第2話

 ジェームズ・クラークは大きな鞄を抱えるようにしてニュージョージの街を歩いていた。真っ白な襟付シャツにはしっかりとアイロンが掛けられており、首には蝶ネクタイ、ベストや上着には毛玉一つ付いていない。そんな紳士然とした彼が服が汚れるのを気にせず、大きな鞄を抱えるのは、単純に取っ手が壊れてしまったためだ。

 肩で息をしながら目的地に着いた彼は、建物へと入る。そこは診療所だった。一軒家を改築しただけの簡単な造りだが、大勢の人が集まっていた。そこにはさまざまな人がいた、人種、階級(さすがに上流階級の人はいないだろう)に問わず、怪我をした人や体調の悪そうな人が集まる。

 クラークはそんな人々に会釈しながら前へと進み、受付らしき女性の前に立つ。  その女性(少女かもしれない)は肌の色や顔の作りからネイティブアメリカンと分かり、クラークは少し驚く。

「今日はどうされました?」

 その女性からは綺麗な英語が発せられ、さらに驚く。

「鞄の修理なら、前の通りの突き当たりです」

 全く表情を変えずに女性は抑揚のない声で、クラークの鞄を一瞥して言う。そこでようやく自分の無礼に気付いた。

「これは、失礼。お嬢さん。珍しい受付さんだったので、つい」

「ご要件は?」

 相変わらず冷たい感じで言い放つ。

「エドワード・スコット先生はいらっしゃるかな。古い友人でね。今日、来ることは伝えてあったんだが・・・・・・」

「先生は診察中です。ご用があれば、午前の診察が終わるまでお待ちください」

 とりつく島もない無愛想な返答に、数瞬呆然としたクラークだが、我に返り笑顔を作ると「では、それまで待たせてもらおうかな」と、気持ちを切り替えて待合室の椅子に腰を掛けた。

 周囲の人に比べて上品な服装に奇妙な視線を感じながらも、クラークは鞄から本を取り出して読み始めた。人々が視界の端で行き交うのが分かる。

 しばらくすると、彼のそばに立つ小さな足が見えた。

 視線を本から外すと、そこには幼い少年が立っている。身なりは控えめに言っても綺麗とは言えない。汚い帽子を被っている。恐らく貧しい家の生まれなことは想像がついた。

「どうしたんだい? 坊や」

 優しく話しかけるクラークには答えず、少年は珍しそうに本をのぞき込んでいた。

「お父さんか、お母さんは?」

「妹のそばにいる」

 短く答えて、指を指した。妹が熱を出したので、一緒に来たのだと少年は話す。そう言ってる間も視線は本に釘付けだった。

「字が読めるのかい?」

 その問いには首を横に振る。

「読んでみたいかい?」

 クラークは少し座っている位置をずらして、少年を座らせると、本を見せながら読み聞かせる。コクコクと真面目に頷く少年だったが、母親らしき女性が赤ん坊を抱いて奥から現れると弾かれるように立ち上がり、振り向くこともなく駆けていった。

 それからはまた一人、本を読む。最後の患者が出て行った所で、奥から痩せた男が現れる。ヨレヨレのシャツに、焦げ茶色のベスト、少し広い額に、丸い眼鏡を掛けた男性。クラークと同じくらいの年齢だが、彼に比べて老けて見える。

「ジェームズ、来るなら来るって教えてくれれば良かったのに」

 クラークの顔を見ると明るい笑顔で出迎えた。

「エド、手紙を送ってたんだけどな」

 そうだったか? と首を傾げるエドワードに呆れながらも近づき抱擁した。



 エドワードに案内され、診療所の二階へ上がると、そこは居住スペースになっていた。ここで住んでいるという。

 クラークは抱えていた鞄を床に置いてから、上着の汚れを払い、椅子に座る。目前のテーブルには乱雑に紙や本が積まれ、恐らくエドワードが食事をしているであろう所だけスペースが空いている。

