第7話 母の良いところ

 ここまで母の悪いところばかり書いてきましたが、母には良いところもあります。


 今回はそれを書いていこうと思います。


 母は私の外見はけなし続けましたが、頭脳というか勉強面についてだけは褒め続けてくれました。


 母自身は、中卒である事にコンプレックスを持っていて、自分の事をバカだバカだと言っていました。


 けれど勉強心のある人だったので、ノートに覚えるべきことを書いたり漢字の練習をしたりした形跡は多々ありました。


 そんな母は、某有名大学を出ているパパの事を学力面ではとても認めていて、私を褒める時には


「勉強の面ではパパに似たんやね」


 と言いました。


 まぁ悪い部分もパパの悪い部分を引っ張ってきて「パパに似たんや」と言いましたが。



 他にも母には良いところがあって、それは私という人間でも書いた

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054886651354


『先回りの痒いところ掻き』だ。


 学校行事などで何かある際や、特別な道具を持参する日などに、私の分以外にも2〜3個余分に道具を用意して持たせたり、お弁当持参日に割り箸を多めに持たせるなど、私だけじゃなく、私の友達やクラスメートの分も忘れた人用のために、割りばしや図工の道具を持たせたのだ。


 困っている人がいないように出来るだけしてあげる。


 感謝を求めているわけじゃないのに、それをする母は良い母だった。


 この部分が私にモロ遺伝している事に対して、母の事を昇華出来ていなかった頃は認めるのが辛かった。


 母に良い部分があるんて認めるのも身を切られるような辛さがあった。


 けれど今ならば認められる。


 母は悪いところもいっぱいあったが、他の人にはあまり無いような良い部分も確かにあったのだ。


 母は他人に対してケチだ。

 そしてがめつい。


 なのにそんな母が人のために、人が助かるように、余分に物を用意するのだ。


 どういう心理なのだろうか。


 多分、私と同じで利己的だからなのではないだろうかと推測する。


 利己的なのに人に何かする?と思う方もいるだろう。


 私が人のために何かするのは、自分が嬉しい気分になるためにするという利己的な理由からなのだ。


 何かしてあげて、喜んでくれたら嬉しいから。

 私がその人が喜ぶを見たいから、喜ぶ顔や態度が欲しいからやる。


 そういう利己的とは違うのかもしれないが、まぁ私としては利己的なそういう思いからの人に対しての善なのだ。


 もしかしたら母もそうだったのかもしれない。

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