第40話 殺す覚悟



 鍔迫り合い。

 薊の剣は重く鋭く、一瞬でも油断すれば叩き斬られると本能が察知する。

 ずん、と衝撃が踏ん張っていた地面へ抜けて、足元が浅く陥没し蜘蛛の巣のようにヒビが広がった。

 コレと打ち合うのは分が悪い……思考はダイレクトに行動へと移る。


 宙に複製した剣を四本浮かべ、時間差で薊へ手繰るように死角から殺到させた。

 呪力の気配は極力殺した。

 だと言うのに薊は目視することなく機敏に場を飛び退いて離脱する。

 音もなく蒼銀の剣が煤けた地面を穿ち、突き刺さったそばから呪力へ姿を変えて空いた距離。


「――はっ」


 浅い吐息に熱を乗せて、命の保証されない領域へと踏み込んだ。

 緩慢に感じる時間は集中の証だろうか。

 一見して無防備にだらりと両手を下げて待ち受ける薊の一挙手一投足を見逃さぬよう目をこらす。


『祟水蒼牙』を握る力が僅かに強まる。

 刃を立てて横薙ぎに振るった剣は、しかし虚しく空を斬った。


「はっ、生温い。殺意がまるで感じない」

「俺に殺すつもりないからなっ!」


 だが、殺意はなくとも刃は鈍らない。

 続けて放つ斬撃は分厚い『処刑人の剣』に阻まれた。

 薊の身体には届かず甲高い音と剣閃が夜を裂く。


 単純な剣術だけで見れば互角だろう。

 膂力や威力は薊の方が上だが、得物の取り回しや速度と手数は俺へ天秤が傾く。

 勝機を見出すとなればそこを突くことになるだろう――普通なら。


 これは呪術師同士の戦い。


「――っ!?」


 言語化できない違和感。

 信頼する要素が一欠片もない勘に従って首を真横へ傾け――見えない何かが駆け抜けた。

 靡いた白髪、はらりと切り離された髪の端が舞う。


 得体の知れない攻撃……十中八九、薊が行使した呪術だろう。

 今回躱せたのは単なる偶然。

 種も仕掛けもわからなければ、次はない。


(薊の『簒奪』……要は奪うための呪術。だとすれば今も何かを奪ったということになる)


 熱くなった身体で剣を振るいながらも、思考だけは冷たく継続する。

 ……いや、何も俺だけが考える必要は無い。


「天音っ、どうせ見てたんだろ」

『はいはーい。多分、斬撃が届くまでの距離を奪いましたね』

「無茶苦茶じゃねぇか」


 前提が成り立ってないだろ。

 距離無視して飛んでくる攻撃にどうやって反応しろと――


「――随分と余裕だなッ!」


 気迫の籠った声。

 総毛立つ皮膚が自らに訪れる危機を告げていた。

 刹那、迎撃の構えを取りながら呪力の気配を探り――微かに感じた純然たる殺意。

 それだけを頼りに死を渡す剣閃と相対する。


 顔面を穿たんと放たれた無骨な鋒による刺突。

 己の感覚を研ぎ澄ますべく両目を瞑り半身で背を逸らし、紙一重で顔があった空間を何かが過ぎ去る。

 刺突から強引に切り下げられた刃を『祟水蒼牙』の刃で滑らせいなし、行き場を失った『処刑人の剣』が地面を粉砕した。


 舞う土煙に紛れ、剣を引き抜くまでの隙に合わせて身体を沈め地面ごと伸ばした脚で刈る。

 しかし即座に反応して見せた薊は埋まったままの『処刑人の剣』を軸に跳び上がり、天地逆のままに上を向いた俺と視線を交わせた。


(成程、これは一筋縄じゃいかない)


 常に行動予測を立てながらも、攻略の糸口が掴めない相手に心の中で賞賛を送る。

 動き一つ、咄嗟の判断一つを取っても、俺が知る特級の奴らと遜色ない精度。

 これを突破するのは骨が折れる。


 何よりやりにくいのが、異様なまでに呪力の気配が薄いために呪術の予兆を見逃しやすいこと。

 恐らくは呪術で何かを奪うことで可能にしているのだろうが、対処法があまりに限られている。


 幸運なのは、俺が対処法に成り得る呪術を扱えることだが――


(……いけるか、この身体で)


