夕暮れのかぐや

山田沙夜

第1話夕暮れのかぐや

 認知症高齢者グループホーム「かぐや」は竹林を背にして建っている。

 旺盛な孟宗竹がかぐやを呑みこんでしまいそうだが、そうはならない。

 かぐやのスタッフが「たけのこギルド」と呼んでいる「かぐやの竹屋会」が、かぐやの母体医療法人の委託を受けて、春にたけのこを売り、竹林を手入れして竹を売り、竹炭を作ってそれも売っているからだ。


 母の部屋は南向きで、窓から竹林を眺めることはできないけれど、田んぼと畑にかこまれて育った母は、隣の敷地の畑を見ているほうが落ち着くだろう。

 ちょうど枇杷が橙色の実をつけている。茄子と胡瓜も花が咲き、小さい実をつけている。まだ背の低い向日葵がでっかい葉っぱを開いて整列している。



 母の在所には大きな枇杷の木があって、採れた実を伯母さんがどっさり持ってきてくれた。

 きれいなものも、虫食いのものも、混りあってどっさりと。

 虫食いでも食べられるところを切りとって食べた。

 伯母さんも足腰が弱くなり、わたしが高校生のころには、枇杷を食べようと思ったら、スーパーで買わなければいけなくなっていた。

 在所の従兄弟は名古屋の従姉妹に、採れた枇杷を持っていってやろうなんて気がさらさらないって感じだ。しかたがない。甘んじよう。

 伯母さんの十三回忌をそろそろ迎えるころだけど、葉書一枚も届かないだろう。年賀状もよこさないやつだ。年賀ぐらい返信しろ、と今年も思った。

 年賀状をもらうのもメーワクだと思っているかもしれない。止めどきなのだろうか。



 十一年もの一〇万キロ走った愛車をかぐやの駐車場へとめ、外へでると一瞬にして熱に包まれた。エアコンガンガンで走っておいてなんなのだが、この中と外の温度差をなんとしよう。

 六月の夕暮れどきは午後七時をすぎないとやってこない。五時四三分なんて真昼といってもさしつかえないほどだ。

 風が吹いて、竹林を渡っていく。竹のざわつきが涼しさをくれる。熱かった風がぬるくなったように、肌に涼しく感じた。

 金曜日の仕事帰りは母に会いにくる。母はわたしが誰か、忘れてしまっているけど。

 

