第41話 『閃剣』



「まだやる気か? 本当に死ぬぞ」


 呆れたような声。

 原因を作ったのはお前だろうと声高に叫びたいものだが、今はなるべく時間を稼ぎたかった。

 いつの間にか天音の声も聞こえなくなっている。

 助言を期待するのは無駄だろう。

 慎重に言葉を選びながら、紡ぐ。


「まるで殺したくないみたいな言い草だな」

「……話は終わりだ」


 うっそだろ初手でミス!?


 直後、闇色の霧を裂く連撃を両手で握る『祟水蒼牙』で迎え撃つ。

 何が琴線に触れたのか理解が及ばないが、前よりも攻撃の苛烈さが増していた。


 全てが致死に達する剣閃を、焦りを押し殺して一つずつ捌いていく。

 緊張感で加速した焦燥。

 瞬き一つ許されない剣戟は容易に精神を摩耗させる。

 右手を庇いながら戦う必要がある以上、いつまでも防戦一方ではいられない。


「人を殺す程度に何も思うところはないな。そもそも、そんな感情も無くなった」

「……それも呪いってことかよ」


 返答は――予兆のない斬撃。

『処刑人の剣』の鋒が腹部の布地を引っ掛け、対呪加工すらも貫通して引き裂いていく。

 大きく開いた腹部が外気に曝され、夜特有の冷たい風が吹き込んだ。

 遅れて、横一文字に走る一条の赤い傷。


 かぁっ、と体の芯を炙られているかのような熱さが駆け抜けた。

 咄嗟に傷を右腕で押さえると生暖かい液体が布地を赤く染めた。

 格好の隙を前に、薊が俺を見下げていた。


「違うな。呪いを統べるのは俺自身で、今は俺自身が呪いに近づいている。もう、人間になんて戻れないんだよ」


 語る夜闇のような瞳は、どことなく哀愁を感じさせるものだ。

 真意は定かではない。


「……いいや。そうやって後悔してる時点で、まだ人間だよ」


 ゆらり、覚束無い脚を意思力で保たせて『祟水蒼牙』を構える。

 傷は決して浅くない。

 もう長期戦は困難なのは明白。


 やむを得ないが、手札を切ろう。


 右手をポケットに入れて天音から貰った小瓶のコルク栓を指で弾いて開ける。

 軽く傾けて一錠だけ握り、素早く口の中へ放り込んで噛み砕く。

 これで良いのか知らないけど、呑み込んでしまえば同じだろう。


 乾坤一擲、全力で呪力を熾し練り上げる。

 脳から溢れ出るアドレナリンが図らずとも痛みを遠ざけていた。


「――ちっ」

「お望みだろ? 見せてやるよ」


 薊が素早く俺の異変を察知して防御姿勢を取って見せた。

 呪力を呪術へと収束させ、放つ剣。


 元来、誰かを助けるために伸ばした手だった。

 時を経て歪み、行き着いたのは自分の意思を相手へと押し付ける独り善がりな手。


 どれだけ離れていようとも。

 どれだけ拒まれようとも。


 この剣は絶対に届く。


 奔る蒼銀は流星の如く。


 手元に残る確かな手応え。

 断ち切られた『処刑人の剣』の刀身がくるりと宙を舞い落ちる。


 しかし、薊の身体は無傷のまま。


「……今のならば俺を殺せたはずだ」

「バカ言うな。俺にお前を殺す気なんて一切ない。斬ったのは呪いだけだよ」


 俺の呪術――『閃剣』と呼ぶそれが斬るのは呪いだけ。

 使用するのに幾つか前提条件があるものの、その威力は見ての通り。

 対『呪魔』であれば核を断つことで一撃。

 不定形な呪いであっても打ち消すことが可能だ。


 同時に『閃剣』は昔の通り名でもある。

 今となっては『千剣』の方が周知されているけれど、それはそれ。


 膝を落とした薊へ近寄り、


「今のうちに投降してくれると助かるんだけど」


 痛めつけるようなことはしたくない。

 そう思っての言葉だったが、薊は微動だせず不気味さすら漂っていた。


「……おい、なんか言ったら――っ!?」


 痺れを切らして声をかけた時、不意に感じたそこはかとない違和感。


「――ククッ、クハハハッ」


 背を丸めて、しゃっくりでもするかのように嗤い続ける。

 その声は……別の音が幾重にも重なっていた。


 男のように低い声。

 女のように高い声。

 子供のように無邪気な声。

 老人のように嗄れた声。

『呪魔』が発する咆哮じみた耳障りな音。


 怖気が走る。

 そんなこと、あってはならない。


「……感謝するぞ、人間」


 徐にペストマスクを脱ぎ捨て、隠されていた左半分が露わになる。

 左半分の顔は毒々しい黒いモヤに包まれ表情を察することは叶わない。

 唯一、妖しげな紫紺の光を宿した瞳が外から見て取れる特徴だった。


 巻き起こる呪力の濁流の中で、歪んだ嗤い顔を垣間見た。


 違う。


 コレ・・はもう、人間じゃない。


「貴様の手助けがあって我は受肉を果たすことが叶った。幽世の空気はこうも美味か」


 拙い。


 絶対に逃がしてはいけない。


 原初から受け継がれてきた生存本能が、今すぐに、ここで仕留めるべきだと警鐘を鳴らしていた。

 判断はコンマ秒、身体への負担など微塵も考えずに最大限の呪力を熾して『閃剣』を放つ。


「猪口才な」


 腕を軽く一振。

 それだけの動作で『閃剣』へ干渉し、あまつさえ打ち消してしまう。


「人間にしては上出来な手品だな。褒美をやろう」


 無造作に俺へ向けて手を翳し――闇色の球体が浮かび上がる。

 それをつんと押すと、球がゆっくりとした速度で動き出した。


 斬るか、避けるか。

 刹那の逡巡を経て再度『閃剣』を球体目掛けて振るう。


 音もなく球体は両断され分かたれた半球が後方へと過ぎ去り――轟音と爆炎が散る。

 朽ちたビルが崩れ落ち、立ち込めた土煙のヴェールが空を薄く覆う。


「……冗談キツイって」

「久方振りの人間だ。容易く死んでくれるな」


 傲慢不遜に薊の身体を乗っ取った『呪魔』が、第2ラウンドの開催を宣言した。

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