幕間1

幕間 ウィステリア・ナートンの考察

 ウィステリア・ナートンという女がいる。

 図書館の大魔女。暗がりから歴史を覗く者。世界に二人しかいないエクシスの一人。五大属性の使い手であり、魔術界においての最高の栄誉である5つの宝石の一つ、「天藍石ラピスラズリ」の称号を持つ世界最強の大魔法使い。


 そして、極度の引きこもりだった。その期間およそ400年である。


 そんな彼女が今、鉛よりも重い腰を上げて結晶の森にいる。文字通り数百年に1度の奇跡だった。

 そして、その外出の理由は、今まさに目の前にある真っ二つに割れた石碑にあった。

「ひっどいわね。これ」

 彼女の表情は、得体のしれない前衛芸術を見ている時のそれだった。

「まるで知恵の輪を無理やり引きちぎって、でたらめにくっつけたような。もともと馬鹿みたいに複雑な術式だったけど、こんな力業の直し方は普通しない、というかできないわね」

「すると、やはり花の巫女の封印は解けた、ということですね」

 ウィステリアの後ろでしかめっ面のままピクリとも表情を動かさない黒服の大男、ウルキア連盟直轄諜報機関「オストルム」の幹部の一人、「黒狼」のヴァグナスが訊ねる。

 その堅物な佇まいに少しだけげんなりするウィステリア。

「わかり切ってることを聞かないでくれるかしら。ただでさえ久しぶりの外出で疲れてるんだから」

 事実、図書館の暗さに慣れすぎていて、外に出た当初は太陽の眩しさにひどい頭痛に悩まされた。おかげでここにたどり着いたころにはもうクタクタである。一刻も早く図書館に戻りたい。

「ですが、この封印を解析できるのはこの世界で貴女様だけです。ならば役割を果たされるべきかと」

「できるってだけで押し付けられたらたまったもんじゃないわ。今回があまりにただ事じゃないから仕方なく出てきただけよ。この件以外だったら殺されたって出てくる気はないわね」

 ウィステリアの言い分を気にした様子もなく、ヴァグナスは話を続ける。

「しかし不可解です。この森にはすでに何も封印されていなかったはず。だというのにこの惨状だ。『何かがあった』としか思えない」

 そう。世間一般的に見ても、花の巫女の役割はすでに終わったものであり、その位置づけは「厄災を解放させてしまった罪を贖い続ける哀れな女性」であった。ヴァグナス自身もそう考えていたため、今回の「巫女が森から解放された」という事件は、ただ囚われていた女性が解き放たれただけの、こういっては難だが取るに足らない出来事の一つとして彼は認識していた。

 だが、ウィステリアがこの件を重く見ているのは彼女の表情を見れば一目瞭然だった。彼女にしか見えていない問題がある。ヴァグナスにはそれを知る義務があった。

「あなた、封印術ってどういうものかご存知?」

 ウィステリアの突然の問いに動揺する様子もなく、「お恥ずかしながら」と答えるヴァグナス。

「封印には二種類あって、一つは術者が対象に自身の魔力を打ち込んで縛り付ける方法。というか、ほとんどの場合こっちの方法がとられるわ。構造はシンプルで扱いやすく、一度かけてしまえば仮に術者が死んでも魔力が残っている限り封印は残り続ける。ただその反面、術者よりも強力な力を持つ者が相手だとあっさりと解かれてしまう。要は力技で何とかなるってことね」

「では、後者は?」

「因果律を捻じ曲げ、新しい『法則』を生み出して相手をその中に閉じ込める方法。例えていうのなら、「物は落ちる」とか、「水が熱で沸騰する」みたいな、世界の常識に「対象をここに縛り付ける」という項目を追加するようなかんじかしらね。まぁ、はっきり言って超回りくどいうえに死ぬほど面倒くさい方法よ。普通ならこんな方法とらない。ただ、前者と違ってこちらは力技では通常どうにもならないわ。世界そのものに対する高度な理解と、それを実現するだけの莫大な魔力が必要になる。まさしく『神の所業』ね」

「それが、一体今回の件とどう関係するのでしょうか」

 ヴァグナスが問うと、ウィステリアは「ここからは現場を見た私の考察だけど」と前置きをしてから語る。

「まず確実なのは、始まりの巫女がここで『因果律の封印』を用いたこと。それで終わればよかったけど、封じられた相手は信じられないことに、巫女の魂を自分の魂と結びつけた。簡単に言うと、『自分にかけられた封印が解けない限り、巫女もこの森から出られない』状態にしたということね」

 ウィステリアがそこまで話すと、ヴァグナスは違和感に気づいたのか、「む」とうなりながら眉を顰める。

「それではおかしい。厄災の封印は100年以上前に解かれたはずです。ならば、巫女はその時に封印から解放されているはず」

「ええそうね。でも、解放されなかった。それはつまり?」

「封印されたものは厄災ではなかった?」

「半分正解」

 ウィステリアは倒れた石柱に腰かけながら答える。

「厄災は確かに巫女によって封印されていたわ。ただしそれは前者の方法で封印されていた。厄災程度だったらそれで十分だったのでしょうね。でも、『本命』の方はそれでは足りなかった。因果律を曲げでもしないと封印できないくらい強力な存在がいた、ということよ」

 ヴァグナスの鉄面皮に冷汗が浮かぶ。ウィステリアはそれを見て、こいつも人並みに動揺するのかと場違いな感想が浮かんだ。

「それは、いったい」

「さあ? 私にはわからないわ。文献も残ってないしね」

「ただ、今回起こった重要な点は2つ」とウィステリアは指を2本立てる。

「一つ目は封印が解かれ、『本命』が飛び出した可能性があるということ。無理やり閉じられているけど、どう見てもこれは『事後処理』。すでに事は起きてしまったと考えるのが自然ね。そして二つ目が『絶対に解けるはずがない封印』をこんな強引な方法で解除したやつがいたってこと」

「どちらも看過できませんな」

「そのあたりのことは私の知ったことではないわ。私は別に図書館以外の世界は滅んでもいいって本気で思ってるし。見たいものは見たし、教えることは教えた。どう考えて、どう動くかはあんたらの好きにしなさい」

 言いたいだけ言って満足したのか、石柱に片手を付きながら手をぴらぴらと振ったウィステリアは、「じゃぁね~」と言って、まるで霞のようにその場から姿を消した。

 残されたヴァグナスが彼女の消え去ったあたりを無表情に眺めていると、彼の部下が駆け寄ってきた。

「報告します。巫女の一団と思われる馬車が昨日、イコンを発ったとのことです。情報によると、巫女と守り人の他に、見慣れない男の姿があったとのこと」

 ヴァグナスは思案する。きっとその男が今回の封印を解いた首謀者だろう。であれば、彼を野放しにしておくことはできない。

「次に向かうのはルクセンメリアだろう。すぐにその馬車を追え。巫女と守り人は保護し、男は確保しろ。強力な魔法使いの可能性がある。十分に注意せよ」

「は」

 ヴァグナスの命令を聞くと、部下は短く返事をしてその場を立ち去った。

 部下の背中を見送ってから、ヴァグナスはふと空を見上げた。

 先ほどまで晴れていた空は、薄暗い雲に覆われ始めている。

「……雨が来そうだ」

 彼は腰にさしてある剣の柄に手を置くと、石碑を一瞥し、その場を後にしたのだった。

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シャグナールの箱庭~俺たちは異世界で旅をする~ ヨシダコウ @yoshidakou4489

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