独歩なら今の武蔵野をどんな風に描写するだろう?

『昔の武蔵野は萱原の――』
きっかけは国語の音読リレーだった。
友人同士の会話の中で、主人公たちは気づく。
独歩は、武蔵野が林になったことを言いたかったのではなく、
人工物に変わりつつある様を表現したのではないかと。

それならばと、独歩の視点を持った主人公たち。
――この景色を国木田独歩が見たら、なんて思うのかなぁ。
その時の彼らの発想が素晴らしい。
きっと独歩は、タムとホヤの融合にもビックリするに違いない。

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