第19話 立つための二対ー6
カイサはパンを挟んで片や苦闘する倒れたままのガインとパンを生み出し続けるティミイ、片やパンの感触に慣れて切り進む速度を上げるルウらに向かって噴霧器の先端を突き付けた。蛇が卵を飲み込むのを逆再生したかのように、管を膨らませる丸いものが下っていって先端から飛び出した。
「ちょ、何してるんですか?」
ティミイの叫びが意味するところは即座に判明した。飛びだした巨大な黒球は周囲を吸い込みながら徐々に自身を縮小させていくのだ。草が根をむしられ土が消え岩さえ飲み込みパンは表層をはがされていく。さながら鍋の底に穴が開きそこへ水が殺到していくかのようだった。
カイサの『ホワン』“大ぐらいめが”。
自身を含むすべてを飲み込む球を打ち出し吸い込まれたものは不可逆である。いずれは自壊してしまうがそれまでは彼女にも操作ができない。つまるところルウのみならず二人も一緒に始末してしまう腹積もりだった。感づいたティミイが口汚く罵ったがカイサは顔色を変えずドレスのすそを地面深くに突き刺し踏ん張って吸引に耐えていた。
抗おうとするガインであったが、掴まれるような木々は周囲になく地面に指を立てて支えようとするも徐々に球へと引き込まれていった。そうでなくとも斬られた腹から血が飛び吸い込まれていく様に動転して傷を抑えることに気を取られてしまいますます接近速度を速くしてしまう。出血死の恐怖が彼を苛む。内臓が飛び出しそうな感覚はより強くなっている。
ティミイは周囲へ重いパンをひたすらに生み出していくものの、それらは壁となる前に”大ぐらいめが”へ飲み込まれてしまっていた。直前にあり得ないほどにねじり曲り黒球よりも巨大な体積が無視されている。シモンは掌からティミイの頭巾へ潜り込んで髪へとかじりついて抵抗した。ルウは刀を大地に刺して耐えているがガインとほとんど変わらない位置まで引き寄せられている。
球は周囲が抉れるほどに吸引を続けても底が満ちることはなさそうで、むしろ吸引力は強まってさえいるようだった。死が待つのは明らかだが対処法がない。そんな中もたらされた救いの手はルウからであった。
彼は抵抗が無意味と判断すると脱力しあろうことか進んで球へと吸い込まれていった。爪先からその暗黒空間に吸潰される直前刀を振るう。瞬間彼は落下して受け身を取った。吸引は失われた。すなわち斬撃がすべてを飲み干すはずの黒い球を細断してしまったのだった。
抗っていたガインらはその反動でつんのめりながら、立ち上る男の姿に驚愕と感嘆さえ覚えていた。特にカイサの衝撃は大きい。ルウの力は怪力を誇る義手を出すことだけ、武器の刀にも切れ味以上のものはないと聞かされていた。にもかかわらず『プラウ・ジャ』きっての剣豪であり戦士とされる意味がようやくわかった。
剣術しか持ちえないのではない。
剣術さえあれば彼には十分なのだ。
ルウは刀を構えてガインらを見据えた。決して揺らがぬ渋い顔があり続ける。爪先が吸引の力によってねじ曲がり骨折しているのは明らかであるのにおくびにすら出さない。
「立ち向かい続ける限り斬れぬものはなし……」
「か、かっこいい!」
「感心しないでください!」
エプロンから飛び出て叫ぶシモンを叱責しながらティミイはパンの壁を改めて出現させた。全面に焦げがある武骨といってよい丸みを帯びた造形である。
ルウは容易くそれを切断したがその際に飛び出た液体に驚きわずかに後退した。中にシチューが入っているパイに近いパンであり傷つけることはできぬまでも進行速度を鈍らせることはできた。
「弟子! あれを使ってください!」
ルウとカイサに緊張がみてとれた。”赤手の厄病神”に命じることといえば当然病を用いての殺りくである。
平時のガインであれば拒んだはずであった。しかし腹の傷とルウの精強さは彼にその決意を迷わせるほどの黒い輝きだった。それまでも『プラウ・ジャ』信徒に用いた行動を不能にするほど深刻な症状の風邪の病を掌から舞わせてルウを狙う。無色無臭で実体すらない存在である病。いかなる強者であろうとそれから逃れられるはずはなかった。
「見えた‼」
対するルウの叫びと一撃ははったりだとガインは言ってのけたかった。
しかし、とうに彼を立ち上れぬほどの苦痛に誘うはずの病が現れていない。赤いあざも浮き出ていない。これまで例外なく通じた病がルウへと届いていなかった。
否、病すら斬ってのけたのだ。
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