拾参――”Besessenheit” (Pursue)

「おい、はらい者。お前


 ……!?


「――え、何それ知らないんだけど」


「知らない訳あるか! ならいつも一緒に居るあの河童と坊主はどうした。お前達が姫様を人質に取ったんだろう!」

「違うよ、本当に知らないんだってば――!」

 叫んだ拍子にさっきの刺し傷がずきずき痛み、思わず手で押さえる。どくどくと波打って体がぶるぶる震えた。

「そんな事言って……じゃあ、坊主があの時それらしい事を言っていたのは何と説明する積もりだ。どうせお前達が斧繡鬼を上手く誘導してその間に――!」

 太刀を振り上げながら怒号を飛ばす剣俠鬼に思わず頭を抱えるとその腕を斧繡鬼が慌てて取った。

「それ以上は止めておけ。そいつはリスキーな嘘を吐く様な度胸を端から持っていない」

「しかし――!」

「それにここで追及しても時間を食うだけだ。その間にお嬢に何もないとは言い切れん」

「……」

「俺達が救い出せば良いだけだ。お前には姫様好き好き大好きレーダーが付いとるんだろう?」

「……クッ」

 馬鹿にされたからかどうかは知らないけれど、どうにかして冷静さを少しく取り戻したらしい剣俠鬼が荒々しく太刀を鞘にしまう。

 そして少し考えた後、下緒さげお(刀の鞘に付ける紐)を鞘から外してこちらに向かってきた。

「え、何々」

 質問には答えず肩掛け鞄をひょいっと取り上げ、そのまま少し遠めの位置にある木の枝に投げ掛けてしまった。

 へえ、上手いなぁ――って感心している場合じゃない!

