正義感は犬を殺す 2

 あらかた壁を剥がし終わると、高橋さんは少しだけ残ってしまったところを黙々とカッターで剥がしにかかった。ここで雑な仕事をすると裏紙まで剥がれてしまい、下地処理が必要になってしまうのだ。

 オレは剥がし終わった壁紙を、折りたたんでゴミ袋に入れようとした。あまり見ないように作業をしても、どうしても目に入ってしまう。少しずつ慣れてはきていたが、やはり気味が悪くて仕方なかった。

 この家に入ってから妙な違和感を覚えていた。作業をしながら、その正体に気付いていた。この家は、妙に綺麗すぎるのだ。


 生活感がないといえばいいのだろうか。壁は凄惨な状態だったが、床や天井などそれ以外の部分はまるで新品かのように浮き出て見える。スーツの男は動画の撮影をしていて壁が汚れたと話していた。確かに、そういう撮影時にしか使わない部屋だと言われれば家具や雑貨が置かれていなくても不思議ではないかもしれない。

 しかし、この家にはなんというか、そういう仕事で使う部屋とも違うような雰囲気が漂っていた。壁以外は一度も使われていない新築であるかのような、そんな印象だ。


 それに家具もまるっきり何もないというわけではない。オレの背後にあるキッチンには、黒くてやや大きめな冷蔵庫が一台置かれていた。その他には机や椅子すらもないのに、なぜかそれだけが空き部屋同然の部屋の中にどんと置かれているのだ。

 もちろん顧客の持ち物なので勝手に開けることはできないが、オレはその中に何が入っているのか気になってしかたなかった。


 もしかすると、ここで誰かが殺されたんじゃなかろうか。この汚れは血糊などではなくやはり本物の血液で、オレは今犯罪の隠蔽を手伝わされているんじゃないか。天井や床が新品に見えるのも、そこにもついてしまった取れない汚れを、先に他の業者に頼んで取り替えてもらったからではないだろうか。それじゃあ、あの冷蔵庫の中にはもしかして……。


「おい」

 その時、ずっと押し黙っていた高橋さんが声をかけてきた。

「は、はい」

 冷蔵庫を見つめていたオレは慌てて振り返る。思わず声が裏返ってしまった。

「手、止まってんぞ」

 高橋さんは壁に向かったままぶっきらぼうに言った。

「すんません」

 オレは急いで壁紙を袋に入れた。見ると、古い壁紙はほとんど全て剥がし終わるところだった。こういうちまちました作業はオレは苦手で、いまだに時間がかかってしまう。高橋さんは親方の店の中でもかなりの古株で、仕事が丁寧な上に素早いのだ。

 今回の案件は特に一刻も早く作業を終わらせて帰りたいようなところだったので、手伝いに来てくれて本当に良かったと思う。

 メジャーを出し、壁のサイズを測ろうとした。その時、綺麗になった壁を見つめたまま高橋さんが呟いた。

「それと、この件についてはあんまり詮索するな」

 聞き間違いかと思って一瞬手が止まった。そっと横を見る。高橋さんは、神妙な顔で壁を見つめたまますっと立ち上がると、いつも以上にテキパキとした動きで新しい壁紙を広げ始めた。

 冷蔵庫の低い機会音だけが、殺風景な部屋の中に響いていた。

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