第6話 エルダー

 十二万の軍だった。

 ユアンからは、四万の兵を預けられた。騎兵一万、軽歩兵と重歩兵がそれぞれ一万五千ずつ。十分すぎるほどの編成だった。先の戦では、二万を率いていた。騎兵は同じ一万だったが、やはり歩兵の圧力がなければ戦局を動かすところまでは至らなかった。シンに、笑われていたのかもしれない。


「ユウ。焦るなよ」

 

 ユアンが馬を寄せてきて語りかけてきた。ユウには視線を向けず、ユウの剣先をじっと見つめている。


「騎兵でまず、攪乱させます。レーヴェンは、まずこちらの出方を窺ってくるでしょう。しかし、そこに機があります。出鼻をくじき、レーヴェンに策を講じさせる隙を与えずに攻め立てるのです」


「らしくないな。ユウ。レーヴェンは並みの戦術家ではないのだぞ。既に策は巡らされている。思うに、エルダー平原を戦地に設定してきたあたりから、きな臭いと思わんか」


 ユアンの考えは、恐らく当たっている。レーヴェンのような策士が、このような力押しに適した戦地を選ぶこと自体、何か考えがあるとしか思えなかった。だからこそだった。この戦、シーラを攻めると決めた時から王国軍の意表をついているはずなのだ。前の敗戦があった。そのために、帝国は此度の戦で勝利を収めなければならなかった。シーラの戦略的価値は、以前より増していた。それこそ、レーヴェンの赴任によってその価値をあばいてしまったのだ。レーヴェンらしからぬ失態であったとユウは思っていた。水田の開墾も、ゾルモント市長の商流を見逃したことも、すべて王国に益のあるようで、自国の内情を暴露しただけに過ぎないのだ。

 シーラを占拠すれば、せっせとレーヴェンがこしらえた水田も丸々手に入る。カーナ鉄の王国への流通も、ある程度抑えることも可能であろう。やはり、智謀に長けているとはいえ一介の軍人でしかない。レーヴェンにとってシーラが攻められることは可能性の一つでしかない。最大の策をめぐらせるには、時間が惜しいはずだ。ザセイダ・デール、あるいはロンド・タナシィといった猛将が到着するのを待っているはずだ。ここは、大軍の威を利用して、一機に攻め立てるのが上策であると、ユウは考えていた。レーヴェンの取りうる策は、恐らくこのエルダー平原に仕掛けられている。土質を考えると、古典的であるが、落とし穴や、馬防柵。戦もほとんどない平原であるからに、草木も長く生え渡っている。存外、伏兵の存在にも気を留めておくべきだろう。


「用心はしております」


「ならば良い。要らぬことを言った。帝国随一の頭脳のユウ・セセイに対してな」


「お戯れを」


「ユウ。此度の戦、お前の指揮に従おう。俺も、少々耄碌したのではないかと思うこともある。ゴーンドとザセイダの一騎打ち、覚えているか」

 

 忘れるはずがなかった。ゴーンドがまさに打ち取られるその瞬間に、ユアンの弓がザセイダの剣を弾き返した。驚くべきだったのはその距離だった。ベテランの弓兵が狙撃できる位置の倍は裕に超えていたのだ。その時は、戦場の空気が変わり、そのまま王国の要地、ラスランを攻め落としたのだ。


「覚えております。私は、あのユアン・ノットの下で戦っているのだと、身震いいたしました」

 ユアンはそれを聞いて困ったように笑った。


「見誤ったよ。ゴーンドにすぐに詫びにいった。あの時、ゴーンドは二の手で腰の短剣を握っていた。私の余計な横槍が、大将首を逃す結果となってしまった。ラスランの戦果どころではないぞ、ユウ。王都まで攻め込めたかもしれん」


「ユアン将軍。それは」


「口外するなよ。ゴーンドにもそういわれた。俺は、英雄でなくてはならんらしいからな」


 ユウにとって初めて聞く話だった。しかし、今更驚くこともなかった。帝国軍第一軍、ユアン・ノットが出陣すれば常勝でなくてはならなかった。ユアンの判断は、正しかったのだ。そう思うほか、ないのである。


「口外いたしません。しかし、総指揮は誠に私が?」


「あぁ、お前に任せると言った」


 総指揮をとる。ユウにとってこれほどの栄誉はなかった。ユアンの軍でさえ自分の指示で動かすことができるのだ。レーヴェンとの知恵比べができるかと思うと、以前シンと応接間で対峙したときの厭な気持など、忘れてしまった。或いは、この戦でシンに対する劣等感すら拭えるような戦果を手にすることができるかもしれない。


「……御意」


「俺は、先鋒か?ユウ」


「総大将までお譲りいただいたとは聞いておりません。本隊として、陣を固めていただきたい。先鋒は、私です」


「馬鹿な。総指揮を執るものが先鋒などと」


「此度の戦、速さで決まります。まず一度ぶつかり、見定めなければなりません。つまり、この先鋒自体、擬態です。ぶつかった後、戦線を維持するのはユーリが努めます」


「転進し、いずこに向かおうというのだ」


「無論、右翼です。中央は恐らく押し込めば罠にはまります。その点地形の面から言っても右翼は罠を仕掛けずらいのです。土は固く、草木も浅い。恐らく右翼のゼラが先鋒ですが、さらに外を回って右翼後方を攻め立てます」


「一貫して右翼というわけか」


「はい、恐らく、敵もそう考えております。そのための、“神速”ゼラなのです」


 ユアンを本隊に置く感覚だった。いつもは、ユアンが本隊に控えていて、そこから指揮をとっていた。今回は、ユウが前線で後方のユアンの指揮をとる。これは、並みのことではなかった。伝令にも、精鋭を使う。しかし、戦場の動き自体はこれで対応できるはずだった。レーヴェンが、策を講じる気配を見せれば、コキアの軍を動かす。彼女の軍は、重歩兵が多く、動きは鈍いかもしれないが、罠を解除しながら、圧力をかけることができる。小手先の策ごときでは、動じない精神力もある。偉丈夫な彼女の図体をユウは思い浮かべた。


「焦っているのかと思っていたが、どうやら、俺の思い違いのようだな、ユウ」


「この戦、勝ちます。シーラを抑えれば、王都進行への足掛かりとなります」


 ユウは、言いながら、本当にそうなるかもしれないと思えてきた。前の敗戦は忘れよう。シンも忘れよう。この戦いに、集中する。レーヴェン、ここで雌雄を決しようではないか。握りしめた拳から、血の匂いがしていた。






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