第2章:感染者

第1話

 クラークがニュージョージに来てから数日が経ったその日、エド(エドワード)と馬車に揺られていた。二人の顔は真剣で、昼食のために出てきたわけではない事は分かる。

「あれだけ一度に、発症するのは異常だろう」

 クラークはあごに手を当てながら、目前のエドに話しかけた。

 エドの診療所に尋ねてくる患者の数が急激に増えていた。しかも、そのほとんどが「手の震えが止まらない。なんだか熱もある」と症状も同じ。単なる熱風邪と思えるが、数が多すぎる。

「感染症だろうかね? ロンドンではコレラが流行したと聞くよ」

「いや、コレラとは症状が違う。他の感染症の症状とも当てはまらない」

 エドもあごに手を当て考える。

 二人は診療所をネイティブアメリカンの少女・マハに任せ、今の状況を医師会に報告するため大学病院へと向かっていた。

「取り敢えずは、渡した薬で熱が引いてくれればいいんだが。もしものことも考えて、対処しなくてはいけない」

「なぁ、もしこの現象がただの病でないとしたら・・・・・・」

 不意にクラークが声を落とす。

「数日前の鳥の群れを覚えているかい? あれが気になっているんだ。もしあれが魔女の前兆だったとしたら・・・今回の病は」

「止めてくれ、クラーク」

 エドは遮るようにピシャリと言いつける。聞きたいないという意思が伝わってくる。

「なんでも魔女の仕業にするのは君の悪いクセだよ。魔女なんて、そうそう現れない。君だって、実際に見たことはないだろう?」

 クラークの家系は祖父の代から三代続けて大学教授であり、エクソシストとして魔女と対峙していた。だが、この二十年は噂程度で、実体の確認には至っていない。最後の報告は二十年前で、クラークの父親が魔女と戦い、命を落としている。そのため当時、何が起きたのかはよく分かっていない。さらに言えば、エドの家系もクラーク家と共に魔女と戦う家だった。

「今は細菌やウイルスが発見されている。病はもはや未知の現象や呪いではなく、科学なんだよ」

「あぁ、そうだな。君の言うとおりだ。不吉な事が起きると魔女につなげてしまうのは、私の家系の習慣なのかもしれないね。今回だって何の判断材料もない、これは仮説でもないな」

 エドに指摘され、自嘲しながら言うクラーク。「ただ」とつなげる。

「科学で細菌やウイルスが証明されたとしても、魔女が病を撒き散らすことの否定にはならない」

 それから大学病院まで、お互いに口を開くことはなかった。



 大学病院に着くと、ダウナーサイドで流行り始めている熱風邪についてはすでに話が上がっていた。エドは、何人かで議論をしながら歩く白髪を後ろに撫でつけた老紳士を見つけて駆け寄る。

「ゴードン先生、少しご相談したいことが」

 白髪の老紳士は大学病院の院長・ゴードン。そんな彼と先ほどまで話していたのは大学の医師達だった。医師達のエドを見る目は冷ややかだったが、ゴードンは笑顔で返す。

「スコット(エドのこと)君。君がここに来るのは珍しいね。例の熱風邪のことかい?」

 エドのようなダウナーサイドに近くに住む町医者が、すでに報告に来ていたらしい。

「どう思いますか?」

「今の段階では、まだなんとも言えないな。確認されている感染症とも症状が違うようだ。君は患者をじかに診ているんだろう? 詳しく聞かせてくれるかい」

 エドは患者の様子、症状を詳細に話す。ゴードンは2、3度質問をしただけで、後は最後まで聞いていた。

「もしかしたら、新しい感染症になるかもしれません」

「そう判断するのは、早すぎるのではないかな」

 そう割って入るのは周りのいた医師の一人だった。

「もう少し様子を見た方がいいですよ。幸いにも、まだ症状を訴えているのはダウナーサイドの住民だけなのでしょう?」

 医師にとっては「幸い」という言葉を無意識に使ったのだろうが、エドには酷く引っかかった。

「ただの熱風邪で、少ししたら治るかもしれない」

「で、ですが、もしただの熱風邪ではなく、感染が広まったら・・・・・・」

「そうならないようにするには、まずはあなたが、ダウナーサイドの人の診療を止めればいいのではないですか? 川を渡る人間を少なくすれば、感染が漏れる心配がその分なくなりますし」

