【6月7日】背中の羽が

王生らてぃ

【6月7日】背中の羽が

「んしょ……あれ?」



 最初に気が付いたのは、はじめてブラジャーをつけるときだった。

 背中でなにか引っかかっていて、うまく付けられない。



「おねえちゃん、手伝って」



 その頃、わたしの家には四つ上の親戚の透梨すかりちゃんが居候していて、忙しいお母さんの代わりに下着や洋服を選んでくれたのも透梨ちゃんだった。



「琴美ちゃん、ブラくらい、ひとりでつけられるようにならないと。来年から6年生なんでしょ?」

「だって、なんか変なんだもん。鏡だと背中よく見えないし……」

「はい、じゃあ背中見せて……え?」

「どうしたの?」



 透梨ちゃんは青ざめた顔でわたしの背中を見ていた。



「おねえちゃん? どうかしたの?」



 何も言わずに透梨ちゃんは、わたしの背中をスマートフォンで写真に収めると、それをわたしに見せた。

 わたしの背中、肩甲骨の辺りから、小さな羽が左右にひとつずつ飛び出ていたのだ。






     〇






 それから数年。

 わたしは高校生になり、すっかり背も伸び、ひとりできちんとブラもつけられるようになった。

 だけど、あれから生活はすっかり変わってしまったのも確かだ。



 毎日、わたしはひろいベッドの片隅で、赤ちゃんみたいに横向きに蹲っている。

 背中の羽は、もはや翼という大きさ、わたしのからだを包んでしまえるほどに大きくなり、それを布団の中に広げているので、寝返りを打つこともできないのだ。



 朝起きてまず、わたしは布団にくっついた灰色の羽毛を片付けることから始まる。

 セーターの毛玉のように、これは自分の力ではコントロールできない。たぶん無理矢理に羽根をむしったら痛いだろうけど、自然に抜けるのは仕方がない。そして、抜けたそばからまた新しく生えてくるのだ。髪の毛のように。



 翼は巨大な腕のような構造をしていて、おおむね随意に動かすことができる。

 ちょうど真ん中のあたりに折り畳める関節があって、普段はそれをバタフライナイフの刃を隠すように折り畳んで、背中で小さく収めている。こうしていれば、多少はジャマだけど、ブラを自分でつけることだってできる。背中のくぼみに合わせて翼を収納したら、上からシャツを着て、ベストを身に着ける。こうすれば、背中の羽が汗で透けてしまうことはない。



 通学のかばんはリュックではなく手提げの鞄を選んでいる。

 リュックを背負うと、腕がぎゅっとされているようなのと同じ感覚に陥る。あんまり重いと、圧迫されて痛みを感じる。だから極力、壁にもたれかかったり、椅子の背もたれに寄りかかったりはしないようにしている。



 そして、わたしの両親はこのことを知らない。

 知っているのは、小さいころからわたしの一番信頼できる恋人――透梨ちゃんだけだ。



 そして、この翼の一番の疑問。

 空が飛べるのか?

 それは、まだ、試したことがない。






「いってきまーす」



 いつも通りに朝食を食べて、自分のぶんの食器を洗ったら、いつも通りに学校に行き、電車の中で友だちと挨拶して、学校で退屈な授業を受ける。

 気をつけなければいけないのは、体育の時の着替えの時だ。

 うっかりこの翼のことが露見すると、大騒ぎになりかねない。だから、出来るだけ皆には背を向けないようにして、人目をはばかるようにこっそりと着替えるようにしている。時には適当に言い訳をして、トイレで着替えるときもある。

 それ以外は、いたって普通。

 ほんとうに普通の女子高生なのだ。






 放課後はいつも、すぐに帰って自分の部屋に戻る。

 そして、服をぜんぶ脱ぎ捨て、上半身裸になって、文字通り「羽を伸ばす」。



「んん~っ。つっかれたあ」



 大きく背伸びをすると、勝手に背中の翼も大きく伸びる。

 正確に測ったことはないけれど、わたしが両手を広げた大きさよりもずっとずっと大きい。たぶん目いっぱい広げたら、端から端まで3メートル以上はあるだろう。

 ずっと折り畳んでいて窮屈だった翼を広げ、それからストレッチをする。ぐるぐる付け根の辺りで関節を回し、筋を伸ばし、それから、わたしの身体を包み込むように翼を身体の前に回して、抱きかかえられるようにする。



「あっづい」



 暑いときには、ちょっと翼をぱたぱたさせてやれば、セルフ扇風機でエアコン要らず、節電にもなる。

 こういう小さな動作は、すべて努力のたまものだ。



 あれから、だいぶ身体は大きくなった。

 背も伸びたし、おっぱいや、お尻も大きくなった。腰はくびれて、声も少し低くなった。ただ、普段から背を伸ばしているせいか、背筋はいい方だとよく言われる。

 正直、今の生活には満足している。

 ただわたしには、他の人にはないハンディキャップ、不便が少しあるだけ。たまたま、人の身体に翼がくっついているだけ。ただそれだけなのだ。これさえ隠していれば、それなりに幸せに生きていられる気がする。



