エピローグ
ep-1 俺とティラが天に消えて、その後のある日 ――第一部完結!
「考えてみれば、直哉とティラが行って、ずいぶんになるわね」
ぶち抜きアパートで、古海が呟いた。
「そうねえ……」
お茶を淹れながら、野花は首を傾げた。古海が続ける。
「あたしたち、ふたりのことをまだ忘れないのが、不思議なくらいよね」
「そういえば、ずいぶん経ってるわね」
野花は首を傾げている。
「成仏したら消えるはずだったのにね、この世界も」
「本当に。——はい、ミントちゃん。紅茶入ったわよ」
「うん……」
ミントがティーカップを受け取った。足元でケルちゃんがにゃあにゃあ鳴いている。
「……ミントちゃん。お洋服着ようか。パンツだけじゃなくて」
「いい。今洗ってるし」
「いいって言ってもねえ……」
「風紀の問題があるしね。それに奴隷が見たら鼻血噴くわよまた」
「ふふっ。なおくんの鼻血、噂だけで私まだ本物見てないから、ちょっと楽しみだわ」
野花がいたずらっぽく笑う。
「あんた悪趣味ねえ。ま、からかうと面白いのは確かだけれど」
古海があきれている。
●
「ただいまー」
謎アパートに、俺は戻ってきた。あー、ブラウス姿のティラを連れてな。
「なによあんたたち、どこまで買い物に行ってんのよ。遅すぎるじゃない」
「心配してたのよ」
「いやそれがさあ……」
俺はトラブルを思い起こした。
「途中でティラが金、落としちゃってさ。全部は買えなくって」
「すっすみませーん」
ティラはまっかになってペコペコ頭を下げている。
「ドジっ娘天使っ。……相変わらずねえ、あんたも」
「これ使って……」
パンツの中から、ミントが一万円札を出した。
「あらミント。あんた、なんかあると、なんでも出してくるわね」
「お財布でも入っているのかしらねえ」
「パンツの中に? 『トラえもん』ね、ミントは。トラ猫連れてるし。……それよりミント、いいかげんTシャツでいいから着なよ。ほら――」
古海が俺を指差した。
「なんだよ古海」
「鼻、鼻」
「あっ」
手で触ったら血がついた。なんだよ俺様、また鼻血噴いてるのかw
「きゃあ。鼻血だわっ」
うれしそうに、野花が飛び上がった。
「だめよなおくん、拭かないでったら。今、写真撮るから。……これは保存しないと」
「よせって、恥ずかしいだろ」
ティラの後ろにこそこそ隠れて、鼻血を拭った。
「……それにしても直也。あんたが天に昇ったら、あたしたち全員の記憶ごと、この偽空間は消えちゃうはずだったのにね。……結局舞い戻ってきたなんて」
「しかも、こっちの世界が『本当の世界』ということになったし」
「そうそう。あたしたちの記憶もそのまま、あんたの経験もそのままで」
「ってことは……」
またしても思い出して、頭が痛くなってきた。
「俺、出席日数、足りないままか」
「仕方ないでしょ。あんた、自分がいなくなる前提でガンガン休んだんだし」
ほっぺを膨らませた美咲先生の顔が、脳裏に浮かんだ。かわいいんだけれど、怖い。
「はあー……。死にたい」
「なに言ってんのよ。死んでたくせに。――それにしてもティラもドジよね。最後の最後、天国に入る寸前で、書類の不備が見つかるなんて」
「だ……だって」
ティラが伏し目がちになった。
「おかげで俺は美少女天国に行き損なったし」
「し、書類が複雑で……。天国のお役所仕事って、こっこれだから……」
小さくなっている。
「その罰で羽を取り上げられて、元の立場に戻されちゃったしな」
「元というか、元以下ですよね。『守護天使カッコ見習いカッコ補欠』とか」
「の、野花さんまで……」
もう塩振ったナメクジくらい小さい。
「でもいいこともあるわよね。羽を取られたおかげで、あの不安定な状態から解放されてずっと存在できるようになったし」
古海が一応フォローした。
「そうね。それに死体でなく生者相手の守護天使の役割も、一応もらったんでしょ」
「はあ、まあ……」
「俺なんて悲惨だぜ。書類不備の死者なんて前代未聞で処遇に困ったもんだからさあ……。美少女天国目前でたらい回しにされたあげく、『蘇生者カッコ見習い』ってレッテル貼られて地上に落とされたわけで」
「まあいいじゃないの」
古海に肩をぽんぽん叩かれた。
「死体からランクアップして、一応生者の範疇に戻れたんだし。おかげでティラが正式な守護天使に就けたわけで」
「そうそう。生き返ったなおくんの面倒見ろって、神様に言われたんだものね」
「そりゃそうか。……古海ごめんな」
「えっ?」
古海が首を傾げた。
「いや、お前に使役させられなくて」
「う、うん……」
古海は頬を染めた。
「でっでも、あんた勘違いしてるんじゃないの?」
「へ?」
「生者だろうが『蘇生者カッコ見習い』だろうが、あたしの従者になればいいのよ。ネクロマンシーは死体蘇生術だけど、目的はしもべを作ること。あんた生きててもあたしの奴隷なんだから、それはそれでいいわ」
「お前なあ……」
「それよりミントはなんでここにいるのよ。もう冥府に連れてく必要ないじゃない」
「ケルちゃんが、野花お姉ちゃんのそばを離れないし……」
「にゃあ」
「それに私も、この人の近くにいたほうがいいって、優しいおじさんが」
直哉の腕を、ミントは抱え込んだ。微乳が腕に押し付けられ、なんかまた鼻血が出そうになってるじゃん。アホか俺w
「この人の……近くに?」
不思議そうに、野花が眉を上げた。
