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「まったく、お前ときたら……てっきり、わしの首を飛ばすつもりかと思ったわい」

「仕方ないだろ? それに、当時の記録を読みたかったのは本当だし」


 無事に作業を終え、粗末な食事を摂ってから横になったふりをした二人は、小声で丁々発止のやり取りをしていた。無論、ムジカの音波妨害装置は絶賛作動中である。


「だからといって、あんなにあからさまに手を止めるやつがあるか! この未熟者めが」

「そりゃ、核結晶コアがなけりゃ驚きもするだろ! どう見ても第Ⅰ種なのに」

「第Ⅰ種? ……ああ、大戦初期に創られた、特に剣呑な能力を持つ混成種か。確か、〝禁種目録レッドリスト〟じゃったかの? あれに載っている混成種は、発見したら無条件に狩れなどと、他でもない奴らがほざいておったはずじゃがな」

「ああ。……狩られるのは、危険な能力を持つ者ばかりじゃ、なかったけどな」


 無残に撃ち殺された母と父の姿が束の間まなうらに蘇り、握り締めた手に知らず力が籠もる。それを知ってか知らずか、ムジカは静かな声で話題を戻した。


「とにかく、その核結晶コアとやらを取り出したのは、わしらではない。……おそらく三十年前の当時から、失われていたんだろうよ。国土の大半が吹き飛ぶほどの衝撃波に真っ向から晒されたんじゃから、無理もあるまいさ。むしろ、あれだけ身体が残っているのが奇跡だの」

「じゃあ、その時仕掛けた罠って何なんだ?」


 てっきり、核結晶コアを取り除いて、あの少女の能力を封じようとしていたのではないか、と考えていたのだが――はたして目の前に横たわるジークの師は、にんまりといわくありげな笑みを浮かべただけだった。


「開けてのお楽しみ、じゃの。――だからジーク、あの娘を修繕しても問題はないぞ。存分に腕を揮うがいい」

「……止めないのか? 俺が修繕に成功して、あの子が目を覚ませば、世界が滅びるかもしれないんだぞ」


 俺には散々、猫どもに捕まるなと警告していたくせに、と呟けば、師は飄々とした、底の見えない青い双眸でこちらを見据えた。


「――それも、お前さんが何とかしてみせるんじゃろう? 期待しとるぞ」


 そのまま無言で数秒視線を交わした後、疲れた、わしはもう寝る、と一方的に告げて、ムジカはくるりと背を向けた。ほどなく、くかー、くかー、と聞こえ始めた寝息を背景に、ジークはじっと、己が手を見つめる。


(あの子を目覚めさせるには、代替となる核結晶コアが必要だ。――でも、仮に起こせたとして、その後はどうする? じじいは問題ないとか抜かしてたが、そんなに甘いわけがない。三十年前に仕掛けられた罠が作動しない可能性は、充分にある)


 いったいこの手で何が為せるのだろう、とジークは答えのない問いに、暗い牢の中で、独り向き合い続ける。




 * * *


「はあ、ギュイさんもシドルさんも、みんな人遣いが荒いんだから……。ちょっとは、自分たちで探してくれたらいいのに」


 ぶつくさと小声で呟き、何度目か数えきれない溜息を漏らした看守に、機を見計らっていたチセは、檻の中から声をかけた。


「あの、良かったら手伝いましょうか? ミンデさんお一人じゃ大変で――」

「うわああああ、喋った!!!」


 チセが声を発するや否や、看守はばさばさと手に持っていた書物を床に落とし、のけぞるようにして檻から距離を取ろうと本棚に張り付いた。その衝撃でぐら、と棚の天辺に積まれた本が揺れ、呆気に取られていたチセが「危ない!」と我に返って警告した直後に、勢いよく看守の頭上に落下する。


「いったあ……」

「だ、大丈夫、ですか……? ミンデさん?」


 頭を抱えたまま蹲り、ややあってから衝撃で落下した眼鏡を拾い上げた看守は、顔を上げてぱちぱちと瞬いた。


「うん、まだ痛いけど大丈夫だよ。……あれ、どうして僕の名前、知ってるの?」

「え、皆さんに呼ばれてましたよね? ほら、馬車の中でも」

「――ああ、あの時か。うわあ、見られてたんだ。恥ずかしい……」


 見られていたも何も、あの場に居たんだから当然だろう、とチセは看守の反応に、内心困惑する。無論、表情には一切出さなかったが。


「そんなことないです。わたし、すごく嬉しかったんですよ? とってもかっこよかったです!」


 小首を傾げ、にこりと親し気に笑いかけると、看守はまんざらでもなさそうにはにかんだ。――やはりあの時見込んだ通り、情に脆そうな人間だ、と笑顔の裏で、チセは冷静に分析する。