 この時間帯には、かぐやの入居者絹枝さんの「帰りまーす。開けてくださーい」という必死の声が聞こえることがある。

 絹枝さんの夕暮れどきは四季をとわず午後四時半から五時半といったところだろうか。ちょうど、かぐやの晩ごはんどきでもある。

 絹枝さんは服をポンポンとはたいて身支度を整え、左手に布製の手作りバッグをぎゅっと握って準備万端にするのだ。

 がぐやの一階はデイサービス、二階はグループホーム。

 エレベーターも階段へのドアも、とうぜん鍵がかかっている。

 絹枝さんの介護度は知らないけれど、かぐやで暮らす入居者が一人で外へ出てしまうと、ここではないどこかへと、振り向くことなく行ってしまう。

 スタスタスタ……と思いもよらない急ぎ足で。

 絹枝さんが一階の引き戸の前に立って、「帰りまーす。開けてくださーい」と叫ぶときは、二階から一階へうまく下りられたということだ。

 でも絹枝さんのおでかけはそこで終わり。

「絹枝さん、お待たせしました。帰りましょうね」

 絹枝さんは迎えにきた介護スタッフと腕を組みながら二階へ帰る。何事もなかったように。


 ここではないどこかへ。

 ここはいつだって見慣れない場所。

 知っているような気がするだけの場所。



 五年ほど前のこと、母の診察で病院へ行った。診察を終えて、会計をすませ、院内で薬をもらった。

「トイレに行くけど、かあさんは?」

 母は首を振る。

「ホントにいいの? じゃ、ここで待っててね」

 母の反応はなかったけど、気にならなかった。

 トイレをすませてくると、「ここで待ってて」の場所に母はいない。

 コンビニにでも行ったかな。

 トイレの近くの院内コンビニを見にいった。母はいない。そこではじめて、全身がゾクリとした。

 行方不明の四文字が脳内をちらついた。心のすみのすみに追いやって、気がつかないふりをしていた母の認知症。違うよ、違うよ、気にしすぎだよ……。

 落ちつけ、落ちつけ……自分に言いきかせながら慎重に周囲を見た。


 間もなく十一時半になろうとする時刻。

 診察を終え、会計を待つ人たち、院内薬局の調剤待ちの人たち、院内フードコートをめざす人たち、とにかく人が多い。人だらけ。


 だけど、母を見つけた。

 ガラスごしの向こう、正面玄関の自動ドアに向かってせっせと歩いている。


 せっせ、せっせ、スタスタスタ……急ぎ足の母は速い。


 院内で走っちゃいけないのはわかってる。だけどどうしても小走りになる。速歩のトップスピードに抑えつつ急いだ。気ばかり焦る。


「おかあさん」

 聞こえているのか、いないのか、母は無視。

「川藤貴久さん、貴久さん、貴久ちゃん、きいちゃん」

 思いつくまま母を呼んだ。みんなを振りむかせてしまった。きっとわたしは必死の形相をしている。


 母のすぐ近くを歩いていた母ぐらいの年齢の婦人がわたしを見て、母を見て、母に声をかけてくれた。

「ありがとうございます」

 わたしは息をゼイゼイさせながら思いっきり頭を下げた。

「大丈夫? 焦っちゃうわよねぇ。貴久さん、婦人科の待合でご一緒してたわね」

 そう言われれば、母の隣に座っていた人かもしれない。

 母は婦人を見て笑みを浮かべた。

 婦人は「詞子です。よろしくね」と母に微笑み、わたしを見た。

「ほんとに、たいへんよね。もう亡くなったけど、姑がそうだった。いっしょに出かけると三歳児より眼が離せないの。でもほら、三歳の子は四歳になるし五歳になっていくでしょ。でも介護って先がみえないから……」

 詞子さんは長く話すと息がきれるとばかりに、あふれでてきそうな愚痴を封じこめるかのように、ふぅと息を吐く。

「一番上の孫なんかもう中学生で、会話なんて『おはよう』、『いってらっしゃい』、『おかえり』ぐらいだわ。すぐ大きくなっちゃうんだから。

 ねぇ、失礼だったらごめんなさい。貴久さん、物忘れ外来へも通ってらっしゃる?」

「いえ、まだ……」

 わたしは肩をすくめてうなずいた。

「……よけいなお世話かもしれないけど、まだならさっそく今日、予約してみたらどうかしら。ここの物忘れ外来ってすごく混んでるのよ。でも徹底的に検査してくれる。知り合いは半年先の予約しかとれなかったと言ってたわ」

 どきりとした。痛いところを突かれた感じ。わたしはこくんとうなずいた。

「やっぱり……そうですね。はい、そうします。ありがとうございます」

「貴久さん、もしかしたらまた婦人科でごいっしょできるかもしれないわね」

 詞子さんはわたしにうなずいてから、母の手をとり、両手で暖めるようにはさんだ。

 母は、詞子さんとわたしが話しているあいだ、なんども「そうだねぇ」と相槌をいれていてた。

 母は詞子さんを見て、「そうだねぇ」と言って微笑んだ。

「じゃあ、また」詞子さんと母とわたしは手を振りながら別れた。


 母の物忘れ外来予約は一ヶ月後にもらうことができた。

 たまたまその日キャンセルがあり、そこに母がストンと収まったのだ。

 神がかり的な運のよさに、くじ運が悪いしジャンケンも弱いわたしは「マジか」と思った。

 そういえば母はわたしが知る限り、パチンコをしたことがなく、父と競輪競馬競艇に行っても投票券を自分で買ったことはなく、宝くじは買っても二〇〇円すら当選したことがなかった。

 そういう意味では「運」が貯まっていたのかもしれない。


 あのころのわたしは、もしかしたら母は……、そんなことはない、年齢なりのものだ、でも忘れかたがひどい、なんか変だ、どうなんだろう、と認知症を否定したい気持ちでいっぱいだった。


 父が亡くなってすぐ、あれ?、おや?、と感じたのがはじまりだった。

 相談がてらふたりの姉に話すと、姉たちはそろって、「うーん」と首をかしげるだけの曖昧さで、それはわたしもおなじだった。

 それについての決断は、ただひたすらの先送り状態。

 詞子さんのひと言で覚悟することができた。そして診察への道がついた。恵まれた出会いだったとつくづく思う。


 母はアルツハイマー型認知症と診断された。すでに要介護1。

 わたしの出勤中、母は家でひとりだった。危ない橋をそれと気づかず渡っていたのだと震える。

 ケアマネージャーと相談して、かぐやのデイサービスと朝と夕にヘルパーをお願いした。


「仕事はぜったい辞めちゃダメ」

 いったい何人に言われただろう。ケアマネ、ヘルパー、同僚、とくに会社の先輩、友人たち、ふたりの姉などなどなど……。

 もとより仕事を辞める気はない。わたしの老後は、もしかしたら長くなるかもしれないし……。

 姉たちには亭主殿も子どもたちもいるが、遅く産まれた末っ子のわたしは独り身で母と暮らす。

 いろいろあっても仕事は好きだし、稼ぎはぜったい必要だ。

 母については周囲にペラペラしゃべった。しゃべると肩の荷がそのぶん軽くなるような気がしていた。それにちょっとした知識や情報を聞かせてもらえるし、わたしの状況を知っていてもらえる。


