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「……チセ、帰ったぞ」


 ジークが出発した時と変わらぬ場所で膝を抱えていたチセは、ちらりと顔を上げて、おかえり、と小さな声で返してきた。今ばかりは、チセの好奇心がなりを潜めているのがありがたい。


「遅くなって悪かった。晩飯にするか」

「うん」


 自分は、いつも通りの、表情を作れているだろうか。

 いつも通りの声音で、喋ることができているだろうか。


 動揺はある程度鎮めてから帰ってきたつもりだったが、いざチセの姿を見ると、否が応にも心がざわめいた。チセが顔を上げないのをいいことに、あえて彼女に背を向けて、荷から食料を取り出していると。


「…………っ」


 無意識に、手が、止まった。


 荷から覗いている、携帯食料の包みは――エレオノールと、ユーディスが。

 あの二人が、旅立つジークとチセにと、渡してくれたものだった。


「――ジーク?」


 動きを止めたジークを訝しんだのか、チセが背後で立ち上がる気配がした。頼むから今は来ないでくれ、と苛立ち混じりに願うも、何か手伝おうか、とお構いなしにチセは近付いてくる。


「……ああ、悪い。どれにしようか迷ってな」


 チセが覗き込む前に素早く別の包みを引っ掴み、チセの視線を遮るように、どれがいい? と尋ねる。ええと、と戸惑った様子で突き出された包みの一つを選んだチセは、しばし黙り込んでから、ジーク、と躊躇いがちに口を開いた。


「何か、あったの……?」

「いいや。――ロウニの所を訪ねてみたんだが、あいにく留守でな。しばらく帰ってこないっつうから、どうしたもんかなと思案してた」


 さあ飯にするぞ、とつとめて明るい声を出すと、チセは琥珀の双眸をじっとジークに向けて、静かな口調で告げた。


「それだけじゃ、ないよね? ……ジーク、何か変だもん」

「変とはなんだよ、師匠に向かって」


 軽口で流そうとするが、チセはそれを許さなかった。眉を吊り上げ、「何か隠してるでしょ」と確信している口振りで言い募る。


「ジークが、一緒に買い出しに行く時以外で、わたしに何が食べたいか聞いたことなんてないもん。帰ってきてから全然目も合わせようとしないし、何か暗い顔してるし、おまけに自分のことを師匠だなんて言うし。絶対に変」

「少し疲れてるだけだ。ほら、早く食ってとっとと寝るぞ」


 侮っていたわけではないが、チセの観察眼はやはり鋭い。多少遅くなろうと、もう少し心の整理がついてから戻ればよかったと、ひそかに悔やんでいると。


「――――心配なの」


 ぽつりと、か細い声で、チセが呟いた。その真摯な響きにつられ、思わず視線を戻すと、澄んだ琥珀の双眸が、まっすぐに、ジークを見つめていた。


「ジークが、心配なの。……一人で抱え込まないで、わたしにも教えてよ」


 頼りにならないから言えないのかもしれないけど、と続けられて、とっさに口を開きかける。だが、喉に何かが詰まっているかのように、言葉を発することはできなかった。


(……言える、わけがない)


 ただでさえ落ち込んでいるチセに、これ以上追い打ちをかけるような真似はできない。否、したくない。


「……何か、悪いことが、あったんでしょう?」


 おそらく、チセは察している。ジークが頑なに、話そうとしない理由を。


「お願いジーク、教えてよ。隠されたままは、嫌。……わたしだけ何も知らないままなのは、嫌なの」


 その理由にも薄々勘付いているくせに、声を震わせて、泣き出しそうな表情で衣の裾を握り締めて、今すぐ話せと、ジークに要求するのだ。


「だって、わたしたち、仲間でしょう……?」


 あまりにも真っ当で、あまりにもずるい言葉だ、とジークはその時、怒りすら覚えた。しかし腹の底がかっと熱くなったのは一瞬で、覚悟を宿したチセのまなざしがひたと自分に注がれていることを認めて、深く、息を吐く。


