-3- ギルヴァイス邸

「ここへ亡命をはかったと仰りたいのかね?」


 長い廊下を渡った先の小さな一室。明らかに客人を招き入れるには不相応な、本棚が所狭しと並ぶ部屋。


 その中央の机で、顎の前で手を組み合わせた男はそう返答した。


「滅相もない。私はただ、人を探していると申したまで」


 男……シェラムの領主ギルヴァイス公の大きな目を、私は細く見据える。


 年の頃なら四十前半。見た目こそ若いが、その亜麻あまいろの髪に交じり潜む白髪の本数は決して少なくは無い。卓上に並ぶ書類の山も計り知れぬ。

 何故か寝室でも無いというのに、枕が目に付くのだが。


「三年も前に消えた王女を今になって捜索しに来るとはどういう事だ。少し妙ではないのかね? 確かにあの王家には世話になった事もあった。しかし、もはや何もかもが意味を成さない。君も知らん訳では無いだろう。あの国の王族は全て滅んだ」


 眉が、大きく跳ね上がる。

 この男、本当に何を思い違えておるのか。


「シェラムも、既に王国との関わりは無い。かくまってなどいない。町の何処にもだ。……すまないが住人が特異なものでね。あまり波風を立てないで貰いたい」


 余りの物言いに、後ろに控えているはずのキッドが何か可笑しく反論でもするかと期待したが、背後には沈黙が漂うのみ。

 自身はと言えば、先程この町を“自己中心的”と割り切っていたので、無駄に言葉を返すのも億劫となっていた。


「それに、この町に紅髪の娘などおらん。さあ、分かったら出ていってくれ。私は見ての通り多忙の身でね。……ったく、イカれた病気の所為で仕事が山積みだ」


 何故か後者は、貴族には不似合いな語調での完全な独り言であった。

 更に、客目など気にせぬ様子で乱れた頭を掻きむしる。そしてインク瓶に立てておいた筆を取ると、書類の一つへと走らせた。


「……失礼致しました」


 肩を竦め、仕方無く領主に背を向ける。

 行くぞと声掛けた所で、存在を確信していたはずの男の姿が無い事に気付いた。


「キッド?」


 馬鹿な。戸を開閉する音など無かったぞ。

 疑問と共に、部屋中を緩やかに見回す。

 ……。

 一周してもう一度。

 更に半周すると、筆を動かさずにこちらを見るギルヴァイス公と目が合った。


「彼なら、そこの壁……回転扉から出て行ったよ」

「は?」


 思わず妙な声が漏れる。

 暫し立ち尽くしたまま視線だけを地へ泳がせ、考え込んだ。

 ……。


「扉が回転とはどういう状況で? 用途を図りかねます」


 答えなど、出ようはずも無い。


「鍵が掛かっても入られるように、だろう。……すまない、彼なら早々に連れ去られた」

「連れ去……あれを?」


「彼に限らず、毎度の事だ。その扉は私もどうにかしようとは思ったが、最近になって妙な術を覚えてきおってな。どうにも出来ん。……ったく、何が魔道士養成所だ。悪戯いたずらにしか使いおらんし何の役にも立たん」


