捌――戦斧 対 大太刀

――、――。


「爺ちゃん! 高い高い!」


「爺ちゃん、ママとパパはどこ?」


「夢丸って言うの?」


「おじさん、誰ですか」


 ――、――。


「叶歌……? 叶歌! 叶歌!!」

「おい何やってんだお前!」


「良いの。これが大正解。これしか方法はない」

「駄目だ、駄目だ! いい加減止めろ!」

「叶歌! オイ叶歌!!」


「お前、この子の母親だろうが!」

「良いんです、私が悪かったから」


「せめてもの罪滅ぼし」


「……悪かった、だからそんな事するな」

「私が悪かったから」

「悪かったから」

「いいえ、私が悪いの」

「悪かったから!」


「悪かったから!」

「悪かったから!」


 ……。


「拓郎、お義父さんと一緒にこれ使って和樹を守ってあげて」


「大丈夫、困ったらアイツが来て何とかしてくれるよ」


「そうは言ったって……」


「アイツ、あれきり戻っていないじゃないか」


 ――、――。


 こんなに思考の捗る時もないな。


 俺、死ぬのかな。

 どうなんだろう。

 このままずぱっと斬られて、そしたらどんな感じがするのかな。


 痛いかな、苦しいかな。


 気が抜けていくみたいな感じかな。


 それは一瞬のはずなのに物凄くゆっくり感じた。


 これがきっと死ぬって事だ。


 ――いつか言ったな。

 死とは救いだと。


 ――いつか言ったな。

 未来を救う事だと。


 ねえ、救うって何。

 母さんの元に行くことが救いなの。


 誰を救う事になるの。

 誰の為に俺は死ぬの。

 この後苦しんで、その時に誰かはお慈悲をかけてくれるの。


 色んな人の顔が浮かぶ。

 いつも気にしてない人の顔まで浮かんだ。


 そんな中繰り返し浮かんだのは、多分今一番近しい彼の存在だ。


 酒飲みでぐうたらで女好き。

 途方もない位の駄目駄目加減なのにどうしてこんなに親近感が湧くのかな。


 どうして彼の事ばかり、彼の事ばかり。


 何で、今。彼ばかり。


 ――、――。


「幼さって一種の目隠しだ。純粋無垢とは即ち無知だ。自分のチカラを過信して、この関係続く限りはずっと一緒に居てやるって言ったのに、出来なかった。彼女の強さと優しさに甘えて……見殺しにしてしまった。最悪だよ、こんな奴。どんな風に死んだかも、死に顔さえ知らない。葬式にも出てやれていない」


「口づけさえしてやれなかった。この気持ちを伝える事さえ……」


「良いか、和樹。覚えておいて欲しい」


「一期一会。出会いも『信』も全てが全ていつも危なっかしい。あんなに強固に見えたものでさえ明日には崩されているかもしれない」


「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥。やらぬ後悔よりやった後悔」


「一緒に居たいと思うなら引き留めな、絶対に」


「人間、言わなきゃ伝わらないし、聞かなくちゃ何も何も分からないんだ」


「何にも何にも伝わらないまま、何にも何にも残らないんだ」


「和樹」


「お前は頼る事を躊躇うな、それで救われる者も確かに存在している」




「俺が以前そうだったように、さ」


 ――、――。


「……た、た」

 何故だか涙が溢れた。

 どこで交わしたかも覚えてない涼やかな対話の記憶が頭に溢れてとめどない。


 そうだ、確かあの後あの蒲団で一緒に寝た。


 大きな体に甘えて寝る事があんなにあんなに嬉しくて嬉しくて。

 誰かの体に擦り寄って寝た記憶なんてほんのこれっぽっちしかないからそれがどんなに嬉しかったか!