「――辛い、話になるぞ」

「うん」

「多分、聞かない方がいい。それでも知りたいか?」

「うん」


 揺るぎないチセの双眸を見据え、胸を刺し貫くような痛みを覚えながら、ジークは重い口を開いた。



「――エレオノールとユーディスは、……死んだ。俺たちがあの街を発った後、敵襲を受けたらしい」



 チセは、何も言わなかった。

 ただ、瞬きも呼吸も止めて、呆然と目を見開いていた。


 かける言葉もないまま、固唾を呑んでそのまま様子をうかがっていると、しばらく放心状態に陥っていたチセの全身が、やがて小刻みにかたかたと震え出し、膝ががくりと折れる。


「――チセ!」


「うそ。……うそ、でしょ?」


 膝から崩れ落ちたチセを間一髪のところで支えると、チセの指が、痛いほどの力でジークの腕を掴んでくる。すがるような瞳で見上げてくるチセに、ジークは張り裂けそうな胸の痛みを堪えながら、それでも告げた。


「嘘じゃない。――あの二人は、戦って、死んだ」

「……わたしの、せいだ」

「チセ!」


 琥珀の双眸が、ひかりを、喪う。

 唇を震わせ、人形のように血の気と感情が抜け落ちた無表情で、チセは淡々と、己への呪いの言葉を吐き続ける。


「わたしのせいだ。わたしのせいで、みんな、いなくなっちゃう。わたしといたせいで、みんな、不幸になる。みんな、わたしを置いて行っちゃう。わたしがあの街に行かなければ、エレオノール、さんも。ユーディスさんも、みんな、……死なずに、すんだのに。わたしさえいなければ、お姉ちゃんも、捕まらなくてすんだのに。ねえ、どうして。なんで、なんで、なんで、なんで――……」

「チセ! いい加減にしろ!」


 がっ、と顎を掴むようにして強制的に黙らせると、まるで生気のない、絶望に染まった瞳が、虚ろに視線を彷徨わせる。そのありさまに、腸が煮えくり返るような怒りが込み上げてきて、ジークは激昂をそのまま叩きつけるようにして、チセを怒鳴りつけた。


「何でもかんでも、自分のせいにしてんじゃねえよ! そうやって思考を止めて、可哀想ぶんな! そもそもあの街に残ることを決めたのは、ユーディスとエレオノールだろ! あの二人の決断を、意志を、勝手にお前のものにするな!」


 それだけは赦さない、と低い声で告げれば、眉根を寄せたチセが、ぐ、と何かを堪えるように呑み込む。


「――ジークに、なにが、わかるの。奪われたこともないくせに」

「俺か? 俺は八つの時に家族を全員殺された。俺のお袋は花の化身でな、殺傷能力なんてこれっぽっちもなかったのに、ある日突然押しかけて来た取締官の連中に殺された。親父も俺を逃がしたせいで死んだ。俺は、お袋と親父を見捨てて逃げたおかげで、どうにか生き延びた。で、そこからはお前と同じ、逃亡生活だ。まあ俺は、じじいに拾われた分、運がよかったけどな。――理不尽に奪われたのは、お前だけじゃない。そのことでいくら自分を責めたって、何一つ変わりゃしねえんだよ、残念ながらな。だから、どんなに辛くても、歯ぁ喰いしばって、前に進んでいくしかないんだ」


 言い捨てて、ぱっとチセの顔から手を離すと、燃えるような激情を滾らせた琥珀の瞳に、ぎらと睨み据えられる。唇に血を滲ませたチセは、全身をわなわなと震わせながら、身の裡に溜まった感情を爆発させるように絶叫した。


「ジークに、わたしの気持ちなんて、絶対にわかりっこないっ!! わたしは、ジークみたいに、割り切ったりなんかできないっ!」


 叫ぶや否や、チセはジークに背を向けて、一目散に駆け出した。

 間もなくその小さな影が針葉樹林の中に消え、足音も、気配すらも絶えて久しくなってなお。


 ジークは、その場から動くことが、できなかった。


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