際に使っているワームホールと似たような渦。

 ただし今回のは、それとはまた違う底なしの暗闇がある。

「うぐぐぐ……」

 全身を大きな負荷が襲う。

 ホムンクルスを倒す術が他にはない以上、これを耐えるしかない。

 二体のホムンクルスが同時に拳を突き出してくる。

 ブラックホールが効果を発揮したのはその直後だった。

 辺りに旋風が巻き起こる。

「フッ、成功だね……!」

 ホムンクルスは抵抗し、攻撃を続行しようとするも、どうも足元がおぼつかなかった。

 それどころか、辺りに散在する砂やゴミとともに吸い込まれていく。

 逢河の引き起こしたブラックホールが、あらゆる物質を特異点へと飲み込む。

「……く、うう……」

 今度は全身に大きな倦怠感が伴う。

 逢河は持てる限りの力を出し切った。

 能力の発動を終えると同時に、特異点は一気に閉じ、風も合わせるようにして治まる。

「よし、倒せたかな……。結香! こっちは大丈夫! 今のうちだよ!」

 本当は上手くいったことに素直に喜びたい気持ちもある。

 逢河はすぐに意識を切り替えた。

「わかった!」

「チクショー! いらねぇことしやがって!」

 能力者はついに焦りを見せた。

 それは能力者自身の行動に露呈されていく。

 手から放つ炎を一層大きくしたのだ。

「危ない!」

 勝負を決めようという焦りが彼の行動に滲み出ている。

 いくら温度変化で身を守れるとはいえ、あれをもろに受けたら結香は……!

