まこりん、かきあげる。

紙袋あける

馬渕まこはミニマムガール

デッサン中にすまんな、新入部員だ。

 きっと俺達には最初は何も無くて、成長と共にそれぞれ置かれた環境の中で自分にできることを積み重ねていく内に自分の強みというか、やるべきことを自覚していくんだと思う。それは無限の可能性の中からやりたいことを絞っていくといえる程恵まれた人間ではなかったように思うからだ。凛子がよく言う「可能性は未知数」という言葉は、どっちの説にも当てはまる気がする。本当のところ凛子はどっちの意味で言っているのかわからないけど、改めてそれに関して凛子と議論を交わす機会もそうそう持てないと思うし、この話は俺の中で大事に封をして仕舞っておいてあるんだ。


 近藤凛子(こんどう りんこ)というのは俺のご近所さんで、赤めのロングヘアが特徴的な同い年の女子だ。ちょうど今目の前で机に置かれた果物にデッサンスケールをかざして真剣な顔をしている。


 時々ふと湧いてくるこの可能性に関する脳内議論。真剣な凛子の顔を見て今はその時じゃないと思い直し、すぐに頭の片隅の引き出しに仕舞いこんだ。俺も負けじとデッサンスケールで葡萄の粒と林檎の大きさの比率を見る。


 大きな作品を作るのも日々のデッサンの積み重ねがあってこそだ。どんな描きあがりにせよ、日々の鍛錬を怠る人間には自分は表現できない。いきなりカンバスと絵の具を手渡して大作と呼ばれる作品が作れる人間なんて砂漠の中のゴマ粒程度の人間しかいない。つまり天才だ。俺達のような凡人はやはり日々自分と向き合い、デッサンを繰り返し、そうしていく中で自分の表現したいものを見つけていくしかないのだ。まあこれは佐野先生からの受け売りだけど。


 ここは納魚(なんぎょ)市唯一の私立、彩寛学館(さいかんがっかん)高等学校美術部。うららかな春の陽光と地面に張り付く残雪がミスマッチな、雪国の田舎にある高校の小規模な美術部だ。


 四月の校舎の前から、部活動に新入生を勧誘する威勢のいい声がうっすらと聞こえてくる。美術室は昇降口がある一般教室棟の奥の特別教室棟にあるから、耳障りにならない程度にうっすら聞こえてくる。この声の野太さは恐らく野球部だろうなぁ。


 この学校は部員数の規定とかは特に無い。部員がいないけど入りたいなら入って、というスタンスの部活すら存在している少し変わった学校だ。美術部も部員が三人という、通常なら廃部になっているような弱小部活だ。それでも俺達は勧誘活動をしない。


 いや、正確にはできない。


 何故なら始業式の一ヵ月半後には学生対象の大きな春の作品展『高校芸術祭』が控えているのだ。


 勧誘している暇があったら作品展に向けて準備をしたい、というのが美術部全員の本音だ。この辺は正直部員数の規定が無いという変わった校風に助けられている。


 色々考えながらも目の前の葡萄と林檎を画用紙に落とし込んでいく。形を取るのに三十分か、ここから下校時刻までにどこまでこの静物を捕らえる事ができるだろうか。


 そんなことを考えていると。


「デッサン中にすまんな、新入部員だ」


 佐野先生が何かを引きずりながら部室に入ってきた。先程も少し触れた佐野栞(さの しおり)先生とは、美術部の顧問だ。日本刀が似合いそうな黒髪ロングのジャパニーズビューティー。実際に日本刀は持たせたくない人でもあるんだけれど。