 ……そんな俺を「お子ちゃまだなぁ」とか言いながら優しく見守ってくれたサングラスの奥。


 とめどなくとめどなく、大粒の記憶が雫となって頭蓋から溢れ出した。


「たすけ、て……!」


「たすけて!」









「こおろぎさん!! 助けて!!」









 ――、――。









守將扶掖世繫青しゅしょうふえきす せいけいのあを









【鬼道展開】









「……!」

 轟々たる凄まじい音が目の前で弾け、角を生やした男の太刀を彼の体ごと大きく弾いた。

 しかし先程からそういう展開に巻き込まれても必ず油断を見せなかった太刀の男。直ぐに両の足でしかと着地して、飛び込んでくる。

 だがそのにも意地があった。

 隙なく構え発光させた腕を大きく振りかぶってからその術を向こうに飛ばす。

繫囚けいしゅう、いい加減座に還れや! ――天網!】

 あの光の網が彼を真正面から捉え、獲らんとす。

 流石に何度も同じ技を受けて引っかかるような人物ではないらしく、体をくいと捻って避けようとするが……上手くいかない。

 足に腕に、長い太刀にこねりこねりと絡まってまた向こうに引き戻された。

 蜘蛛の巣のようなそれは前回と違って粘性を纏い、簡単には破れない。

「けっ、御本家の秘術を舐めんじゃねぇ、蛇」

 瞬間耳元で聞こえた強気な言葉に肩を震わせそちらをゆっくり見た。

 体から仄かに香る酒の匂い。

 いつのまに肩をがっしり抱えていた体の先。突き出している左腕から青い血がぽたぽたと滴っていた。

 体の震えが止まらない。

 恐怖から来るのか、それとも――。

 否。

「あ、あ、あ……!」

「ういーっ、間に合ったー。大丈夫かー?」

 大きな手がさすった頬にふわりとした温かみと優しさと。


「あああ……!」

「頼ってくれて、ありがとな」

「こおろぎさん!!」


 勢いよく首に飛びついた体を彼は片手で強く抱き締めて、あの時みたいに背中をとんとん叩いてくれた。

 首筋にふすふすとかかる熱い吐息がくすぐったくて胸の奥から熱いものが込み上げてきた。

「よく頑張った、よく頑張った。サ、英雄が来たからもう心配すんな」

「あうう」

「こっからは大人の出番だ」

 安堵感!!


 * * *


「……! こおろぎさん!」

 背後から迫るそれを指差したのを見てこおろぎさんが瞬間、俺を突き飛ばす。

 瞬間太刀が青白い三日月を空間に描いてこおろぎさんの傍を掠めた。

 後退しながらそれを躱し、ふと

「和樹は金花を呼んで。全員の治癒を」

と手短に言った。

 頷いてその場から離れる。

 そこに再度切り込みが入り、反撃するが如く青白い光が太刀と勢いよく何合かぶつかった。

「っと、やってくれんじゃねぇかこの野郎」

「仲良しごっこはもう見飽きたんですよ!」

「……言うだけ無駄かね」

 静かに放たれた言葉に被せるように斬撃が幾筋も幾筋も空気を切り裂く。

 それを全てギリギリの所で避けていく。

「貴方方が仲良しこよししている間にも運命は狂い続ける。貴方方の存在がどれだけ世界に迷惑をかけているか!」

「その根源はきっと違う癖に、関係のない人々にその火の粉をぶっかけられても延焼するだけで困るんだが? それも考えられないのかね!」

「現状を客観視出来ない愚か者めが偉そうにほざくな!」

「客観視出来ていないのはお前さん方の方だろうが!」

 ぐいと太刀を握る腕を取って刃の推進力を力ずくで止める。

 脳天を真っ二つにしようとする男の目を真っ直ぐ見つめ、訴えかけるように叫んだ。

 命がかかってる。上半身がびりびり震えて、穴が開いてる手から血が更に勢いを付けて滴り落ちた。

「死神の名だけが独り歩き。子ども相手にこんなに執着的につき纏って刃突き付けて、恥ずかしいとは思わんのかね!」

「何を勝手な! そういう仕事だ、そういう物だ」

「ほう? ところで昨今『マスゴミ』なんて言葉が流行ってらっしゃるのを死神様方はご存知かね」

「我々に人間界の事を分かれ等、愚かも愚か! まず土俵が違う。話題の転換を図って都合よく話を進めるな!」

「そうやって周囲から目を背けやがって。全く、死神の名も地に堕ちたな」

「何?」

 細い目が静かに、更にぐわとかっ開いた。

「なあおい、何に執着してやがる。魂の数かね、名誉の数かね、勲章の数かね」

「……」

「本質を見失ってまで何が欲しい?」

「……ぐ、黄泉様のご意志を愚弄するのか!」

「ああ、モチロン。高潔と威厳、神秘性を失った組織の長に今更平伏などせんさ」

 飄々と言い放った彼に一瞬男が怯んだ。

「何、だと?」

「昔はこんなに粘着的に一人に纏わりつくなんて事も無かった。ちゃんと考えて、正すべきを正し、間違いは認め、唯一つの独立した存在として魂の管理をしていたはずだ。それが今じゃ、どうだ。子ども一人にべたべたべたべたくっついて……討ち取れない理由を吟味もせず、ただ「標的」とされているからって理由だけで考えなしに襲撃。意味のない無駄な行為の果てにたった一つしかない貴重な命を貪り喰ろうている事実がある事にお気づきかね? 蛇。――それに気付いていないアンタらは堕落の成れの果てに居るんだよ」

