無自覚

いつものように、朝の電車で奏と話している時だった。


「心咲、お願いがあるんだけど…。」

「どうしたの?」

「今度、試合、見に来てくれないかな?」


 奏からのお願いなんて、珍しいと思った。しかも、試合を見に来てほしいなんて。

 詳しく聞いてみると、次は、県大会の決勝で、これに勝てば全国大会に出場できる大事な大会なのだそうだ。日時は今週末の日曜日13時から、場所は隣の市にある、県内で一番大きいアリーナで行われる。私は詳細を聞く前から、行くことを決めていたから、二つ返事で返した。私の返事を聞き、奏はいつになく嬉しそうだった。よほど嬉しかったのか、試合が近いからなのか、その日からの朝練の時の奏は、それまでよりも張り切っていた。

 試合の当日は、10過ぎには家を出た。会場までは、1時間ちょっとかかる。早めについておくに越したことは無いと考えた。何本か電車を乗り継ぎ、会場の最寄り駅まで着いた。会場近くには、多くの人が集まっていた。決勝戦ということで、注目度も高いのだろう。奏から、駅に着いたら連絡をしてほしいと言われていたから、電話を掛けた。


「もしもし、奏、駅着いたけどどうしたら良い?」

「心咲、もう着いたんだ、会場の入り口あたりで待ってて。迎えに行くから。」


 そう言うと、奏はすぐに電話を切った。言われた通りに、入り口付近で待っていると、ユニフォーム姿の奏達が迎えに来てくれた。


「心咲、来てくれてありがとうね。」

「奏、頑張ってね。夏希ちゃんも、千尋ちゃんも、沙羅ちゃんも。」

「任せなさい!」


 奏のいつもの笑顔の中には、珍しく緊張が見える。さすがに、大きな大会ともなれば、奏も緊張せざるをえないようだ。私は、奏たちに案内されて、アリーナ席の一番前に座らされた。私を一人残し、奏たちはアップに行った。ひとりですることが無く退屈だった私は、昼食を買いに近くのコンビニまで、財布と携帯だけ持って行った。適当に、おにぎりとお茶を買って、席に戻った時には、程よく席が埋まっていた。私の席の近くには、クラスの子達が何人か座っていた。私に気付いた彼女たちは、私に声を掛けてくれた。試合が始まるまで、昼食を食べながら彼女たちと話していた。13時になった時に、場内アナウンスが流れた。


「これより、風丘高校と西南高校の試合を始めます。」


 アナウンスが終わるとホイッスルが鳴り、試合がスタートした。最初にゴールを決めたのは奏だった。そこからは、一進一退の攻防だったが、奏はその中でも異彩を放っていた。味方からボールをパスされると、ブロックをいとも簡単に抜き去っていき、何度もシュートをきめていた。奏の毎朝の練習が、結び付いた結果だった。練習の時には見ることのできない、試合の時の奏の姿は、今までで一番カッコよかった。

 試合も終盤になり、残り時間は2分を切ったところで、得点は、79対78で、風丘高校が優勢に立っていた。残り1分を切ったところで、風丘高校の選手が外したボールを、相手チームに取られ、攻め込まれ、逆転を許してしまった。奏は、諦めることなく果敢に攻め続けた、何度もブロックに邪魔されながらも、ゴールに近づいて行った。そこで、ボールを弾かれてしまった、そして、ホイッスルが鳴った。試合終了の合図だ、風丘高校女子バスケ部の敗退が決まった瞬間だった。応援をしていた、風丘高校陣営は、一気に静まり返った。しかし、誰かのよく頑張ったという言葉を皮切りに、選手たちを称え始めた。もちろん、私も例外ではなかった。選手たちが、こちらの前に並んだ。


「ありがとうございました。」


 その声は震え、皆の顔は涙で濡れていた。ただ一人、奏を除いて。奏は、いつものような笑顔でチームメイト一人一人に声を掛けている。そんな姿に、奏はどんな時でも強いと感じた。しばらく、試合の余韻に浸っていると、奏が席の下までやって来た。


「心咲~、一緒に帰りたいからちょっと待ってて~。また連絡するから!」


 それだけ言ってまた、チームの方に戻っていった。私は、奏から連絡があるまで、携帯を見たり、本を読んだりして時間を潰していた。

 30分経った頃、奏から着信があった。


「今、どこいる?」

「さっきの席のとこだけど…」

「わかった、じゃあそっちに行く!」


 すぐに電話は切れた。今日の奏は、せわしないと思いながら、待っていると、すぐにやって来た。


「お待たせ!帰ろ!」

「うん。」


 帰り道、相変わらず奏は明るいままだったが、試合について触れるのは憚れたので、避けていた。電車の中で何度か言葉を交わしたが、次第に二人の間に沈黙の空気が流れ始めた。月山中に向かう電車の中で、奏が沈黙を破った。


