眠らない男 11

 その夜から俺はベッドへ行くことをしなくなった。どうせ横になっても眠れずに辛い思いをするだけだし、もしも眠気がきたらその時に行けばいい。

 真偽は分からないが、睡眠をとらなくても倒れはしないという言葉が俺をある程度落ち着かせたのは確かだった。それに少なくとも今現在は健康体なのだ。ここまでしたのだから、俺にできることはもう無い。


 眠れない夜の時間は有意義に過ごそうと、帰りがけに新しいゲームソフトを購入した。あのタイトルの新作だ。久々にプレイしたことで熱が再来したのだった。明日も平日だが、問題はないだろう。俺は酒をちびちび飲みながら朝までゲームに没入した。


 気づけば外は明るくなっており、あっという間にいつも起床していた時間になった。やはり一度もまどろむことは無く、にもかかわらず体の不調は少しも感じられない。

 新たなソフトはネットの評判通りかなりの良作だったようで、俺は充実感を味わっていた。その為かここ最近抱えていた不眠に対する不安やストレスが発散できたようで、朝日を浴びながら清々しい気分になる。

 機嫌の良い俺は早目に出社して、自分の担当するトイレをいつも以上に磨き上げた。見回りに来たらしい部長がそれを見て、何か不気味なものでも見たかのような顔をして足早に去っていく。


 部長だけではない。仕事にも精が出るようになった俺を、周りの誰もが驚きの目で見ているのが分かる。高円寺は相変わらず分かり辛いが、回してくる仕事が少しずつ重要そうなものへと変わってきたので、奴もそれなりに俺のことを評価しているのだろう。もちろんその仕事はいつも言い渡される期日より前に、完璧と思える状態で返しているつもりだ。


 こんな風に上手くことが運ぶのは、無論あの長い夜の時間があるからである。眠らなくてよくなった俺には、人より大体7、8時間ほど多くの自由時間があった。それを好きなことに使って昼間溜まった疲れやストレスを発散させ、朝が来る頃にはまたやる気が充填されているといういい循環が生まれていた。

 さらに、日中眠くならないというのも大きな利点だった。あくびを噛み殺したりうとうとしたりしながらパソコンに向かうようなことももはや無い。

 一度休日に例の大学時代の悪友たちと一日中運動をしてみたのだが、へとへとに疲れていてもしばらく座って安静にしていれば、眠らなくともその疲労は回復していくことが分かった。これのおかげで俺は作業効率を落とすことなく仕事をすることができ、昔と比べて格段に早くそれらを終わらせることができるようになったのである。

 そしてまた定時に職場を上がると、あとは自由に時間を使えるのだった。


 このような日々を繰り返し、俺の業績グラフはどんどん伸びて行った。すると、職場の人間たちの態度もだんだん変わってきた。今までは業務連絡程度しか言葉を交わさなかった人から、雑談目的で声をかけられたり、飲みに誘われるようにもなった。

 はじめは掌を返されたようで居心地が悪かったのだが、少しずつ他者の気持ちも理解できるようになってきた。入社以来不運続きでイライラしていた俺は、あまり周りとコミュニケーションを取っていなかった。それに加えてここ半年の不遇もあり、俺はいつもとても声をかけられるような状態ではなかっただろう。

 あまり意識していなかったが、刺々しい雰囲気をまとっていたのだと思う。最近はかなり心に余裕があるので、それが和らいでいるはずだ。

 これまでは、あちらからも近寄って来ないし、俺もそんなやりとりは面倒だと思って無意識に拒絶していた。だがこうやって少しずつ交流する機会を増やしていくと、仕事の上でも様々な事がスムーズに行くし、何より職場が楽しいと感じられるようになると分かった。


 そして、飲み会にも度々参加するようになった。ただし、それは部長が居ない時に限った。グラフの実績もあるので流石にもう雑用を押しつけられることはなくなって、部長はなるべく俺を避けるようにしているようだった。俺としても関わりたく無いので、できるだけ関わらないようにしている。まして飲みの席なら尚更そうだった。

 酒が入ると、みんな決まって俺の劇的な変化の秘密について聞いてくる。もちろん眠らなくても良い体になったなどと言っても信じてもらえるはずもないので、いつも適当にごまかしている。それでもしつこく聞いてくる場合には、趣味の時間を大切にしてストレスを溜めないようにしているのだと答えるようにした。

 みんなは納得してない様子だった。ここ半年間、いつも一番最後に職場を出ていた奴が今では毎日定時帰りになったのだから、そう思うのも当然かもしれない。飲み会に参加するたびに、必ず一度はその話を振られる。

 そんな調子なのでたまに気疲れすることもあったが、どうせ帰っても朝まで時間はたっぷりあったので、飲みの席に参加する頻度は増えていった。


 さらに、休日の過ごし方にも変化が現れた。今まで寝て過ごしていたような土日は、朝から活動するようになった。まずは家事を終わらせて、天気が良ければ外へ出かけた。あの友人たちに声をかけることもあれば、1人で少し離れた降りたことのない駅まで、その日の思いつきで出かけるというようなこともしている。

 少し前までは考えられないような生活が、狂う事なく続いていた。


 しかしそのように過ごしていく中で、俺の出費はかさむ一方だった。夜中にやるのも同じゲームばかりでは流石に飽きてしまうので、棚の中には新たなタイトルが次々と並んでいく。時には思い切って新しいゲーム機を購入することもあった。そうすると新たな刺激が加わって、飽きずに日々を過ごすことができるのだ。

 ゲームだけでなく、小説や漫画、映画のDVDなど多くの物を購入するようになった。そうして俺の家計簿はかなりの赤字を叩き出したのだった。

 

 どうにかしなければ。節約をする一方で収入を増やすことも考えなければならない。うちの会社は副業禁止なので、夜中に他の仕事をして稼ぐことはできない。それならば、一番早いのは昇給だ。

 次の日から俺はとにかくあのグラフを伸ばすことだけを考えるようになった。

 

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