04



「降りて」


 振り払われた右手に、痛みはうまれなかった。これは過去の再生だから、当然のことだ。


「大江さんのせいで、私たちまで逃げなきゃいけない」


 つぐみの手を張り飛ばした少女は、高校でつぐみと多少話す仲のはずだった。まだ高校が正常に機能していた時には、「私、留年してるから免許もう持ってるんだ」と笑っていた。大人達が「抗体持ち」の子供を求めて暴動を起こした時も、率先してバスを運転してみんなを逃がしてくれた。


 バスの中での共同生活は不便ながらもうまくいっていた。


 つぐみが「抗体持ち」だと大人たちが叫び、襲ってくるまでは。


 少女の後ろからは、たくさんの対の視線がつぐみを射貫いていた。その視線の意味は、つぐみにもよく分かった。死にたくない。そんな恐怖がそこにはこもっていた。


「わかった」


 つぐみを狙う団体の中には、生け捕り用のゴム弾ではなく、実弾を扱う連中もいた。同級生の、いや、同級生だった少女たちの気持ちもよくわかった。


「待って」


「時枝さん?」


 バスを降りたつぐみの背中に、声がかけられた。小学校から慣れ親しんだ声。沙惠の声。


「つぐみが降りるなら、私も降りる」


 バスの中のメンバーの困惑の気配をつぐみも感じた。沙惠は特別バスの少女達に頼りにされていた。彼女が大人たちが落としていった銃を扱えたからだ。旅行に行った時に触ったことがあるらしい。


「……あなたは銃を使えるし、別に、残っても」


「降りる」


 少女の説得を切り捨てるように、沙惠はそう言った。ふり向けば、色素の薄い沙惠の目がこちらを見ていた。その視線に、つぐみは自分が一番だと、まるでそう言われたようで頬が熱くなった。


「……わかった。二人とも降りて」


 少女のその一言で、その後半年以上に及ぶ沙惠とつぐみの二人旅がはじまったのだ。


 ただ、その時のつぐみは沙惠が五指をからめて自分を先導してくれるのが嬉しくて、それほど先の事まで考えることなどできてはいなかった。


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