第5話  シーラの統治

 深緑の湖畔が、広がっていた。郊外に作り上げた水田だった。商人の街の郊外に、自給の機能を持たせるなどと、笑われるかもしれないと思ったが、レーヴェンは、どうしてもこの地に築きあげたかった。

 レーヴェンは、シーラに赴任して早々に、商流を掌握しようとしたが、不可能であると悟った。シーラの市長は、思っていたよりもずっとやり手だった。この都市は、多国籍によって成り立っていた。パルラ共和国出身を名乗る商人の半数は恐らくカルディア帝国のものだろう。それを、取り締まることはできなかった。カルディア帝国から入ってきているものは想像以上だったのだ。例えば、カーナ鉄だ。

 カーナ鉄は非常に軽く、硬い素材であり、武器の素材として優れていた。また、調理器具などの生活家具への汎用性も高い。この鉄一つで国の文明レベルを一段階も二段階も引き上げることができるほどの代物であった。本来は、カルディア帝国の首都ザール付近の鉱山でしか取れない素材であることから、入手は困難とされていたのだ。今まで、わずかではあったが、カーナ鉄がイレーヌに流れてきていたのはゾルモントによりパルラ共和国を経由して僅かながら流通していると聞いていたが、調べると、実際はカルディア帝国の商人達から直接仕入れていたものであることがすぐにわかった。ゾルモントを罰することもできたが、レーヴェンはそれをするのは危険であると分かっていた。恐らくこの男は、大陸全土の商流をこのシーラで掌握している。野放しにすることはできないが、安易に罰すれば、経済破綻や、軍事への影響が出る可能性がある。ましてや、帝国に軍事力で劣る神聖王国が、対等に戦うことができるのは、このような闇の流通あってのことであるかもしれないのだ。いずれにしても、この件に関しては、慎重に動く必要がある。問題は、諜報員だった。シーラには正直規制するのも馬鹿馬鹿しくなるほどの諜報員たちが入り込んでいた。これは、ある程度取り締まらなければならなかった。

 ゾルモントのお目付け役と思ってきてはみたが、案外やらなければならないことが多い。レーヴェンはこの任について、連戦の休暇を与えられたのだとさえ思っていたのだ。

 しかし、郊外を見回っている際に意外な発見もあった。広大な土地を持つ、地主が細々と稲作を行っていたのを見つけたのだ。地主の家は、馬小屋のようにくたびれていたが、レーヴェンは訪れて米を食べさせてもらったのだ。良質な、米であることはすぐにわかった。この平原の土は、特別粘土質であり、稲作をするには適した土地であると地主の老人から聞き出したのである。レーヴェンはそれを聞くとすぐにその老人の土地を残し、そのほかの土地をすべて王国で借り上げた。屯田兵の派遣を依頼し、すぐに水田の開墾に着手させたのである。

 シーラは、帝国とパルラ共和国双方の国境にあり、本来前線に位置した。しかし、その都市機能ゆえ、両国にとって見出せなかったため、直接戦火は及ばなかったのであるが、自給による兵糧の確保がこの地で可能であるのであるのであれば、戦略的に要地となり得るのだ。

 紅葉が見得るころには、王国の兵糧は倍増するとレーヴェンは考えていた。先の戦いで、帝国に打撃を与えている。疲弊した帝国への遠征も可能である。レーヴェンはそこまで考えて、ふとため息をついた。


「またため息ですか、レーヴェン将軍」

 

 副官のイリーナが、レーヴェンの執務室に入ってきた。手には盆を持っていて、盆の上の茶器からは香ばしい匂いがあふれ出していた。


「珈琲、といったな。それは」


「えぇ、私も幾度か試飲してみましたが、どうも飲むと心が落ち着きます。嗜好品を強要するようで、恐縮ですが、日々ため息をつくほど頭を使われているようなので」


 イリーナは、茶器をテーブルに置いた。紅の髪が揺らぎ、レーヴェンに僅かに甘い匂いを感じさせたが、それも一刻で、すぐに珈琲の香りに打ち消されてしまった。レーヴェンは、漆黒に染まる液体を啜り再びため息をついた。


「苦いな。しかし、お前の言うこともわかる気がする」


「ありがとうございます。……レーヴェン将軍。シーラが、戦場になるようですね」


「正確には、エルダー平原だ。シーラを戦地にはしないさ。そこで迎え打つ」

 エルダー平原は、帝国との国境になる。この地もまた、だだっ広い平地ではあったが、レーヴェンの“細工”が施されていた。


「意外とは、思わないのですね」


「思わないさ。今はな。ただ、願望としては信じたくはなかったけどな」

 イリーナは口に手を添えながら苦笑した。優秀な戦術家としての側面と、怠け者としての側面。その両方を知る副官は、レーヴェンの心境を容易に理解することができるのである。レーヴェンとイリーナはどちらが宣言したわけではなく、自然と、恋人同士となっていた。そして、それもまた、双方が口に出すことなく承知していることでもあった。


「ザセイダ様は、首都を固めるようです。先鋒は、ゼラ様」


「あの男か。正直に言うと、ザセイダ様より使い易いな。策も、ああいった素早い用兵のできる男がいるとハマりやすい」


「総大将にレーヴェン様。参軍はトマ様ですね」


「こりゃあいいな。いっそ今回の兵たちは四十歳以上のものはご遠慮願おうか」


「レーヴェン様」


「冗談だ。トマも有望株だ。シン相手に大したものだ。伝え聞くに、俺もあの局面で同様の進言ができたかわからん」


 レーヴェンは、もう三十五となっていた。トマはまだ二十二歳で、ゼラもまた数日前に二十七を迎えたと聞いていた。いつまでも、ザセイダに頼ってもいられない。良い機会なのかもしれない。シーラを狙う帝国の意図は不気味であり、軍の編成も第一、第二、第四軍が出てきている。ましてや、第二軍のユウ・セセイなど、先の戦いの復讐戦とばかりに気張ってきているであろう。簡単な戦でないことは、明白であった。それでも、此度の戦で、勝利を収めることができれば、ザセイダも肩の荷が少しは降りるだろう。

 -何時ぞやの、借りをまだ清算できていなかったな-


「屯田兵は、いかがいたしましょう」


「……そのままに」

 ゼラやザセイダと同様に、レーヴェンもまた、シンが気になっていた。しかし、それ以上に、気にかかっている第三国の存在があったのだった。



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