7

 知らない番号から、知らないメール。


 削除に指が伸びた瞬間、電話が突如震え始めた。


 知らない番号。出るつもりもなかったのだが、消去しようとしていたボタンは、不可抗力にも通話を押してしまった。


 即座に切ろうとするも、相手はそれより早く声を発した。


「勇次、君?」


 聞き覚えのある声だった。女性の声。


 知っているようで、知らないような声。そもそも、彼を勇次君と呼ぶ女性は、近々では数人しか知らない。

 聖か正子なのだが、どちらの携帯番号も登録してある。

 そうなると、後一人しか思い浮かばないのだが、その人物が電話を掛けてくるとは思えない。


「夏目、美紀です」


 思えなかったのだが、そうであった。


「あ、はい。松樹です、けど」


「ごめん、急にかけて……。ちょっと、会いたくて」


「えっと……聖? の事かな。んと、うん、いいけど、どこに行けば」


「ううん、外で会うと……まずい、から。行くね」


「行く?」


「というか、もう居るから。ごめん、かくまって」


 ブツっと電話が切れると、同時に家のチャイムが鳴った。


「うそ……、だろ?」


 呆然と立ち尽くしていたが、母の話声が下の階から聞こえてくる。


 慌てて廊下に出ると、彼女は母の背後から階段を上ってくる。


 違和感があった。


 母が困惑しているのは当然だが、それ以上に、美紀の雰囲気に異変があった。いつもは綺麗に整えられている髪が、まるで暴漢にでもあったかのように乱れていた。


 否、直観で、暴漢に襲われたと感じた。


 彼女の体は小刻みに震えていて、衣服も萎れている。

 

 勇次の部屋の前までくると、

「すいません。急にお邪魔して……ちょっと、学校の、用事で……」


 母は「はぁ……では、お茶、でも」など言っていたが、美紀は大きく首を振り、

「けっこうです!」

 と、強めに言った。

 

 尋常ではない。

 美紀が「いい、ですか。勇次君」といい、部屋に入ろうとするので、「うん」としか答えられず、美紀を部屋に通した。


 美紀は部屋に入ると鍵を閉め、カーペットの上に座り、頭を抱えた。


 事態が分からず勇次は美紀の前で膝をつき、一先ず彼女が落ち着くのを待った。


 美紀の顔は乱れた髪で見えなかったが、ぐすんだ鼻声と挙動から、泣いているのだと分かった。


 暫く彼女を眺める中で、勇次はある事に気づいてしまった。


 美紀が、やけにコメカミを抑えるのだ。

 その綺麗な指と、髪の隙間から、青い痣が見えた。


 次第にそれははっきりと見え始め、この乱れた横髪の大部分に、大きな青痣があるのだと確信できた。


 どう、すべきか?


 これは、強姦された可能がある。

 美紀ほどの絶世美女なのだ。

 通常の人間より、そうした被害に合う確率は高い。不思議な事態とは言い難い。

 しかしながら、そのような被害に合った人間と、直接向き合った事も無い。


 何をどう話されても「警察に行こう」としか、言えないだろう。


 何十分、体感では数時間もの間、美紀は震えていた。


 このままではまずい、と立ち上がろうとした時、美紀が勇次の手を握り、引き留めた。


 ゆっくり勇次を座らせると、その胸に顔を埋めた。


 体が震え、声も聞き取れない。


 だが、確かに、美紀は言った。

 その言葉に、体の全てが怒りに震え、発作的に殺意が芽生えた。


「いつもの、事、なの」


 つい、数時間前の記憶の断片が、脳内を侵食した。同じ言葉を、あいつも、言っていた。


 勇次は美紀を抱きしめた。


 力強く抱きしめ、青痣の広がる額に語り掛けた。


「俺が、なんとかする。君を、助けるから」


 「うん」と聞こえた気がしたが、あまりに小さな声だった。


 美紀の額は勇次の顔を滑り、おもむろに上向くと、唇が深く重なった。


 深く、何度も、重なった。


 今は、彼女の不安を取り除くしかない。期待に応えるしかない。


 今できる自分の役目は、それしかないと、勇次は強く思った。




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