玖――狼さんの白い脚

 ――記憶の宝石館


「よっし! 調べものだぞ!」

「「おー!」」

 トッカと二人で元気いっぱい拳を振り上げて黒耀の元気な声に応える。

「……」

 若干一名テンションがぶち低い。ちょっと前まで大太刀を振り回していたアイツな気がする。

 そんな彼は無視して黒耀がてきぱきとした指示を始めた。

「レトロカメラ、二人にココア用意して。後、そこの死神にカツ丼」

『カツ丼、ですか?』

「そう。カツ丼だよ」

『胃袋を掴むんですか?』

「取り調べの基本だからね! レトロカメラも推理小説とかでよく見るでしょ? ま、取り敢えずカツ丼食えよ……ってね」

 渋い顔して刑事の真似をする黒耀。

 それにレトロカメラさんが首を傾げた。

『何の為に?』

「そりゃあ記憶の検索の為さ」

『彼は腹が減っているのですか?』

「それは……」

『あれ、若しかして店主、カツ丼が何の為にあるかご存知ではな――』

「な、し、知ってるよ! 胃袋掴むためだろ!」

『……』

「こうっ、むんずとー、胃袋掴んでだねー……」

『……』

「……」

 そよ風のような沈黙が二人の間を吹き抜ける。

『それは名案、ですね』

「見るな見るな、そんな目で見るな!! 早く準備だよ!」

『はい』

 こちらをちらちらと見ながら奥の厨房に入っていく。

 その視線から逃げるように黒耀も本棚の方へ走っていった。

「貴方がたはいつもこうなんですかね」

「そうだけど?」

「……」

 死神が上機嫌で調べものの準備をする一同を極めて不快な視線で見てくる。椅子に術封じの縄で縛り付けられ動くことも抵抗することも出来ない代わりに物凄く暇そうだ。

 ――みっ、見るな見るな、そんな目で見るな!! レトロカメラさんと黒耀が頑張ってよりよりしたんだぞ、その縄! その御恩をお忘れか! (恩ではないか)