「……意味のない事を」

「思考力の無くなった唯の命喰らいは、周りの信頼を徐々に失ってゆく。皆が皆お前達を頭ごなしに否定する。そうして双方の頭ばかりがどんどん悪くなっていくのさ」

「……」

「その伝統的な雰囲気空気に呑まれて自分等の愚かささえ見定めることが到底出来ない。目先の利益ばかりに惑わされ、その数ばかりに執着していくようになる」


「それがこっちの世界でも起きててさ。――『マスゴミ』って言うのよ、その組織への評価として『顧客』が言うんだよ、耳が痛いだろう? え?」

「……ぐ」


「な、さん方」

「いい加減黙らんか!!」


 怒りに任せてこおろぎさんが止めていた太刀をぐるんと振って彼に切りかかった。それを血の滴る腕で弾きながら後退し、最後に爆発力の伴う鬼道で大きく吹っ飛ばす。

 着地を決め、少し後方に滑った男は肩で息をしてこおろぎさんの顔をぎろりと睨んだ。

「弱者の命から頂戴しようと考えていたが急遽変更する。貴様の命から先に頂こう、山草のはらい者はそれからだ」

「あーら、直ぐおこる。お子ちゃまだねぇ」

「名のある神を散々に罵っておいて、挙句の果てには『おこる』、だと……? これは『いかり』だ、私はいかっているのだ! サアその刃抜け! 正々堂々微塵斬りにしてやる」

「上等上等、受けて立つ」

 太刀の男に対してそう言いながら不敵な笑みを浮かべ、ふと腰に提げていた短剣をすらりと引き抜いた。

 直後、左掌に大胆に貫き刺す。

「ヒャア!」

 思わず顔面を覆った。

 改めて長良の子でなくて良かったかもしれない!

 そして彼の腕は揺らめく青い炎を伴いながら血の滴った先――その血液の凝固した先に一つの巨大な武器を現出させていく。

䘀螽フシュウ、転じて斧繡フシュウと成る。斬撃は悪を断ち、鈍撃は暗雲穿ちて光を現す】


 それは一つの浪漫武器。

 その巨影は、「大きな隙」を犠牲として一発一発の攻撃力を高めた代物だ。


 戦斧。

 派手な容姿が目を引いた。


「玩具如き、この霊剣に通ずるとでもお思いか!」

 頭に血が昇ったそのままで大振りに太刀を振るい、一迅目は躱されるも二迅目にて戦斧と激突。

 衝撃波が一迅走り、地面が凄まじい音を立てて割れた。

 金花の治癒によっていち早く目を覚ましていた黒耀が咄嗟に魔法陣を展開。

 それでも十分衝撃がこちらに伝わってきていた。金花がトッカの腕の中でふるふると震えている。遂には恐怖の余り札の中に一時的に退避してしまった。

 それだけの衝撃、威力。

「……」

 思わず目を見張った。


 ――強大な力は使いこなせなければ危険極まりない。


 れいれいさんの姿であの死神は確かそんな事を言っていた。

 それを目の前の二人は使いこなしているって事なんだ。

 ……凄い。

 一方、その視線の先では刃が深く突き立った斧の柄が小刻みに震え、彼らの間にはっきりとした境界をひいている。

「中々やるねぇ、あんちゃん。――だがこっちにも守るべきものと意地とが混在しておるんでね」

「……」

「僭越ながら御本家の秘術を使わせて頂く」

「勝手にし給え」

 目を相変わらずかっ開いたまま太刀を引き抜き、鋭く切り込んでいった。

 それを重さ等無いかの如く振るった戦斧で弾き、自身も男の元へ突っ込んでいく。


 これが、秘術……!


