第2話

 『ダウナーサイドで未知の感染症が流行か?』

  そんな見出しが、新聞社会欄の片隅の記事に書かれていた。


「ったく、いつまで続くんですかねー」

 テレンスがワイルドの事務所に入るなり、不満を口にする。

「愚痴ってどうにかなるもんでもないが、確かにな。このままじゃ、いつか死人が出るぞ」

 テレンスの後に事務所に入るワイルドは、持っていた新聞紙で服についた埃をたたき落としながら賛同する。

 彼らが言うのは新聞記事に載っているダウナーサイドの流行病のことだ。

 大勢の死者が出ているようだが、まだミッドサイド以降の住人への感染はない(発表していないだけかもしれない)ため、日常生活が大きく変わることはない。と言うよりも、ほとんどの住人があまり気に留めていない。川向こうの異常事態。誰もが対岸の火事だと思っている。「ダウナーサイドは衛生面も良くないし、生活水準の低い人たちが集まっている。だから大きく広まったのだ。まさかこちらまでは広まらないだろう。仮に広まっても自分は大丈夫」と何の根拠もない気持ちでいた。また役所から大きな発表もなく、不要な外出は控えるような指示ぐらいなので、それが逆に市民を安心させた。

 ただし、全員が気に留めていないわけではない。一部の住民は逆に、過度に反応してしまって、ダウナーサイドの住民に橋を渡らせないような活動をする。集団で橋に集まって声を上げるだけならまだいい。それが行き過ぎて暴力沙汰、リンチに発展する事件も起きている。さらには、ミッドサイドにいる、移民など、人種の違う低所得者に対する差別活動も見られた。ワイルド達や街のシェリフは、騒動が起こる度に駆け回り、仲裁し、なだめなければいけない。幸いなことに、死者こそまだ出ていないが、怪我人は出ている。このままいけば、死者が出るのも時間の問題だった。

 そして二人は、ちょうどそういった騒ぎの仲裁をしてきた所だった。

「このまま騒動が大きくなれば、それに乗じて暴動を起こしたり、窃盗をする輩も出るかもしれんな」

「ダウナーサイドの治安も悪くなってるみたいです。

 役所は何やってんですね? 早いとこ、橋に見張りを置いてダウナーサイドとの行き来を制限すればいいんですよ。そうすれば一旦は、騒ぎは収まるでしょうに」

「そう、簡単な事じゃないんだろうな。街の一区画を封鎖するんだ」

 ワイルドは新聞を机に放り投げ、テンガロンハットを壁に掛けると、勢いよく椅子に腰を掛ける。椅子は軋んだ音を立てるが、ワイルドの体重を支えきる。背中を椅子に預けて天井を見る形で大きく一度、息を吐く。それから煙草を取り出し、火を付けて大きく吸い込む。そしてゆっくり紫煙を口から出した。

「役所、もっとしっかり仕事してもらいたいですよね!」

 テーブルを挟んで立つテレンスの怒りは収まらないようだった。イライラする彼を見ながら、ワイルドは小さく笑う。

「テレンス。お前が怒ったって役所が働いてくれるわけでもないんだ。そんなことに、腹を立てるのはもったいないぞ」

「もったいない?」

「無駄に体力と時間を費やすってこと、疲れるだけだ」

 落ち着いたワイルドの様子をしばらく見て、テレンスはため息を漏らす。

「なんでそんな落ち着いてられるんですか? 街がピンチなんですよ?」

「だからこそだ。親父がよく言ってたよ。『ピンチになった時こそ冷静になれ』ってな。こんな時こそ、自分たちの力で変えられる物と、変えられない物を見極める力が必要だ」

 そう言って短くなった煙草の火をテーブルの縁で消した。

「そう言えば、ルーヴィックはどこ行った?」

「あぁー! あいつ、ホントに、ホントに何考えてるんだか?」

 テレンスが今日一番の声を上げた。

「あいつ、マジで何とかした方がいいですよ。ワイルドさん。何を言っても無駄ですって」

 一言一言に力が込められていた。話ながらボルテージ上がってくるテレンスをなだめるワイルド。

「落ち着けって、事務所に来ないだけだろ?」

「あいつはワイルドさんの顔に泥を塗ってるんですよ。昼から酒を飲み、喧嘩やギャンブルをして、女に入れあげる。えぇ、もちろん、その分しっかり働いているのなら文句は言いません。でも、働くどころか事務所にすら来てないじゃないですか! お店に行っても、金を払わないこともしょっちゅうです。あんな奴は、叩き出すべきですよ」

