9-4 二宮和晃って嫌な野郎のこと

「えっ……お父さん!?」


 ティラが目を丸くする。


「お父さんを恨んでるんですか?」


 俺はなにも言わなかった。話したくない。


「……そんな話をしてたのね、なおくん」


 野花が、俺の手に手を重ねてきた。


「五年前、なおくんが小六のときに、お父さんは家を出たの。その……他に女の人ができたから」

「それで……」


 天使は絶句した。


「それで恨んでいるのね」

「そうさ。悪いかよ。あんな野郎」


 言葉が口をついた。


「とっとと死ねばいいのに、まだのんきに生きてやがって。罪滅ぼしだかなんだかしらないけど、金送ってくればいいってもんじゃないだろ。母さんがどれだけ傷ついたか……。俺もしおんも見て知ってる。俺だって不安で……母さんがあんなに泣いて……」


 胸が詰まって、言葉が途切れた。古海やミントが遠巻きにこっちを見ている。


「気持ちはわかるわ、なおくん。でもねえ……」


 野花が、俺の手を自分の太ももに置き、手を重ねた。手を温め、心も温めようとするかのごとく。


「私のお父さんは、なおくんのお父さんと同僚でしょ。だから聞いているわ。なおくんのお父さんがどうしてそうなったのか。それに、家を出てからのことも、少しは」

「……」

「恨んでいるのなら、なおのことお父さんのことを知るべきよ。あれでなおくん、おかしくなったんだもの」

「……嫌だ」


 断る。


「いいえ。聞かないとだめ。聞くのよ」


 野花、今日は強い。真剣な声だ。


「お父さんはね、必死だったのよ」


 野花は話し始めた。父親が、いかに苦労して仕事をこなしたかを。せいいっぱい家族サービスにも努めたこと。単身赴任で心身症になり、絶望して女性にのめり込んだこと。それでも家族を思い、離婚後もしっかり養育費を振り込んでいること。


「だからなんだよ」


 たしかに野花は事情を知ってるだろうさ。でも、他人になにがわかるってんだ。


「もちろん、お父さんが悪いとは思うわ。でもそれなりに事情が——」

「関係ないね」

「なおくん……」

「わかったよ直哉くん」


 ティラが口を挟んだ。


「成仏できないのは、絶対それ。それが妨げている。……ねえ、お父さんに会おうよ。そこでじっくり、親子で話したほうがいい」

「嫌だね」

「下僕あんた、それじゃあたしと同じじゃん。親から逃れられないという意味で。あたしは両親が優秀すぎた。あんたは父親を尊敬できない。でもあたしが『ダメの娘』でも、両親は許してくれている。たとえ不本意な父親でも、あんたは許してあげるべきよ」

「なんだ古海まで。せっかく遊びに来てるのに、みんなしてこんな辛気臭い話ばかり。もうやめて、そろそろ戻ろうじゃないか」

「だめよ会わないと。たとえわかり合えなくても、話すことで凝り固まった遺恨が解きほぐれて、徐々に開放に向かうわ。直哉くんは解放されるのよ、自分の悪の因縁から。そうすれば……」


 言葉を飲み込むと、ティラは空を仰いでまぶたを閉じた。それから目を開けると首を振って続ける。


「そうすれば、直哉くんは天国に……行ける。私はいないけれど、美少女いっぱいの……天国に……。辛かったことは……忘れて……永遠に……幸せ……し、しあわ」


 倒れ込んだ。うわごとのように、しあわせ……と、唇が動いている。

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