神様は本当に居た。

綿貫むじな

神様は本当に居たんだが……

 俺は山の中を彷徨っていた。

 登山が趣味で、今日も目当ての山に登っていたのだが霧のせいで進む道を見誤ってしまい、獣道の方へと進んでいたようだ。

 地図を見ても頂上へ至るルートがよくわからず、登ったり下ったり右往左往したりしている最中に、俺の腹の天気模様も急転直下しだした。

 いざとなればそこらの藪でぶっ放すのもやむを得ないとは思うが、俺は一応人間だ。

 山の中とはいえ、まだ尊厳は捨てたくない。


 腹痛に苛まされながら藪をかき分け突き進むと、いかにもな古めかしい小屋に遭遇した。

 

 これはなんだ?

 人が住むには狭すぎる。

 かといってなぜか煙突のようなものが突き出ている。

 木で出来ている小屋の扉は、突如吹いた風で勝手に開いた。


 ……これはトイレだ。

 しかも昔懐かしの汲み取り式と来たものだ。

 なるほど、臭気避けの臭突があるのもうなずける。

 しかし長年使われていないせいか、思ったほどの悪臭は漂ってこない。

 使われていないわりにはどうも小奇麗に掃除されており、紙まで完備されている。

 

 これも神の思し召しかもしれない。


 もはや迷っている暇など無いので、俺はすぐさまベルトを外し、ズボンを脱いでしゃがみ込み、発射体勢に入る。

 我慢していた弾丸はもはや遮るものは何もなく、マシンガンの如き勢いで噴射された。

 いや火山弾と形容してもいいかもしれない。

 冷や汗をかくほど危うかった俺の腹痛はすぐに収まり、キレも良かったせいかそれほど紙も使わずに済み、意気揚々と俺はズボンを上げてベルトを締める。


 その時、なにやら奇妙な声がした。


「ありがとうございます~~~~」


 男とも女ともつかぬその声は、一体どこから響いてきたのだろう。

 

「ありがとうございます~~~~」


 再び声がする。

 よくよく聞いて探ると、その声はもしかして、俺が今しがたぶっ放した所から響いているのか?


 やがてそこから光が発し、新鮮なアンモニア臭と共にそれは立ち上って来たのだ。


「500年もの間、もはや人からの恵みが消えうせ、私の信仰も無くなり消えうせるかと諦めかけておりましたが、地獄に仏の御恵みを頂きましてありがとうございます」

「え、いや……神様、ですか?」

「はい。厠神と呼ばれるものでございます。昔はこの山を登り降りする人に良く利用してもらっていたのですが……」


 ため息を吐き、俯く神様。


 ここが利用されないのも仕方ないだろう。

 小屋は藪で見えなくなり、人が歩く道も無く辺りに道と呼べるものは獣道のようなものだけで、現在使われている登山道からもかなり外れている。

 しかし、木と藁ぶきで出来た古ぼけた小屋とはいえ、よく手入れがなされている。

 神が宿るだけに、その後光だけで綺麗になるのだろうか?


 登山道の途中にあるトイレは人が良く利用する為か、やはり汚い時がある。

 誰もが綺麗に使ってくれればいいのだが、時折気遣いが無い奴が居るのは仕方ない事なのだろうが……後に使う者の事も考えて欲しいものだ。

 

 しかし匂う。

 神様からは強烈なアンモニア臭が漂い、目に沁みるのだ。

 白かったであろう着物はすでに茶色と黄ばみによって汚れており、そこからもまた強烈な異臭が俺の鼻を貫く。

 多分、見た目は中々の美しき神のはずなのだが強烈な汚物によってその印象を損ねまくっている。

 男とも女ともつかぬ中性的な美を持つ神様は、その役割で損をしすぎている。

 

 厠神が一歩近づく。

 俺は一歩退く。

 近づく、退く。

 近づく、退く。

 その応酬を何度か繰り返したあたりで焦れた神様が頬を膨らませた。


「何で逃げるのです?」

「何でも何も、自分の御姿を顧みてくださいよ。とても近づきたいとは思えません」


 言われ、着物の袖口をつまんで自分の姿を確認する神様。

 