 どうやら、不意に愚痴を溢すのは彼の癖らしい。よく見れば、整っているはずのその顔は全体的にけている。……目の下には酷いくま


 本当に疲れているのだなと、私は少しだけ領主に同情の念を抱いた。





 三度目。

 扉を叩き、返ってきた沈黙の数である。


 領主から居場所を聞き、この部屋へと辿り着いた。正しければ、彼の一人娘が退屈凌ぎの話し相手として、ヤツを連れ込んでいるはず。


 いい加減苛立ちを覚え、仕方無く声掛けと共にドアノブを回す。

 扉はあっさりと開いた。


「こんにちは」


 部屋へ入るなり、残念そうな表情を浮かべる少女が視界に飛び込む。椅子に腰掛けたまま、軽く一礼していた。


 少女とは言え、恐らく私と近い歳であろう。

 肩で切り揃え、後頭部で小さくわえてあるその髪色と目鼻立ちは、領主のそれとよく似ていた。


「遅かったね。パパとの話、そんなに長引いた?」

「あの男は何処に居りますか」


 長引いたのは部屋の捜索時間であったが、掛け合わずに言い放つ。

 妙に質素なこの部屋のどこにも、あの大男の姿は無い。本棚と地図が目立つばかり。


 後はベッドの前に少女が腰掛けているだけで…………否、そのベッドのふくらみ方が異様である。


うつけめ、此処を何処と心得るか。引っ捕らえられても文句は言えぬぞ」


 疲れ切った溜息を吐きつつそれに歩み寄り、無造作に掛布を掴む。が、不可解にも少女の腕がそれをはばんだ。


「……御令嬢、他者においそれと……しかも、何処の馬の骨とも知れぬ男に寝床を貸すものではありませぬ」

「お気遣い感謝するわ。でも、今起こすの可哀想」


 取り合わず、掴まれる手もそのままに掛布を剥ぎ取る。それ程強く掴んでいたのか、同時に引かれるように立ち上がる少女。

 と、向日葵ひまわりいろのシーツの中で丸くなっているキッド。


「起きろ! 陽が傾いているぞ!」


 自身の所為だという事はこの際忘れ、呑気に眠るその耳元で大きく叫んでやる。すると、不機嫌そうに顔を歪ませ、向こう側へと寝返りを打ってしまった。


「おい!」

「……んー、うるせぇ、一人で行けばいいだろー……」


 掠れた声が背中越しに聞こえる。

 今更何を戯けた事を抜かしておるのかと反論しかけるも、思い直すよう腕を組み、そのかたまりを見下ろした。


「貴様、散々人を追い掛け回しておきながらあっさり引き下がるとはどういう了見だ。今私を行かせて、金輪際こんりんざい干渉せぬと約束出来るのか」


 解放にも似た妙な期待を胸に、問い質す。

 すると、ヤツは手だけで掛布を探し当て、またその中へと潜り込んでいった。


「シェーラ……また口悪くなってんぞー……」


 ……。

 望んだ返答とは全く違うものに、やや大き目に舌を打つ。

 思わず、近くにあった枕を投げ付けていた。


「貴様の言い分はよく理解した! 此処で一生その娘の世話になっていろ!」


 言い捨て、ベッドから少し離れた窓へと向かう。出口を探すよりも外へ直通しているこちらを抜ける方が手っ取り早かった。

 陽の射し込むそれを開け放ち、窓枠をまたぐ。


「……御令嬢。余り父君を困らせぬよう、私からもお願い申し上げます」


 後、他者を軽々しく自室へ招きなさるなと、黙って事の成り行きを見守っていた少女に言い残し、地へと飛び降りる。二階など取るに足らぬ高さ故、難無くギルヴァイス邸を出る事が出来た。


 次の行き先は確か、チェオの港だったか。悠長にしている暇など無いが、やはり疲労は軽んじられぬ。昨晩のような失態を避ける為にも、そこで宿を取るか。……その前に、順路も確認せねば。


 思案しつつ、手入れの行き届いた庭を眺めていると、程無くして頭上で声が響いた。


 覚醒したのか、私の名を交えた焦りの声が耳を掠める。室内からのそれは、未だこちらの姿を捉えてはいない。顔合わさぬまま遣り過ごそうと思い至り、すぐさま手近な木へと飛び乗った。


「くぉらー! この俺から逃げられると思うなよ!」


 間一髪、茂る枝葉に身を隠した瞬間、窓から身を乗り出すキッドが見えた。怒鳴り声そのままに術と思わしき言葉を吐き散らしている。


 息を潜め、枝葉の隙間から見守っていると、間も置かずに詠唱が止んだ。術は完成したようだが、発動の言葉を唱えぬまま辺りを見回している。


 まさか。見つけられる訳が無い。内心ではそう確信しているはずであった。

 しかし、つつと喉を通ったのは緊張の表れである固唾。

 そして次の瞬間、鋭い眼光がまどう事無く我が眼を射抜いた。


「バインドスティル!」


 叫ぶが早いか、その口が開くのと同時に地へ降り立ち、駆け出す。

 放たれたのは“束縛そくばくの術”。妙な光ので標的を即座に拘束してしまうもの。術は理解出来ぬはずであったが、過去に身を以て教わった内容は本能が記憶していた。


 ――ヒュヒュヒュン!


 背後では、環が風を切る音。

 あざむくべく右へ左へと駆けるが、予想を遥かに凌ぐ俊敏なそれは、瞬時に我が身を捕らえ、動きを留める。


 複数の環に四肢や胴体を固定され、遂には均衡も保てず、芝の絨毯へと大きく倒れ込んだ。


「くっ……!」


 身を捻れど力込めれど、環は寸分たりとも動く気配は無い。そもそも縄のように物理的な感触が無い。面妖めんような発光物を睨む先で、褐色の影が悠然と向かいくるのが見えた。


 射程距離外であるギルヴァイス邸の門まで残り数メートル。文字通り地を這う屈辱に、私はただ苦く顔を歪ませるだけであった。



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