第三話 死神御一行様

壱――出動命令

 ――そこは黄泉の国の一番奥まった場所にある。

 武に秀でた者達が「運命の書道標」に従って命を刈る。そんな戦闘集団をまとめ上げる総大将の暮らす宮が。


「失礼仕る!」


 数多の部下が両側に跪くその広い部屋に幹部の男二人が入室する。

 鉄仮面に頭部を覆う、頭巾が如くの流れるような黒い布。金花を襲った時と同じ装束の二人が着流しではなく、袴を穿いて正装で入室。――こういう時、その向かい側、一番奥にはその神が居る。

、お呼びですか」

 死神の総大将、「黄泉様」。

 あの世曰くの「名のある神」がいつとしてその名を馳せる神。その全長は見上げる程高い。

 あの小さく幼い可憐な姫が成長したらあれ程の体長になるのだろうかと剣俠鬼は今から心配でならない。

『面を上げよ』

 思考を止め、剣俠鬼は相方と共に彼の神を仰いだ。彼を見る度、いつも心拍数が上がってしまう。いつでもこればかりは慣れなかった。

 黒い装束に包まれ、白い立派な髭と髪とを蓄えたその姿は畏敬の対象として相応しい。黒と白は色彩の中でも「死」を表す色であると一説では知られている。

 全てのそれらが彼の威厳の正体であった。剣俠鬼の恐怖を知らぬ内に掻き立てるものの正体であった。

 彼は「死」を体現する神として完璧である。

『さて。死神には六道を巡る魂の管理という天命がある訳だが』

 頭にがんがん響く張りのある低音が部屋に響く。それだけで下級の者達を平伏させるには十分だった。

『その流れが昨今、頻繁に崩されている』

 相当頭の痛い話だった。

『その所以はお前達もよく知っているであろう』

「はっ。運命の改変者シナリオブレイカーでありましょう」

『左様、最近は二名の存在が確認されている。――お前達にはその処分を命じているはずだが』

「……」

 厭な間だ。

『まだ叶わぬか』

「大変に申し訳が無い。全力は尽くしておるんですが……」

 隣で悔しそうに顔を歪めている。

 途切れた言葉を剣俠鬼が次いだ。

「彼の者らの運命への干渉が激しゅう御座います。――特に魂の流転への干渉が」

『何の為の武であるか。何とかして抑えられぬのか』

「干渉の瞬間がどうも掴めませぬ。不意を突いてその運命が反転致しまする」

『……』

「黄泉様。これは大変言いにくう御座いますが……」


「我々にはどうも、難儀なように思われます」


 場がどよめいた。

 臣下の内で第一、第二の実力を誇るとさえ言われるこの二人で駄目ならばどうすれば良いというのだ、とささめき合い、戦き震える。

「静まれ!! 大将の御前だぞ!! 無駄口は外で叩け!!」

 斧繡鬼が一喝でその場のどよめきを一瞬で無に変える。

「……どうなさいますか、黄泉様」

 水を打ったような空気を割るように剣俠鬼が言った。

『今まではどのように』

「は。私の作戦を元に主に斧繡鬼が出動致しました」

『ふむ。「運命の改変者」の名は』

「『千年を生きた機械人形』と『境界を穿つ者』で御座います」

『どちらを先に潰せるのか』

「……確証はありません。しかし後者の『境界を穿つ者』はほんの小さな子どもで御座います」

『ほう』

「先に狙うならばそちらの方が良いかと」

『「千年を生きた機械人形」の方は』

「もう少し対策を練っていった方が良いでしょう。奴のアレはです」

『……ナルホド』

 広い手で髭をくすくすと撫でた。

 そして直後、その言葉は突発的に来る。


『ならば斧繡鬼、剣俠鬼。今回はお前達二人で行け』


「は?」

 思わず剣俠の口から本音が漏れ出た。慌てて口を押える。

 しかし言わぬ訳にはゆかぬ。彼らがどうして二人で潰しにかからなかったかなど、考えてみれば簡単な話である。

 別に情が云々、こどもであるからして云々ではない。

 剣俠鬼が斧繡鬼の心を抉ってまでその出動時間を減らしたのにも意味がある。

 全ては自身が心を寄せ、砕き、労するあの小さき姫の為であった。

「よ、黄泉様。今一度御熟考なさりませ! 貴方様の小さき姫が数日間ひとりぼっちになってしまいます……! 姫様への接触は臣下の内では私達二人にしか認められておりませぬのに、私達が宮から居なくなってしまえば彼女の御世話を誰がやるというのですか!」

