てるてる忌

山南こはる

第1話

「何、見てんだよ?」


 彼女はそう言ってガンを飛ばし、右手に木の枝を持ってたたずんでいた。かたわらには焚き火。その中でアルバムや手紙のような紙類といっしょに、てるてる坊主が燃えていた。


「べ、べつに」


 思わず目を逸らした。彼女にかぎらず、誰かに敵意を向けられた時の、僕の悪いクセだ。


 だが相手が彼女だったから、なおさらだ。彼女は持っていた枝を炎の中に投げ込んだ。ボウッと音を立てて燃え上がる、オレンジ色の火。アルバムや手紙の山の上で、たくさんのてるてる坊主たちが、炎に焼かれて泣いていた。


「……てるてる坊主?」

「……見るなよ」


 彼女、照井彩夏てるいあやかは僕の目をまっすぐに見つめる。


 彩夏はギャルだ。金髪で、派手なメイクの、ちょっと日焼けしたギャルだ。メイクは心なしか控えめになっているが、それでも三年前ととくに変わってはいない。


「……断捨離?」

「そう、だよ」


 三年前。彼女がまだこの家で、父親とふたりで住んでいたころ。彼女の父親は、三年前の父の日に亡くなった。


「もう、三年になるのか」

「……ん」


 あれから三年。


 彩夏は東京の母親のもとに越して行き、この家は空き家になって、僕たちは高校三年生になった。あの年も、そして今年も、梅雨はダラダラと長引いている。


 彩夏はブスッとしながら、


「……元気?」

「まあな」

「……そっか」


 そう言って、髪をかき上げた。ウェーブのかかった金髪。生え際はほんの少し黒くなっていて、左手につけられた腕時計だとかブレスレットだとか、たぶん合わせて一キロくらいあるんじゃないかと思う金属のかたまりが、ジャラジャラと音を立てた。


「東京はどう?」

「……まあまあ、かな」


 僕は彼女の連絡先を知っているし、彼女も僕の連絡先を知っているはずだ。それでも彼女は今日のことを連絡してこなかった。


 父親の三回忌。


 こんな田舎町の高校でも、とうぜん期末テストはあって、それはきっと東京でも同じだろう。それでも彼女は帰ってきた。父親の三回忌のために。彩夏の父親は父の日に死んだ。三年前の父の日の、大雨の日に死んだのだ。


 焚き火の中で、てるてる坊主が原型をなくしていく。霧雨だった雨は少しずつ粒を大きくしていて、僕のワイシャツの肩だとか、彩夏の黒いローファーだとかを濡らしている。


 彩夏は火かき棒を取り、炎を突く。てるてる坊主が、その下にある写真の山が、メラメラと悲鳴を上げている。


「上がったら?」

「……いいの?」


 僕はただの元クラスメイトで、たまたま家がすごく近所なだけの、それだけの仲だ。


「いいよ、なんもないけど」


 三年も空き家だった家に、何かを期待するのが間違いだというものだ。


 まだ炎は燃えていて、雨は静かに勢いを強くしていて、なのに彩夏はスタスタと縁側の方へと歩いていく。


「……」


 彩夏はちょっとだけ振り返り、

「……早くしたら?」

「……うん」


 彩夏が着ている灰色のパーカーは、すでにそこそこ濡れていた。

 三年も会わない間に、ずいぶん小さくなったなと、そう思った。



 ♢ ♢ ♢



 彩夏の言うとおり、照井家にはほんとうに何もなかった。霧雨が小雨になり、少しずつ勢いを増す中、僕はいちばん近くの自販機までひとっ走りして、缶のお茶をふたつ買ってきた。


「悪い」


 彩夏はボソリとそうつぶやいて、縁側にふたつ、座布団を持ってきた。


 三年近く空き家だった照井家。軽く掃除した後なのだろう。床はきれいだったし、積もっている埃も拭かれていたけれど、淀んだカビ臭さのようなものは、しっかりと空気に染み付いている。玄関の片隅に、彼女のカバンがポツンと置いてあった。