「この後、心咲暇?」

「予定はないけど。」

「それじゃあ、付き合って。」

「う、うん。」


 付き合うのが、何かわからなかったが、奏の声がいつもと違うのが気になって、引き受けた。それから、月山中駅まではまた二人とも黙り込んでいたが、月山中の駅に着くと、また奏の方から口を開いた。


「ゆっくり話せる場所知らない?人があんまりいない場所。」

「うーん、それなら家の近くに公園があるけど、この時間なら多分誰もいないと思う。」

「じゃあ、そこに行こ。」


 この公園は、私の趣味のランニングのコースの中に入っていて、よく通るから、人がいない時間は把握している。ただ、そんなところに行って何か話でもあるのかと思ったが、見当はつかなかった。

 公園に着くと、やはり誰もいなかった。入り口に設置してある自販機で、それぞれ飲み物を買い、並んでベンチに座った。しばらくは、奏はうつむいたまま、何も話さなかった。奏が話し出すのを、私はただ待っていた。


「今日、せっかく来てくれたのにごめんね…。」


 座って、5分ぐらい経った頃、ボソッと呟いた。


「せっかく来てもらったのに、負けちゃって。試合が終わった時、悔しいとか悲しいとかって気持ち、無かったはずなのに、帰りにこれで終わったんだって実感したら、だんだん辛くなってきて…。」


奏の目から涙が零れ落ちる。


「みんな、一生懸命練習した。毎日、毎日、頑張った。それでも、勝てなかった…。悔しいよ…。」


 奏の心の堤防が一気に決壊していくのがわかる。試合が終わって、今まで抱えていたもの、必死に堪えていたものが一気にあふれ出したのだろう。奏を強い子だと思っていたが、そうではなかった。奏が必死に強いふりをしているだけなのだと気づいた。

 誰かが涙を流している場面に初めて出会った、だから、どういう風に接していいのかもわからない。ただ、考える前に身体が動いた。私は、無意識のうちに奏を抱きしめていた。撫でるわけでもなく、声を掛けるでもなく、ただひたすらに抱きしめていた。私の腕の中で奏は、涙を流し続けた。ひとしきり泣いた後、次第に落ち着きを取り戻した。それを見計らって、私は彼女から離れた。


「心咲、ありがと…。」


 涙をぬぐいながら、呟いた。それからは、奏が心の内を打ち明けてくれた。今回の大会に懸けた思いや、奏が感じていた重圧について話すのを、何も言わずただ聞いていた。

奏は、一通り話すと、どこか心の荷が下りたのか、晴れやかな顔になっていた。

 あたりも、暗くなり始めていた。そろそろ帰ろうかとなった。私の方が先にベンチから立ち上がった。


「奏、お疲れ様。私は、心咲が必死に頑張ったの知ってるから。」


 奏の方へ振りむきざまに言った。私にしては、かなり歯の浮くようなセリフだ。ただ、私は、本当に奏の頑張りをおそらく誰よりも知っていたから、それだけは伝えたかった。奏は、まさにハトが豆鉄砲を食らったような顔をしていたが、ベンチから立ち上がると同時に、私の胸に飛び込んできた。一瞬、倒れそうにもなったが、何とか踏みとどまった。少しの間ぎゅっと抱きしめられていた。


「心咲、ホントにありがとう!」


 私から離れた奏はまたいつもの明るい笑顔だった。公園を出る時は、もう完全にあたりは暗くなっていた。二人並んで、また奏に手を繋がれ、私の家に向かった。家の前で奏と別れた後、いつものように奏を見送った。その足取りは、今までよりも軽やかに見えた。

家に入って、一通りのことを済まして、部屋に戻った。ベッドに座り、今日のことを思い出していた。奏が活躍をしていた場面、試合に負けた時、一人健気にふるまっていた奏、公園での出来事、なぜか思い出すのは奏のことばっかりだった。他にも、色々あったと思うが、はっきりと思い出せない。それに、公園での出来事を思い出すと、鼓動が早くなった。理由はわからないが、初めて手を繋がれたときに感じたものと似ている気がした。この気持ちは何なのだろう、あの時も少し考えたが、今日も相変わらず答えは出そうになかった。

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