 見事ジークを騙しおおせ、彼を捕獲する一助を担ったチセは、この施設に運ばれてくる間も、檻の中で手足を拘束されていた。その世話を交代で行っていたこの男は、何を思ったのか、上官にせめてチセを檻から出してやってはどうか、と進言したのだ。無論その提案は一蹴され、皆からは嘲笑の的にされて、顔を真っ赤にしていたが――一部始終を檻の中から観察していたチセが考えていたのは、この男は利用できるかもしれない、ということだった。


(お姉ちゃんを助けるためなら、わたしは、何だってできる。――どれだけ汚いことをしたって、誰の想いを踏み躙ったって、構わない)


 もう、全部、今更なのだから。――後戻りなどできない。


「そ、そうかなあ?」

「そうですよ! わたしのために、あんな怖そうな人に意見してくれた方なんて、今まで誰もいなかったですもん」


 それなのに、どうしてだろう。

 ――どうしようもなく、胸が、苦しいのは。


「……だから今度は、わたしがミンデさんを助ける番です!」


 その痛みを握り潰すように、胸の前に両拳を掲げれば、看守は少しだけ目を瞠った。すかさずチセは、あ、でも、といかにも悲し気に、眉と拳を下げる。


「いくら手枷と足枷があったって、……怖い、ですよね。何の力もなくても、わたし、混成種ですし。さっきも、声をかけただけで怖がらせちゃったし」

「そ、そんなことは……! ほら、ずっと黙ってたから、急に声をかけられてびっくりしちゃっただけだよ!」

「いいんです、気を遣っていただかなくても。……いつも、そうでしたから。誰かの役に立ちたくても、恩返しをしたくても、わたしじゃダメ、なんです」


 健気な少女を演じているだけのただの台詞に、その時ほんの少しだけ、チセの本心が滲んだ。


 ――この、役立たず!


 かつて施設の人間と混成種たちに投げつけられた、心無い言葉の数々よりも。

 今、チセの胸を苛んでやまないのは、己が己に突き付けている、無力感という名の刃だった。


 自分を救ってくれた、姉ひとり守れず。自分を大事にしてくれた人を傷つけ、裏切ってまで。

 そこまでしてもなお、何一つ取り戻せない自分に、チセは、絶望していた。



「――そんなこと、ないよ」



 だから。

 自分の本心など、秘めたる願いなど、覚悟など何一つ知らぬ相手に、薄っぺらい慰めの言葉をかけられて、チセはほんの一瞬だけ、静かな憤りを覚えた。しかし狙い通りの反応だ、と冷徹に機能する脳が、チセの目を自然と潤ませ、上目遣いに相手を見つめろ、と告げる。


「……本当、ですか?」

「うん、もちろん本当だよ。だって君は今、僕を手伝ってくれるって言ったじゃないか。それって、すごい恩返しだよ」


 涙混じりの声で返したチセをなだめるかのように、看守は真剣な顔で何度も頷いた。檻の鉄格子に指を絡め、チセは、とどめの台詞を口にした。


「もし、恩返しができるなら……すごく、嬉しいです。わたし、初めて、誰かのお役に立てるんですね。その相手が、ミンデさんみたいな優しい人で、よかった」


 目元を拭い、健気な笑みを浮かべてみせれば、感に堪えかねたように唇を引き結んだ看守は、鍵束を持ってこちらに近付いてきた。どうかそのまま気が変わりませんように、と今ばかりは祈るような心境のチセの目の前で、ゆっくりと、檻の扉が開かれる。


「――本当にありがとうございます、ミンデさん。あの、何の本を探したらいいですか?」


 看守が先程から漁っていた巨大な書架に、じゃら、と手足の鎖を鳴らしながら歩み寄り、左右に視線を巡らせる。檻の中からでは見えなかったが、どうやら書架は合計で五つあるようだった。この中から目当ての物を探し出すのは骨だろうな、と少しだけ同情しつつ尋ねると、返ってきたのは意外な言葉だった。


「ううん、こちらこそ助かるよ。ええとね、それがあんまり情報がなくて――こっちの本棚の中から、青い表紙の冊子を、探してくれないかな」

「ええと、表題とかは……」


 いくらなんでも情報が少なすぎるだろう、と戸惑いつつ問えば、看守は申し訳なさそうに、力なく眉を下げた。


「それが、ないらしいんだ。僕も上の人に聞いたんだけど、誰かすごい研究者の人が、混成種のことについて綴った日誌みたいなものなんだって。それだけの情報で見つけ出せなんて、到底無理だよ」

