第21話 立つための二対ー8

 血に染まる足跡を大地に刻みながらルウは二人へ迫ってきた。ティミイはパンの壁をありったけ出しつつガインの髪を引き上げ叫んだ。

「殺すんです! でないとあたしたちは死にます!」

 わかっている。

 わかっていてもガインにはその手が打てなかった。死への恐怖とを用いれば己がだと認めることになるという意地。無残に刺され倒れるカイサの姿というぶつかり合う激しい感情が彼を凍り付かせてしまっていた。

 ついにルウがパンの壁をすべて突破した。カレーとシチューに汚れた刀を振ってにんじんを落とし変わらぬ渋い顔がぬうっと現れた。ティミイは金切り声をあげて髪から手を離すとガインを置いて逃げ出してしまった。シモンは頭巾から青年へ飛び移ろうかと迷ったものの結局は自己保身が優先した。

 ルウはティミイを無視してガインの前に立ち刀を振り上げた。刃に太陽光が反射しガインの顔を照らすと一挙に恐怖が彼を塗りつぶした。震えと傷の痛みは増大し服の下で涙と鼻水がとめどなく溢れて雨に降られたかのように全身に汗が浮き上がった。失禁しなかったのはちょうど膀胱が空だったからだ。

 死ぬ。

 一振りの刃で両断される。

 母や村人の元へ行く。つい先日まで待ち遠しくさえ思っていた事象を前にガインは一つの結論に至った。

 死ぬのは嫌だ。

 ティミイに見捨てられ危機に際してさえまともな対応ができない情けない自分であっても命は尊い。だが、これだけではまだ足りない。まだ他者を滅してでも生き残るという強烈な欲求に足りていなかった。

 ルウが発した一言は全くの無意識ながらそれに火を点した。

「寂しくないぞ……。ムアシェもお前も俺も同じところに堕ちる……そこにはもう疫病もない」

 ガインを貶めたわけではない。猛威を振るった疫病すなわち“忌まわしき赤の撫でつけ”が完治することはあり得ないとされていた。従ってその赤いあざを有する『ホワン・カオ』の“赤手の厄病神”と接触すれば当然伝染することと同意である。

 正確か不正確かは問題ではなく大多数が支持することが真実なのだった。従ってこれまでに遭遇した『プラウ・ジャ』の信徒たちは皆されてしまっている。皮肉にもガインが重度の風邪で無力化したことで残った赤いあざが決め手になった。処置者もその場での自害を命じられており、襲撃が途絶えたのもシモンによる飛行が可能になったこと以上に“忌まわしき赤の撫でつけ”がいるとわかったことが大きい。皮肉にも殺すまいとするガインの想いは死へと繋がっていた。

 ルウですら仇討が成されれば感染した己は生きてはいけないと特攻の覚悟だった。昨今にありがちな教義を究めることよりも出世欲にかられた弟子ムアシェには頭を痛めていたが可愛がっていたのも事実だった。才能はあったから成熟すれば一人前のマスターとなるだろう。政治に傾倒しつつあった首脳部に馴染めず、その実力故に孤立していた彼には数少ない楽しみだった。

 息子といってもよい。だからこそ弟子なき今この自殺行にもさして抵抗はなかった。


 そういった背後事情をガインが知る由はない。だがルウの言葉、何より瞳が彼を激しく打った。憐れみと恐怖と排他が混じった瞳。ムアシェと男たち、カイサとかつてのティミイも持っていた瞳。

 人であると認めない意識。

 最後の一押しが決まった。絶叫と共にガインは炎を打ち出した。ルウは当然斬り伏せるために剣を振り下ろしたがこれまでの炎と威力はけた違いだった。刀が溶けてルウの肘から先が焼き消え付け根に赤いあざが浮かび上がった。

 声も上げずに彼の肉体は崩壊したのだった。肉も血も骨も残さず全てが病によって消滅させられた。

 ガインは立ち上がりつけられた傷を抉り血を握り込んだ。赤い。。だが彼はそれを唾棄するように投げ捨てた。

「いいじゃないか、俺は“赤手の厄病神”だ!」

 決別だった。

 過去を乗り越えるのではなく同化してやろうと彼は吠えたのだった。

 ”赤手の厄災神”はここに生まれた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る