 部屋は掃除もそこそこで、散らかっている印象を受けるが、汚いとは思わない。ただ所々に壊れたままの家具やヒビの入ったままの窓を見る限り、暮らしぶりは裕福ではないようだ。

「生活は結構、厳しいのか?」

「貧乏暇無し、と言うやつさ」

 エドワードはキッチンから紅茶のセットを持って現れると、机の上の紙や本を適当な場所へと移動させて、お茶を入れ始める。紅茶の落ち着く香りが部屋に充満した。

「貧しくても、これだけは止められない。厳しい父親だったが、お茶の良さを教えて貰えたことには感謝だね」

 エドワードは手慣れた手つきで用意をしながら、小さく笑いながら言った。それにはクラークも「確かに」と賛同する。わざわざ遠くから来た疲れも、この香りを嗅いだら吹き飛んでしまいそうだ。

「あれだけ、患者が来てたのに・・・・・・お金を取らないのかい?」

「見ただろ? 貧しい人々がほとんどさ。貰えるときに、貰ってる。無理には取れない。大きな病院には行けない人、追い出された人が来るのさ・・・・・・ところで、あの鞄はどうした?」

 エドワードは床に置かれた鞄に視線を向ける。頑丈そうな作りだが、取っ手が完全に壊れてしまっている。

「あぁ、あれかい。いや、酷い目に遭ったよ」

 クラークも視線を鞄に移して話し始めた。

 この街に到着し、街並みを見ようと少し歩くことにした。天気も良く、この診療所までそれほど距離もなかったこともそう判断した理由だった。だがそれが判断ミスだ。しばらく大通りを歩いていると、勢いよく走ってきた青年とぶつかった。鞄は青年の足に当たり、鞄の取っ手が壊れたのだ。確かに周囲の風景や人に気を取られていたクラークにも非はある。しかし、その青年は忌々しげにクラークを一瞥すると。

「どこ見てんだ! テメーみたいなボンクラが来るところじゃねぇ。と、怒鳴って走り去っていったよ。驚いたね」

 思い出しながら首を振る。

「それは災難だな。どんな子だった?」

 クラークはその時のことを思い出しながら、ブラウンの髪にテンガロンハット、ジーンズに腰には銃を下げていたと話すと、エドワードはだいたい検討はついたようで「あぁー」と答えた。

「まぁ、犬に噛まれたようなものさ。そう言えば、君、待合室で少年を隣に座らせたらしいね」

 クラークは首肯する。

「ポケット、何も入れてなかったかい?」

 言われて初めてポケットの財布がないのに気付いた。慌てるクラークに、エドワードは声を上げて笑う。

「どうやら、ニュージョージから熱烈な歓迎を受けたみたいだね」

「まったく、気付かなかった。災難は続くね」

「ここは大学ではないんだよ。財布にはどれくらい入っていたんだ?」

「いやー、中身は大したことないんだが、守護のペンダントを入れてたんだ」

「君はお金持ちそうだからね。つい、手が出てしまったんだろう。今度来たときに、返すよう言っておくよ」

「あぁ、お金はともかく、ペンダントだけでも返してもらえるように頼む」

 完全に凹んだクラークに笑いを堪えながらエドワードは頷く。

「君は相変わらず、研究以外はダメだな」

 それから二人は思い出話に花を咲かせた。いつまでも話せていられそうだったが、エドワードに用事があるため、二杯目を飲み終えたところで帰ることにした。帰ると言っても、取ってあるホテルへだ。

 診療所を出た時、時間の割には暗いことに気付く。見れば、道行く人たちが空を見上げていた。二人もつられて見上げると、空を覆うほどの鳥たちが飛んでいた。

「この街ではよく見る光景かい?」

 唖然とするクラークの問いに、エドワードは答えなかったが、彼の顔を見ればそれが日常ではない光景であることは予想がついた。

 たくさんの鳥が、同じ方向に飛んでいた。そちらに何かがあるのか、もしくは逃げているのか。どちらにしても、背筋が寒くなるような感覚をクラークは覚えた。

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