 本気で怒り、止めどなくルーヴィックの悪事を並べるテレンスに、ワイルドは笑ってその様子を見ていた。

「何が面白いんですか?」

「いや、あいつのことよく見てるな、と思って」

 テレンスの言葉が詰まった。

「ワイルドさんは、あいつに甘すぎますよ」

「そうか? お前もあんまり悪いところばかり見てやるな。人間、どうしてもそういう所ばかりに目がいってしまうもんだ」

「あんな奴に良い所なんてありますかね?」

「あるさ。でなきゃ、保安官補佐にはしてない」

 自信を持って答えるワイルドに、テレンスはまだ納得いってないようだった。

「テレンス、お前は人から認められたいか?」

 急に口調を和らげ、諭すように話し始める。頷くテレンスを見て続ける。

「人から認めてほしければ、まずはお前が相手を認めるところから始めろ。それは誰に対してもだ」

「認めてますよ。優秀な人に対してはですけど」

「能力の有無は状況やタイミングによって変わる。まずはそいつ自体を認めることだ」

 頭に「?」が浮かんでいる。

「口で説明すんのはムズいんだ。まぁ、要するに、ルーヴィックを認めてやれ」

「ワイルドさん。仮に俺があいつを認めても、あいつは俺を認めませんよ」

「かもな、でも自分を認めない奴のことは、自分だって認めようとはしないだろ? まぁ、やってみろって、そうしたら今まで見えなかったことが見えてくる・・・・・・かもしれん」

 最後は曖昧にはぐらかした。そこまで聞いても、テレンスはやはり納得できない。しかし、他ならぬワイルドの言葉だ、反論はしなかった。それに、来訪者があったため、それ以上会話もできなかった。


 事務所の扉が勢いよく開く。

 最初はルーヴィックが入ってきたと思い、テレンスは文句の一つでも言ってやろうと視線を扉へ移したが、そこには老人が立っていた。

 頭はハゲ上がり、病的にやつれている。目付きも陰険で、目の下のクマが異常に濃い。アヘンをやっている事は一目で分かった。

 老人は近づくテレンスを口汚く罵ってどかすと、肩で息をしながら抱える大きな荷物をワイルドの前のテーブルに置いた。

「魔女の仕業だ!」

 これがワイルドに対して放った老人の第一声だった。ワイルドは優しげな目で老人を見る。

「パベル牧師。いきなりなんだい?」

「ルスカー(ワイルドのこと)、これは魔女の仕業だ。親父さんのように立ち上がる時が来た!」

 あまりの興奮して話すので、口の端に白い泡ができている。

「これは、って、なんのことだい?」

「流行病だ! 昔、戦った魔女も同じように病を操っていた。いいから、早く魔女を探し出して殺せ! でないと大変なことになるぞ」

 もう声は絶叫に近い。テーブルに置いた大きな荷物をバンバン叩き、目を血走らせながら怒鳴る姿は明らかに正気ではなかった。落ち着かせようとするテレンスに、邪魔だと殴りかかろうとするので一旦距離を取った。ワイルドからも「任せろ」と手で指示を出されていた。

「分かったよ。捜査はしてみるが、魔女なんてどうやって探す?」

「怪しい奴は全員捕まえて、火にかければいい。街が滅びるよりはマシだ」

「本気じゃないだろ?」

 パベルの狂人の発想に、ワイルドの視線が鋭くなる。パベルもその圧力に、さすがに言葉に詰まりしばらくの沈黙が生まれた。その隙を見逃さず、ワイルドはパベルを椅子に座らせ、落ち着かせた。

「パベル牧師。あなたほどのお人が、そんなことを言うとはね」

「あぁ、そうだな。私は今、なんてことを言っていたんだろう。アヘンのせいだ。どうしても・・・・・・自分が自分でなくなってしまうようだ」

 今度は力なくうなだれ、しくしくと泣き始めるパベル。ワイルドはテーブルを回り込み、肩に優しく手を置く。

「耳を塞いでも聞こえてくる・・・・・・口笛が聞こえる。アヘンを断つと、昔追い払ったあの魔女の口笛が聞こえてくるんだ」

「幻聴だよ。それはもう二十年も前のことだ。ここには魔女なんていない」

 言い諭すように話しかけるワイルドの言葉に、パベルはコクコク頷く。

「あの時、私もワイルドも魔女の目を見てしまった。これは呪いかもしれない・・・・・・」

 そこからパベルが落ち着くまでしばらくかかった。

 そして「少し一人で考えて、魔女を探す方法を探したらまた来る」と言い残して事務所を出て行った。

 通りを歩くパベルを窓から見る。とても小さい背中だった。

「誰なんですか?」

 たまらずテレンスは同じく窓からパベルを見ながらワイルドに尋ねる。

「親父が死んでから、俺の面倒を見てくれた牧師様だ。あんな姿を見たお前には想像もできないだろうが、昔は敬虔な信徒だった・・・・・・本当に立派な人だったんだ」

 少し悲しそうな目をして答えるワイルドに、テレンスは「はぁ、あの人が」と曖昧に返すしかなかった。

「それで、魔女って言うのは?」

「昔、親父が保安官をしていた時、パベル牧師とこいつで魔女を追い払ったんだと」

 そう言いながらテーブルの上の荷物を包む布を剥がすと、そこには古びたボーガンと銀製の矢が三本あった。 

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