 風が吹くとざわざわと竹がさわぐ。クマゼミが鳴いている。アブラゼミの声は遠慮がちに聞こえる。

 

 ショルダーバッグを斜めにかけて、差し入れのお菓子十五人分を入れた紙袋を持って、かぐやの玄関の呼び鈴を押す。

 差し入れは、ひとつずつ包装してあること、柔らかいこと、咽喉につまる可能性が限りなくゼロであること、ほどよい甘さのものか、塩分控えめのもの、そして財布にやさしいものを選んでいる。だいたい月に一度ほどだ。

 今日は甘いもの系にした。


 ほかの老人施設については知らないけれど、かぐやのドアは二階階段の一つだけだ。出入りしにくいように内側へ開く。

 ほかの出入口はどれも引き戸になっている。

 わたしが手をかけるまえに、カラリと玄関の戸が開いた。

「こんにちは、川藤です。川藤貴久の面会……」

 誰かがわたしの右側をすり抜けようとして、肩と肩がぶつかった。

 ごめんなさい、と言おうとして振りむくと、その人はわたしの存在などまるっとなかったように背中を向け、早足で去っていく。

 左手に布製の手作りバッグをしっかり握っている。

 

「あれ、絹枝さん……?」

 絹枝さん……が、ひとり……。付き添いがいない。

 絹枝さんはスタスタスタと竹林へ向かっている。

 見ればグループホームの出入り口が開いている。

「絹枝さんがひとりで竹林へ向かってます」

 デイサービスの部屋から、えー! 川藤さん、すみませんが二階に声をかけてくれませんか、と声がした。

 カウンターの電話をとり、二階の内線へかけた。

 わたしは絹枝さんのことと、戸が開いている様子を告げて、「わたし、絹枝さんを追っかけますね」と言った。

 すみません、すぐ行きまーす……

 女性スタッフの焦った声を聞き、絹枝さんを追いかける。もちろんグループホーム一階出入り口の戸をしっかり閉め、かぐやの玄関の二枚戸もぴったりきっちり閉めた。


 デイサービス送迎車が駐車場に入ってきた。まだ停止していない車のスライドドアが開き、介護スタッフ西尾冬悟さんが飛び降りた。

「川藤さん、どうされました?」

「絹枝さんが……」

 竹林を指さしながら、後ろを振り向き振り向き走りながら、たったいまの出来事を話した。

「僕が行きます」

 そう言いながら、西尾さんがわたしを追い抜く。

 わたしも西尾さんを追ったけど、西尾さんはもう竹林へ入っていった。

 わたしは絹枝さんの表情を見たかった。

 迷子になったように不安そうなのか、帰りますと揚々としてるのか、これという表情をみせずにただスタスタスタと速足進めなのか。


 絹枝さんはどこに帰るんだろう。



 かあさん、アルツハイマーだった。


 姉たちに連絡すると、なぜか「四人で温泉に行こう」となった。

 おねえちゃんの友人や、チイねえちゃんの仲間にも、親にその気配を感じたとき「家族で温泉」へ行ったという人がいたのだそうだ。

 なので後々の後悔をつくらないためにも、温泉! なのだと二人そろって言った。

 自分たちの思い出が欲しいし、かあさんもきっと憶えていてくれる、とおねえちゃんは力説した。


「認知症は直近の記憶から消えていく」

 認知症と介護について買った三冊の新書と、図書館で借りた二冊のどこかに、その記載があった。


 海馬からホロホロと記憶がこぼれていく。


 わたしはそんなイメージを持ってしまって、母と話しながら、台所へいっては泣いていた時期があった。

 母が訊く、わたしが答える。数分後、おなじことを母が訊き、わたしが答える……リピート、リピート、リピート……。

 根負けするのはわたしだ。声を荒げてしまったときもあった。

 忘れないようにと母にメモをわたす。母はメモを見て、メモ紙を裏返して見て、そしてメモ紙を両手で持って見入る。

 わたしがメモの内容を言うと、「そうだねえ」と言ってまたメモ紙をじっと見る。

 母には裏も表もメモの内容も、なにも意味がないのかもしれない。


 四人での温泉は、とうぜんのように幹事はわたしで運転手もわたし。

