第26話 そろそろキレていいか? いいよな?

 


「榊、今日俺たちをテーマパークまで行かせたのは、呪災が起こると知っていてか?」

「どっちだと思います?」


 ニヤニヤと笑みを湛えながら質問に質問で返され、頭の中で何かが音を立てて切れた。


「――っ!」


 瞬間、椅子から立ち上がって天音の胸倉を強引に掴んでいた。

 倒れた椅子が盛大に音を鳴らす。

 手に力が篭ってしまう。

 一発殴らないと気が済まない……けれどそれは短絡というものだ。

 すんでのところで凌いだ衝動を前に、天音は変わらずの涼しい顔。


「そんなに怒っちゃ可愛いお顔が台無しですよ? まあ、背伸びしてる子供みたいで可愛いですけど。大声を出すと陽菜ちゃん起きちゃいますから」


 口元に人差し指を当てて「静かに」とジェスチャーで表した。

 いつも静かにしないのはお前の方だろ、と思いながらも冷静になり天音を掴んでいた手を放す。

 倒れた椅子を直して腰を下ろして天音を睨めつける。

 苦しかったと言いたげな演技、コホコホと控えめな咳を繰り返し――ベッドの端へと腰掛けた。


「おや、ふかふかですね」

「……降りろ。陽菜が起きる」

「先に騒ごうとしたのははるはるなのにですか? 大丈夫、どうせ起きやしませんよ。消耗具合から見て、どれだけ頑張っても明日の昼頃です」


 残念なこと天音の言うことはよく当たる。


「それでもだ」

「しょーがないですねー……だったら――」


 すとんとベッドから降りた天音の紅い瞳が、獲物を見つけた獣のように細められた。

 詰め寄る天音の靴音。

 至近にまで迫った距離、鼻先に吐息がかかる。

 異常を感じた身体が震えて後ずさろうとするも、既に天音の射程範囲内に入っていた。


「うひっ!?」


 両脇に差し込まれた手に肩が跳ね上がり、喉からつっかえたような声が漏れる。


「ちょっ、はるはる軽すぎですって。ちゃんと食べてます?」

「食べてるから放せっ!」

「暴れるのも騒ぐのもナンセンスですよ。折角美少女の膝に座れるんですから万年童貞のはるはるは落ち着いてください。落ち着けるナニは無くなってますけど」

「そろそろキレていいか? いいよな?」


 力の格差的に振りほどくことが出来ないと悟った俺は身体での抵抗は諦めた。

 心までは屈しない、それが俺の生き様だ……!


 しかし俺の意思は完全にスルーされ、椅子に座った天音の膝の上へと着地。

 前にシートベルトのように回された両手が逃がさぬようにホールドしていた。


「ちっさくて柔らかくて癖になりそうですね。一家に一台欲しいですよ」

「俺は家電じゃないぞ」

「使用者的には生活必需品感がありますけどね」


 なんだよそれ、と返す間もなく身がやんわりと寄せられた。

 微かに甘い香りが近づき、俺の背と天音の胸が密着する。


「ボクの胸は陽菜ちゃんほどじゃないですけど、多少はあるでしょう? ドキッとしました?」

「しねぇよ、バカ」

「本当ですかねー」

「っっ!?」


 ふぅ、と。

 背後から右耳にかかった吐息。


 脳髄を溶かすような、えもいえない感覚が走る。

 硬直し白紙に染った思考がエラーを吐き出しながら再起動に務めていた。


「……これ、なんか目覚めそうですね」

「目覚めるな。話の続きだけど……いつまで頭を撫でてるつもりだ」

「絹糸みたいな手触り……許せませんね。女の子の髪をなんだと思ってるんですか」


 頭と髪を撫でくり回す手つきが早まった。

 細い指が髪を梳いてこそばゆく心地の良い感触が伝わってくる。

 妙に上手い……もとい、巧いのは何故だか悔しいところだ。


「……気はすんだか?」

「まさか。帰るまでこのままで。膝に座る正当な対価です」

「お前が勝手に座らせたんだろうが」

「バレました?」


 その言い訳は杜撰すぎやしないだろうか。

 とはいえ実害はないわけだし、話も進まないからこのまま撫でさせることにする。

 ……別に気持ちいいからとかじゃないんだからねっ!


「『気持ちいいけど榊にはそんなこと言えない!』って思ってる顔ですね。素直になったらどうなんです? ほれほれ」


 どんな顔だよ。

 どいつもこいつも人の頭の中を簡単に読みやがって……いや別に読まれたわけじゃないけど?

 指で頬をつくんじゃない、マシュマロみたいに柔らかくてやっちゃう気持ちは理解できるけど。


「あーもう話が進まん」

「いつもの事じゃないですかー、ボクとはるはるはズブズブの関係ですし?」

「そんな関係になった覚えはない」

「あんなことやこんなことを共同作業したのにですか?」

「人聞きの悪い言い方をするな」


 悪事を働いた覚えも疚しいことをした覚えも一切ない。

 俺と天音は仕事仲間ではあるが一方的に振り回されているだけ。


「――因みに結論から言うと、呪災が起こる可能性は事前に知っていました」


 急に声だけ冷静になった天音が話を一気に振りだしへと戻した。

 ……手は止めないんですね、はい。


「情報の出処は外見詐欺ババアです」

「それ本人に言ったら殺されるぞ?」

「大丈夫ですって。これでも結構付き合い長いんですよ。賄賂もちゃんと渡してますし」

「堂々と言うなよ」


 天音が言う外見詐欺ババアとは俺と同じく特級の呪術師だ。

 得意とする呪術は『未来視』、それで得た情報なのだろう。

 能力故に首都である東京からほぼ動くことはないが、本人はそれで納得しているので問題ない。

 天音はババアと言ったが、あれは妖怪だと俺は思っている。

 60超えても素の身体能力で朝っぱらから全力疾走で皇居マラソンする人間がいてたまるか。


「あ、言い忘れてましたけど賄賂として渡したのははるはるのあられもない写真です」

「なんでっ!?」

「孫みたいで可愛いって言ってたので今度会いに行ってみたらどうです?」

「ぜっっったい嫌!」

「我儘ですねー」


 これで我儘なら大概のことは許されるだろ。

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