悪魔憑き聖女

変態ドラゴン

悪魔憑き聖女




 ーー間違いなく魔女は浄化された。


 街の誰もが焼け焦げた死体を見上げながら確信した。


 桃色の髪は炭化し、杭を打ち込まれた四肢は十字架に磔にされた体はピクリとも動かない。

 その死体に向けて、私の背後にいる住民の誰かが躊躇いなく投石する。

 やがて聞くに耐えない罵詈雑言と共に大小様々な石が死体に向かって投げつけられた。


「……魔女め、ようやっとくたばりおったか」


 いつの間にか横にいた街のリーダーが憎悪を隠す事なく吐き捨てた。

 異端、魔女、悪魔。この街に住む以上、最低でも二桁は耳にする単語だ。

 神の意に背くものは裁かれる。それは暗黙の了解であり、絶対の掟。


「これで、よかったんですよね。リーダー……」


 かつて統一教会のシスターとして迷える人々を導いていた魔女ドロシーは、その特異な外見と超常の力をもって異端と断定された。

 人を導いたという行いは『拐かした』とねじ曲げられ、人を救ったという奇跡は『背教』として忌むべきものへと変わり果てた。

 その暴走を止める事もできず、我が身かわいさに保身に走った私はきっと悪魔よりも醜悪な存在なのだろう。


 風が一際強く吹いて、灰が紫に変わりつつある夕焼けの空に舞い上がる。

 その光景は神父が語る『世界の終末』にも似ていて、思わず全身に鳥肌が立つ。

 焼損により脆くなった十字架は真っ赤な太陽を背に傾いていて、影になった魔女の死体が私を見つめているようだった。


 ーーいや、違う。魔女は私を見つめている!


 消えたはずの悍ましい気配が日の沈みとともに強くなる。

 頭上に輝く一番星の虚しい光を嘲笑うように魔女の影が街を覆い尽くして辺りは闇に包まれた。

 かちかちと歯の根がぶつかる音が鼓膜を打つ。

 それは隣にいるリーダーからなのか、背後にいる住民なら響くのか判別するよりも早く、眼前に魔女ドロシーが迫る。


「ご機嫌よう、ラン」


 極めて穏やかはソプラノが心地よく街の広場に響く。

 彼方で弾けとんだ十字架のかけらが石畳の上で跳ねる音が聞こえたが、それすら意識の範疇に入ることはなかった。

 死んだはずの魔女は微笑を浮かべながら私の胸に顔を埋め、背中に腕を回す。


 ーー嗚呼、先程の魔女裁判は悪い白昼夢だったのか。


 そんな現実逃避はすぐさま切り捨てられた。

 桃色の髪からふわりと香るのはやはり人肉が焼ける背徳的なもので、込み上げてきた吐き気を堪えることなく地面へと吐き出す。


「あらあら、まあ。体調が優れないようですねえ」


 なんでもないことのようにドロシーが呟きながら私の背中をさする。

 その手つきはやはり記憶の中にある彼女と合致するもので、彼女が生きていた事を喜ぶ気持ちと不可解な現実を受け入れられなくて思考がないまぜになる。


「うふ、うふふふ……ラン、この体をご覧ください。『あの方』に私は選ばれたのです」


 うっとりとしてしまうほど綺麗なソプラノが変わらず静寂に包まれた広場に満ちる。

 そっと周りを窺えば、私の他に生きている人間の姿は見当たらない。

 地面には血溜まりが出来ていて、その血液が広がって私とドロシーの靴を汚す。


「『あらゆる艱難辛苦を持って褒美と為す』『汝、我にのみ仕えよ』……ああ、私は悦楽に浸る事を赦されたのです!」


 その瞳は虚で、恍惚とした表情で空を見上げ歓喜の涙を流す彼女の姿は天啓を得た聖人のように思えたが、なにか不気味な気配が変わらず私にのしかかる。

 彼女のいう『あの方』というのは神のことなのか、それとも何か別の悍ましい何かなのか。


 それよりも、早口に捲し立てるドロシーの姿は私が知る彼女とはあまりにもかけ離れていた。

 震える唇を動かして問いかける。


「あなた、ドロシーなの……?」

「ええ、貴女のよく知るドロシーですよ」

「……魔女として裁かれて、浄化されたはずよ。どうしてまだ生きているの?」

「…………うく、うふふふふっ。だから何度も言ってるでしょう?私は『あのお方』に選ばれたんです!」


 己が身を抱きしめてドロシーは体をくねらせる。

 その動きは悦楽を噛み締めるような、淫靡な雰囲気を伴っていて私の嫌悪感を煽る。


「ああ、浄化ッ!爪先から火で炙られる快感は思い出すだけで達してしまいそうです!!あの痛みかいかんを味わうことが許されるなんて、私はなんて幸福なんでしょう!」


 常軌を逸したドロシーの言葉はとっくに私の理解を飛び越えていて、あまりにも冒涜的な化物から距離を取ろうと本能的に後ずさる。


「……ですので、ラン。貴女には感謝しているんです。こんな悦楽を与えてくれただけでなく、『あのお方』の声を聴くよう手筈を整えてくださったのですから。ええ、ええ。『あのお方』も大変御喜びになっていらっしゃいますわ」

