第2話 序章 そして物語は始まる






 アリシアは部下からの報告書に目を通して頭を抱えていた。




 ここはフスティシア王国衛兵駐屯所の執務室。女性ながら30歳という若さで衛兵長にまで上り詰めたアリシアは、しかしその鋭利な眼の下には濃い隈が浮き出て、見事なブロンドの髪はボサボサに乱れている。詰まるとこオーバーワークで心身ともに限界であった。




 最近活発になってきた反乱軍の対処に追われている所に、先日起こった監獄での爆破事件。アリシアは鋭い眼光で手元の書類を睨み付ける、それは事件と供に脱走した犯罪者達のリストであった。




「お疲れの用だね、衛兵長殿」




 突如背後からかけられた声に、アリシアは迅速に振り返ると腰の剣に手を伸ばし・・・。




「はあ、サー・テンタツィオーネ。気配を消して背後に来るのは止めて頂きたい。危うく斬り付ける所でしたよ」




 アリシアの背後に佇むのは王国の騎士、ローズ・テンタツィオーネ。乙女と見まがうほどの美貌から人気のある御仁だが、アリシアはどうもこの人物が好きにはなれない。どうもこの騎士を見ると、獲物を求めて舌なめずりをする蛇を連想してしまうのだ。




「ローズと呼んでくれても構わないよ。衛兵長殿のような美しい女性からそう呼ばれるのなら自分はとても嬉しい」




 背筋かぞわりとするような笑みを浮かべて近寄るローズに、アリシアは首を横に振った。




「お断りします。互いに身分のある身、礼節を忘れぬが最善かと」


「つれないねえ」




 ローズはフッと息を吐いて、流れるようにアリシアの持っていた書類を奪い取った。




「なるほど、先日の監獄爆破の件だね」


「はい、おそらく奴の仕業かと」


「だろうね、こんな事をしでかすのは奴以外いないだろう」




 そう言って書類の束をめくる。




「・・・奴以外の脱走者もなかなかにやっかいだ」


「ええ、まだ瓦礫の撤去作業が終わっていませんので確かな数はわかりませんが、わかっている脱走者だけでも面倒です」


「ああ、特にこの三人だ。この書類は確認したかい?」




 ローズが何枚かの書類をアリシアに受け渡す。




「これは・・・・・・”猫族の英雄”テオ・ランヴォ・マティに”灰の男”ダンプ・デポトワール・オルドル。我々が長年目の敵にしていてやっと捕まえた二人ですね。そして最後の一人が・・・」




 最後の一人の書類に目を通したアリシアは言葉を詰まらせる。その書類には何も情報が書かれていなかった。ありえない、投獄されたのならされた理由は最低でも記載されているべきなのだ。




 その書類に記されていたのはその人物の通称だけ、つまり・・・










「緋色の死神?」

















「しっかし獣人ってのはすげえもんだねえ。素手で鳥捕まえるなんて人間にゃ困難だ」




 ダンプの賛辞を受けながら、テオはまんざらでもなさそうな顔で先ほど捕らえた鳥を捌いていた。投獄された時に身につけていた武器は全て没収されてしまったが、そもテオには持って生まれた獣の本能と両手には鋭い爪がある。今日の糧として狩りをする程度は何の問題も無かった。




「まあ、テオの旦那が獲物を狩ってくれるおかげで食料には困らねえが、最低限の武装は整えたい所だねえ」




 ダンプも遊んでいる訳では無い、獲物を捌くテオの横で火起こしの準備をしているのだ。




「・・・・・・薪、いっぱい持ってきた」




 そんな中、大量の枯れ枝を両手に抱えた男がやってきた。




 この近辺では珍しい黒目に黒髪。顔は特徴のない平凡な、町中ですれ違ったらすぐに忘れてしまう程度のものだったが、彼の体躯がその異常さを物語っていた。背は平均といった所だが、その極限まで絞られた体に一切の贅肉は許されず、異様に発達した背筋と体に刻まれた無数の傷跡は男の人生が戦いの中にあったと悟らせる。




「ありがとよ名無しの、薪はそこに積んでおいてくれ」




 ダンプの言葉に、男は無言で頷くと抱えた薪を下ろした。




「しかし記憶が無いとはいえ、いつまでも名無しの権兵衛じゃ不便だな。適当に名前でもつけていいかい?」




 そう、一緒に監獄から脱出したこの男はどうやら記憶喪失という奴らしかった。自分が今まで何をしてきたか知らない、気がついたら牢で拘束されていた、と。




「別に好きに呼んでくれて構わない」




 男の言葉に、以外にもというか最初に反応したのは鳥を捌いていたテオだった。




「では、今からお前の事は”マオ”と呼ぶことにしよう」


「マオ? 旦那、そいつは何だい?」


「我々の一族の古い言葉だ。意味は”旅の道連れ”」


「・・・へえ」




 悪くない。いや、むしろこれ以上無いというほどにぴったりな名前に感じられた。




「ボクは別に構わない」


「本人からの了承も得たことだし決定だな、よろしくなマオ」




 こうして新たな名前を得た記憶喪失の男はどこか満足げな様子で微笑むのだった。








 雲一つ無い満点の星空の元、パチパチと楽しげに炎が揺れる。気の串に刺された鶏肉が、油をしたたらせて旨そうに焼けていた。




「さて、装備を調達するって話だが何か当てはあるか?」




 テオの言葉に、ダンプは難しい顔をして無精ひげの生えたあごをなでた。




「うーん、まずこの囚人服じゃあまともな町じゃあ入るのも無理だねえ。となると非合法なやり方に限られる訳だけど・・・」




 考えをまとめながらダンプは落ちている枯れ枝を拾い上げ、たき火に投げ入れる。




「そうだね、詳しい事はいえないがオイラは反乱軍に貸しがある。奴らの拠点にさえ行ければなんとかなると思うぜい」




 しかし問題は反乱軍の拠点がどこにあるのかわからないという事だ。反乱軍は拠点がばれないように定期的に場所を変えてしまう。




「・・・断定は出来ない、が。ある程度場所を予想する事はできるかもしれない」




 テオの言葉に、ダンプは驚いたような顔を浮かべる。




「へえ、聞かせてくれよ旦那」


「なに、簡単な事だ。拠点を作るにはいくつかの条件がある。強いモンスターのテリトリーから外れる場所であること、水の確保が用意であること、そして王国から近すぎず遠すぎずの適切な距離を保つことが重要だ」


「・・・・・・なるほどな」




 確かに今のは一般論を話したのであって確実とはいえないだろう。だが闇雲に探すよりは可能性のある話だった。もとよりこちらには選択肢はあってないようなものだ。




「乗ったぜ、とりあえず今の条件を当てはめて候補をいくつか絞っていこう」


「ああ、マオもそれでいいな」




 先ほどから無言でたき火を見つめているマオに声をかけると、彼は静かに頷いた。




「ボクの事は気にしないで。記憶の定かで無いボクには物事を判断することがとても難しいから、基本的には貴方たちの方針に従うよ」


「そうか、了解した」




 テオは深く頷くと、たき火からいい具合に焼けた鶏肉を取り出してマオに差し出す。




「行動は明日からだ。今日はとりあえず食って休むことにしよう」




 夜は、ゆっくりとふけていくのであった。






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