「それで? 死神さん。早速貴方のお名前を聞かせて貰っても?」

「……」

 呆れた表情が顔からどうしても離れないご様子の彼に黒耀が紙とペンを手に詰め寄る。その背中からさっきの醜態を挽回したいみたいな意志をひしひしと感じるのは秘密。

「早く。名前」

 顎にペンを添えて自分の方を向くよう持ち上げる。その瞳にはナナシの面影が少しく混じっていた。

 ひとしきりの沈黙。

「……剣俠鬼けんきょうき

「けんきょうき?」

「剣豪という意味の『剣俠』に、鬼。剣俠鬼」

「ケンの字は。沢山あるけど」

新字しんじです。――よもや貴方が『新字』の意を知らぬなどありますまいな?」

「なるほど。素敵なお名前だ」

「あ、そうそう。キョウの字は異体字では無い方です」

「ご丁寧にどうも」

「いえいえ。貴方がたに間違われては迷惑ですので」

「相変わらずだな、そういう態度」

「お褒めに預かりまして」

「褒めてない」

 黒耀が呪文みたいな説明から的確に文字を書き起こす。

 確認を取って完了。

 あれ、意外とあっさり。

「え、こんなに簡単に教えて貰っちゃって良いの? ほんのちょっと前は名前、てこでも言わなかったのに」

「抵抗したところで面倒臭い尋問やら茶番が続くだけですし。それに早く姫様の元に帰らねば……」

 彼に任せておいたらまた変な言葉を覚えかねない、と小さく付け足してふとため息。あの茶髪の死神の事かしら。

 何を教えるんだろう。怖い言葉とか教えるのかな。それとも……。

「そんな簡単にお家に帰れるとか思わないでよ。もう一人の追跡に協力してもらうんだから」

 思考を遮るようにぱらぱらとリストの頁をめくりながら黒耀が言う。凄い、大漢和辞典にも匹敵する分厚さ、量のリストだ。

「もう一人? 誰の事でしょう」

「すっとぼけても無駄だよ。アンタには仲間が居るんだろう? もう知れてるんだよ。大活躍だったもんでね」

「仮に居るとして……そんな事に私が加担するとでもお思いか」

「加担しなければお姫様を危なくするよ。ナナシは今腹ぺこだ」

「……見た目に反して腹の底が汚物だらけで真っ黒だ」

「食い意地が悪くてね。……元々人間ですから」

「なるほど? 説得力があるお言葉、誠に感服いたす」

「変に偉ぶらなくて良いから。話なんて殆ど聞いていない癖に」

「ふふ……」

 そこで会話は途切れ、再度黒耀が剣俠鬼の名前を検索しだした。

 検索が終わるまでレトロカメラさんが準備してくれたココアをすする。濃いチョコレートの味が喉にこってり残った。レトロカメラさんは首を捻りながら良い匂いを漂わせるカツ丼を運んでる。まだ悩んでいるみたい。

 美味しそう。

『店主がああ言うのですからきっと貴方はお腹が空いているんですね。取り敢えず口開けて下さい。ぶち込みます』

「……」

 眉間に皺寄せて無言で断固拒否する剣俠鬼。(そりゃそうなのかもしれない)

 口が無いのでスケッチブックにお願いしますを羅列するレトロカメラさん。

 それでも子どもみたいにそっぽを向いて聞かない。

 そのレンズが瞳ならぽろぽろ雫が流れ出していたに違いない。

 それでもてこでも口を開けない剣俠鬼。

 遂には手をすりすり合わせてお願いを始めた。

 小さな戦争だ。

『困ったなぁ、困ったなぁ……お腹空いているはずなんだけどなぁ』

 レトロカメラさんがまた悩み始めた。

「あった! 見つけたぞ!」

 その時黒耀が嬉しそうにあっと言ったので皆で集まる。(レトロカメラさんは当然格闘中)