「あ、ちょ、ちょっと!!」

 慌てて取り返そうとした俺の腕を不意に掴み、鞄の掛かっている木から一定距離離れた他の木に下緒で縛り付けられてしまった。

 親指の付け根同士を固く縛るあたり、手慣れている。

「折角追い詰めた獲物をほいほい逃がす訳には行きませんので。少し窮屈でしょうが我慢なさい」

「……」

 眉間に皺を寄せて答えにする。

「さ、斧繡鬼。参りましょう」

「――ちょっと待て。やりたい事がある」

「今キャツを殺しても魂の回収は出来ませんが……」

「そうじゃない。肩からの出血がさ、あれを放っておいたら大将に魂の献上が出来ないだろうが」

「なるほど、失血死の問題ですね。そういえば貴方が変装を看破された要因の一つでもありました」

「……俺はお前のそういう所が嫌いだ」

 二人で仲が良いんだか悪いんだか分からない会話を交わしながら斧繡鬼が自分の着物の裾をサッと引き裂く。

「ちょっときつく締めるぞ。俺の着物で悪いな」

「あ、うん。――でも良いの?」

「破った物はもう戻らないさ。また後で繕えば良い」

「そっ、か。ありがとう」

 これまた手慣れた様子で肩の刺傷に布を巻いていく。

 ……彼が近づいてきた瞬間体がさっきの事を思い返して強張ってしまったなんて、ちょっと言えない。

 こおろぎさん……。

 ……。

「なあ」

 突然囁かれ、体がびくりと震えた。

「な、何」

「さっき、お前に襲い掛かっちまっただろう」

「え? あ、ああ」

「悪かったな」

 あり得ないような言葉が彼の口から零れて更に仰天する。

 混乱する。

「え? え、ああ、う、うん」

「……」

「……」

「……なあ」

「……え? あ、何?」


「その時、って言ったら……流石に都合が良すぎるか?」


「え……」

「まるで、その間だけ、そんな気さえしている。余りに突然の事で真相は分かっちゃいないんだがな」

 また仰天。

 な、何それ。

 それって、まるで――。

「俺は手段を持たない者を一方的に暴力で痛めつけるのが一番嫌いなんだ、胸糞悪くなるから」

「それって、若しかして斧繡鬼がこおろぎさんを乗っ取って――」

「ばぁか」

 こつんと頭を小突かれた。

「こおろぎなんてのは世を忍ぶ仮の姿だよ。俺は斧繡鬼。そうやって教えたろ」

「ん、んん……そうすると……」

「だから何だ? 解答をしてそしたらどうする。答えのない問題にいつまでも縋りついてたって意味はないぜ」

「で、でも――!」

「お前はどうにかして全く痛みのない方法で黄泉まで連れてってやるから。変な事とかえっちな事とかごちゃごちゃ考えてないでそこで震えて待ってなよ」

「それはそれで嫌過ぎる」

「あ、えっちは思春期男子の健全なる思考か」

「やだな気持ち悪い!」

「おっぱい」

「煩い!!」

 ひたすら軽い様子の彼は柔らかい微笑をふとこちらに向け、それをツッコミの返答とした。

 ……キザなんだから。

「仲良しごっこは終わりましたか? 個人的には相当に、相当に早くに、切実に迅速に、かなり素早く行きたいのですが」

「ああ、終わったよ。ともの傷口にべったり塩を塗りたくってやった」

「仲がよろしゅうて何よりで御座いますねぇ」

「うるせぇ、蛇」

 そのまま軽口を叩き合いながら向こうの夜闇に消えていく。

 最後まで余裕があるように見えたのは、それだけ実力が有り余る程あるということの体現でもあるんだろう。


 ――でも俺もこのままぽけんと待ってる訳にはいかないんだ。


 ずっと握りしめていた右手を開く。

 その中でがくしゃっと鳴った。


 反撃ののろしを上げてやるんだ。


 存在しないという答えの為にも。


 * * *


「はあ、はあ」

 一方その夜闇の延長線上。

 死神の姫は恐怖に怯えながら一人走っていた。

 追跡者の姿はここから視認できない。


 あの時。


 ――「私とキスして下さい」――


「キャアアア!!」

 突然道路に押し倒され、顔を両手で挟まれた小さな女の子はいざという時の為にと剣俠鬼からしつっこく教え込まれた術を反射的に発動させた。

 周囲の空間を死神一族の所有する異空間に取り込み、特定人物の存在と”無”とを位相間で取り換える。そして彼女は同時にその異空間の主となる。

 主となった以上、目の前の変態不審者の懐から抜け出すなど簡単な事ではあった。何故なら理論上で言えばこの空間上での最強の存在はお姫様その人。その空間内で起きる事の大半を我が手中に収めることが出来る。

 しかし彼女の目の前で起きていた事はおぞましいの一言以外に表しようが無かった。

 びちゃびちゃっ。ばたばたばたっ。ぼだぼだぼだ……。

 粘性の高い液体がとめどなく地面に流れ落ちる音がしたかと思えば、目の前のひょろっこい人物から出てきたとは思えない程の量の黒い濁が奴の背中越しに見えた。

「ヒッ……!」

 ――体の質量以上に吐いている。全てその口から出てきたものだ。

 それらは全て彼の姫を自分の支配下に置く為に、そして彼女を永久に自分のとりことする為に彼女に与えようとした呪いの全て。即ち「陰」である。

 それを体内に取り込んだ者が辿る末路。分かりやすい例として記憶の宝石館店主の存在が挙げられる。

 強力なチカラは得られる。黒耀の使う「青の守護魔法」、ナナシの使う「黒魔術」、それらは全て彼の男から授けられた魔術。

 しかし二人はそれと引き替えに自分の魂を徐々に蝕まれることとなった。今も「その時」がいつ来るのかと怯えながら日を暮らしている。

 その後は――。


「お姫様ァ……」


 こちらを向いてにたりと笑んだ。

 その口からはまだ、だばだばと陰がとめどなく流れ落ちている。否、鼻や目からも少しずつ垂れているように見える。

「逃げナいで、怖ガラなイで……」

「来ないで、来ないで!」

「大事にしテ差し上げマすからァ」

 立ち上がった。

「来ないで!!」

 ウフフフ、と薄気味悪い笑い声が後方から聞こえる。


 全てを尽くして逃げた。


 そうしてもう何時間経っただろうか。

 疲れ果てた姫は休む場所を求めて自分の身が丁度隠れる程度の穴を木の中に作り、そこに器用にカモフラージュの為の扉まで作ってその中に隠れた。これも剣俠鬼からしつっこく教え込まれたことだ。