 民家一つは飲み込んでしまうくらいの質量に、さすがの逢河も動揺してしまった。

 進行方向にワームホールを出現させ、結香を宙へと移動させてしまう。

「ちょちょっ! 美咲! ナイスカバーだけどやりすぎじゃない!?」

 飛び込み台くらいの高さに投げ出されて結香は叫んだ。

 もうこうなったら押し切るしかない。

「今だよ! 結香!」

「は、はあ? 今って、この状況で何を言って……」

 かなり無茶なことをしているのは承知だったが、もはや結香を信じるしかない。

「そうはさせねぇ!」

 能力者は右手から左手へとシフトし、大量の水を放出する。

 次は『水』だ。

 水流は結香に直撃し、斜め上にいる彼女を押し戻そうとしていた。

 水圧の凄まじさを見せつけてくる。

 今の逢河には、それをただ見ていることだけしかできなかった。

「ごぽぽぽぽ……!」

 頑張って結香……。

 逢河の応援が届いたのか、結香はそれでも水中を突き進んだ。

「ぬぬぬぬぬ……っ!」

 水圧がさらに強くなろうとも、それを手で防いでいる。

 もしかして結香は、水を蒸発させているのだろうか。

 あの激流を進むことができるのであれば、自身の能力を使っているとしか考えられない。

「くっ、せめて、これだけでも助けになるなら……」

 逢河は咄嗟にワームホールを使い、近くにあった小石を能力者にぶつけた。

 水流が一瞬だけ緩くなる。

 結香はそれを見逃さなかった。

「チェックメイトォォォ!!」

 水中にいたにも関わらず叫び声はよく聞こえ、そのまま体ごと能力者にダイブした。

 放水が止まり、まるで大雨のような大量の水が数秒間降り注ぐ。

 おのずと周囲に水たまりが広がっていった。

「はあっ……はあっ……疲……れた……」

 結香は服をびしょ濡れにして、仰向けに空を眺めて息を整えていた。

 過呼吸で少々心配にはなるが、顔色を確認した限りでは心配はなさそうだ。

「お疲れ様。ナイスファイト!」

「美咲、いくらなんでも無茶しすぎ……。普通に死ぬレベルの高さだよ、あれ」

「うん……それは私も反省する……。けどまあ、結香が無事でよかったよ」

「あーもう、終わり良ければすべて良しってやつ?」

 なんだか体が軽くなって、逢河たちはお互いに笑い合った。

「彼の方は無事? 危険に晒していないよね」

「うん。ちゃんと低体温症になるように調整したから、今は気絶で済んでいるはず……」

 結香の能力を以てすれば、対象者に触れることは勝利を表すと言っていい。

 さっきまで活発に戦っていた異端能力者の青年は、今は静かに横たわっていた。

「それなら安心かな。……ほら、立てる?」

「ありがと……」

「――おっと……!?」

 結香の手を引っ張ってあげようとしたのに、そのまま体が持っていかれてしまう。

「もう! 美咲、勘弁してよ」

「ごめん。私も疲れちゃってさ」

 服についた砂を払いながら、また倒れないようにゆっくり立ち上がる。

 もう……結香ってば、達成感に満ち溢れた表情をしちゃって……。

「結香って、成長したよね」

「人間は進化する生き物だからね。そのうち肉体的にも成長するよ」

 もう一度にかっと結香は笑う。

 心地よい時間がそこにはあった。

 名残惜しさはあるが、本来の目的を思い出す。

「彼はWPO本部に引き渡す。私たちは早く吉祥と合流しないと」

 先ほどの爆音を考えるに、吉祥も能力者と交戦している可能性は高い。

「待って。服を着替えるから」

 急に片手を出してきたかと思うと、結香はそそくさと濡れた衣服を脱ぎ始めた。

「腰に巻いている方も濡れてるけど」

「サッと乾かせばいいんだよ。今着ているのは焦げたりして汚いし」

「早くしてよ」

 逢河は、子供に手を焼く母親のようだった。

 結香が腰に巻いている長袖ティーシャツは、何かあったときのための着替え用だ。

 『服装がしっかりしていないと力が出ない』っていう気持ちもわからなくはないけど、何もこんなときにしなくてもいいのに――と逢河は項垂れる。

「ふぅ、オッケー行こ!」

「まったく、危機感がないな、結香は。今ので一分ロスね」

「あっれぇ? アルケミスト倒せたのは誰のおかげかな?」

「はいはい。わかったよ」

 言い合っていても仕方ない。

 逢河はこちらが大人になっておこうと譲歩した。

 そしてそこへ、完全に緩み切っていた二人の心を引き締めるかのように、矢継ぎ早に次なる来客者が訪れる。今度は男女二人組の声が近づいていた。

「よかったー、ここにもお客さん残ってたんだー」

「お前の言う通り、確認しに来て正解だったな」

 高校生くらいの男女の姿が露になる。

 そのうち男の方は金属バットを、女の方は拳銃を握りしめていた。


     7


 暗闇の中にいると、自分がどんな状態なのか知る術はない。

 ただ少なくとも、自分が地に倒れ伏せていることだけは理解できた。

 立ち上がって、歩いて、この暗闇から脱出しなければならない。光を見つけなければならない。そんなことはわかっているのに、体が言うことを聞いてくれなかった。

 俺は死んだのだろうか……?

 今までも幾度となく感じてきた漆黒の空間。

 あれは俺の死への予兆を示していて、俺の精神とリンクしていたのかもしれない。

 とうとう前に進むことすらできなくなってしまった。

 つまり俺は一生ここから出ることができない。

 生に縋りつくことができない。

 俺は死んだはずだった。

 ――手を貸して。

 ふいに暗闇の中に女の声が響いた。

 別に初めて聞くような声でもないのに、明確な名前が脳裏に浮かばない。

 ――そう、そのままゆっくり立って。ここは危ないから移動しないと。

 誰かに肩を貸してもらって、歩いているのを実感する。

 暗闇で見えないけれど、たしかに傍に誰かが居て、俺と歩いてくれている。

 視線を前に戻すと、いつの間にかそこには小さな光があった。

 俺たちはその光に少しずつ向かっている。

 ――言ったでしょ。私はあなたの傍にいるって。これで助けるのは三回目だからね。

 こっちだって今までに何回か助けてるだろ。そう言い返したい気持ちはあったのだが、今の俺は足を動かすことで精一杯だった。

 ようやく光が広がっていく。

 ようやく闇が終わりを告げる。

 眩い光が俺を包み込む――。


「ここでいい。ゆっくり腰を下ろして」

 女に介護をされつつも、建物の陰まで移動していた俺は地面に腰を下ろす。

 瞳には光が戻っており、俺は顔を上げる。

「そうだったな……お前はいつだって俺の傍にいたな」

 俺がようやく反応をすると、仲間を支えるパートナー――逢河は安心したように顔を綻ばせた。それだけでなく、他者を思いやる先輩、手先が器用な同級生、多面性を持つ後輩も集まっていたらしく、四人は揃ったように安堵の表情を浮かべた。