「あ、いや、それは・・・・・・」

 エドは口ごもってしまった。大学に勤める医者と町医者では、同じ医者でも権威が違うのだ。明らかに目前の医者は、エドを下に見ていた。

「感染症が怖いのなら、ダウナーサイドを封鎖でもしますか?」

「それはいいアイデアですね!」

 小馬鹿にしたような医師の発言に、耐えきれなくなったクラークが口を開いた。

「素晴らしい案だ。ぜひ、そうしてください。ダウナーサイドを封鎖しましょう」

 急に現れた男性の、急な提案に一同唖然とする。隣のエドも驚き絶句する。

「あぁ、失礼。話に割って入ってしまった。そちらの方(先ほどの医師)も、同じようにされていたので、それがこちらのマナーなのかと思ってしまいました」

 冷ややかに医師を見ながら皮肉を言うと、クラークは視線をゴードンに戻して名乗る。そして先ほどの封鎖の提案について話した。

感染が広まってからでは手遅れになる。しかし、今ならダウナーサイドに押さえ込める、と。そしてそのためには、病に感染した者を隔離できる病棟の確保。治療、世話をする「救護隊」の設立。そして何よりも物資の提供が必要だと

それは突拍子もない提案だった事だろう。隣で聞いていたエドは目玉が飛び出るほど驚いているし、周りの医師は呆れたような視線を向けてくる。しかしゴードンは少し驚いた顔をしながらも、ゆっくりと頷いて静かに返す。

「あなたの提案は一理あるのかもしれませんが、とてもすぐにはできないでしょう。第一、まだ今回の件が感染症かどうか分かっていないのに、無闇に事を荒げれば街中がパニックになりますから」 

 反論しようと口を開きかけるクラークにゴードンは片手を挙げて制して続ける。

「それに、市長の許可が下りないでしょう」

 そういうことだ。この段階では、そこまで思い切った行動に移せないのだ。

「ですが、これからの状況次第ではあなたの提案が採用されることもあるかもしれません。市長には伝えておき、準備をしておきましょう」

 そこまで言うとゴードンは、クラークと握手を交わして去っていった。取り巻きの医師もそれぞれの感情のこもった視線を向けてから、ゴードンの後を追った。

「どういうつもりだい? 急にあんなことを言って」

 ゴードンを見送りながら、非難するようにクラークへ尋ねる。

「すまないね。つい、彼らの対応に腹を立ててしまった」

笑って答えるクラークに、エドはため息をつく。

「君は昔から変わらないね。そういう所を羨ましく思うよ」

「呑気なことを言ってる暇があるなら、さっさと最悪なケースに備えた方がいいからね」

「しかし、あんな突拍子もないことを・・・・・・あれでは」

「バカに思われるかい?」

 クラークはエドの言葉を先回りして答える。口ごもる相手を見てさらに笑いながら続けた。

「バカだと思われるぐらいで大勢の命を守れるかもしれないのなら、そんなに容易いことはない」

 不敵に笑うクラークの姿に、エドはモヤモヤしたものを感じる。決して自分ではまねのできないことだ。ダウナーサイドの住人を無償で診察していることだって、周囲の医師から変な目で見られているのを気にしながらやっているのだ。そんな自分が小さく思え、たまらなく嫌だった。

 昔からクラークは、他者にどう思われるかよりも、自分が正しいと思った事をする。それは魔女といった不明確な存在と戦ううえで培ったクラーク家の特徴なのかもしれない。

 そんな昔と変わらない友人の姿に、エドは少し嫌な思いをしながらも、誇らしくも思っていた。


 クラークの話す最悪の事態は、思いのほか早く証明された。

 ゴードンと話した晩に、高熱を出して三人が死んだ。

そして、それが合図だったかのように、高熱で倒れる者が続出。三日目には死者数が二百人を超えていた・・・・・・。

 そのほとんどがダウナーサイドの住人だったが、まさに感染爆発(パンデミック)だった。

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