 指差した先には確かに「剣俠鬼」の文字。

「同名の別人とか偽名とかそういうのは無いよな?」

「疑うなよ、これでも記憶の宝石館店主だぞ? 運命の書みたいに偽名とかに対応している訳では無いからこれは確実だよ」

 まあ、本気で名前を変えた時は別だけど、と軽く付け足しながら例の店主席後方の本棚を開く。

 またあの夜空のような空間が姿を現した。いつ見ても綺麗。

「彼の宝石は……翡翠。石言葉は安定、平穏、慈悲、知恵、忍耐力に、健康、長寿等々……君、本当にこの石の所有者?」

「殆ど反対ですね」

「皮肉だな、これは。それか……あの龍の角が関係しているか」

「どういう事?」

「古代中国の皇帝のシンボルに龍と翡翠とがあるんだよ」

「へえ」

「どちらでも良いですよ、私は」

 益々謎が深まるな。

「まあ良いや、取り敢えずは計画の全貌を見よう。レトロカメラ! 来て!」

 本棚の奥の空間から問題の翡翠を術で呼び寄せ、レトロカメラさんを呼ぶ。しかし彼が来ない。

「レトロカメラ!」

『店主! 待ってください!』

 暫くしてレトロカメラさんの必死の訴えがスケッチブックに書かれ、両手で掲げられた。

「……一体何やってるの?」

『店主、無理です。この人カツ丼食べてくれません!』

「はあ?」

『胃袋掴むの難しいです! もうちょっと待ってください!』

 黒耀が呆れた顔で口をぱかっと開いたが、直ぐに閉じる。

 多分「まだそんな事やってるのか」とか言いたいんだろうけどそれを指示したのは黒耀だ。そしてそれを今更ながら思い出したんだ、多分。

 凄く真剣な顔で唸ってる。今言葉選びに物凄く頭を使っているに違いない。

『どうしましょう……。カツ丼、冷めてしまいます……』

「分かった分かった、分かったよ! と、取り敢えず後で僕が食べるから。ほら、こっち来て」

『すみません』

「良いんだ。言っておきながら秒で忘れた僕も僕だ」

 全く謝罪になっていない謝罪をしながらレトロカメラさんの背中をとんとん叩く黒耀。

 それに信じられないみたいな顔をしながらレトロカメラさんはカメラの上部をぐゎぱと開けた。

 そこに翡翠の宝石を置く黒耀。口みたいで口じゃないその部分を閉じた瞬間レトロカメラさんは映写機になった。

「「おー」」

「さ、皆。感心してないでカーテン閉めるの手伝って」


「僕らをこんな目に遭わせた奴らの『目的』とやらを拝ませてもらおうじゃん」


 剣俠鬼の表情は相も変わらずやんわりとした微笑。


 * * *


「剣俠鬼。超縦社会たる死神一族の最高幹部の内一人。お姫様の用心棒兼教育係も務めている」

 映写機に映された彼の基本情報を読み上げる黒耀。その隣には彼の身長やら体重やらまで事細かに書かれている。

 ガションといって二枚目のスライドが映し出された。今度はヒエラルキーみたいなピラミッドの絵。そこには見たことある人もちょんちょん映ってる。

「この死神の社会では彼の地位は二番目、厳密に言えば四番目に値するらしい」

「というと?」

「彼の直ぐ上の地位に居るのは支配者層。つまりは主の『黄泉様』、そして主の娘の『お姫様』」

「ふむふむ」

「そして二番目が、こいつと――もう一人のあの死神。名前は、『斧繡鬼ふしゅうき』というらしい。その下はそれぞれの死因を担当するグループで……っと、ここからは今回は良いかな」