 一〇〇〇CCでお年寄りの愛車に成人女性が四人乗車、なんだか車が可哀想になる。

 オーシャンビューで近場の温泉。それなら知多半島だね。宿泊費用が割高になるけど、家族風呂のある部屋を予約しよう。


 当日、まずおねえちゃんを迎えにいく。

 一〇分も走らないうちに母が、「どこ行くの?」と訊く。

「おねえちゃんとこだよ。それからチイねえちゃんを迎えに行って、知多の温泉へ行くんだ」

 ふうん……

 返事なのか、ただ息を吐いただけなのか、母は見るともなくフロントガラスを見ていた。

 ねえ、かあさん。わたしが誰だかわかる? わたしの名まえ、憶えてる? 里湖だよ。

 そう訊く寸前で思いとどまった。


「里湖」

 母がわたしの名まえを呼ぶ声を聞かなくなったのは、いつごろからだろう。


 父が亡くなってから、母は朝寝坊になった。

 ごはんを一緒に食べる朝は土日を含めて週に三回か四回、ときには二回。

 わたしが残業したり友人と食事したりで、晩ごはんを一緒にたべるのも同じくらいだった。

 母は買い物に行かなくなっていった。

 冷蔵庫の中がだんだんさびしくなっていったから、わたしが土日にまとめ買いをするようになった。

 母は出かけることもなく、一日家で一人だったのだろうか。

 カルチャースクールへ通ったり、友達と日帰り旅行に行ったりしていたのに……。

 そういう仲間たちも、母のように歳をとっていき、足腰が弱くなり、外出が減って、もしかしたら認知機能も……。

 

 母はわたしに「ねえ」と呼びかけるだけになっていた。

 ねえ、あのねえ……。


「ねえ、どこ行くの?」

「おねえちゃんたちを迎えにいって、知多の温泉へ行くよ」

ふうん……。

 数分後「そろそろ帰ろう」と母が言った。


 娘三人とたっぷりな夕食を摂り、ゆっくり家族風呂を使い、母はよく笑った。

 長姉の香野、次姉の野里、わたし。

 母に気を遣いながら、久しぶりの姉妹三人。義兄たちも甥っ子姪っ子もいなくて、気兼ねなくしゃべった。

「!⭐︎*&@#%$!!」母がもごもご話しては笑い、おねえちゃんが「そうそう、そうなんだよね」と受ける。

「ナオさんがござったねぇ」と母が言えば、「ござっとりゃあしたかねぇ」と不自然に名古屋弁で返す。

 チイねえちゃんが『おねえちゃん、みごとだわ』と口パクして感心した。

「帰ろかね」と母が言う。

 香野姉、「うん、帰ろ帰ろ。んでも、ちょこっと甘いもんでも食べよ」

「わたしがお茶いれるよ」と野里姉。

 母、「まあ帰ろまい」

 香野姉、「いま布団敷いてもらうで、ちょっこっと待っとって」

 母は「まあ帰らなかんで。帰ろう」

 という会話をしつつ、娘三人はまずまず一泊旅行を楽しんだのだった。

 母もすやすや寝てくれたし。


「かあさんって、家でも『帰ろう』って言ってるの?」

 帰りの車中で助手席のチイねえちゃんが訊く。

 母は後ろでおねえちゃんにもたれてうとうとしている。

 知多半島道路から伊勢湾岸自動車道へ入り、刈谷のハイウェイオアシスへ。かなり遠回りをした。

 今度はいつ、こんなふうに集合できるかわかんないじゃん、というわけだ。

「毎日ってわけじゃないけど、『まあそろそろ帰らなかん』はよく言うね。わたしが帰宅してヘルパーさんが帰るときに、いっしょに帰ろうとしたりするよ」

「豊田の在所に帰りたいのかな」

「豊田でも昔の、まだ建て替える前の在所かも。かあさんが小さいころの在所……。でもかあさん自身、帰ろうと思うだけで、どこへ帰るのかあてははないような気がする」

「そうだね」

「だねぇ」

 ソフトクリームを三つ買って、母と分け合いながら食べた。



 グループホームの入居者、美代さんが特養へ移ることになった。

「貴久さん、グループホームへ来ませんか」

 デイサービス長とグループホーム長からお話があった。

 おねえちゃんとチイねえちゃんと三人で、家中を探して母の預貯金の通帳を、もれのないよう探した。

 そして頭を突き合わせ、ため息をつきつき、年金と通帳残高とグループホームの費用を計算した。

 