 それにつられて、俺もつい笑みを零してしまう。

「結香、彼の手当をお願い」

「任せて。叶真、ちょっとだけ大人しくしててね。体温を適切な温度に弄るのは結構な集中力が必要になるから」

 そう言って結香は、壁にもたれる俺の体に手を触れる。直接手を当てている胸の辺りから、ほんのりと優しい温かみが広がっていくのを感じた。

 それに伴い、全身に纏わりついている痛みや倦怠感がウソのように引いていく。完全に消え失せたわけではないが、全身が苦痛に苛まれていたときと比べれば天地の差があった。

 結香の処置が続く中、逢河に現状の把握を求める。

「二人は何をしていたんだ?」

「もう一人の異端能力者と戦っていたの。そのせいでカバーが遅くなった。けど、なんとか鉄骨が直撃する前には間に合ったみたい」

「はは……またワームホールで助けてくれたのか」

「仲間なんだから当然でしょ」

 悠然と笑う逢河。逢河には感謝してもしきれなかった。

「都乃衣先輩たちはなんでここにいるんですか?」

「なんでって、昨日話したろ。放遊会の活動でモールに来ていたんだよ」

「それにしたって、その格好野蛮過ぎません?」

 柊は拳銃を手に握り締めており、都乃衣先輩は金属バットを肩に抱えている。完全に不審者の格好だ。乾いた笑いが漏れても仕方ない。

「ああ、これはあくまで護身用に持ってるだけなんだ。停電を起こした犯人がいつ襲ってくるかわからないだろ? 玲奈が持ってるのも本物の拳銃じゃないぞ。手ごろなモデルガンを見繕ってきたんだ」

「フフン。どう? かっこいーでしょー」

「はぁ……」

 切羽詰まっているというのに、柊の空気の読めない一言で気の抜けた返事をしてしまう。

「私たちは客を避難させていたんだ。それで最後に駐車場を見ておこうと思って向かったら、そこで二人と鉢合わせたの」

「ま、そんなところだ」

「そういうことですか」

 元々遊ぶためにモールにやって来たはずなのに、よくもまあ他者のために行動に移すことができるものだ。柊に関しては心なしか楽しんでいるようにも見えるが、今は目を瞑っておこう。

