第1章:予兆

第1話

 十九世紀の終わりが見えてきたアメリカ。南北での対立に終止符を打ち、ようやく一つの大国として人々の意識に根付き始めた頃。その都市では、産業革命によって大いに発展していた。さまざまな理由を抱えて集まる人々の期待や夢の大きさは、共に立ち並ぶビルに表されるようだ。


『ニュージョージ』


 東海岸に面した都市で、大きな河川で周囲を囲まれ、橋がなければ行き来は難しい。ただ、巨大な港を持っていたことから海外と国内をつなぐ重要な拠点として鉄道が敷かれ、大きく発達する。海外からは物資だけでなく人も多く渡ってきた。大量の移民、そして南北戦争後の奴隷制度の崩壊を受けた自由黒人で人口は急激に増えた。人が増えれば、さまざまな仕事が現れ、産業として花開く。これからさらなる発展を期待させる街だ。

 

 ニュージョージは格子状に道が分けられており、細かく区分すればキリが無いが、大きく分けると上流階級が住むアッパーサイド、貧困層が暮らすダウナーサイド、工業地域や中流階層が暮らすミッドサイドの3つに分けられる。アッパーサイドとミッドサイドの間には特に隔たりはなく、自由に行き来ができる。豪華なビルや屋敷が建ち並び、庶民は歩きづらいという精神的な壁を除けばだが。

 ミッドサイドとダウナーサイドも行き来こそ自由だが、間には川が流れており、橋でつながっている。と言っても、ニュージョージの周辺を囲む川ほどの大きさはない。少し泳げる者なら難なく渡れるほどの幅だ。


 その日は、ミッドサイドとダウナーサイドを分ける川にかかった橋の一つに、大勢の人が集まっていた。その全員が、橋の縁から川を見下ろしている。

 理由は、橋架下に広がる光景にあった。

 緩やかに流れる川面に、大量の魚が腹を見せ浮かんでいた。そのほとんどが死んでおり、かろうじて生きている魚も長く持たないことは分かる。そんな異様な光景が、何の前触れもなく起きたのだ。魚たちが何か合図でも出されたかのように浮かび上がり、腹を見せ、そして死んでいた。河口近くに住む鳥たちは、その魚の死骸をついばみ持って行くが、それでは追いつかないほどの数だった。

 ある者は心配そうに、ある者は好奇心で、ある者は気味悪がって様子を見る。

「保安官! これはどういうことだい?」

 橋の縁に立つ野次馬の一人が、同じようにその様子を見る隣の男に話しかけた。

 テンガロンハットに襟付のシャツのボタンを鬱陶しそうに二つ外し、革のベストを上から着る。シャツの長袖を巻き上げた先からは、鍛えられた腕が見えた。ジーンズをはき、腰のホルスターには銃を下げる。あごには髭がはいているが不潔な感じは一切させない。鋭い目つきに筋の通った鼻と調和し、彼の持つ雰囲気の渋みを強めていた。

「保安官(シェリフ)じゃなくて、連邦保安官(マーシャル)だっつぅの」

 胸に付けられたバッジは、この街のシェリフの物ではなく、マーシャルのバッジだ。男の名はルスカー・ワイルド。

 ワイルドは無愛想気味に答えたが、そんな返答には気にも留めずに質問した男は、笑いながら詫びを入れる。その様子に軽くため息をついた。周囲を見れば、他の者たちも彼ら(と言うよりもワイルド)の会話が気になるのだ。

「そうだな。今のところはどうにも答えられんが、取り敢えず人を集めて魚を回収。穴に埋めるか、焼却しよう。

 あと、みなさん、これは念のためですが、しばらくは水を使う際に一度、煮沸してから使ってください。安全のためです」

 低いが良く通る声だった。聞いていた者たちが、うんうんと素直に頷く所を見る限り、この街でのワイルドへの評価が分かる。

 彼は慣れた感じで人手を募り、川に浮かんだ魚の回収するように指示を出す。そうこうしていると男が二人現れた。

「ワイルド、連れてきました」

 二人のうち一人はワイルドと似たような恰好をした黒人だった。彼はワイルドの保安官補佐をするテレンスだ。だから彼も銃を下げるし、胸にはバッジを付ける。その姿にその場にいた何人かは眉をひそめる。ニュージョージは大きな都市へと変わりつつあり、さまざまな人種が入り交じるが、差別がなくなったわけではない。移民や黒人、インディアン(ネイティブアメリカン)への差別は根強く、未だにあからさまな態度を取る者もいる。ただそんな彼らも、ワイルドが鋭い視線を向けると、テレンスに向けていた敵意をすぐさま引っ込めた。テレンス自身、慣れているのか気にしている様子もなかった。

