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 何とかする、と豪語したはいいものの、現在自分が置かれている状況を視線を巡らせることで理解したジークは、ふ、と溜息を零した。


 囚われているのは、鉄格子に囲まれた、狭苦しい牢の中。

 冷たい石床には壊せそうな継ぎ目もなければ、掘れるような箇所もない。万一穴が掘れたところで、脱走を果たすまでには途方もない年月を要するに違いなかった。


 当然ながら、窓もない。唯一の光源となっているのは、牢の外でゆらりと燃える、二つの燭台の頼りない灯だけだ。淡い橙色の光に照らされた通路は、ジークたちが入れられた牢の左側にのみ伸びているようだった。――どうやら自分たちは通路の行き止まりにいるらしい、と察したジークは、厄介だな、と思考を巡らせる。


(手足を縛られていないのは、修繕に必要な道具が傷んではいけないから、ってところか。仮にここから逃げられたとしても、首輪の発信機があるからどこまででも追ってこれるし、何なら爆発ぐらいしそうだな)


「なあじじい、――痛ってぇえええ! ……失礼しましたお師匠様、わたくしどもの職場は、どちらになるんでしょうかね?」


 通算三度目の鉄拳に、そろそろ頭が割れる、と唸りながら問うと、ふん、と鼻息を吐いたムジカは、じきにわかる、とだけ告げた。


「わしも昨日、目隠しをされてこの場所に移動させられたばかりだが、おそらく行き先は変わらんはずだ。――そろそろ、迎えが来る頃合いかの」

「……そういや、ずっと気になってたんだけど。ここ、見張りはいないのか?」

「ああ、監視機器カメラと見回りだけじゃ。本来ならおそらく音声も拾っとるんだろうが、先刻ちょいとばかし細工をしたからな。奴らが来る前に、戻しておくとしよう」


 にやりとあくどい笑みを浮かべたムジカは、汚れた衣の懐にやおら手を突っ込み、ジークにだけ見えるような角度で、ちらと小さな機械を覗かせた。


「――何せ、工具は取り上げられなかったからな」


 無音でムジカが音波妨害装置と思しき機器を操作して間もなく、カツ、カツ、と無機質な足音が通路にこだまする。


「さあ、奴らのお成りじゃぞ」


 ムジカが囁いた直後、黒衣に身を包んだ男四人が、牢の前に姿を現した。


「出ろ、仕事の時間だ」


 無言でムジカと目を合わせて頷き、ゆっくりと牢の出入り口に歩み寄る。先んじて外に出されたムジカが手枷と腰縄を巻かれた上に目隠しをされたのを見届け、次いでジークが前に進み出る。


「……逃走など、ゆめゆめ企てようと思わぬことだな。もしも我らに叛意ありとみなした場合は、貴様ら全員の首が弾け飛ぶと、よく心に刻んでおけ」


 背に刃を突き立てられながら耳元に落とされた忠告に、ご親切にどうも、と毒づきたい気持ちを堪え、ジークは殊勝げに小さく頷いた。


(こいつらに構ってる暇はない。――道を、覚えないと)


 おそらく、前を行く師も、自分と同じ目的を持っているはずだと信じ、ジークは周囲の匂いや音と、進行方向を記憶することに集中した。


(まっすぐ進んで右、左、左、右、左、右、右か。――偽装もあるかもしれないが、覚えきれないほどじゃない)


 やがて道が徐々に下に向かって傾き始め、重々しい音を立てて扉と思しき場所を通過した後、おもむろに目隠しを外される。暗闇に慣れていた目には手燭の灯火すら眩しく、ジークは思わず目を眇めた。


「――降りろ」


 有無を言わさぬ口調で背を小突かれ、再び歩を進める。なぜ視界を奪う布が突然取り去られたのか、その理由は明白だった。


(螺旋階段? ……うわ、結構滑るぞ)


 いくら無慈悲な取締官とて、修繕師に目隠しをしたまま階段を下りろと命じることはしないらしい。これ幸いと、周囲にそれとなく視線を巡らせようとしたジークは、足で段差を踏み締めた瞬間に、その試みを諦めた。

 金属製の階段は、階下から漂う冷気のせいか、それとも他の原因によるものか、ひどく滑りやすかった。これは一歩足を滑らせたら大事だ、と即座に悟ったジークは、階段を下ることに専念する。もしも思考を奪おうとしてこの階段を作ったなら大成功だ、と内心で毒づきながら、慎重に歩を進めていった。


(……それにしても、えらく寒いな。なんでこんなに、冷やしてるんだ?)


