閑話 ティラのひとりごと

 私はイェレレ・ティラミン・モート・マーラ・パーピヤス。第六天魔王波旬の娘。正式な守護天使になることを夢見て、海士直哉くんを天上に導くよう、神様に命じられた。


 直哉くんはちょっとひねくてれて意地悪なところもあるけれど、どうもそれは過去の経験が問題だったようだわ。だって本当はとっても優しくて素直な子だもの。


 十万十五年生きてきて、嫌な人間もいっぱい見てきた。そういう人を救おうとすると、なんだか私は失敗しちゃうの。これまでも、ずいぶん神様に怒られてきたわ。


 でも今回は違う。きっと成功する。「お前は失敗してばっかりだし、もうすぐ天魔になってしまうだろう。その前にせめて、最後のチャンスを与えよう」って神様は言ってたわ。その期待に応えないとね。


 直哉くんを譲ってほしいって、古海さんはよく言うのよ。ふたりっきりのとき。天上に連れて行くのはよして、永遠に使役させろって。


 でもこの世から離れさせて天上に連れて行かないと、いつかは偽時空の底が抜けて直哉くんは地獄に落ちちゃう。使役してても無駄だと思うわ。でも最近はあまり言わないの、古海さん。


 直哉くんが事あるごとに、旅立つ前にお前に使役させてやるって言ってるせいだと思うけれど。それに最近、直哉くんに優しくしてるし、甘えるようになったわ、彼女。きっと直哉くんの本当の良さがわかったのね。


 今日はなんで私がひとりかというと……。ジャジャーン。バイトしてるからでしたー。直哉くんの誕生日が近いから、なにかプレゼントするの。


 神様からもらったお金で買ってあげるのは、なにか違う。やっぱり自分で汗水垂らして手に入れたものでないと、直哉くんがかわいそうだもん。


 それに私がずっとぽつんと部屋で過ごすのを、直哉くんは気にしてくれる。だからときどき休んじゃうのよ、学校を。彼が留年したら、私のせいだもの。


 私がこうやって外で働けば、直哉くんも遠慮なく学校に行けるじゃない。実際行ってるし。なんだか期末試験でいい点取るとか、張り切ってたわ。ふふっ。かわいいよね。男の子って。


 いけない。思い出し笑いしてたら、ツナヨシさんに睨まれたわ。ツナヨシさんは、バイトの人たちをまとめているの。白髪で人のいい感じなんだけど、仕事には真面目なのよ。


 ペコリと頭を下げて、私も作業に戻ったわ。でもこれ、楽しいわよ。あのね。桃のおまんじゅうを作るお仕事。和菓子のお店なのよ、ここ。


 季節のおまんじゅうが名物で、今はちょうど桃なの。桃の果汁を練り込んだ薄桃色の皮で、こしあんを包むの。旬が短いお菓子だから、こうしてバイトの人たちで一斉に作って。


 私もずいぶん上達したのよ、皮でくるむの。えへっ。……最初の頃はふたつにひとつはダメにして、なんだか毎日怒られてたわ。でも辞めないで、ツナヨシさんにお願いしてひとりで居残り特訓をしてたら、なんだかあんまり怒られなくなったの。


 できは悪くても、あの娘はがんばってるからって……。


 でっでも、もう平気なのよ。上手になったねってほめてもらえるし、普通に店先にも私が作ったおまんじゅう、並んでいるから。ここだけの話、天使が作るとなにか幸せのエキスのようなものが魂となってお菓子に入るみたい。


 食べた人は、わずかな時間かもしれないけれど、幸せになって生きる勇気が湧くの。だから今年の桃まんじゅうは破格の売れ行きになっちゃって、お店の人、みんな首捻ってたわ。ふふっ。


 心配して、直哉くんや古海さん、野花さんは、ときどき店に来るわ。なにか買いに。私もちょっとだけ顔を出して、お話しするの。


 ミントちゃんは……来ないわね。アパートでケルちゃんと遊んでいるに違いないわ。あの娘は本当に変わっている。冥府の生き物について、神様に訊いてみたのよ。ミントちゃんって娘が来てるのって話したら、神様、考え込んでた。もしかしたら……いやそんな……とか、ずっと悩んでるからおかしくなっちゃて。


 私が笑ったら、神様、悔しそうな顔してた。ええっと、神様って言っても、いちばん偉い神様じゃないのよ。私の上司。いい人よ。


 ――とにかく、ミントちゃんって、なんか冥府でもすごく高いところから出てきてるらしいの。だってそのあと、神様たちが会議開いてたもの。なにか冥府と通じるホットラインみたいなのがあって、そこで向こうの中枢と連絡を取ってたわ。


 それから私には、もうミントちゃんのことを尋ねてこなくなった。逆に気になっちゃって、私尋ねたのよ。そうしたら、お前はまだ知らなくていいだって。失礼しちゃうよね。


 私がちょっとむくれたら、やっと教えてくれたわ。なんでも彼女、わずかなエラーや誤差で発生する「行き場を失った死者」を、冥府に送って手厚く弔うのがひとつの役目だって。