 * * *


「和樹、今がチャンスだ」

 目の前で起きている余りの迫力に思わず呆っとしてしまっていたのを黒耀が引き戻した。

「な、何の」

「この状況を打破する為の「僕達の」時間がようやく出来た。奴の名前を本当は探りたかったんだけど、相手にこちらの手の内が突抜けている以上別の手を考えなくちゃいけない」

「だがあの太刀の男、こおろぎに煽られて大分怒り心頭だったぞ。今なら誘導次第で充分名前を引き出せるんじゃないか?」

「いや……今から名乗らせるにはちょっとタイミングが悪すぎると思います」

「水神の言う通り。ここで無理に名乗らせようとすれば逆にこちらの真意に気付いてしまう可能性がある」

「そーいうもんか?」

「今更自己紹介なんて出来る雰囲気だと思う? アクションゲームでも軍記物語でも戦いの最中に名前を名乗らせる展開は特定の条件下でない限り存在しないんだよ。――それがこれから起こるとは考えにくい、というか十中八九無理だ」

「んー、確かに?」

「だから逆手を取るんだよ。逆に周りへの関心が削がれている今だから出来る事をするんだ」

 黒耀がそう言いながら近くの木の枝を手に取って地面に書き始めた。

 そこには可愛らしい女の子の絵。

「ここは仲間を狙おう」

「あのアメジストの少女?」

「そうだ。死神は彼女の事を『姫様』と呼んでいた。とするならば彼女がこの異空間の主である可能性が考えられる」

「でも証拠が無いまま無関係の少女に襲いかかる可能性もあるわけだよな」

「まあ確かにあるけれど、この異空間に引きずり込まれる直前に彼女が毎回姿を現しているんだ。一回ならまだしも、二回目ともなれば……」

「なるほど」

「でもどこに居るだろう」

「それは残念ながら何とも言えない」

「異空間内に居ない可能性もあるって事か?」

「否定はできないね」

「うんん……」


「地道に探すしかない」


 * * *


 その間にも太刀と戦斧のぶつかりは熾烈を極めてゆく。

 金属同士のぶつかり合いによる火花が暗闇の中に映え、叩き込めば刃が抉るのは苔、切り込めば刃が断つのは大木といった調子。

 正に五分と五分。実力は互角にして、互いに一歩も譲る気が無い。

 と、ここで太刀の男が行動を起こした。

 向かってくる重たい斧を弾いた所で一歩引き、太刀を勢いよく地面に突き立て――直後自身の目の前、直線上に数多の鋭角の鋭い氷が剣山のようにその氷結を広げながら、勢いを付けて彼に襲いかかった。

「……!?」

 突如人間相手にガチの術を使ってきた相手に驚き、こおろぎが慌てて転がり避ける。

 その氷結は背後に立っていた大木の中の組織をくまなく蝕み、枯らし、中から抉り出すようにつららを伸ばした。

「えっっぐ!」

 しかしその氷結はそこで終わる訳がない。どんどん勢いを増しつつ波紋を広げるようにその領地を拡大。こおろぎの体組織をも呑み込もうと迫りくる。

 斧を振るいたくてもその為に立ちどまってしまえば勝ち目はない。氷が砕けても砕く手が凍傷でもげてしまえば――いやそれよりも氷結で心停止してしまえばそこにあるのは臨終のみだ。

 逃げるしかない。

「氷塊と化せ! 長良の術師よ!」

「御免だね!」

 しかしてこおろぎも黙ってやられる訳にはいかなかった。

 今にも彼を呑み込もうとした氷結をに跳び避け、枝を伝い、木々の中に潜り込んで高速で移動する。

 木への氷結の侵食が為される時その速度が下がる事を見越しての判断だ。エネルギー保存則に則って考えてみれば容易に分かる話である。

 氷結が持つ速度のエネルギーであったり攻撃のエネルギーだったりが命の侵食の為に力を持って行かれれば、彼に届く頃には威力の減退が多かれ少なかれ起こる事になる。

 発生源のある地上を行くより遠い場所を行った方が早い。最善策に違いなかった。

「その程度で逃げおおせたつもりか」

 それに太刀の男が今度は雷撃で追う。

 こおろぎが揺らした葉が一瞬間後には炭屑となって崩れた。

 かっ開いた目が僅かな揺れさえ見逃さず、光速で駆け抜ける稲光を次々と木々にぶち当てていく。

 当たらない今は良い。しかし逃げ道の選択肢が無くなっているという事実にも着目せねばならない。

 その間にも曲線を描きながら彼の逃走経路に沿って木々が次々と焦げてゆく。

 時間がない。

 一か八か。こおろぎの刃が構えの姿勢に突入した。

 足が枝を蹴る。


 ぐお――。


「そこか!」

 瞬時に察知、いち早くそこ目掛けて彼の術が爆ぜ飛ぶ。

 白い爆光揺らめき、地に落ちた太陽が如くの凄まじい光量が周囲を猛烈に照らした。


 だが、当たっていない。

 その閃爆が弾けたのは彼の背後である。


 その照らされた先。

 あったのは髪の末端を少しく焦がしつつもその首目掛けて斧を振るう「斧繡」の眼光。


 ギィン!!