 下に降りるにつれて、寒気は強まる一方だった。ついには吐く息が白く染まり始め、ジークはかじかむ指先を握り込む。


(――最凶の、混成種、か。……いったいどんなやつなんだろうな)


 遥か昔に、二大国の大半を吹き飛ばすほどの力を振るった、謎に包まれた存在。その正体を確かめられるとあって、ジークの好奇心は、危機感や理性とは別のところで、少しだけ浮足立っていた。


 やがて爪先が冷え切り、半ば無意識に螺旋階段を踏み締め続けていたその時――不意に、視界が広がった。


 だだっ広い空間にひたすら広がる、無機質な鈍色の床。床の脇に、壁に、天上に、絡み付くように伸びる、大小も形もさまざまな金属管。

 その全てが、空間の最奥へと収束していることを見て取り、ようやく階段から殺風景な鈍色の床へと降り立ったジークは、常ならぬ緊張を覚えながら、促されるままに、ひたすら歩を進めてゆく。


(この床も、とんでもない硬度の合金でできてるみたいだな。……いったい、いくらつぎ込んだんだ?)


 少しでも気を紛らわせようと、どうでもいいことに思考を振りながら、機械的に前に出し続けていた足が、不意に、止まる。


 意識も、五感も。――最奥に佇む白銀の存在に、全て、奪い去られてしまったから。



 白い、月光の、蒼褪めた肌。

 照明に照らされ、星辰の瞬きを宿す、さながら天衣のごとき白銀の長髪。

 彫刻のごとくなめらかな瞼を閉ざしたその花顔は、どこまでも神聖で気高く、魂が震えるほどに、うつくしい。


 だからこそ、とジークは思う。


 華奢な四肢を縛め、磔にして自由を奪う、武骨な枷が。

 左胸と右大腿部に刻まれた、生々しい傷痕が。

 深く穿たれた傷痕を中心に、全身に鎖のごとく繋がれた、無数の管が。


 ――あまりにも、痛ましかった。



(……こんなにしてまで、兵器として、従えたいのか?)

 本来であれば、とうの昔に永遠の眠りについていたであろうこの少女を、冒涜してまで。

 いったい何を望むというのか、とジークは静かな、けれど激しい、憤りを覚えた。


「――何をしている、早く進め。とっとと作業を始めろ」


 突き飛ばされるようにして前に押し出され、よろめいて数歩前に進んだジークは、その神威にあふれる存在を、仰ぎ見る。


(……俺が、この存在を、修繕する?)


 その時ジークの胸の裡に込み上げたのは、大いなる存在への畏れだった。

 しかし、とん、とムジカに背を叩かれ、はたと我に返る。――そうだ、彼女には申し訳ないが、触れないわけにはいかない。修繕が果たせなければ、自分たちの命はないのだから。


(……ごめんな、俺たちの都合で、勝手に触れて)


 心の中で詫びてから、ジークは意を決して少女の間近にまで近付いていき、痛々しく刻まれた傷を検分した。


(――身体の構造は、エレオノールたちとそれほど違わないみたいだな。血管代替部の位置も、ほぼ同じだ。足の傷は、深手だが、縫えないことはなさそうか……ただ、何だこれは? 焼けてる?)


「……じじい、どう思う? この傷、縫合だけでいけるか?」

「――火傷か、毒か。どちらによるかで、対処は変わるじゃろうな。まあどちらにせよ、起動さえすれば、自己治癒する程度だろうの。それよりも問題は、こっちじゃろう」


 師が視線で示す、少女の左胸部を観察する。――痛々しく刻まれた深手と、赤黒く変色した皮膚。問題は、その損傷の激しさではなく。


(……核結晶コアが、割れてる?)


 懐から手袋と拡大鏡を取り出し、できる限りそっと、傷口の内部を覗き込む。しかし、少女の体内に、想定していた球形の物体は見当たらなかった。残るのはただ、千々に砕けた、その残骸だけ。


(……どういうことだ? 三十年前の修繕の時に、当時の修繕師たちが復活を阻止するために、わざと割ったのか?)


 核結晶コアとは、混成種の体内に存在する、第二の心臓とでも呼ぶべき部位である。他の生物の能力を用い、敵を攻撃する混成種の体内で、化学反応の調節や促進を行う重要な処理器官が壊れていれば、そもそも目覚めるはずがないのだ。


(だとしたら、どうする? 俺が余計なことを言えば、じじいたちが危ない。かといって黙っていれば、復活させることはできない)


「……どうした? なぜ手を止めている」


 目敏くジークが手を止めたことに気付いた取締官が、こちらに近付いてくる。高速で思考を巡らせるジークを、冷酷な表情で見下ろす黒衣の男は、何か発見したなら今すぐ吐け、とムジカの首に刃を突き付け、詰問する。

 隣に佇むムジカが、静かな視線を自分に送っていることを、横顔で感じながら。


「もちろん、気付きは報告いたします。……ただ、皆様に、誤った情報をお伝えしてはいけませんので、一点だけ、お願いを申し上げたく、」


 修繕を進めるために、当時の書物を読ませていただけませんか――と、平伏して、ジークは続けた。



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