「うん。この間、お兄ちゃんは、私の胸に吸いついてた。なんだか不思議な気持ちになったの。お兄ちゃんの夢見たり。そしたら優しいおじさんが、そう言ってくれた」
「胸に……」
「吸いついて……」
「不思議な……気持ちに」
三人に睨まれた。
「こらこら勘違いするなよ。あれはな、ティラがうなされてて俺があやしてたら、ミントがベッドに入ってきただけさ。そりゃ素っ裸だったけど、俺はなんにもしてない。もうそれはそれは純潔な一夜で。修道院の下ろしたてのテーブルクロスくらいに」
「吸いついたって……」
疑い深く、ティラが瞳を細めた。
「いやそれは朝起きたら、目の前にミントの胸があっただけで。……そりゃたしかにちょっとだけ先が唇に当たってたのは確かだけれど、単なる偶然というか。俺が自ら吸ったわけじゃないし、すぐベッドを出たし……その……。なんだよその目、ティラ」
「こらお前」
ティラは睨んだ。赤い瞳で。あの事件以来、ティラの瞳の奥は、右目が金、左目が銀に輝いている。
「ティラ……いや天魔だろ、お前」
「こいつは私を討滅しようとしたんだぞ」
天魔はミントを指差した。
「……そりゃ私も殺そうとはしたがな」
腕を腰に当てた。
「冥府の小娘とくっつくなら、その前に私とすることがあるだろう、お前。お前の心を覗いたからな、昇天寸前に。お前、私といろいろする夢を見てたじゃないか」
「――!」
「――!」
「あっあれは……その……男のサガというか。男なら誰だって、身近な娘を夢で……あれこれする……というか。その……それで」
「なおくん。私のことも夢で……しているの?」
野花が腕を組んだ。
「おっお姉ちゃん……。いやそれは……してないというと傷つけそうだし、してるというと……怒られそうだし。……どっちがいい?」
「知らないわよ、そんなの。……あーあ、期末試験の結果が良かったから楽しみにしていたのに」
流し目を送ってくると、プイと横を向いてしまった。
「もうおあずけね、なおくんがそんな態度だったら」
「ええーっ……」
「ふふっ。情けない声出さないの」
微笑んだ。
「次のテストよ」
「テスト?」
「二学期の中間試験が、期末試験以上に良かったら、お姉さんがあの約束、考えてあげてもいいわ」
「そんなあ……」
俺が肩を落とした瞬間、玄関チャイムが鳴った。
「……誰だろ」
ピンポーン。ピンポーン。
「海士くん、いるんでしょ。夏休み前に、先生が家庭訪問に来たわよ」
――げっ……。美咲先生かよ。
反射的に、俺は周囲を見回した。黄金の髪に炎の瞳の「留学生」。制服の巨乳女子高生。タンクトップのポニーテール中学生。……おまけに、ほぼ素っ裸のロリ。
窓の外には女もののパンツが鬼のように干してある。女湯ののれんもあるし。部屋は見るからにふたつ無理に繋げた謎部屋だ。
「い、今いませーん」
声が裏返った。情けない。
「いるでしょ」
扉をどんどん叩き始めた。
「海士くん、早く開けなさい。窓に干してあるパンツのことで、ちょっと話があるから。あんた、先生とデートしたかったんじゃないの。せっかく予定を一年半縮めて来てあげたんだから、説明してもらうわよ、パンツのこと」
「……どうすんだよ、これ」
直哉は青くなった。
「知らないよ」
古海は横を向いた。
「本当のこと話したら?」
「ケルちゃんに食べてもらう?」
ミントが俺の裾をひっぱった。
「わ、私の婚約者ってことにしときましょうか、なおくんのこと」
野花の頬が少し赤らんだ。
「なら私が直哉をさらって窓から消えるよ。一時間……いや二時間あれば、エッチのひとつやふたつ……」
ティラが――じゃないか天魔が呟くと、ティラが答える。
「だめよ天魔。その役は私。だって直哉くんとはキスしたものね」
「あっバカ」
ティラの奴、余計なことを。
「——!」
「……」
「……それなに。どういうこと」
意外にも、野花がいちばん怒っている。胸ぐらを掴まれた。
「ほら。お姉さんに言ってご覧なさい」
いつもなら優しい垂れ目の瞳が、今日は怖い。
「ごっごめんなさい。おっお姉ちゃん」
「なおくん。許しませんよ、お姉さんは」
「あっあれは……昇天の記念というか……」
そのとき、ドアが蹴り破られた。美咲先生が乱入してくる。
「なに。なによこれ……」
部屋の有様を目にして絶句している。
「たっ退学よ海士くん。せっ先生の純情をもてあそんだ罪で。せ……せっかく心の準備してきたのにぃ――」
そこここで、女たちがなにか主張し始めた。俺の腕をひっぱったり、胸を押し付けたり。
なんだか、もう人生が嫌になった。煙のように消えてしまいたい。てか、やっぱり美少女天国に昇天すべきかも。父さんは女の子を大事にしろって言ってたけど、この場合、どうすりゃいいんだよ……。
窓からは初夏の陽射しが痛いほどに照りつけている。大空を、小鳥の群れが通りすぎていった。小鳥は自らの羽でせいいっぱい羽ばたき、太陽に向かって一直線に飛んでいた。イカロスの神話のように。
●ご愛読ありがとうございました。
ここまで応援感謝感激です。
ラブコメ×clannad展開、いかがでしたでしょうか。
第一部完結です。
続編も構想はあるので、しばらく練ります。
謎の少女と同居したら、「カルピス原液か」ってほど甘々な世界線に分岐した話 猫目少将 @nekodetty
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