 僕は彩夏にお茶の缶を渡し、自分のプルトップを開けた。


「いつ帰るんだ?」

「今日」

「切符は?」

「まだ買ってない」


 彩夏も僕のとなりに腰を下ろした。プルトップに引っかかる爪は長くて、いわゆるラインストーンとでも言うのだろうか。小粒の石がたくさんついている。


「東京の学校、どう?」

「べつに。楽しくもなんともないよ」


 彩夏はいつもこうだった。それでこそ僕の知る、照井彩夏だ。学校というところで、彼女が楽しそうにしていたことは、ただの一度もない。


 缶の中に閉じ込められていた茶は、五月のはじめの味がした。


「あれさ、何焼いてたの?」


 アルバム、手紙。無数の紙の山。その上に鎮座して、生きたまま焼かれていたてるてる坊主。


 彼女は言いたくないとばかりに、顔をぷいと背けた。一キロくらいあるブレスレット。ネイルの施された長い爪。痩せた手の中で、お茶の缶が冷たさを失っていく。


 ややあって、彼女は、


「……思い出」

「思い出? お父さんの?」

「……うん」


 そう言って、小さくうなずいた。


 近所に住む僕にとって、彩夏のお父さんは物静かで真面目そうで、実際に物静かで真面目な人だった。

 市役所の職員だった、彩夏のお父さん。三年前の父の日に、この町が豪雨で襲われたその日に、土砂崩れに巻き込まれて死んだ、彩夏のお父さん。


 雨がますます強くなっていく。彩夏の肩が震え、枯れはじめたアジサイに雨粒が落ち、くすぶっていた焚き火が白く煙を上げている。その中でほとんど燃え尽きたてるてる坊主の口元が、悲しそうに笑っている。


「昔さ」


 彩夏は座布団の上で体育座りをし、肩を丸めている。視線の先にあるのは焚き火でも焼かれたてるてる坊主の死骸でもなく、たぶん遠くの、過去なのだろう。


「父の日にさ、動物園行こうって、約束してたんだ」


 そのことは僕も覚えている。たぶん、幼稚園の年中とか、それくらいの時だ。


「動物園……」


 僕の記憶がたしかならば、その日は晴れこそしたものの、父親の仕事が忙しくて、お流れになってしまったはずだった。


 自分の長い指に、金色の髪をくるくる巻きつけながら、彩夏は、


「結局、行けなかったんだ。約束破られて、私はギャン泣きして、それでその年の父の日はおしまい」


 彩夏の指先から、金色の髪束がこぼれていく。


「次の六月はさ、幼稚園でてるてる坊主、作ったんだ」

「ああ、そうだったな」


 ひとり一個しか作らなかったのに、彩夏だけが、ひとりで五個も六個も、てるてる坊主を作った。クラスのみんなが驚いた。まだ髪が黒くて、爪も長くなかった彩夏だけが、得意げにせっせと、てるてる坊主を作っていた。


「それを家に帰って、ここにぶら下げたんだ」


 右手の長い爪が、軒先を指差した。


「てるてる坊主にお祈りすれば、今度の父の日は、お父さんと一緒に出かけられるって、そう思ってたんだ。

 その思いが通じたのかな……。その年は父の日も晴れたし、急な仕事も入ったりしなくて……。私はお父さんと一緒に、動物園に出かけたんだ」


 動物園、水族館。出かけるところはいつも決まっていて、遊園地だとかディズニーランドだとか、そんなところは一度も行ったことがなかったけれど。動物園、水族館。そこには退屈そうにした動物や魚やペンギンが、狭い世界に押し込められていた。