「それは、大変ですね……。わたしもお役に立てるように、一緒に頑張ります! でも、そんな難しいお仕事を任せられるなんて、ミンデさんってすごいんですね」


 適当なおべんちゃらを口にすれば、看守は少しだけ嬉しそうにはにかんだ。


「ううん、僕はすごくないんだ。……でも、せっかく任せられた仕事なんだから、もう少し頑張ってみるよ。ありがとう」


 それに一冊はもう見つけてるからね、と誇らしげに胸を張った看守にどういうことかと視線を向ければ、これこれ、と嬉し気にその書物を掲げられた。


「――『混成種生態学大全』! 試しにちょっとだけ読んでみたけど、めちゃくちゃ難しくて、僕にはちっともわからなかったよ……」


 看守の嘆きが急速に遠ざかり、束の間呼吸も演技も忘れて、チセは字が掠れたその表紙を、まじまじと凝視した。


(……お姉ちゃんが、読んでた本だ)


 かつて、施設の木蔭の下で。

 暇潰しにと、姉が読んでいた――。


「……大丈夫? どうかしたの?」

「――いえ、何でもないです! この表題の文字、どうやって読むのかなあって。わたしなんか単語の意味もわからないのに、中身が読めたなんてすごいですね!」


 我に返り、両手を合わせてにっこりと笑みを浮かべると、看守も安心したようにへらりと相好を崩した。


「いやいや、ちょっとだけだから。じゃあ、手分けして探そうか」

「はい!」


 そう言ってあっさりとチセに背を向けた看守を見て、この男はつくづくこの仕事に向いていないな、と内心で呆れながら、鷹のまなざしで周囲を見渡す。


(……急がなきゃ、他の看守が様子を見に来るかもしれない)


 檻を出てすぐさま看守を昏倒させるなりなんなりして脱走してもよかったのだが、看守が探しているという書物の存在が、チセにはどうにも引っかかっていた。それに、何よりも。


(――お姉ちゃんは、どこにいるんだろう?)


「あの、ミンデさん。……わたしの、お姉ちゃんを、ご存じですか? 紅い、長い髪が綺麗な……」


 息を詰め、声が震えそうになるのをどうにか堪えながら訊くと、ミンデは本を抜き差ししつつ、首を傾げた。


「赤い髪の女の人? うーん、ごめん、僕は下っ端だから知らないんだ。……あ、でも、この施設の最下層に、囚われている混成種がいるって話は聞いたことがあるよ。――でも、お姉ちゃんって?」


 囚われの混成種、という単語に鼓動を高鳴らせたチセは、声が上ずらないように苦心しつつ、どうにか口を開いた。


「わたしを助けてくれた、大切な人なんです。――もちろん、血の繋がりはありませんけど」

「……血の繋がりなんて、大したことじゃないよ。心が繋がっていれば、それはもう家族さ」

「――そうですね」


 そうだ、これが普通の人間の、当然の反応なのだ、とどこか白々しい気持ちで、チセは必要最低限の言葉を呟いた。


 ……が、普通ではなかっただけで。


 これ以上この話題を掘り下げたくなかったチセは、目当ての書物を探すのに没頭するふりをして、どうにか会話を断ち切った。何度も書架から本を出し入れしつつ、ひそかに視線を周囲に巡らせ――やがて、見つける。


(……あった)


 青い表紙の、薄い冊子。チセはさりげなくそちらに近付いてゆき、ざっと表紙と中身に目を通した後、看守の隙を見計らって、懐にその冊子を滑り込ませた。それからもう一つの目当ての物を手に取り、嬉し気に声を上げた。


「ミンデさん、ありました! これじゃないですか?」

「え、本当!? すごいや、こんなに早く見つかるなんて!」


 駆け寄ってきた看守に青い表紙の本を差し出し、看守がそれを受け取る直前に、チセはわざと手を離した。当然ながら、ばさ、と音を立てて、本は床に滑り落ちる。


「わわ、ごめんなさい! 大事な本なのに」

「はは、大丈夫だよ。……うん? この本――」


 拾おうとしゃがみこんだ看守は、落下のはずみに開いた頁を見つめ、首を傾げる。おそらく、求めている書物とは内容が違うのではないか、とでも続けようとしていたのだろう。

 その言葉は中途で途切れ、どさりと、看守は床に崩れ落ちた。チセは振り下ろした分厚い本を看守の頭の上に置き、素早くその腰元から鍵束を奪い去る。

 予想通り、手枷と足枷は、その鍵であっさりと外すことができた。――これで、少しなりとも目的には近付けるはずだ、とチセは冷静に、これからの行動を思い描く。


「……大丈夫。檻の中にいる間、ずっと、考えてたもの」


 己を奮い立たせるように呟き、チセは、哀れな看守に背を向けた。


「――ごめんね」


 振り返ることなく。

 相手に聞こえることなどないとわかっている、謝罪の言葉を残して。



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