「あっ、」



 スマホの着信音で、わたしはまたあわてて服を着る。

 恋人からのデートのお誘いだ。






     〇






「透梨ちゃん、お待たせ!」



 透梨ちゃんは大学生になってからひとり暮らしを始めていた。でも時どき、こうして家の近くまで遊びに来てくれるのだ。透梨ちゃんは大学生っぽい大人っぽい格好をして、駅の前でわたしを待ってくれていた。



「今日はどこにいくの?」

「琴美、会ってすぐそれ? わたし、今日のために、いっぱいおしゃれしてきたのにな」

「あ、ごめん」

「いーの! そういう所もかわいいんだから。今日はね、わたし、バイトがんばったから、いっぱい御馳走しちゃうよ。お寿司と焼き肉、どっちがいい?」

「あ~……お寿司がいいな! 焼き肉は羽……じゃなくて、髪の毛ににおいがついちゃうから」

「おっけー。回る奴でいいよね?」

「うん」



 わたしたちは手をつないで歩きだした。

 透梨ちゃんはわたしの秘密の共有者であり、唯一の理解者でもあった。わたしのことを親身に気遣ってくれて、翼をコントロールするための特訓メニューも考えてくれた。いっしょにお風呂に入ったときに、毛並みを整えてくれたこともあった。

 わたしが中学2年生の春に、わたしは透梨ちゃんに告白した。その時、透梨ちゃんは既に県外の大学に進学することが決まっていて、この家を出ることが決まっていたからだ。透梨ちゃんはとても悩んでいたけれど、OKしてくれた。

 いっぱいデートもした。いっぱい触れ合った。わたしたちふたりだけの秘密は、もっともっと増える一方だった。ベッドのなかで裸になって眠る透梨ちゃんを、わたしは腕枕ならぬ翼枕でいつも包んであげていた。



「そろそろ、琴美も進路のこととか、考え始めるころ?」



 透梨ちゃんはお寿司をもぐもぐ食べながら尋ねた。



「うん」

「どこに行くか、決めてるの?」

「透梨ちゃんの大学に行こうと思ってたんだけど、わたしが入るときには透梨ちゃんはもう卒業しちゃってるんだもんね」

「そうだねえ。アハハ、わたしに留年しろっていうつもり?」

「そんなことないよ~」



 わたしはサーモンの皿を取って、しょうゆにつけた。



「将来、何になりたいとかあるの?」

「うーん……、あんまり、デスクワークとかは嫌かなあ。できれば、山奥か、海が近いところで暮らしたいの。いつも我慢できてるけど、窮屈なのは、変わらないからさ」

「やっぱり、出来ればずっとそのままで暮らしていたいって思う?」

「そのままって?」

「折り畳んだりしないで」

「ん、まあ……できれば、ね」



 もちろん、背中の翼の話だ。

 透梨ちゃんは笑って、テーブルに頬杖をついた。



「ね、一緒に暮らす?」

「え?」

「わたし、春から就職するからさ。そしたら、一緒に暮らそうよ。琴美はアルバイトとか、パートとかで、自由に働いてくれたらいいからさ。生活費はわたしが出すから」

「でも、それはなんか……」

「琴美は他の人とは違うんだからさ。こういう時くらい、他人を頼ってみたら?」



 透梨ちゃんの言葉は嬉しかった。

 週3くらいでアルバイトをして、残りは家で家事をしたりしながら、のびのびと羽を伸ばしていられる。それは願ってもないことだ。



「おじさんと、おばさんには、わたしから言っておくからさ。もちろん、大学に通いながら、っていうのでも、わたしは構わないんだけどね。選択肢の一つとして、どう?」

「ありがとう。透梨ちゃん」

「いいの。琴美のことだもん」






 お寿司をたくさん食べたあと、わたしは透梨ちゃんの住んでいるマンションに遊びに行った。そこは駅から離れた住宅街にどかんと立つ十五階建ての新築で、透梨ちゃんの部屋はその十二階にあった。