「ふ、しゅう、き」

 口に出してその名前を反芻する。何度も目の前に現れては俺達を追い込んできた奴の、名前。

 何かどこかで聞いた事がある気がして腹の底が冷えた。


『米喰い虫、ってな! ガハハ! 差し詰め、䘀螽フシュウとでも言う所かねぇ』


䘀螽フシュウ、転じて斧繡フシュウと成る。斬撃は悪を断ち、鈍撃は暗雲穿ちて光を現す』


 何でだろう。何でだろう。

 何なんだろう。


「それで、厳密に区分すると一番目が黄泉様、二番目がお姫様、三番目が斧繡鬼で、四番目が剣俠鬼。みたい」

「ほーん、なるほどなぁ。――ってあの茶髪の髭の方がこいつより強いのか!?」

「まあ、このデータ通りならばそうなるね」

「……あれ、全部気を抜いてたって事じゃねえだろうな」

「その可能性を考えておいた方が良いかも。それか客観的なデータ上ではこの地位が逆転しているか」

「そうなら嬉しいんですけどね」

 縛られたまま剣俠鬼がにこりと笑んでそう言った。

 仲は良いのかな。

「で、他には」

「彼の過去とかも見れるけど……今は時間がない。いつその斧繡鬼とやらに攻め込まれるか分からないから次いこう。この計画の中枢だ」

 スライドをぐるぐる回す。色々水色とか茶色とか紫色とか見えた気がするけどよく分かんなかった。

 ちょっと気になる気もするけど、ぐっと我慢。

「あ、これかな」

 ふとした所でスライドを止める黒耀。――こういう勘は多分長年の勘とかいうやつで合ってると思う。

 それは一枚の作戦指示書。彼の記憶らしく、「剣俠鬼」の担当欄の所とこの作戦の目的の部分しかデータはない。

 相手を信用しているのか、この展開を見越していたのか。

「目的は……矢張りシナリオブレイカーの排除みたいだね」

「予想通り過ぎるな」

「まあ、そうだよね」

「で、その肝心のシナリオブレイカーってのは」

「『境界を穿つ者』の排除らしいけど……残念。具体的に誰を指すのかだけ抜けてる」

「何故? 普通書くだろ!」

「うーん……」

 ひとしきり唸ってからくるりと後ろを向き、無表情でこちらをじっと見ている死神に問う。

「どうしてなの?」

「誰に問うてますか」

「そう言えるのなら分かってるんでしょ。アンタに聞いてるの」

「何故言わねばならぬのです? 貴方の頭には藁屑でも詰まっているんですかね」

「考えろって? 考えても組織の仕組みは分からないんだよ」

「言ってしまえば大事な証人が消滅してしまうのですよ。組織とはそういう物でしょうが」

「自分の名前をこちらに渡した時点でもう守秘義務も糞も無いと思うんだけど?」

「なら分かるでしょう。守秘義務を課される程の情報は私は持っていないという事ですよ」

「……なるほど。得心がいく。しかし余りに常識的過ぎるからここにはわざわざ覚えられていないという可能性もあるんじゃないの?」

「さあ、どうでしょうか。……一つ言っても問題ない事を言わせて頂くならば、そこに断定的に書かれていないという事はイコール断定的に書けない理由があるという事では無いですかね」

「……アンタらもこのシナリオブレイカーの正体が正確には分かってないって言いたい?」

「……」

 痰に絡んだ血のように怒りがほんのり混じった声に彼は何も答えない。ただ微笑をその顔に浮かべてこちらをじっと見るばかりだ。

 要はそういう事なんだ。全員が何とはなしに察した。

「まるでしらみつぶしだな」

「だからこおろぎにもあの招待状が届いたんだね。五日以内と制限を設けたのも早く不安の芽を摘み取っておきたいからなんだろう」

「期限を設けてケツを叩くタイプなのか」

「そういうのは良いだろ、今は」

 なるほど。そうすると全てが繋がる。

「本当に、死神は変わったね。剣俠鬼」

 これにも彼は黙ったまま、答えなかった。

 ……。

「で? 肝心の計画だが」

「ふむ……ざっと見る限りだと、お姫様が作った異空間に僕らを運んで始末。今まで経験してきた事の概要がそのままそっくり書いてあるね」

「細かく指示とかは」

「そういうのは無い。ただ斧繡鬼が出て来るのは剣俠鬼が万が一消滅、若しくは捕縛された時って書いてある……」

「……そうか。出てこないのはその為か」

「まあ、二人いっぺんに出て来て一緒にやられちゃえばまずいし、お姫様の用心棒もしなくちゃいけないし。考えてみれば当たり前の事だね」

 再度振り向く。

「剣俠鬼さん。貴方の相棒はどこに居るの?」

「それ、本当に人の記憶を勝手に覗き見している人のお言葉ですか」

「本当に知らないの? 違う名前にして別に覚えているとかは無いの?」

「疑うなら探せば良いじゃないですか。別に逃げも隠れもしませんよ、というか出来ませんし」

「……これはガチみたいだな」

「当然。運命の書はこちらの手にあるんですよ」

「矢張り対策をしていたのか」

 眉間に皺を寄せる黒耀の言葉に反応してによりと口元に笑みを作った。

 流石。中々手強い。

「でも大体の居場所は分かってるんでしょ。この報告書に正確な位置は記載されなくても彼の嗜好とか癖とか、そういうのは分かってるんでしょ」

「そう思うなら探せば良いじゃないですか。記憶の宝石館店主さん」

「記憶は生き物、癖は身につく物。根本的な所からこの二つは違うんだよ、癖や勘は記憶の中には存在しない」

「……」

「経験則が当たる外れるっていうのはそういう原理なの、他人には解読不可能だ――少なくとも僕の地位ではね。僕の仕事はあくまでも記憶を思い出に作り変えて零れ落ちない様にする事だから」