「やっと来たか、パトリック。おせーぞ」

 ワイルドが口を尖らせて言ったのはテレンスに連れられてきた初老の男。胸にはシェリフのバッジがある。白い髭を生やすパトリックは、この街のシェリフの中でもベテランの一人だ。

「うっせー。これでも最速記録だ。何でもかんでも呼び寄せやがって、どうせテメーで処理すんだから、俺はいいだろう?」

 口汚く言うパトリックに笑いながら適当に返答する。

「どっかの工場のバカたれが、変なモンを川に撒きやがったか?」

「かもしれん。魚は集めさせて燃やすように指示してる。念のため水もそのまま使うなとは言った」

 ワイルドの言葉に、パトリックは鼻を鳴らす。特に文句はないのだろう。その様子に満足したワイルドは、テレンスを手招きする。

「一つ頼まれてくれ。川の上流にある工場で、妙なモンを流してそうな所があったら、責任者をつれてこい。ぶん殴っても構わん」

「黒人が殴っても大丈夫ですか?」

「滅多にできないことだろ? 俺の名前を出していいから、思いっきりやってこい」

 試すように笑って尋ねるテレンスに、ワイルドは牙をむく獣のように笑って言い放つ。それには笑って承諾し、テレンスは駆けていった。

「あいつぁ、よく働くな。感心するぜ。黒人なこと以外は」

「あんただって、物わかりがいい方だと思うぜ、白人にしてはな」

 パトリックの呟きに、ワイルドが意地悪く答える。パトリックは顔をしかめて地面にツバを吐き捨て、話題を変えた。

「で? もう一人のガキが見当たらねぇが、あいつはまた働いてねぇのか?」

「あぁ、そう言えば見てねぇな。女のとこかね?」

「ワイルドさん。いつまであの悪ガキを置いておくんだい? この間もうちの商品、金払わず持ってったんだよ」

 話題に入ってきたのは、橋で最初に話しかけてきた男だった。恰幅がよく、果物などを売る店主だ。

「悪いな。その請求は俺の所に回してくれ。それと、あいつには強く言っておくよ」

 詫びを入れると、店主も了承の意味を込めて軽く手を上げる。

「あんたんとこにいるのに、何でああなるかね?」

「ワイルドよ。俺が言うのもなんだが、あのガキはもうほっとけ。街のギャングにでも入った方が、似合ってるよ」

 店主とパトリックの非難に、苦笑いで返す。

「あいつはいいんだよ。俺の目に狂いはねぇ」

 自信満々に答えるワイルドだが、言われた二人は全く納得いってはいなかった。



 ダウナーサイド密集住宅の一室。ここは一階がパブになっており、二階から上が、客を引いた女が使ったり、住んだりする部屋があった。

 男がけだるそうにベッドから起き上がると縁に腰を掛ける。ぐらぐらする頭をさすりながら、慣れた手つきでたばこの葉を紙で包んで火を付けた。大きく息を吸い込み、紫煙を天井に向かって吐き出した。若い男だ。年の頃は二十にさしかかる頃だろうか、童顔のためもっと若くも見える。手足がすらりと伸びるが、細いと言う印象はない。一糸まとわぬ上半身を見ても、良く鍛えられているのが分かる。

 まだアルコールが残っているのを感じられる体を伸ばし、窓へと目を向けた。日が高い。次第に周りの部屋や外の音も聞こえてくる。

 男はしばらくそのままでいると、大きくため息をついた。

「やっちまった。寝過ぎた」

 脇の棚の上に置いた飲みかけの酒瓶を手に取り、残りの酒を喉に流し込む。そして発言とは裏腹に、ゆっくりと起き上がって床に散らかる自分の服を着始めた。

「起きたの?」

 男の動く音に気付き、ベッドの上でモゾモゾと動いて身を起こした。若く綺麗だが、少し痩せすぎているようにも思える女だ。何も着ていない上半身を隠す素振りもなく、眠そうな目をこすりながら男へ尋ねる。

「あぁ、寝過ぎちまった。こりゃ、どやされるぜ」

「保安官補佐様にお説教できる存在なんているの?」

「あぁ、残念ながら、保安官様だ。ワイルドに殺されちまう」

 それでも急ごうとはしない男に、女は軽く笑う。

 着替え終わると男はポケットから硬貨を取り出して、そばの棚の上に置く。その瞬間、女は顔をしかめる。

「いらないって」

 短い言葉だったが、怒気が籠もっている。だが、男は気にする様子もない。

「持っとけって、無くて困っても、多くて困るもんじゃねぇだろ?」

 ヘラヘラ答える男に、女は、いつものことだと、諦め気味に頷いた。

「ルーヴィック、次はいつ来る?」

「あぁー。気が向いたらな」

 保安官補佐のルーヴィック・ブルーは、軽く手を上げるとそのまま部屋を出て行った。

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