「ば、ばけもの……」

「ラン、私たちは赦されたのです。人を超えることを、『あのお方』に近づく事をッ!……さあ、行きましょう。『あのお方』の遣いとして力をつけなければいけません」


 ドロシーの影から手が伸びて私の四肢を掴み、影の中に引き摺り込む。

 ただの人間である私には抵抗する術などあるはずもなく、たちまちのうちに暗闇へと引き摺り込まれてしまった。


 ドロシーの声で沈んでいた意識が上昇する。

 絶望に苛まれながら目を開けると、やはりそこには穏やかな微笑を浮かべたドロシーがシスター服を着てそこにいた。

 祭壇のような場所に縛り付けられた私の四肢は当然自由などなく、ドロシーがいなければ確実に人としての尊厳を失うだろう。


「食事の時間ですわ」


 彼女が手に持った白い皿の上には真っ黒なパンとコップに注がれた葡萄酒、そして妙に柔らかい肉のステーキがキューブ状にカットされて配置されている。

 人里離れたこの地でどうやって食材を調達しているのかと尋ねても彼女は微笑むだけで答えることはなかった。

 繰り返される拷問のせいですっかり抵抗する意思を削がれた私はドロシーの機嫌を損ねる前に口を開く。


「日々の糧をお恵み下さったことに感謝いたします。さあ、召し上がれ」


 葡萄酒に浸したパンを咀嚼して飲み込む。

 前の生活では味わう事もない高級品と分かる葡萄酒が喉を滑り落ち、無味無臭のパンを胃へと流し込む。

 次に口の中に放り込まれたのは妙に柔らかい肉だった。

 豚とも牛とも羊とも山羊とも言えない、甘い味付けに錆にも似た肉汁が広がる。

 歯で噛みきれないそれらを無理やり飲み込んでしまえば、得体の知れない気味の悪い存在を忘れることができる。


「よく食べましたね、えらいえらい」


 いつぞやみたく、人を殺したその手でドロシーは私の頭を撫でる。


 かつてシスターだった彼女は住み慣れた街の住民全てを一夜にして殺し回り、化物が闊歩する宵闇の中を平然と歩き回るようになった。

 化物は全て彼女に跪き、貢物と称した肉の塊を献上していく。

 私は、とんでもない化物に気に入られてしまったのだと気づいた時には何もかもが手遅れだった。


 四肢は拘束され、ここがどこなのかも分からない。

 禍々しい樹木は見た事もないし、化物はドロシーに傅いていても私への敵意がないわけではない。

 ドロシーがいなければ彼らは躊躇なく鋭い爪や牙で私の体を切り裂いて臓腑を喰らうだろう。


「ラン、貴女もそろそろ『あのお方』の声が聞こえるようになるはずですわ。常人であれば精神が耐えきれずに死んでしまいますが、耐えられるように肉体の方を調整しておきましたので問題ありません」


 浮き足立ったドロシーは赤い目を細めながらうっそりと笑みを深める。


「ええ、ええ。『あのお方』は貴女を愛する事をお許し下さるほど慈悲深い方ですわ。きっと貴女もすぐに考えを改めるはずです」

「ドロシー……」


 冒涜だと、神への背信だとドロシーを詰るべきなのだろう。

 それでも私は、このどうしようもないほど愚かで一途な化物ドロシーを糾弾することが出来なかった。


「それはとっても楽しみね。貴女の期待に応えられるといいのだけど……」


 何もかも失った私には文字通り、ドロシーが全てだ。

 彼女が望むなら私は神すら捨て、彼女の膝に情けなく縋り付くだろう。


「大丈夫ですよ、ラン。貴女の善い行いを『あのお方』はとても評価されていましたから。さあ、今日も善行を積みましょう」

「今日はなにをするの?」

「東の村で救いを求める人がいるとのお告げがありましたわ」


 かちゃんと手錠が外されると、金属が擦れたことでついていた傷はたちまちのうちに治る。

 その手に絡みつくようにドロシーの指が伸びる。

 握り返すと微かにドロシーが頰を朱に染めて恥じらう姿を見せる。

 年頃の乙女らしい反応を微笑ましく思いながらこれからのことに想いを馳せる。


 ーー今日は一体何人死ぬのだろうか、と。

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