 でもそれ本人に聞いてたもんね。だからもうひとつの役目はなんだって、神様に尋ねたの。そしたらね。誰かが彼女のために地上に送り出したんだって。生と死を知ってもらい、自分の幸せを考えさせるために。へえーって思ったわ。


 ミントちゃんは、私に言うのよ。冥府で幸せになれって。私も「守護天使になりたい」という心のもやもやが晴れたら、そうするかも。それに……私は昔、直哉くんに会ってたって。私の中の天魔人格はそれを知ってて隠してるって。


 あのあとずっと考えたんだけれど、思い出せなかった。もう少しで思い出せそうなんだけど。神様にも訊いてみたのよ。でも「いずれわかる」って、教えてくれないの。


 こうなると、神様が「最後のチャンス」になんで直哉くんを選んだのか、なんとなく裏がありそうね。「死体だから迷惑かけても問題ない」という話だったけれど、後々考えたら、なんだかごまかされた気がする。だってずいぶん前に「守護天使は生きている人を護るのです」って、天使学校の授業で習ったもの。


 ミントちゃんのこともそうだし、なんだか神様、私のこと信じてないみたい。あはっ。落ちこぼれよね、私。まあ天魔に育っちゃうかもしれないから、教えるとなにかと危険なのかもしれないけれど。


 自分なりに想像はしてみたの。


 十万十五年前に生まれてからずっと、私は天使でも天魔でもなく、人間を空から観察していた。そうして自分が将来天魔として君臨し神と戦う世界を調べていたのよ、無邪気に。


 その頃の人間はすでに神の似姿を持っていたけれど、暮らしはおサルさん同然だったわ。彼らが道具を使い、文化と文明を築き上げて行くのを見守ったの。でも十万年を過ぎた頃から、次第に私の心は不安定になってきた。


 ときどき「裏」に行っちゃうの、意識が。そう、その間は、裏で育ってきた天魔人格が、この体を支配したの。きっと、そうやって支配されているときに、直哉くんと接触したんだわ。理由はわからないけれど、天魔の力で、それに関する私の記憶は封印されたの。だって本当なら、「裏」に行っていても、行為は見えているはずだもの。直哉くんのことを知らないはずがない。


 いつの間にか、私は守護天使になりたくなっていた。天魔になるのが嫌だったんだと思ってた。だから神様にお願いして見習いにしてもらったわけじゃない。でも……もしかしたら、そのきっかけに、直哉くんが関係していたら……。


 だからこそ、私の心に痛い針が刺さったのよ。


 ミントちゃんは、それからも私のことを気にかけてくれているわ。あの娘、ほとんど話さないから誤解されてるけど、いろいろ知ってるし考えてるのよ。私が天魔になりそうになったら、止めてくれるって。だから安心してって手を握ってくれたもの。


 誰にも言わないけれど怖いのよ、自分がもうすぐ消えちゃうってことが。


 だって考えてもみてよ。こうして考えている自分の意識が、表に出せなくなるのよ。この体は、だれか別の人格のものになる。そして私は永遠にその人格の裏に隠されてしまって、天魔が仮に直哉くんと仲良くなったとしても、キスしたとしても、裏から眺めるだけで、そのうれしさも感激も私には伝わらない。


 ――とっても怖いわ。直哉くんが私を支えてくれていなかったら、もうとっくに頭がおかしくなっていたかもしれない。


 でも、考えててもなるようにしかならないものね。嫌だって泣けばそうならずに済むってものじゃないもの。生き物はすべて、自分の宿命と戦って生きるの。それでも負けるときは負けるんだわ。それでもいいのよ。戦ったという事実が大事なんだよ。十万年人間を見てきて、本当にそう思うわ。


 いずれにしろ、直哉くんは私が導く。だって直哉くん、もう成仏できると思うもの。未練もだいぶなくなったはずだし、エッチな方面の自制や克己っていうのかな、それはそれはたいしたものよ。だって一緒のベッドに寝ていても、もう私の胸揉んだりしないし。ふふっ。


 でも問題があるわ。天上に連れて行けば、お別れしなくちゃならない。それを考えると、辛くて泣きたくなる。ミントちゃんに言わせると、それは私の心に痛い針が刺さってるせいだって。


 私、直哉くんを天国に連れて行けるのかな。それとも冥府に誘うのかしら。……もしかしたら天魔に育って、直哉くんをさらっちゃうのかも。いずれにしろ直哉くんにとってベストの判断を下せるといいなあって、心から願ってる。


 ふう。もう仕事終わりの時間だわ。今日が最終日。お給料は手渡しで頂けるのよ。帰りにプレゼントを買うの。もう決めてあるんだ。私と直哉くんの繋がりをずっと覚えていてほしいから。もうすぐ帰るね、直哉くん。

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