 寸での所で太刀とは思えぬ速度でその銀が斬を防いだ。一打一打の攻撃力に重きを置いた浪漫武器が伝える特有の痛みと痺れが骨身に染みる。

 歯を食いしばる男に続けざまにこれまた大斧とは思えない速度で斬撃を振るい、迫り迫る。

 良いペースだ、鍛え磨き上げられた太刀を勢いで折ってしまいそうな程である。

 しかしそこに太刀の男が一瞬の隙を見出し、入り込み、服を裂いた。

 唯でさえ胸元の広い服なのだがそれに加えて腹迄ばっくり開かれる。

 一番守るべきを全く守れていない。次懐に潜られれば一貫の終わりだ。

 額に冷や汗がつと浮かんだ。

 その様子を視認した男の口元に微笑が広がる。

 ここから形勢が逆転。こおろぎが守備に転じた。

 斧の柄に切り傷が増え、心臓を貫かんと振るった太刀の何と調子の良い事よ。

 ひたすら後退を続けつつ、逆転の瞬間を見出そうと必死だった。


 が、人間の「眼」というものは前進する為に前に付いているのである。

 後退がそんなに上手く出来るものか。


「がっ!」

 あろうことか足下を小石にすくわれた。

 足首を捻って後方に思い切り倒れ込む。

「んぎゃ!」

 戦闘において非常に邪魔な痛みを放つ足首を斧で器用に傷つけ、鬼道で痛みを誤魔化す。

 あちこちから出血、斧の形成に大量の血を使った。それで何とかここまで耐えてきたというのにここで足に対して更なる出血をした事で限界が見え始めた。

 血液量と戦闘の激しさ、時間が比例していない。勿論、悪い意味でだ。

 よくやっているほうだ、頭が呆っとしてきた。

 満面の狂気狂喜の笑みで太刀を振るってきた相手の攻撃を辛うじて避け、先程よりも重く感じる戦斧自分の血液を構え直す。

 御慈悲も糞も存在しない冷徹一筋の眼差しでこちらをぎろりと見据え、もう一度大振りに切り込んでくる。

 何度目か分からぬ斧の柄での受け身を行い、その先にある上腕から血潮が爆ぜた。

 冷たい感触を視認した直後、熱く火照り、激痛が鋭く走る。

「……!!」

 声にならない叫びを上げて目をかっ開いた。痛みに耐えつ忍びつ、余裕を振舞おうと必死だがどうしても体がふらつく。

 見れば相手が御満悦の表情でこちらをによりと見つめていた。

 背筋に氷でも押し当てられたような何かが彼の体を駆け抜けた。

「ここまで損傷が激しければ……ま、勝手に死ぬでしょう」

「最初から狙ってか!?」

「ご冗談を、そこまで戦いには慣れておりませぬ。――その戦い方に慣れていない貴方が勝手に自滅なさっただけ」

 冷たく言い放って太刀を鼻先に突き付けた。

 鼻頭はながしらを中心に頭がどんどん冷えていく。


「䘀螽は䘀螽のまま。斧繡にすらなれぬ哀れな男。少女の命の灯火吹き消した男、過去から逃げ続けている男、暴力でしか解決が叶わぬ事を幼いながらに知ってしまった男」


「どうせなら最愛の人に会いに行きませんか」


「寂しさに悶え苦しむ位ならば、罪の意識に駆られて心をすり潰す位ならば」


「いっそここで」


「死ね」


 瞬間――。


 * * *


「あ……! 見て皆、あそこ……!」

 俺が指差した先、向こうの木の枝に儚げな空気を纏ったアメジストの少女が目を閉じ、俯きがちに座っていた。

 落ち込んでいるようにも見え、祈っているようにも見え。

 彼女に気付かれないようにそっと木の影に隠れる。

「いたね」

「うん、いたね」

「どうしよう?」

「取り敢えず彼女を札の中に封じ込めるんだ。そうすれば異空間の解除が行われる筈だし、こちらの手中にお姫様がいるとなればあの死神も無闇に襲っては来ない」

「善は急げだな。早く行かなきゃアイツに勘付かれるぞ」

「こおろぎも心配だ。あの斧の生成にどれだけの血液を使ったか」

「うん……」

