第五章 生と死

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「――準備は、万事整えている。これで問題ないだろうな?」


 巨大な檻のごとき鈍色の空間を、取締官の無機質な声が震わせ、やがてその残響も消えてゆく。周囲に配置された物品をざっと見渡してから、ジークは小さく首肯した。


「はい。ご尽力くださり、誠にありがとうございました」

「では、とっとと始めろ」


 号令とともに、周りに立つ仲間に目配せをする。

 目元だけで笑みを返してくる、師のムジカ。片眉を上げる、スヴェルクの街の修繕師たるロウニ。二人の前には、白銀の少女の右大腿部を修繕するための模造血管や縫合糸、鉗子の類が山と並んだ台がある。


(右脚は、最悪修繕できなくても、起動さえすれば自己治癒するだろうってじじいも言ってたし、何とかなるだろ。……問題は、こっちだ)


 少女の左胸に穿たれた、痛々しい傷と向き合い、ジークは深く、息を吐く。


(――核結晶コアの、移植。……じじいにああは言ったけど、本当に、そんなことできるのか?)


 ここからの自分の作業に全てがかかっている、と考えた瞬間、背筋が震えるような感覚が、全身を襲った。


(――上等だ。やってやるよ)


 のしかかる重圧を振り切るように、ジークは不敵に口角を上げ、白銀の少女の傍らの椅子に拘束されたチセに、向き直る。


「さて、騙していた人間に、利用される気分はどうだ?」

「――最悪ね」


 計算高い混成種を演じるチセの面持ちが蒼褪めているのは、緊張によるものだけではない。ここ数日にわたり、輸血用の血液を提供し続けていたチセは、間違いなく重度の貧血状態に陥っているはずだ。


(……チセを守るためとはいえ、悪いことをしちまったな)


 戦闘能力がないチセは、本人の見立てのとおり、この状況下においては、利用価値がないとみなされて処分される可能性が高いと踏んだジークは、一計を案じた。


『――地下にいるあの混成種を修繕する方法を、発見しました。……いくつか修繕に必要なものがあるので、恐れながら調達にご助力をいただければと思います。まずは、処置の際に必要と思われる輸血のご手配を。こちらについては、私がチセと呼んでいたあの娘の、血液が有効かと。治癒力が高いため、地下の混成種の回復の一助になると思われます。……ただし、当日に輸血が不足した場合は直接あの娘から供給させますので、くれぐれも殺さぬよう』


 五日前、読破した書物を回収に来た取締官たちに告げた言葉を、脳裡で反芻する。ジークの狙い通り、チセは今日まで殺されずには済んだものの、代わりにひどい目に遭わせてしまった。


(悪い、チセ。……全部片付いたら、絶対に謝るからな)


 内心で詫びたジークは、先程からチセが何度も盗み見ている相手に、視線を向ける。無論、鈍色の寝台に目を閉じて横たわっているその少女から、反応が返ってくることはない。

 鮮やかな、燃える炎の色彩の、紅い長髪を寝台から垂らした少女の傍に、ジークは静かに歩み寄る。手袋を嵌め、光源付きの拡大鏡を引き下ろし、一呼吸をおいた後。


 ――横たわる紅髪の少女の白い装束を剥ぎ、胸元に刃を入れた。


「……っ、やめて!!」


 椅子に縛られたチセが、悲鳴とともに立ち上がろうとする。すぐさま取締官が取り押さえに近付いてきたものの、チセがその場から動くことができないと見て取り、失笑を浮かべる。

 それらすべてを、視界の端に捉えつつも、ジークは己が手先に集中していた。


(どこだ? 事前に調べた限りでは、この辺りにあるはずなんだが……)


 ――ジークが白銀の少女の修繕にあたって出した条件は、全部で三つあった。


 一つ目は、チセの血液を輸血に用いること。

 二つ目は、炎の能力を持つ第Ⅰ種混成種を連れてくること。

 三つ目は、白銀の少女が目を覚ました際は、捕らえた全員を解放すること。


 一つ目と三つ目の目的は言わずもがなだが、二つ目の目的は、チセの姉を探し出し、救うことにあった。――本人すら望まぬ力を取り除き、今後二度と、人間に利用されることがないように。


(……見つけた! これか!)


 炎の能力の根幹たる緋い核結晶コアを、慎重な手つきで取り出し、すぐさま縫合に取りかかる。幸いにして出血量は少なく、輸血も小さい容器一個分で事足りそうだった。しばし寝台の横に設置された液晶の数値を眺め、ジークが小さく息を吐くと。


「――おい、それにまで輸血をしてやる必要があるのか?」


 死んでも構わないだろう、と言外に吐き捨てたその取締官に、目を細めてジークは返した。


「ええ。こちらの臓器に損傷があった場合は、交換が必要になるかもしれませんから」


 言いつつ白銀の少女を視線で示せば、ふん、と鼻を鳴らして質問してきた男は口を噤んだ。……最初から、黙っていればいいものを。

 思わず握り締めていた拳をどうにか開き、取り出した緋い核結晶コアを携えたジークは、再び白銀の少女に向き直る。見れば、ムジカとロウニも、模造血管の交換を終え、右大腿部の縫合に取りかかり始めているようだった。


「――左、始めるぞ」


 作業中の二人がこちらに視線を向けることなく頷いたのを確認してから、ジークは少女の左胸の傷痕を覗き込んだ。


(……やっぱり、チセの姉貴と比べても、複雑な構造だな。核結晶コアを二つ要するだけのことはある。――元の核結晶があった場所はここか。うわ、まずは破片を取り除かないと無理だなこりゃ……)


 古代文明の叡智の結晶、その最高峰たる少女の内部構造を改めてしげしげと観察し、ジークは内心舌を巻いた。


(まず破片を出して、切れてる部分を模造血管と取り換えて、それから核結晶か。……先が思いやられるな)


 おそらく、この少女を完全に修繕できるのは、あの日誌を記した開発者だけだ。これからジークが行うのはあくまで応急処置に過ぎず、それを行ったとて、少女が目覚めるとは限らない。早々に白旗を掲げたくなるほど、少女の内部構造は精緻を極めていた。


(にしても、――本当に、美しく設計されてるな。どこを取っても、無駄が一切ない)


 過去に引かれた図面の見事さに、込められた意図に、讃嘆するように。

 一人の修繕師として、古の才人が為した神技に、ジークは深い敬意を抱いた。


(確かに、間違った方向に、進んで行ってしまったかもしれないけど――この人は、本当に、自分の手で生み出した存在を、大切に想っていたんだな)


 創造主の想いを証するかのように、少女の体内には、数多の修復箇所が見受けられた。……負傷を治した痕なのか、能力を強化するための作業痕なのかは、わからなかったけれど。


 ――どうか同胞たちよ、彼女たちを救ってくれ。


 日誌に最後に記された、悲痛なまでの叫びが、修繕を進めるにつれて、痛いほどに伝わってきて。


(……ああ、確かに、あんたの想いは、受け取ったぜ)


 この少女を、チセを、チセの姉を、囚われている者たちを――解き放ちたい。

 ひたすらに、祈るように、そればかりを脳の片隅で考え続けて。


 ――ついにジークは、長い、長い吐息とともに、握り締めていた緋と翠の核結晶を、少女の体内に嵌め込んだ。


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