「ひぎゅ」


 佐野先生が引きずってきた『何か』はどうやら人だったようで、佐野先生に投げられるような形で床に転がされて声を上げた。


「新入部員ですか、唐突ですね」


 鉛筆を置いて佐野先生に優しく語りかけてるけど、眉に険しく困惑が浮かんでいるイケメンは部長の真田真広(さなだ まひろ)先輩。


「まあデッサンの時間を邪魔されたからってそう不機嫌になるんじゃない真田。この新入部員は荻野目に任せることにしたから」


「は?」


 今荻野目って聞こえたんだけど。荻野目って俺のこと? いや話がさっぱり見えないんだけど。部長は何にだかわからないけど納得した顔でデッサンに戻っていくし。


「は? じゃない、何間抜けな声を上げてるんだ。荻野目はお前しかいないだろう、二年三組出席番号七番の荻野目進(おぎのめ しん)」


「いやいや、任せるってなんすか」


「今日から荻野目はこの新入部員の……えーとなんだっけ? ……私のクラスの女子の師匠だ」


 名前くらい覚えておいてやれよ、担任……歯切れが悪すぎて後半の珍妙さが薄れてるよ。


「あ、あの」


 床に転がっていた新入部員の女の子は立ち上がり慌ててスカートの乱れを直した。この子、本当に高校生か? ってくらい小さいな。花の髪飾りがついたショートボブの髪型もあってか本当に中学一年生くらいにしか見えない。


「さっきから師匠とか新入部員とかよく分からないんですけど、私は美術部員になるのですか?」


 女の子が困惑気味に佐野先生を見つめている。先生はフンと鼻を鳴らした。


「そうだ。詳しいことはみんなこの荻野目進という男が教えてくれる。お前は大船に乗った気持ちでいればいいんだ」


「な、なるほど……」


 なるほどと言ってみたものの女の子はまだわけがわからない様子で、顔どころか全身から困惑のオーラが出ている。内股気味でプルプルしている脚は、本当に『産まれたての子鹿』を連想させた。


「い、いやなるほどじゃなくて! いきなり美術部だなんて私、絵は授業でしか描いたことないですよ!」


「その絵の授業は嫌いだったか?」


「好きでしたけど」


「じゃあ合格だ」


 佐野先生は満足そうにサムズアップしてみせた。いやいやいや、このままだとさすがに女の子が不憫なので俺は助け舟を出してみることにした。


「先生、本人の気持ちが固まってないのに無理にぶっこむのはマズイんじゃ」


「荻野目、お前が絵を描き始めたきっかけはなんだ」


 突然の振り返りタイム!


「そこに紙とペンがあったからっすかね」


 あんま覚えてないっすけど。と続けようとしたところで佐野先生は「そうだよ」と不敵に笑った。


「きっかけなんて誰だって些細なことなのさ。お前の回答は些細を通り越していやに哲学じみてて若干ムカついたけれど、そんなものでいいんだ」


「要するに、この子が絵を始めるのは先生に勧められたからという些細な理由でオッケーと」


 ムカつかれたことに対して反応してたら胃が持たない気がした。


「ものわかりがいいじゃないか荻野目。そういうわけでこの新入部員を頼んだ」


「作品展近いんでロクに構えま」せんから他をあたってくださいと言おうとしたら佐野先生は踵を返して部室から出て行った。扉が閉まる音が響き、取り残された俺と女の子。デッサンに夢中な美術バカ二人。


「…………」


 女の子は相変わらず困惑した様子で自分の足を見つめている。制服のスカートとワイシャツに学校指定のジャージを着込んでいる独特な格好。彼女に合うサイズが無かったのだろう、ジャージも若干大きくて、ぶかぶかの袖からちょこんと飛び出した指はジャージの裾をつまんで離さなかった。


 どうすればいいんだ。いや、そもそも大事なことを聞いていないじゃないか。


「君は、どうしたいの?」


 女の子が俺を見上げた。


「わからないです」


 だろうなぁ。展開が急すぎて頭が追いつかないんだろう。


「と、とりあえずなんか描いてみる? 体験入部ってことでさ」


 体験入部という言葉に女の子は少し瞳の輝きを取り戻した様子だった。


 誰だってそうだと思うけど、いきなり自分のレールを決められてそこを進みなさいと言われると困惑するものだと思う。少しは選択の余地を与えたほうがこの子も肩の力が抜けるかも知れない。佐野先生が何を考えているかはわからないけれど、柔軟さが足りないよな、とはいつも思ったりする。


 今は葡萄と林檎の静物デッサンをやっているが、初めてで葡萄はハードルが高いと思ったので彼女の席を用意し、手近なテーブルに白いクロスを被せワインのボトルと余っていた林檎を置いた。


 あとは備品のデッサン用鉛筆と画用紙、それとデッサンスケールを手渡し「じゃあ好きに描いてみて」と言い残し俺は自分のデッサンに戻った。女の子の顔にまた困惑が浮かぶのに気付かずに。

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