 それを見るのが楽しかった。てるてる坊主がお願いを聞いてくれるのがうれしかった。彩夏は口の中で小さくつぶやきながら、缶の表面に浮いた水滴を指でなぞった。


 彩夏の懺悔ざんげみたいな独白は、続く。


「小学校の低学年くらいまでは、たぶん、やってたと思う」


 てるてる坊主。まだ髪が黒くて爪も長くなくて、ギャルでもなんでもないふつうの照井彩夏は、小学校の低学年までてるてる坊主を作っていた。


 父の日は、お父さんと出かけるために。父の日は、お父さんの仕事が入らないように。


 知らなかった。近所に住んでいて、クラスメイトで幼なじみで、比較的親しかったはずのこの僕でさえ、彼女が小学校の低学年までてるてる坊主を作って、そんなお願いごとをしていたなんて、ただのひとつも知らなかった。


「そのうち、親が別れて、お母さんが東京に行っちゃって……」


 そしてこの家には、父娘ふたりが残された。


 母は彩夏を捨て、父はますます仕事が忙しくなり、娘はてるてる坊主を作らなくなった。髪を金色に染め、爪にマニキュアを施して。派手なメイクのちょっと日焼けしたギャルになった彩夏は、もう父の日にお出かけもしなくなったし、てるてる坊主に祈りを捧げることもなくなった。


「あの日さ」


 あの日。

 三年前の父の日。豪雨の日。彩夏の父が土砂崩れに巻き込まれて死んでしまった、あの日。


「お父さん、朝ね、「おはよう」って言ったんだ。私は無視して、それでもお父さん、今度は「行ってきます」って言うんだ」

「それで?」

「……私は無視して、歯磨きながらテレビ見てた」


 雨は一時の強い降りを経て、少しずつ弱まりはじめていた。

 彩夏は泣いていなかった。


「……東京で三年間、ずっと考えていたんだ。どうやったらさ、あの日のこと、後悔しなくてよくなるかな、って」


 優しいお父さん。物静かで真面目で優しくて娘思いの、彩夏のただひとりのお父さん。

 彼女はてるてる坊主を燃やした。アルバムも手紙も思い出も、みんな燃やして、父の元へと送った。


 白くくすぶった熾火おきび。最後の大きな雨粒が、枯れはじめたアジサイの葉っぱの上を、すべり落ちた。


「今、気分、どう?」


 つらい思いをしていた彩夏。こんな月並みなことしか訊けない自分が、少しもどかしい。

 東京でひとり悩んで、母親は今日ここには来なくて、彼女の左腕には一キロくらいあるだろうブレスレットがジャラジャラついている。


「まあまあ、かな」


 てるてる坊主の葬式は終わった。照井彩夏というひとりのギャルの、父親との思い出を弔う行為は、これで終わったのだ。


 彩夏は缶を思いきり傾け、お茶を飲み干した。僕も同じように、缶に角度をつける。開封して時間の経った緑茶は、父の日の味がした。


「彩夏」

「何?」

「進路、決めた?」

「……一応、大学行くつもり」

「そうか」

「あんたは?」

「僕? 僕も受験するよ。東京の大学。……来年、東京タワーにでも案内してくれよ」


 東京タワー。田舎町に住む僕はそれしか思い浮かばなくて、一足先に東京という街で暮らすようになった彩夏は、そんな僕を少しバカにしたみたいに見ている。


「あんた、東京タワーとか、古くね? せめてスカイツリーにしておきなよ」



 ♢ ♢ ♢



 派手なメイク。金髪。長い爪。もうほとんど大人の彼女は、てるてる坊主を作らないし、父親のことで後ろを向いたりはしないだろう。


 それから十年後、彼女の苗字が変わり、子どもが生まれ、母親になった彼女はてるてる坊主を作っている。あいかわらず金髪だけど、メイクは少しだけ落ち着いて、爪もちょっと短くなった。


 父の日にはてるてる坊主を作って、お父さんの幸せを祈るのだと、彼女は娘に教えている。



 父親の幸せを願うてるてる坊主。父の日の空にぶら下がる、てるてる坊主。


 娘が作ったてるてる坊主は、僕の顔にそっくりだった。


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てるてる忌 山南こはる @kuonkazami

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