「なるほど?」

「納得したなら話してよ。斧繡鬼はどこ。お姫様の身の安全と引き換えだ」

「姫様の居場所など知らぬ癖に」

「アンタをそこに縛り付けたまま斧繡鬼と戦えば……話は違うでしょ」

「ところであの流血男はどこに行ったんですか」

「話を逸らすな」

「何故彼はここに居ないんですか」

「逸らすなって言ってる!」

 黒耀が苛立たし気に身を乗り出した。


 ――しかし、その目線の先に姿


「……!?」

 目を見開いて息を呑む。


「昔々、ある所に心優しいお母さんヤギと七匹の可愛い子ヤギ達が住んでいました」


 声は――俺達の直ぐ後から聞こえてきた。

 その先に、暗闇の濃いタールを顔に滑らせる長髪糸目眼鏡。

「術封じは……!」

 驚いた黒耀が捕縛の魔法陣を叩き込むが全て躱される。

 自由になった彼に俺達は最早何もする事が出来ない。

 ひとしきり放った彼は肩で息をした後、無意味と悟り、やがて手を降ろした。

 剣俠鬼の朗読は尚も続く。


「お母さんヤギはある日出掛ける事になり、小さな子ヤギ達に言いました。『近頃悪いオオカミさんが出ますから注意なさいね』子ヤギ達は怖がってがたがた震えますがお母さんヤギは『家に居れば大丈夫よ』と彼らの頭を優しく撫でます」


「お母さんヤギは更に言います。『でも悪いオオカミさんはずる賢いの。お母さんの振りをして扉を開けさせようとするかもしれないわ。ガラガラ声で黒い脚の動物さんは絶対に中に入れないでね』そう言ってお母さんヤギは出掛けて行きました」


「――皆さんもご存知『オオカミと七匹の子ヤギ』の有名な冒頭場面です。ここで狼は三度この子ども達に接触を図り、一回目はそのガラガラ声を指摘され、二回目はその黒い脚を指摘され、失敗に終わります。しかし狼は一度目の失敗には声を綺麗にするチョークを飲んで、二度目の失敗には脚に小麦粉を纏わせて対策を施し、三度目には家への侵入を叶えます。そして彼はたらふく子ヤギ達を食べたのです」


「何が言いたいの」

「まあまあ。最後まで話をお聞きなさい。お猿さんでももう少し我慢が出来ますよ」

「余計なお世話……」

 彼は尚も無視して続けた。


「他に『赤ずきんちゃん』という童話もあります。そこでは狼は赤ずきんちゃんのお婆さんになりすます事によって赤ずきんちゃんとの接触に成功します。そして彼はお婆さんと赤ずきんちゃんの二人を食べる事に成功しました」


「……」

 そこでふと話を止めた彼の真意を測りかねて俺達は黙りこくっていた。――否、実は腹の底で何が言いたいのか分かっていたのかもしれない。

 それを指摘するのが怖かったのか、危うかったのか、言い出せなかっただけなのかもしれない。

 或は気を使ってか。


「この二話はグリム童話から引いた物ですが……もうお分かりでしょう? よ」


「か弱い存在を食べたがる狼は――」


 意地悪く細い目が開いて鷲の瞳を奥からじろりと覗かせた。

 心の底まで覗き込むような鋭さに体が動かなくなる。


 さながら蛇に見込まれた蛙。






「――






「ッ、ふざけやがって!」

 黒耀が怒りを露にして魔法陣を豪快にぶっ飛ばす。

 だが当然それは当たらず、彼は笑いながら青白い炎に乗ってその姿を消した。

「クソッ、言いたい放題言って逃げやがって……! 気にしなくて良いからね、和樹!」

 黒耀はそう言ってくれたけど俺は我慢できなくなって店主席に残された大量のリストに手をかけた。

「ちょ、和樹! それは無闇に触っちゃ――」

 黒耀がそう言いかけて俺の腕に手をかけた時。


 同時に確固たる真実をそのリストの中に見出していた。


『あ、それとさ。ちょっとこれは大事な話。僕、折角だからって思ってさ。こおろぎの記憶、覗こうと思ったんだよね』


『そしたらさ』


 あの時の黒耀の声が脳内にこだます。

 鼓動が無意識にどんどん速まっていった。


 目の前の景色が歪む、滲む。壊れていく。

 歯がかちかち言って震えた。


「和樹……」


 腕にかけた手でそのまま俺の腕をぎゅうと握りしめて、次いでその小さな額を上腕に押し当てて声を震わせた。


「ごめん」


『疑うなよ、これでも記憶の宝石館店主だぞ? 運命の書みたいに偽名とかに対応している訳では無いからこれは確実だよ』


 こおろぎこと、長良大輔。

 その名前は、


 カツ丼はとうの昔に冷め切っていた。


(つづく)

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