「私にとってはこれが自然な姿なのです。人からの御恵みをこの身に浴する事で神通力が高まりますので。しかし、生きとし生けるものに取っては、臭く不衛生であるというのもまた事実ですね」

「近くに沢がありますからそこで身を清めましょう」


 一人と神様で沢に降り、厠の神様は水で身体を洗い流す。

 だが、いくら水で洗ったとて長年染みついた汚れと臭気は容易に落ちる物ではない。

 神様は水場から上がったかと思うと、体から湯気を発し始めた。

 周囲の気温が上がっているように見える。

 陽炎が立ち上り始め、空気が揺らめいた。

 というか、神様自体が赤熱しているではないか。

 沢の水に足をまだ突っ込んでいるせいか、足元の水が沸騰して湯気が立ち昇っている。


「なななななな!?」


 じゅおっ、という音と共に湯気で神様は隠れて見えなくなる。

 やがて温度が下がり、湯気が治まるとそこには純白の着物を着て、身綺麗になった厠の神様の姿がそこにはあった。

 

「ほほほ。業火でもって身を清めるのは気分が良いですね」


 あれだけの火力では自らも燃え尽きてしまうのではないかと思ったが、そこは神様なのかこの世における物理法則的なものは適用されないらしい。

 

「それで、俺に何の用なんです? ここまで付きまとってくるのはどういう理由なんですか」

「貴方は私への恵みを下さいました。そのお礼をしたいのです」


 お礼、お礼と言われてもなあ……。


「厠の神様は何が出来るんですか?」

「シモ関連の事であれば、大抵なんでも。ただし、貴方さまの陽の物については管轄外ですけどね」

「そこはまだ困ってないので……」


 その時、神様は眉をしかめた。

 俺の尻と下腹部をしきりにしかめっ面で交互に凝視している。


「貴方様、山を降りたら病院へ行った方がいいですね」

「何故です?」

「はらわたに腫れ物が出来かけております。まだほんの小さなものですけどね」


 腫れ物……? 

 その一言で俺は嫌な予感を覚えた。

 

 頂上を目指すのは諦め、山を降りて病院へ行きレントゲンを撮った。

 すると大腸にガンが見つかったのだ。

 神様の言う通り、まだほんの小さなものだったので内視鏡手術で摘出が可能で、俺は長期入院する事もなく元気だ。

 これもご利益というものであろう。


 病院から帰宅すると、神様が座布団に正座していた。


「なんでまだ居るんです」

「いやあ、あの山の厠に居た所で、御恵みは得られないわけでして」


 つまりは何か良い所は無いか、という事だ。

 でも最近は何処のトイレも水洗で、水でその「御恵み」は流されてしまうわけだ。

 人間には度し難い趣味と言われても仕方ないが、神様にとってはそれは紛れもない御恵みと信仰心の現れでもあるわけで、差し迫った問題なのだ。

 

 首を捻る事数分、俺はピンと閃いた。


「そうだ。ちょっと厠とは違うんですが、こういう場所があるんですよ」



---------------



 その後、神様はとあるお店で働いている。

 基本60分コースが三万円の、オプション次第で料金が変わる店だ。

 そこで思う様に信者からの「御恵み」を体中に浴びており、その力は増してゆくばかりである。

 時折背後から後光が指しているように見える。

 黄ばんだ色の光だ。不浄な光のように思えるが、それが神様にとっては清浄な光なのである。

 思わず目をつぶったり、顔をしかめたくなるが。


「なんで俺の家に住んでるんですか?」

「流石にお店には住めないからね。それに、まだ君へのお礼は済んでいないからさ」

「だからといって毎回トイレをきれいさっぱりにしなくてもいいんですよ」


 厠の神を名乗るだけあって、トイレ掃除は業者かと思うほどに上手い神様は、シミ一つトイレに残さない。

 

「それで、いつになったら帰るんです」

「……さあね?」


 俺と厠の神様の共同生活は、どうやら当分続きそうだ。

 

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神様は本当に居た。 綿貫むじな @DRtanuki

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