 何としても、どんな方法をとっても良いから絶対に隠れなさい、逃げなさい、と。

 あの時は嫌々渋々やっていたが今となっては助かったの一言。お礼が言えるのならば今すぐにでも言って、そして抱きしめて欲しかった。

 一応これで追跡者の視界からは逃れることが出来たが、足はどうにも限界が近かった。ここで追い詰められたら逃げられる自信がない。

 抑えても抑えても体がふるふると震えた。

 どうしてこんなに寒いのか。息もとてもしづらい。

 そこに一瞬たりとも安心の二文字は存在し得ない。

「全部私がいけないの……いつもみたいにキョウにいってきますの挨拶をしなかったから」

 初めての「この世」が唯々嬉しくて。

 大興奮しながらその男の手を取ってしまった。


『良い所だよ。お嬢は0.0000000001秒で気に入るね』


「この世」に来る前の斧繡鬼のその言葉に胸を高鳴らせて。


『そうですね。いつまでもお宮の奥にいらっしゃるというのもつまらないでしょう。それに、社会を知るという事は政治のお勉強にもなります。知識は武器、ペンは剣よりも強し。世間の事をよくよく知って、将来竜王様のご子息の元にお嫁入りした後の生活の糧と致しましょう』

『キョウはお勉強お勉強ばっかりでうるさーい』

『やーいカタブツカタブツー』

『きゃはは! やーい!』

『イシアタマー』

『いしあたまー!』

『ん? よく聞こえませんでしたねぇ。二人共? 今何て?』

 ギラリ。

『『すみません、何でもないです』』


 そう言って笑った。


 楽しかったはずなのに。どうして。

 思うと自然と涙が零れた。

 この中は真っ暗だ。光が微かにしか入ってこない。それだけなのにこんなにも心細い。

「まるでキョウもシュウも任務に出かけてしまった日の夜のよう」

 あの日の夜は臣下の者のちょっとした足音さえ怖くてめいいっぱい泣いた。そして疲れて帰って来た二人を困らせた。

 抱き上げてもらっても泣き止まず、頭を撫でてもらっても泣き止まず、シュウの変顔も必死に堪え、絵本を嫌がり、涙が乾いても声だけで必死に粘り、最終的に二人の間に横になって腕を抱きしめながら寝た。

 少しずつ違う二人の香りに顔を埋めながら。

 柔らかく温かな慰めの言葉で耳をいっぱいにしながら。

「シュウ、キョウ、今どこにいるの?」

 この空間の中にいるのは分かっている、何故なら彼らとは意識が無意識下で繋がっているからだ。しかし場所の把握までは難しい。

 唯、二人はいつでも余裕をもって過ごしてくれている。だからどこにいるのか正確には分からなくとも自分もどこかで安心できた。何とかこのとめどない恐怖に打ち勝つことが出来た。

「それでも会いたいものは会いたいの」

 いつかこの意識の糸を辿って二人は私を見つけ出してくれる。

 でもそれは「いつか」じゃなく、「今」が良かった。


「シュウ、キョウ、助けて」


 ――、――。


 ――ふと。


「何か聞こえた」


 それは怖い音じゃない。

 待ち焦がれていた音。待ち焦がれていた音!

「キョウだ、キョウの声がする!」

 慌てて穴をふさぐ扉を壊し、外に出た。

 自分の予想以上に長い時間中で縮こまっていたらしく体中がぱきぱきいった。

 でも今はそんな事どうだって良い。

 二人に会いたい!

「キョウ! 私はここ! ここよ!!」

「――! ――!」

「キョウ!!」

 後ろを振り返りながら、賭けでもするかのように声を振り絞った。

 駆けながら、微かに声のする方向へ自分も声をかけた。

 見つかったら終わり。

 変態気質の強いあの不審者も声につられて同時に寄って来るだろうことは容易に想像できた。

 でも、それでもあの二人を優先したかった。

 早くに合流したかった。


 そして少し経って、その時は訪れる。

 ――エメラルドグリーンの長髪が一瞬見えた!