「よし、終わった。気休め程度だけど、これなら一人で動ける程度には回復したはず」

 結香の合図を受けて全身に力を入れてみると、信じられないことに先ほどまでうんともすんとも言わなかった俺の体は、すんなりと脳からの指示を聞いてくれた。

「二人とも本当にありがとう。都乃衣先輩もありがとうございます」

「礼なんていいよ。そういうのは全部終わってからにしよ」

「ホンット、叶真は世話をかけるよねぇ」

「お前に感謝されるようなことはしていない」

「ねーねー、私はー?」

 三者三葉の反応がなんだか滑稽で、全身に走っていた緊張は解けていった。


「ふざけるなよ!」

 突如として発せられた悲痛に満ちた叫び声に、俺たちは一斉に振り返った。

 ハッカーは膝に手を突きつつも重たそうな頭を持ち上げる。

 嫌みなくらいに冷静だったというのに、焦燥に駆られた男の姿を見るのは不思議だった。

「なぁ……お前にわかるか?」

 目を伏せ、表情をさらに暗くさせる。

 顔を上げた男の痛ましい姿には、何か羨望のまなざしのようなものも含まれていた。

「ある一人は家族を失い、ある一人は親友を失い、ある一人は恋人を失い、残った二人は愛情を失った。そんな奴らがどんな気持ちで生きてきたか、お前にわかるか?」

「……」

 それが誰のことを示しているのか、今の俺には聞かずとも理解できた。

 まだ重みの残る体を奮い立たせ、自身の力で立ち上がる。

「ああ……わかる」

 俺は一切の迷いもなく言い切った。似たような境遇の中で生きてきた人たちを俺はよく知っている。そしてその人たちは、今を一生懸命に生きているということも。

「くっ……。本当にそうだって言い切れるのかよ。だってもう、今の俺には……」

 状況だけで見るなら今は一対五ということになる。

 男も疲弊し切っているらしく、まともに能力を扱うことはできないようだ。

 もうこれ以上の争いに意味はない。

「なぁ……」俺は俯いてしまった男に声を掛けようとして、

「うるさい、それ以上喋らないでくれ」

 降参を促そうにも、まだ諦めきれていない様子だった。

「……いや、まだだ。やっぱりこんなんじゃダメだ。失敗したなら、計画を練り直せばいいだけだ」

 完全に追い詰めたはずなのに、男はまだ反抗の余地があるみたいだった。

 この状況下、こいつは何もできないはずだ。

 男はさっきまでの悲壮感が演技だったのかと思わせるほどに堂々とする。

「残念だったな。まだ手は残ってるんだよ」

 プロペラの音が近づいてくる。

「ヘリのうちの一機は、すでに俺の手中に収めてあるんだ。変な気は起こさない方がいいぞ」

「お前は……まだそうやって……!」

「邪魔をするならヘリをビルに激突させる。それでもいいのか?」

 ハッキングする隙はいつでもあった。

 俺が気絶している折にでも行っていたのか。

 人質を乗せたヘリコプターが地上に着陸する。

「そうだ。それでいいんだ。計画が果たせないのは納得がいかないが……こうなったら出直すまでだ」

 俺が傍観を決め込むと、鈍い足取りながらも、男は脱出口へと向かった。

 一連が、逃走を図るための行動なのは明らかだった。


「降りろ。こいつは俺がもらう」

『そ、その前にこちらの質問に答えてください! あなたは一連の事件に深く関与しているように伺えます! 真実を教えてください!』

「うるさいな。お前たちテレビ局の役目は済んだんだよ」

『それはどういうことでしょうか! もしかして、事件の首謀者はあなたなんでしょうか!』

「いいからお前もカメラマンも操縦士も全員降りろ。降りないならこのまま飛ぶ」

『――おい! なんだかわからないがそうした方がいいかもしれないぞ! さっきから操縦が利かないんだ!』


 ヘリコプターから三人の大人が飛び出してきた。

 見た感じ、キャスターとカメラマンと操縦士のようだ。

 あいつ、もしかして乗組員を全員降ろしたのか?

