第16話 タチの悪いバカ殿の話

 

「なんとなーくだけど、魔界には一国しかないっていうか、世界統一されているって思い込んでいたのよね」


 旦那様が十時のお茶を済ませ、出て行った後のことだ。何気ない雑談から、そんな話になった。


「それは―――当たらずとも遠からずと申しますか…本質を捉えていらっしゃると思いますよ」


 片づけの手を休め、侍女頭のレオノラは真面目な顔で答えた。


「というと?」

「以前は、そもそも『国』という概念もなく、魔界とは魔王様お一人が治めるものでしたから」

「!それ! そこんとこ詳しく!!」


 『戦争』の原因はきっと、そのあたりにあるのだろうと感じる。

 レオノラは片づけを他の侍女たちに任せ、思い出そうとするかのように虚空を見つめた。


「事は、先の魔王様がお隠れあそばしたことに端を発します」

「ふんふん」

「ちなみに人間の魔導師と相討ちになられたのですが」

「えっ!ごめん!?」

「正々堂々闘った結果でございますから、遺恨はございません。当時はまだ、強い魔力を持つ人間がおりましたねえ」

「…それって、いつ頃の話?」


 レオノラは更に遠い目をした。


「およそ三百年は前になりましょうか」

「へえ…」

「瀕死の状態になられた先王陛下は今上陛下に譲位され、その後すぐお隠れあそばしたのですが―――異を唱えたのが今上陛下の弟君でした」

「弟…」

「曰わく『フェアではない』と。魔界を等分すべきと仰いまして」


 苦々しい口調でレオノラは言う。他の侍女たちも渋い顔をしている。


「―――ところで私ども魔族は、公明正大であることに矜持がございます。人間を襲って魂を奪うのは容易いにも関わらず『契約』を結ぶのもその為です」

「ああ、うん『悪魔に魂を売る』って、ちゃんと慣用句になってるよ」

「人間にも正しく認識されているのですね。良きことです」


 まあ、あまり褒め言葉ではないけど…。


「ですので『フェアではない』との訴えは、重大な告発たりえるのです。議論は紛糾しましたが、陛下ご自身は割合あっさりと、弟君への割譲を決定なさいました」

「それが失敗だったと?」

「申し上げにくいことですが、失敗は半ば予想されておりましたね。最も肥沃な土地が含まれる大地の半分を譲り、備蓄の食糧も半分渡しましたが、数年後には『兄上の国の備蓄食糧が減っていないなんてフェアじゃない。半分寄越せ』と仰っておられましたので」

「うわあ…」


 いるいる、そういうやつ。連中に言わせると、他人が努力して得た物も「ズルい」なのだ。


「当然、断ったんでしょう?」

「はい。すると、当てつけるように人間を狩り始めました」


 そう言ったレオノラの口調が少し変わった気がした。


「人間の魂を摂取するならば、食物は不要だからです―――年に一度ほど取り込めば空腹にもならず、魔力も最大値に保たれますから」

「ん? ちょっと待って」


 私が見る限り、後宮の皆さんは普通に食事を摂っている。

 ということは?


「ここの皆は、人間の魂という栄養素?が不足してるの?」

「まあ、完全に摂らないと死にますから、百年に一度は摂取しています―――最低限の魔力は保てる程度になりますが」

「どうしてそんな…」

「先王陛下の御世から、今上陛下が推し進めてきた政策です。むやみと人間界に対立することまかりならぬ、と」

「………」

「治世に向かぬはずの弟君に付いて行ったのは、実はそれに不満がある者たちが多かったのです」

「…あなたたちはどうなの?」


 レオノラの雰囲気が変わった時、その顔に複雑な感情を見た気がしたのだ。


「…身体中に魔力が満ちる感覚を、忘れて久しいのです。弟殿下について行った者たちを羨む気持ちが、まったく無いと言えば嘘になりましょう」

「だよね…」


 言わば、強制的にベジタリアンにされているようなものだ。しかも身体に影響があるときた。

 しかし私の感情もまた、複雑なのである。同種族が喰われると聞いて、いやいや遠慮なくどうぞどうぞ、とは言いづらいものがある。


「ですが意思疎通の取れる、なんとなれば生殖行為を共有できる種族を摂取することに罪悪感を覚えるのも事実なのです。あまりお心を痛めませぬよう」


 麗しい顔に笑みを浮かべ、レオノラは一礼した。


「それが戦争の原因?」

「いえ。乱獲でこれまでの人間界との融和政策が灰燼に帰すことや、『契約』を交わすことなく魂を狩ることへの苦々しい思いはありますが、それで他国への干渉はできません」

「じゃあ、どうして?」

「近頃は人間狩りが上手くいかないと、国境付近の農地が襲われるのです。一部の無法者の仕業かと思いきや、弟殿下が煽っておりますようで」


 そりゃ駄目だわ。露骨に敵対行為だもんね。全面戦争にもなるだろう。


「戦争とは申せ、実のところ死者はそれほどではないのです―――魔界が二分して三百年になりますが、多くは既に我が国に亡命済みですので」

「え、その国、どうやって成立してんの?」


 聞く限り、よほどの暗君である。しかも亡命されまくりとか―――戦争なんて可能なのだろうか?


「そこで、魔力差が問題になってくるのですよ。数ではもはや城に収まる程度しか残っていないのですが、皆、我々よりも魔力が大きいので、籠城されるとやっかいでして」

「ああ…」


 多人数に追われたら狭い路地に逃げ込んで一対一に持ち込む、って戦術の応用になるのかな。

 魂喰らって魔力フルパワーな奴と、草食で最低限の魔力をどうにか保っている兵士では、確かにこちらが不利そうである。


「ありがとう。大まかな流れはわかったよ」


 にっこりと一礼して仕事に戻るレオノラを、ぼんやり見ていた。

 旦那様の言っていた、戦争はほぼ終わっている、とか、後始末する、とかの意味がようやく腑に落ちた。

 しかし、魔力不足うんぬんの話が気になって仕方がない。生物的に健康的でない状態を維持するってどうなんだろう。かといって人間を…ってのもなあ。


「難しいねえ…」


 つい洩れた独り言に、思いがけず応えがあった。




「―――食料の分際で、偉そうに」




 ん?




 初めて聞く声―――の方を見ると、たおやかな金髪の美少女が、うっすら笑みを浮かべていた。

 初めてしゃべったよこの子!つか笑顔こっわ!ってあれ?何この状況?えーと、つまり、そういうこと?


 私はゆっくりと立ち上がり、可愛らしいふわふわのスリッパを脱ぐと、




 スパ―――――ン!!!




 それで侍女・マデラインのふわふわ頭を全力でひっぱたいた。


 非常に、良い音がしました。





 

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