 わたしは竹林に数歩入って立ち止まった。竹林の中は夕暮れの明るさだった。

 手入れがいいので、竹と竹の間隔があって歩きやすそうだ。

 竹の間に間に、絹枝さんと西尾さんが手をつないで歩いているのが見えた。

 奥に見えるレンガ積みの小屋のようなものは、竹炭をつくる窯なのだろう。


 たけのこギルドの人だろうか。農作業着の男性と女性がなたを手に、ビニール紐の束をベルトに括りつけて、地面を見たり、竹を見上げたりしている。

 会釈すると、「絹枝さんと西尾くんなら浄土山の方へ行ったに。ほれ、踏み跡が道のように続いとんの、わかるだら。丘みたいな山だけど、絹枝さんが登るのはキツイだろうで、まあ戻ってくるよ。ここで待っとりん」と言った。

「採り残したたけのこが伸びてきて、ぼうぼうになってきたもんで、かなわんわ。トモちゃん、さっき竹切っとっただろう。この人に持ってってもらったらどうだぁ」

「ほだね。ちょっと待っとってね」

 トモちゃんは竹林の向こうのはずれに積んであるレジ袋へ小走りに向かった。

「……なんかすみません」


 風が吹くと竹がゆれる。竹はゆれてとなりの竹とこすれあい、となりへとなりへ、竹林のぜんぶの竹がこすれてあって音をだす。

 頭上でも竹の細い枝や、枝の葉が、ゆれてこすれて音をだす。

 竹林をわたる風は、竹の冷気をまとうのか、涼しい。


「はい。ほれ、たくさん切ったもんでね、遠慮せんと持ってきん」

 トモちゃんも、トモちゃんを「トモちゃん」と呼ぶおじさんも、名古屋弁と三河弁がまざりあう。

 トモちゃんが両手に下げてきたLサイズのレジ袋いっぱいに、輪切りにした竹が入っていた。サイズはいろいろだ。

 帽子のプリムが前も後ろも大きくて後ろは長くて、トモちゃんの顔はほとんど見られない。両手は軍手に隠れている。


「わあ、こんなにたくさん……ありがとうございます」

 コップ、エンピツ立て、湯飲み、輪切りにした竹の使い道は、これくらいがわたしのアイデアの限界だ。


 絹枝さんがわたしを見て、「よう来てくださったなぁ」と言った。

 それから西尾さんを見上げて、「ほんとに大きくなってまって」と言った。

 絹枝さんはわたしに背中を向けると、スタスタスタとかぐやへもどっていく。

 もう、西尾さんやわたしのことを憶えていないだろう。


「絹枝さんを追っかけてくれて、ありがとうございました。助かりました。竹林じゃなくて、国道のほうへ行かれてしまってたらと思うと、ぞっとします。

 うちはいま、ショートステイを受け入れていないんですけど、今日はどうしても、という利用者さんがいて、お一人受け入れているんです。言い訳にはなりませんが、手が足りなければ、眼も足りなくなってしまって。あー、だめだ。言い訳ばっかになっちゃう。すいません」

 曖昧に首を振るしかない。

「わたしはほら、こんなにお土産をもらっちゃいました」

「あ……それ」西尾さんは苦笑いして、「お手数ですけど、ぜんぶお持ち帰り願えますか。その、かぐやにもたっぷりいただいてて」

「あ……はい」

 会社へ持ってくしかなさそうだ。持ち帰り用の袋も忘れずに持っていかねば。

 デイサービスの送迎車は駐車場のすみっこに停車してあった。


 母はテレビの前の三人がけのソファのまん中に座っていた。

 ソファの三人は黙ってテレビを見ている。

 わたしはしゃがんで「かあさん、元気そうだね。テレビ、おもしろいのやってるね」と言った。

 母は「よう来てくださって」と少し笑みを浮かべた。


 ホーム長にあいさつして、特に変わったことがないことを訊いて、帰ることにした。

 差し入れのお菓子は誰かが運んでくれていて、テーブルの上にすくっと立っている。



 八〇歳になった二月、母は高熱をだし、かぐやの母体の病院に入院した。髄液に菌がはいったのだ。

 二週間熱が下がらず、その後ひと月昏睡したまま逝った。(了)


  noteより転載

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夕暮れのかぐや 山田沙夜 @yamadasayo

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