 エレベーターで上のフロアへ進むと、ふわっとした感覚と共に、羽のひとつひとつがそばだつのを感じた。

 ひとり暮らしの大学生っぽい、簡素な部屋だ。家具は必要最低限、テーブルの上にはパソコンと読みかけの雑誌、本棚には参考書と漫画がずらりと並んでいる。



「脱いでいい?」

「いいよ」



 わたしは許可をもらって上着を脱ぎ捨てた。

 脱いでいい、とはもちろん、この部屋で大きく羽を広げることと同義だ。



「また、大きくなったんじゃない?」

「そうかな」

「いつ見ても、きれい。わたし、琴美の翼がすきだよ。いい匂いがするし、ふかふかで、やさしくて……」

「わたしの翼、お布団じゃないよ」

「ごめん、ごめん。でも、きれいだと思っているのは、ほんとうだよ」



 うれしかった。

 いつも窮屈にしているこの翼を、透梨ちゃんの前では大きく見せびらかして、それをほめてもらえる。

 透梨ちゃんはベッドに腰かけて、わたしのことをじっと見つめていた。

 正確にはわたしの身体をだ。

 翼だけじゃない。顔、首筋、お腹、胸。



「おいで」

「ん……、うん」



 わたしは透梨ちゃんの隣に座った。

 そして肩を寄せ合うと、そのままキスをした。どちらともなく腕を肩において、舌を絡めあった。

 わたしの翼が震え、勝手に透梨ちゃんを包み込むように大きな円を描く。

 透梨ちゃんがわたしのおっぱいに口をつけ、水音を立てて吸い付いた。羽の先がぴくぴくと震え、背筋を汗が伝う。

 わたしは透梨ちゃんの上にのしかかって、透梨ちゃんの洋服を一枚ずつ脱がしていった。






     〇






 お父さんとお母さんには、透梨ちゃんの家に泊まることを電話で連絡した。

 透梨ちゃんは裸で眠っている。

 わたしは上半身をあらわにしたまま、こっそりと起き上がってベランダの外に出た。



 熱のこもった部屋から解放され、風が羽のひとつひとつをくすぐる。こんな気分は生まれて初めてだった。ひゅーひゅーと、羽毛の先を通り抜ける風が音を立てる。

 外には誰もいない。

 いま、誰かに裸のわたしを見られているかもしれない、という気恥ずかしさと、夜風の気持ちよさ、そして、未だに冷めない熱とが相乗して、不思議な気分にさせられる。



「気持ちいい……」



 翼が勝手に動く。

 いままで、外で翼を広げたことはなかった。誰かにこれを見られていたら、と思うと、とてもそんなことはできなかったのだ。

 時刻は夜中の1時、マンションの明かりはほとんどが消え、街は静寂に包まれていた。



 この風。

 羽の風切り音。

 熱ぼったい頭。



「琴美」



 背中からすっと抱きしめられた。

 耳元に透梨ちゃんの声が、優しく囁いた。



「風邪ひいちゃうよ」

「ごめん。気持ちよくて」

「わたし以外に、この翼のこと、見せちゃだめだよ」



 透梨ちゃんは右手で、翼の骨をなぞるように撫でながら、左手でわたしのお腹を撫でた。それはだんだん身体の上の方に上がってきて、おっぱいを平らにするように通り過ぎると、わたしのほっぺの辺りでとまった。ぐいと顔を引き寄せられ、そのままキスをした。



「飛んでみたい」



 わたしは透梨ちゃんに言った。



「いま。飛んでみたいの。透梨ちゃんといっしょに」

「だめ……中に入って。もう寝よう」

「お願い。いまなら誰も見ていない。この夜風に乗ってみたい」

「だめよ、琴美ちゃん。飛べるわけない」

「どうして? こんなに大きくて、立派な翼が生えているのに。きっと飛べるよ」



 またキスされた。

 口をふさがれるような、乱暴なキスだった。舌を甘噛みされて、歯茎の裏側まで透梨ちゃんの舌が這いまわった。乳首をぎゅっと摘ままれると、鼻から荒い息が漏れて、脚の力がなくなってわたしはよろめいた。

 翼が強張っている。

 飛行機が広げる鋼鉄の羽のように、ひゅううううう、と揚力の鳴き声を上げていた。



「いかせて。おねがい」

「だめ……」

「透梨ちゃんにはわからない。だって透梨ちゃんには翼がないでしょう。わたしには翼がある、翼は、空を飛ぶためについているんだわ。いま、それがようやくわかったの。だから、透梨ちゃんが止めても、わたしは行くよ。空が飛べない透梨ちゃんには、どうせ追いつけやしないんだから」



 眼下には、地上十二階の空が広がっている。

 透梨ちゃんはぎゅっとわたしにしがみついていた。だけど、背中の翼はそれを無視して大きく広がっていた。



「見てて、透梨ちゃん。いまから証明するよ」

「待って! お願い、だめよ琴美ちゃん……!」

「……、だいじょうぶだよ」



 ベランダの手すりに足をかけた。



「もし、ちゃんと飛べたらさ。――次は、透梨ちゃんのこと抱っこして、ふたりで空を飛んで、デートしようね」



 夜風の中、飛び出す。

 翼が風をはらんで、大きく広がった。

 透梨ちゃんの叫ぶ声が、急に遠くなっていく気がした。

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