 問題は俺の身体を絶えず蝕む呪力障害。

 一瞬で勝負が決するのを理解しているからこそ、呪力を熾す際の微小なラグが致命傷に直結する。

 しかしこのままでは――


「――あの時の呪術は使わないのか?」


 挑発のつもりだろう。

 使うだけなら簡単だ。

 だが、一撃で仕留めきれなければ俺の不利は決定的なものになる。


 薊の実力は本物。

 必ず見せれば仕組みを看破されるだろう。


「お前なんざ使うほどの相手じゃねぇって言ってんだよ!」


 吐き捨て、着地を狙って五月雨の如き突きを放つ。

 蒼銀の剣閃、一撃くらいは入ると思ったが全てを『処刑人の剣』で弾き返された。

 呪力の強化が入っているとはいえ、明らかに人間の限界を超えた反応に思わず頬が引き攣る。


 お返しとばかりの袈裟斬りを『祟水蒼牙』の腹で受け、壮絶な重量感を過不足なく受け止めた。

 ぎし、と腕の節々が鈍く軋む。

 無理に受けることなく横に弾くと、薊はくるりと身を宙に踊らせ横に回転。

 勢いを乗せた厚底ブーツの踵を慌てて左の手のひらで防ぐ。

 痺れを伴った痛烈な衝撃。


 漆黒の外套が鴉の翼のように翻る。

 反撃の剣は布地の端を裂くばかりで、薊の身体に傷一つつけられない。

 舌打ち、仕切り直すべく後方へステップで距離を取り斜に構えて注視する。


「攻めきれないな……」

「人を殺す覚悟もない奴に負ける道理はない」

「そんな覚悟は一生する気ないね」


 互いの思考は平行線。


 ともなれば、刃を交える他ない。


「――どうせ人間なんて救う価値はない。俺自身も含めてな」

「主語がデカいんだよ。安心しろ、お前も見捨てたりしねぇよ。一人残らず俺の都合で助ける」

「そうやって正義ぶるつもりか? お前は知らないだろ、誰かを助けたが為に大切なものを失う辛さが」

「ああ、知ったことねぇよ」


 当たり前だ。

 生き方を縛る呪いは誰にも本当の意味で理解など出来やしない。


 けれど、その口振りからすれば。


 ――お前だって誰かの手を取って助けていたんだろう?


 歪んでしまったとしても、元を正せば一塊な玉虫色の感情だったはずなんだ。


「――積み重ねたものは絶対に変わらない」


 俺がこんな姿になっても、変わらず傍に居てくれた尊い人達のように。

 軌跡は消えない足跡として刻まれているんだ。


「――詭弁だな。理想だけで現実は回らない」

「理想があるから進歩できるんだよ」


 言葉での和解を試みるも決定的な軋轢は広がるばかり。

 最早言葉は不要だと、薊が両手で地面に『処刑人の剣』を突き刺し、


「なら――力ずくで従わせてみろ」


 全身から放出された暗黒色の呪力が広場へ濃霧のように立ち込め、嫌な予感が脳裏を過った。

 反射的に呼吸を止めて口元を手で覆い、霞む視界の中でも薊を見失わないように視線を送る。


 しかし。


「――どこを見ている?」

「〜〜〜〜っ!?」


 声は背後から。

 避け損ねた『処刑人の剣』は呪力障壁による防御を抜けて右肘へ命中した。

 痺れと痛みが交互に感覚を嬲り、声にならないくぐもった音が漏れる。

 追撃だけは食らうわけにはいかないと、服が汚れるのも厭わずに必死で地面を転がり辛うじて逃れた。


『祟水蒼牙』を支えに立ち上がり、血の味のする唾を吐き出す。

 外聞なんて知ったことか。

 ここには俺と薊しかいない。

 天音はまあ、どうでもいいや。


「あー痛ってぇ……ヒビは確実だろうな……」


 あくまで冷静に腕の調子を確認し、脂汗でじっとりと濡れた背の不快感に眉根を寄せる。

 右腕はほとんど使い物にならないだろう。

 けれど、それでも。


 思考は青天井に加速する。

 ここで薊を取り逃せば必ず誰かが不幸になる。

 負の連鎖はここで断ち切らなければならない。


「さて……どうしたものか」


 起死回生の一手を探りながら、自然と口の端は緩んでいた。

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