 プロペラが回転を始める。

 離陸しようとしているのがわかって確信に至る。

 いや、間違いない。逃走の邪魔になるから降ろしたんだ。

 両脚に力が入る。

 だとすれば、完全にここからは一騎打ちになる。

 異端能力者を追わない理由はなくなったわけだ。

 俺の思いは弾かれる――だがそんな勢いを止めたのは逢河だった。

「待って吉祥! どこに行くの!?」

「決まってるだろ。最後の異端能力者を捕まえる」

「結香の治療はあくまで応急処置なんだよ? これ以上無茶をしたら今度こそ死んじゃうかもしれない」

「そうかもな。けど、あいつを一人にさせたくないんだ」

「吉祥……」

「そもそも、元からそういう任務だったろ。逢河は、都乃衣先輩たちと一緒に客の安全を確認しておいてくれ。能力者を追うのは俺一人で大丈夫だよ」

 自分の右腕に視線を移すと、そこにはお守りのミサンガが付けてあった。これがある限りは大丈夫。そんな気がした。

「必ず戻る。待っていてくれ」

「……わかった。でもお願いだよ。必ず帰ってきてね」

「ああ、大丈夫だ!」


   *


 男は無我夢中で操縦桿によるヘリコプターの制御に徹していた。

 ハッキングの能力が発動しているのにも関わらず、正常な動作を示さないからだ。

 体力を消耗してしまったのか、そのせいで完全な支配下に置くことができないでいる。

 高度が見る見る上昇し、速度も見る見る上がり、見たことのない景色が窓の外に広がる。

「クソッ……。なんでこんなことになってしまったんだ」

 地上が物凄いスピードで離れていく。

 景色が物凄いスピードで流れていく。

 悔んでいても仕方のないことだ。

 勝手にリーダーを名乗っていたとはいえ、すべてがまとめ役である自分の失態だった。

 機体の外から物音と人間の声がする。重心が右に傾いていることもあり、音源の方に目を配りドアを少しだけ開くと、機関の人間である『重力使い』の姿があった。

「お前、しつこい奴だな」

「逃げたって無駄だ! 大人しく地上に降りろ!」

「いや、降りるのはお前だけで十分だ」

 男は操縦桿を大きく動かした。それに応じて機体が右へ傾く。

「うあああああ!」

 重力使いの全身が強風に煽られる。

 しがみつくだけでも精一杯だろうというところで追い打ちをかける。

 あえて全面ガラス張りのビルに機体を預けた。

「うぐっ!」

 重力使いは間一髪、機体の下に体を潜り込ませる。

 傾いたヘリコプターはそのままビルに掠るように直撃し、鼓膜を破らんばかりの音を撒き散らして、線を引くようにガラスを打ち壊していった。

 停電で避難したのか人影はなく、意味のない犠牲者が出ることはなかった。

 衝撃で機体のバランスが崩れている隙を狙い、重力使いがスキッドを登ってくる。

 それを受けて男はさらに焦りを募らせた。

「このままじゃ被害が大きくなる! お前だって死ぬかもしれないんだぞ!」

「お前が死ねばいいだけの話だ。邪魔をするな」

「……くっ!」

「やめろ! 余計なことをするな!」

 重力使いは操縦桿を奪って、強引に地上に降りようとする。

 それを阻止しようとして、しばらく狭い機内で揉み合いになる。

 膠着が溶けたのは、機体に大きな衝撃が走ったときだった。

 テイルローターが、ビルにもろに当たってしまったらしい。

 そうすると誰にも制御はできなくなる。

 ヘリコプターはイカれた独楽のように回転を始めた。

「……うっ!」

「……ぐっ!」

 互いに機内で激しく体を打ち付ける。

 ややあって、先に外に放り出されたのは――、

「マジかよ!」

 幸いなことに重力使いの方だった。

 さすがに観念しただろう――そう思った矢先、機体の外では信じられない出来事が起きていた。重力使いの体がまだヘリコプターに繋がれていたのだ。

「なんだよそれ! しぶといなぁっ!」

 損傷した尾翼にヒモか何かが引っ掛かったのだろう。

 重力使いも驚きを隠せないようだったが、それは一瞬のことで、ヘリコプターの回転を上手く利用しつつ操縦席まで這い上がってくる。

「……なんでそこまでして……」

 機関の人間だからといって、どうしてそこまでして自分を追ってくるのか男には理解できなかった。最後の仲間を失い一人になってしまった自分を放っておいたところで、手の内がバレた以上どうせ大したことはできない。後日改めて捕獲に向かえばいい話だ。

「くっ……」

 男は雑念を振り払い、今は生きるための選択をした。

 仲間は別に死んだわけではない。記憶と能力を消されただけだ。だがせめて自分くらいは、みんなのためにも『自分という存在』を残さなくてはならない気がした。

 このままではヘリコプターの墜落は免れない。

 能力を満足に使えるかは不安だったが、全身全霊の力を込めて、ありったけの力を込めて、そして操縦桿そのものにも力を込めて、どうにか制御を試みようとする。

 男は前に進もうとしていた。

 しかしながら現実は甘くはなかった。

 次の瞬間ヘリコプターがビルに激突し、男の視界は真っ暗になった。少なくとも肉体が落ちていくのを感じたが、そこから先どうなったのか、男はよく認識できなかった。


   8


 俺はなんとかして重い体を引きずりつつ、大破したヘリコプターから這い出た。

 至る所に散らばる残骸から黒煙と炎が立ち昇っている。

 どうにか生き永らえることはできたようだ。ハッカーがヘリコプターを制御しようとしたことと、俺が重力を緩和しようとしたことが生に繋がったのだろう。

 男はビルの壁面に背を預けて息を整えていた。

 聞くまでもなく、もはや反抗の力は残っていないようだった。

「俺たちとお前たちの違いってなんだ……?」

 男は最後の質問と言わんばかりに消え入りそうな声を出す。

「俺たちのしていたことも、見方を変えればもう一つの正義と表現できる。結局のところ、根本的なところは同じなんだよ。なんで俺たちが間違っていたことになるんだ」

 男にも男の考えがあったのだろうということは理解できる。

 だが俺はそれを許すことなどできなかった。

 それを口で言うのは簡単だが、今はこの男を責めるようなことはしたくない。

「……一つ言いたいことがある」

「なんだよ。惨めな俺に、餞別の言葉でもくれるのか」

「今の俺には、仲間をすべて失った悲しみまではわからない」

「……」

「だからさ、これだけは言っておきたいんだ」

 俺は男の目を見据える。

「お前は頑張ったよ。だからもう、今は休んでいいんだ」

 しばらくの沈黙の後、男は小さく笑った。

「そうするよ。せいぜいお前も頑張りな」

「ああ、俺はこの日常を守り抜くよ」

 それきり男は何も言わなくなった。気を失ってしまったのだろう。

 腹の読み切れない奴だったが、最後の表情は心なしかやり切ったように見えた。

 いつもの双子の処理班を呼び、俺は俺の仲間の元へ戻る。

 ミサンガは切れていた。


   *


 男は男女の声が聞こえて意識を取り戻した。

 朦朧とするなか目を開くと、双子の男女が何やら話しているのが目に留まる。

 男は双子の目を盗んでスマホを取り出しロックを解除した。

『核を発射するかどうか』――その選択肢が画面に表示される。

 大通りの遠くに目を移すと、自分を下した機関の人間が、その仲間に囲まれていた。

 男はそれをしばらく見つめ、静かにスマホ画面の中からノーをタップした。

 すると今度は、自分を含めた五人の仲間の集合写真がホーム画面に表示される。

「ああ……またみんなで大富豪……やりてぇな……」

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