「剣俠鬼、落ち着け」

「しかし!」

「落ち着け。この話、お前が言い始めれば止まらなくなる」

「……」

 肩に置いた手に力を込めて、無理矢理抑え込む。

 不服そうな顔は一切見ずに斧繡鬼は黄泉様に向き直った。

「しかして大将。これは確かに一考の余地ある事かと思われます」

『何故に』

 ――何故に。その言葉が出るとは思わず、一瞬身を震わせた。

「何故も何も、おじょ――失礼、小さき姫は貴方様のたった一人の跡取で御座います。その守護に適うだけの信頼と武とを兼ね備えた者が果たしてここに居るか」

 再びざわつく。直ぐにざわめき出すこの集団に威厳の低迷を感じずにはいられなかった。

「勘ぐるな、お前達目線で言っているのではない。――小さき姫が、信頼に足るか、という話だ」

「……」

 黙る。

「俺達を探しにこっそり目を盗むかもしれぬ。そうなっては危険だという話をしている」

「部屋から出ぬように見張っていれば良いのでは……」

「たわけ! 何をほざくか、私達がやるべきは姫様の守護であって監禁ではないのだぞ! 分をわきまえろ」

 そうして議論が次第に激しくなっていく中、その総大将はまた突飛な事を仰った。


『静まれ静まれ! ――ならばお前達が姫を連れて行けばよい』


「「は??」」

 今度は二人の口から一気に漏れ出た。

「いや、しかし」

『姫が他の誰にも懐かないのであればそれも仕方のない事であろうが。何か問題があるか?』

「い、いえ……」

 総大将の言葉は鶴のそれそのものである。

 どんなに不服があってもその一声で全てが決まる。


 そのまま決定と相成った。


 * * *


「ええっ! 本当! 姫も付いてって良いの!!」

 直後お父様大好き! と言って剣俠鬼に抱き着く。瞬時に剣俠鬼の中の主たる思考が「無理して反対しなくて本当に良かった」に切り替わる。

 斧繡鬼が一人見えないところで溜息を洩らした。

 もう心配である。

「その為にはお支度をしなければなりませぬぞ。この服にお着換えなさりませ、キョウがお選び申し上げました」

「わあっ!! いつかご本で読んだお洋服! これ、姫、本当に着て良いの!?」

「勿論で御座いまする。後でお髪を結って差し上げます故、ささ、お早く。ついたての裏でお着換えなさいませ」

「早くしないとおっちゃんがお着換え見ちゃうぞぉ」

「きゃあ、えっち!!」

 そうやってはしゃぎながらついたての後ろに隠れた。――直後剣俠鬼が斧繡鬼の胸倉を掴み上げる。

「どこであんな下品な言葉を教えたんですか」

「え? あ、読んでた漫画で」

「また破廉恥な漫画を姫様の前で堂々と読んだのですか!!」

「――あ……あ、はは」

 目を泳がせあっち向いたりこっち向いたり。

 真逆

「姫にも読ませてー!」

「おっ、良いぜー」

 のたった一往復だけで彼女がそんな言葉を覚えるとは思わなかったのだ。

 しかも剣俠鬼は破廉恥破廉恥と繰り返しているが、向こうの世界ではたった十ばかりの少女も読む少女漫画である。

 彼女の目の前で真逆が読める訳がない。そういうのは自身の寝床の下に隠してあるのだ。

 ――金瓶梅と遊仙窟位でしかを知らない剣俠鬼も剣俠鬼であるが。

「二人とも、喧嘩はだめだよ」

 つと、ついたての後ろから恥ずかしそうに着替えた姫が顔を覗かせ、言いたかったことをぽつりと告げた。

 しかし剣俠鬼の問題は今はそれではない。

「ああっ、姫様。流石は姫様! 矢張りお似合いで御座いまする、愛らしゅう御座いまする!!」

 これがお世辞ではなく真の本音なのだから困ったものである。

 苦笑するしかなかった。

 そうして鼻歌まじりに髪を結い始める内に斧繡鬼の約束の時間は迫って来ていた。

 作戦はとうに決まっている。

 姫には追々剣俠鬼がその口で申し上げる予定である。

 ――はらい者にとうとう二人がかりで挑みかかる日がやってきた。

 ぞくぞくと興奮が押し寄せて、一つ、武者震いをした。

 自身は白いスーツで決め、白い中折れ帽を被り扉の前まで行く。

 姫がお見送りを申し出た。


「それじゃお嬢、行ってくるな」

「姫もすぐ行くからね」

「待ってるよ」

 自分の広い手にすっぽりと収まってしまうその頭をゆっくり撫でる。

 嬉しそうに笑んだ。

 ――本当、小動物や仔犬の類だ。誰が愛さずに居られようか。

「いってらっしゃいのハグ!」

「ほいきた!」

 胸元に飛び込んだその体をしっかり抱き留めて、芳しい髪の香りを胸いっぱいに吸い込む。

「絶対に帰って来てね」

「勿論さ」


 そうして鬼はこの国と「この世」とを仕切る大きなこげ茶の門に手をかけた。


「首を洗って待っていやがれ、シナリオブレイカー」


 * * *


 その次の朝。

 山草家の一間は騒然としていた。


 柱に矢文が突き立っている。


 ――「果たし状」。


 その時は近い。


(つづく)

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