「くれぐれも脅しだけはしないで行きましょう」

「勿論。助けを呼ばれちゃ困る」

 うう……ちょっと悪い事をしているみたいな気分だけど、仕方ないんだよな。

 よし。

 慎重に、慎重に窺いつつ歩み寄る。

 近くで見るとますます綺麗だ。仄かに感じられるあどけなさも何だかいじらしい。

「あ、えっと……お、姫様」

 そっと語り掛ける。

 応じて彼女がふわりと目を見開いてこちらをゆっくりと見た。

 そのまま無垢な様子でかたんと小首を傾げる。

「なぁに?」

 鈴を転がした、しかし金花とは別系統の可愛らしい声が耳に届く。

 最初に見た時と同じくどこかに上品な空気がありつつも、子どもらしさの抜けない仕草と相まっていつまでも見ていられそうな雰囲気を纏っている。

 しかしそういう訳にはいかない。

 こおろぎさんの為にもこの異空間を早くに閉じなければ!

「えっと、さっき、あの、男の人から頼まれて……」

「まぁ、キョウが?」

「キョウっていうのか……」

 黒耀がぽつと呟いた。

「え、えっと、ちょっと危険な事が起こったからって俺達、緊急で頼まれて来たんです」

「まあ」

 口元を可愛らしく袖で隠して驚いた様子を見せるお姫様。

 か、可愛い。

「で、このお札の中に入って貰って、安全に退避しましょうって――」

 そう言いながら札を前に突き出した瞬間。


 ビッ。


「危ない!!」


「……!」

 いつかに見た景色が目の前でまた起きた。

 札が真っ二つ。

 その向こうで黒耀の守護魔法が光り、そのまた更に向こうで男が太刀で無理矢理割り込んできた姿がそこにあった。

 長髪が大きく揺れ、なびき、その隣の瞳が鋭く厳しくこちらをぎろりと睨んでいた。


「この俗悪共がッ、姫様に手を出すな!」


 どすの利いた凛と張る低い声で声高に叫び、そのまま太刀をぐんぐんと振ってこちらに迫って来る。それを黒耀が何とか全て弾いた。

「こおろぎさんと戦っていたはずじゃ!」

「今は考えるな、前を、見ろ!」

 首根っこをぐいと掴まれて、その直後自分の目の前を刃の光の筋が通り抜けた。

「きゃ!」

 しかし戦闘慣れしていない極々一般人の代表、山草和樹。

 そのまま尻もちをついて簡単に動けなくなる。

 太刀の男が突きの体勢に入った。


 ――と、途端。


「チャーンス!!」


 ご機嫌なあの声が頭上から降って来る。

 ハッと見た先、青に塗れたこおろぎさんが斧を振りかざしながら直ぐ上の木から降ってきた。

「こおろぎさん!」

「ぐぎゃ!!」

 完全に隙を突かれた太刀の男の背中に思い切り足で飛び乗り、うつ伏せに倒れ伏した彼の首を押さえつけるように、斧の刃と柄の末端とを地面にどしりと打ち付けた。

 まるでギロチンに繋がれた王様のように斧で押さえつけられ、太刀の男が身動きを取れないでいる。

「和樹!! 早く、こいつの額に札を!!」

「何をする、止めろ、止めろ!! 姫様!!」

 頭を無理に押さえつけ、こおろぎさんが高音の混じる絶叫を浴びせかけた。

 慌てて立ち上がり、空の札を思いっきり彼の額に押し付ける。


「封印!」

「アアアア!!」


 その瞬間、霧消するが如く男の体が吸い込まれ、同時に夜の森も溶ける様に消え去っていった。

 太刀の男の黒い中折れ帽がふらりふらりと足下に落ちる。


 ――、――。


 後に残された俺達は駅前の人通りの多い場所に放り出されていた。


 瞬間、周囲の目が青塗れ、切り傷塗れのこおろぎさんに集中し、慌てて路地裏に潜り込んだ。

 あのお姫様は気付いた時には居なかった。


 札には「死神」と書いてある。


 重みが、違う。


(つづく)

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