「キョウ! キョウ、私はここ!」

「姫様? 姫様!」

 相手も気が付いたらしい。

 それが嬉しくて嬉しくて互いに駆け寄った。

 勢いよく飛び込んだこの小さな体をふらつくこともせず受け止めてくれる。細身ながら筋肉質なその逞しさに一時期物凄く焦がれた事がある。

「姫様、ようございました。見つかって、見つかって本当に良かった……」

「キョウ、キョウ! キョウ……! ねえ、ねえシュウは。シュウは?」

「手分けして探しておりました故向こうの方に居ります。今シュウをお呼びいたします、暫しお待ちを」

「うん!」

 そうして直ぐに耳に手を当てて通信を始める。それを邪魔しない程度に胸に顔を擦り付けた。涙は不安と一緒に拭った。

 この二人が居ればもう大丈夫、怖いものなんてない。

 とても安心した。同時にとめどなく溜まっていた涙が零れだす。

「ひ、姫様!? 如何なさいましたか」

「安心したのぉおお」

「姫様……そんなにお泣きになる程何があったんですか。もしやはらい者めのせいで御座いますか」

 ぶるんぶるんと首を振る。

「もっともっと、もっともーっともーっと怖い人よ!」

「怖い人?」

 剣俠鬼の表情が曇る。

「その不届き者とは一体誰ですか」

「お名前は分からないの。でもね、黒い三つ編みしててね」

「ふむ」

「白い服着て、黒いズボン履いてて」

「ふむ」

「黒いブーツ履いてる男の人よ。シュウに化けて姫を捕まえようとしたの!」

「……! 何ですって!?」

「とってもとってもとっても怖かったのぉお……」

「何という事だ。まだ近くにいますか」

「分からないの。どこにいるか分からなくてとてもとても怖いの……」

 そう言ってぎゅうと彼の首に手を回す。

 着物の肩の辺りに涙を吸わせた。

「クソ……そのような不届き者は断じて許せませぬ」

「そうなの。やっつけて欲しいの」

「お任せ下さいまし。このキョウめが必ずや」

「姫、安心」

 そのまま抱き上げられ、彼と共に移動することになった。

 暫くして剣俠鬼が不意に口を開く。

「ところで姫様」

「なぁに?」











「――え?」

 首筋をするりと撫でるその挙動から剣俠鬼らしさは微塵も感じなかった。

「ふふ、お姫様の言う怖い人ってこんな姿にこんな顔ではありませんでしたか?」

 つと身を離して見せられた自分を抱く人。

 黒毛の長い三つ編みに、黒い蛇の瞳に……。

「いやああああ!!」

 無理矢理飛び降りて逃走を図るが、腕ががっちり掴まれた。

「嫌、嫌々、放して、放して!! 助けて! キョウ! シュウ!!」

 振りほどこうにも空間移動の術を使おうにもその腕はしっかりと彼女の腕をとらえて離さない。

 寧ろ非力な少女の方が彼の方に手繰り寄せられている。

「うかつでした」

 逃げようとする方向の反対側に引っ張られる。そのまま腹を抱きすくめられた。

「いきなりキスだなんて、そりゃあ私だって嫌でした。強要してしまって申し訳御座いません」

「あああ、ああ、あああ……」

「でも大丈夫。私達、愛を育めばキスなんて直ぐに日常の一部になってしまうんですから」

「お願い。お家に帰して……」

「ご安心下さいな、今から帰るお家が私達の新しいお家になるんですよ」

「嫌!! 嫌、嫌!! お願いだからお家に帰して!! シュウとキョウに会わせて!!」

 そのまま男は遂に泣き叫ぶ少女の足を抱えて体ごと持ち上げた。

 暴れようとしてももう無駄だ。完全に拘束された。


 もう彼女に残された道は泣く事だけだ。


「いやあ、いやああああ!! お家に帰りたい!!」

「あはは、そんなに請わなくたって今直ぐ連れて帰って差し上げますよ」

「お父様のお宮に帰りたいの!! お願いだから放して!!」

「私のお家で放してあげますからね」

「今放して!!」

「ふかふかのベッドに新しいお洋服。美味しいお料理甘ーいお菓子。お姫様は何がお好きですか? おもちゃだってなんだって買って差し上げますからね」

「何にも要らない! お家に帰りたい、お家に帰りたい!」

 力を尽くした。

 全力を尽くし切った。


 それでも無駄だった。


「ちょっと痛いことしますが我慢して下さいね」

「何するの……?」

 蒼ざめ、更には泣き疲れてぽつりと呟いた姫に男はにぃと笑んで、瞬間空間に無理矢理手を突っ込んで隙間を作った。

 ――ドクン。

「いやああああ!」

 異空間の主にとんでもない負荷がかかる。

 途端に力が入らなくなった体を支え、愛し気にその胸元に唇をじっくり押し付けた。

「弱々しいお姿も愛らしいですよ、お姫様。私がお家でたっぷり可愛がってあげましょう」

 そのまま空いた隙間を無理矢理じ拡げていく。その度に姫に重い負荷がどんどんかかっていった。

 この身体で今更抵抗など出来ない。

(今度こそ連れて行かれちゃう、どうしよう、どうしよう!)

 声も出せない程弱った姫を満足そうに眺めた後無理矢理開いた別の次元への入り口に向き直る。


「行きましょうか」


(つづく)

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